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第七話

 認めた瞬間に、重くなる身体はすごく正直だなと思った。どうしてこんな風に思うようになってしまったのだろう。どうしても、素直に()()を受け入れられない。それはきっと。

 ――私という人間に私自身が価値を感じられないから、なんだろうな。

 堀と別れて、どこへ行くともなしに歩いている。ただ家に帰りたくない気持ちから、駅前をさまよっていると、色んな店があるのだなあとぼんやり思う。それなのに、何をどうしようとも思えない。普段、寄り道を滅多にしないし、暇つぶしの相手は専ら本で、それだって情熱を燃やして収集していたわけではない。あくまでも、時間を埋める手段にすぎなかった。だからこんなとき、手持ち無沙汰になってしまう。そして実感するんだ。

――今まで、無意識のうちに見ないようにしていたものがたくさんあったのだろう、と。

 遊びたいと願ったことはない。ただお母さんが笑っていてくれたら、私は幸せだと思えた。同年代の流行についていけなくたって、私自身が好む娯楽が何もなくたって、むしろそうでなければ、家事を完璧にこなせない。よくわからない理由で父があっさりと家を出て、もしかしたら私もいつか、よくわからない理由でばいばいと言われるのかもしれないと怯えていた。不思議なものだ。あれだけ大切にされているとわかっていても、不安は消えなかった。当時の私には、どうしてなのかわからなかったからかもしれない。

 ――いや。

 本当は、今、この年齢になっても、あんな簡単に家族をやめられるのはおかしいと思っている。だったらとことん、理由を訊けば良かったのではないか。でも煩わせたら、やっぱり私の行く末がどうなるかわからないと考えてしまった。

父はあっさりと新しい家族を作った。……母も、そうだ。だからきっと、家族って簡単に作れるし、壊せるんだろうって思わざるを得ない。だったら私は? 必死にしがみつくくらいしか、考えつかなかった。頑張って頑張って、この家で必要な、なくてはならない存在になろうと。

 でも。

「育実くんが現れたから、私は用済みだね」

 自嘲するように微笑んで、私はまた歩みを進める。

 そうだよ、本当は、興味が全くないなんて嘘だった。

 可愛い小物を見れば胸が躍るし、自分に似合うだろうかと考えながらディスプレイされた服を眺める日もあった。ピアスを開けるのは少し怖いけど、やってみたい。映画を観たり、遊園地で絶叫マシンに悲鳴を上げたり、なんていうか、普通の事って言い方はおかしいかもしれないけど、やってみたいなって思ってたんだ、本当は。そんな大袈裟なものじゃなくていい。放課後に少しだけ友人と喋りすぎて遅くなったり、なんとなくどこかのお店に寄って行ったり。ひとりきりでも、自由に学校帰りの時間を満喫してみたかった。

そういう気持ちを、押し殺してきたのは、ただ不安だったから。現状に不満があるんじゃない。お母さんはきっと、笑ってそういうことを許してくれるんだろうと思う。でも、心の奥底で。

 ――じゃあ、別々に暮らしましょうか? その方が楽よね、お互い。

 夢の中で、時折出てくるお母さんは、にっこりと微笑んで、とても軽やかにそんな言葉を放つ。それがずっと奥底に在って、私から出て行ってくれない。何度も何度も、そんな酷い母なはずがないって思って、けれどもしかしたら、ってまた考えてしまう。お母さんにとったら、それが全く残酷な行為ではなくて、善意なのかもしれないし。

 私を大切だと言ってくれるお母さん。私が家事をしたくないと言ったら、私と離れようと言われるかもしれない。そうじゃなくても、私が少しでも面倒な子になれば、性格の不一致だとか言われて、離れていかれるかもしれない。

 独りにいしないで。独りは嫌。独りは怖い。独りは寂しい。どうか私を必要として。こんなに家事が出来るから。家の中を清潔に保つから。美味しいごはんを作るから。お母さんが着る服は皺ひとつない綺麗なものだけ。

 私を必要なうちは、私を家に置いてくれるよね? 今の私は大丈夫? このままの私で大丈夫? もっと美味しいごはんを作らなきゃ駄目? もっと家の中を綺麗にしなきゃ駄目?

 捨てないで。お母さんが大好きなの。ずっと、ずっといっしょに居たい。

「っ、なんでこんな事ばっかり」

 はっきり言って、異常だよ。なんでかな、自分でもわかってるのに。お前おかしいだろって言えるくらいには、俯瞰して見えてると思ったんだけどなあ。

 駅前をうろうろしていても全然時間は潰れない。なんとなく、ざわざわとした街が落ち着かなくて、私は繁華街から離れるように歩き出した。目的地なんてなかったけれど、人混みの中で孤独を感じるよりも、本当にひとりでいる方がよほど良いと思ったのだ。

 気付けば周囲は家ばかり。無意識なのか、自分自身がどこか引き寄せられたのか、住宅街を歩く私の足は、先ほどよりもずいぶん軽かった。

 通学路を歩く小学生。ランドセルを背負ってないから、一度帰ってから友人と待ち合わせをして遊んでいるのだろう。私も、あの頃は気楽に友だちと会っていたなあ。笑いながら走る子どもたち。きちんと前を見ないと危ないぞー、と心中で声をかける。まあ、声に出さないと意味ないんだけど。

ばいばいという声を掛け合っているから、そろそろおひらきのようだ。そこで気が付いた私は、制服のポケットから携帯電話を取り出す。時刻を見ると、そろそろ夕方だ。育実くん、今日はアルバイトある日だったと思うけど、少し時間が短いと言っていた。家に二十一時頃には帰ってると言っていたから、それまでには戻っていないとまた心配かけてしまうな。

「ふふ、心配だって」

 変なの。憎悪を感じている相手に、心配をかけまいと慮る。はっきり言って矛盾している。けれど。

 ――わかっているんだ。彼が何も悪くはないということ。きっと、育実くんは懸命に家族を演じようとしていること。私たちは、似ている。家族が消えてしまうかもしれない不安を知っていて、なんとなく同じ空気を感じている。それがとても心地良いと、お互いが知ってしまった。だから、彼を心から嫌う事は出来ない。たとえ、自分が捨てられるかもしれない原因だとしても。それとは別の場所で、同志のような、きょうだいのような、ううんもっと違う、何某かの感情が芽生えていて。私はその温かさに触れてしまったから、嫌えないどころか好感を抱いている。

 育実くんがアルバイトをたくさんしている理由、私、わかるんだ。

 林さんはお母さんと同じくとても仕事が出来る男性で、今まで生活に困窮したことはないそうだ。しかしそれとは別の所で、育実くんは自分がやるべきことを必死に考えたのだろう。なんとなく時代錯誤な考えだけれど、私は家を清潔に保つこと、彼は自分自身を養える程度の経済力を身に付けることに、きっととてもこだわった。それは多分、私が女で育実くんが男だから、同居する親がそれぞれ母親と父親だったから、そういう考えに至ったのだと思う。

 私は母に気持ち良く仕事をして貰う為、なるべく長くいっしょに居る為に、家事をこなした。育実くんはなるべく早く自立して、父親の負担を少しでも減らそうとした。もしも何かあっても、しばらくは自分自身だけで立っていけるようにと、お金を貯めているのだと思う。

「一時は家政婦さんみたいな人も雇ったって言ってたもんなあ」

 育実くんは私が父と別々になるよりもずっと早くにお母さんと死別しているから、家事を自分でやろうにも限界はあるし、こなせるようになってからもそこそこにやっていたみたいだ。それでも、そこらへんの学生よりはよっぽど家事が出来るのだから、私の手なんてもういらない。

 ……考えてたらまた哀しくなってきたからやめようかな。

 でもまあだから。嬉しかったんだよね。私と育実くんはお互い、妙な、特別な、片親だからと背負った感情を、ぽいっと捨てたところに在る。それぞれの存在が、そういう、なんの感情もなしに接していい相手だとわかっているから。

 いやまあ。双方の両親との兼ね合いはあるから、打算もたくさんあるのかもしれないけど。でもさ。表面上仲良くしてればとりあえず体裁は保てるじゃない。私も最初は、その程度のお付き合いかなって思ってた。

 だけど。

 育実くんは、その手で私に触れた。温かいものを惜しみなく注ぎながら、時々笑って、私自身の価値を教えてくれた。なんの計算もなく――優しくしてくれた。

 嬉しかった。この上なく、本当に嬉しかった。それなのに、全然違うところで彼を憎んで、ごちゃごちゃと考えて、勝手に疲れて、いじけて、子どもすぎる自分がとても嫌い。

 ごめんね、育実くん。こんな面倒な奴ときょうだいになってくれてありがとう。

 私、どうしたいかな。この先、どうすればいいかな。とにかく、気持ちとか、打ち明けないといけないんだろうとぼんやり思うんだけど。だけど、言ったとして、すっきりするんだろうか。疑心暗鬼みたいな感情だし、今までさんざんお母さんに愛情をもらったと自覚しているのに、それすら疑う始末なんだから。

「……お父さんの話とか訊いたら、少し違ったものが見えたりするのかな」

 案外それは正解かもしれないって思ったけれど、やっぱり今更そんなことつっこむの抵抗あるよ……。

 あ。

 下を向いて、とぼとぼ歩いていたら、鼻をくすぐる、いいにおい。あそこのお家は今晩カレーかな。あっちは……うーん、なんか炊き込みご飯っぽいにおい。かすかに聞こえる笑い声。ああ、泣いている声も。ああ、いいなこの時間。黄昏時。どうして人は、夕陽を見るとどこかせつなさを覚えるのだろう。思い出が過ぎるのも、この時間。

「! 公園……」

 砂場と、すべり台と、ジャングルジムと、ブランコ。

 そんなに大きい公園じゃないけど、遊具を見るとますますせつない気持ちになる。

「なんか大きくなると何もかもちっちゃいなあ」

 やることもないし、と公園に入ってブランコに腰掛ける。ほ、と小さく掛け声を上げながらこぎ出した。キイ、とブランコが音を立てて揺れる。

「どうしたもんかなー」

 キイ、キイ。

「そもそもなんでこんなこと考えるようになっちゃったんだっけなあ」

 キイ、キイ、キイ。

「お父さん、家を出る時何か言ってたっけ?」

 キーイ、キーイ。あ、けっこう最高到達点が高くなってきた。

「……段々ふたりの会話がなくなってたのは気付いてた。喧嘩まではいかないけど、なんとなく家の空気が重くなって」

 それからふたりは程なく離婚。父が家を出たのもけっこう早かった。

 あ。

「違う」

 お父さんじゃない。あの時、私がそう考えてしまった言葉は。

 ざざ。

 ブランコから飛び降りて華麗に着地。ってそんなに高い位置から降りてないけど。砂を靴底でこすった音が響いた公園は、もうあかりが灯っていた。

 あれ、これ、今何時……?

 携帯電話を少し焦って取り出すと、現在時刻は二十一時ジャスト。えっ、いつの間に?

「あれ……着信がたくさんあるのは何故?」

 しかも育実くんばっかり。というか、育実くんだけ。しかも二時間前から着信入ってる。今日、ひょっとしてアルバイトじゃなかったのかな?

「わあっ!?」

 考えてたらかかってきた! と、取らないと!

「も、もしもし!」

 慌てて通話ボタン押したら勢い余って大声出た! これキーンてなってないかな!

「馬鹿!!」

 うおっ。私がなった。私がキーンなった! なにその大声!

「育実く」

「今どこにいるの」

「が、学校の最寄り駅の某公園に」

「住所」

「え? えーと……あの、心配していただかなくとも、もう帰るから」

「いいから住所」

「ええと……」

 ものすごい剣幕に、私は公園の出入り口に向った。辺りを見回すと掲示板のようなものにそれらしきものが書いてあった。そのまま伝えると、ものすごく低い声でそこから動くな、と育実くんに言われる。私はおとなしくそれに従った。

 わざわざ迎えに来てくれるのだろうか。別にまだそんなに遅い時間でもないのに。育実くんて案外心配性だなあ……って、あ、そうか。この間も心配して駆けつけてくれたんだっけ。

「ふふ」

 ふふふふふふふ。

 気付けば歪む口元。なんでだろう、にやにやが止まらない。

 ねえ、育実くん。駆けつけてくれたあなたは、どんな表情をしているのかな。すごく怒ってるかな。わかんないけど、どんな顔でも、すごく嬉しく思えてきて。

 早く来ないかな、と、気が付けばそわそわしていた。……自分勝手で申し訳ない。


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