08.水の集落
「ここを……来たの?」目の前にそり立つ壁のような崖を見ながら、シェピアは聞いた。
デュオは呆然と立つシェピアを見ながらうなずいた。
「うん……。でも、大丈夫! 俺に任せて!」明るく簡単にデュオは言ったが少女は聞いていなかった。
「……無理よ。いくら私がおてんばでもこれは木を登るのとはわけが違うわ……」
「なんとかなるって……」いまだデュオと視線を合わせようとはしないシェピアを見つめながら、デュオの気持ちは弱くなる。
確かに、身一つで登るには無理がありすぎる。
風の民をマヴラァスと共に出て別れを済ました二人は、そのまま剣に導かれるまま島の端にたどり着いていた。
デュオが満身創痍になりながらどうにか乗り越えた壁とも言える様な崖を目の前に、二人は沈黙してしまう。目も合わせられない。そんな中剣がつぶやいた。
『登らなくてもよいのではないか』
「そうか!」突然叫んだデュオに驚きの視線を浴びせつつシェピアは聞いた。
「……何? びっくりさせないでよ? フォンが何か言ったの?」ひとり言を言う時は大体剣と会話している時、と大分慣れてきたようだ。
「うん! そうか、壊せばいいんだ! 向こうから来た時は場所もなかったし、俺一人だったから越えたほうが早かったけど、こっちからなら壊せる!」
「こ、壊すって……この崖を? 冗談でしょ?」大きな瞳をより一層大きくする。
だが、その表情はいくらか明るい。先ほどまでの絶望感から一転、希望が見えてきたからだろう。
幾分興奮状態のデュオを見て、期待が膨らんできたようだ。
「まぁ、いいから見てて!」不敵に笑うと、両手を目の前でかざす。
そして気合を込めた声と同時に、両手からまぶしい光が衝撃となって崖めがけ突き刺さる。
激しい音が立ち上がり煙が消えると、崖の正面にデュオの大きさぐらいの穴が開いていた。
「すごい……」傍観していたシェピアからつい賞賛の声が漏れる。
『浅いな』
「…ああ、思ったより厚みがある。あの程度じゃこのぐらいしか砕けないか……」その穴に近づきながら、デュオは状況観察をする。確かに穴は開いているがとても向こう側は見えそうにない。
「何?……ダメ、なの?」デュオに倣い近くに来たシェピアも、貫通していないのを認めると声を落とした。
横に来たシェピアにデュオはまた笑ってみせる。
「今のは本気じゃないよ。様子見。これからだよ!」そんなデュオの言葉に励まされ、シェピアにも自然と笑みがこぼれた。
「うん。よし。シェピアは危ないから離れてて」笑顔を浮かべたシェピアを見て満足そうにうなずくと、本気の行動に移し始めた。
「上が崩れて来ちゃうかもしれないから、結構離れてー! 瓦礫が飛んで怪我しちゃっても困るし!」大声で言うと、シェピアが遠く離れたのを確認し手をかざす。
目をつぶり、ゆっくりと息を吸い、吐き、意識を集中させていく。そしてまた息を吸い、目を開き一気に息と声を吐き出す。
先ほどとは比べ物にならない光が周囲を照らし、爆音が響き渡る。
遠く離れたシェピアにもその衝撃はすさまじく、地面に揺れを感じるほどだ。
だが煙が消えないうちに、デュオは第2派を放つ。そして、3派、4派と放っていく。
10発ほど打ち込んだ所でデュオは一旦手を休め、粉塵が落ち着くのを待った。
残骸が周囲に散乱している。少し近づき様子を見るが、やはり穴は開いていなかった。
それどころか打ち込んだ周囲がより一層膨れ上がって見える。
「やっべー……失敗した」
『思っていたより軟らかいようだな』
「本当、これじゃだるま落としだ。上から攻めてった方がいいかねー」狙った場所は貫通したものの、上からどんどん崩れてしまったようだ。
一枚板のようだった崖は、今は瓦礫が何十にも重なった山になってしまっている。
「こりゃ一日仕事だなー」
上から攻めた方がいいとは言いながら、その上はかなりな高さがある。
「……だめ、なの?」いつの間に来たのかシェピアはデュオの側にいた。
「あんまさー、だめだめ言わないでよ。本当はダメであって欲しいみたいジャン」冗談でデュオは言ったが、少女はハッと目を見張りうつむいた。
そんなシェピアを見てデュオは胸がヅキンと痛む。そしてシェピアと同じように俯いてしまう。少女の心の奥底が見えてしまった気がした。
もしかしたらシェピアはダメであって欲しいと思っているのかも知れない……。
デュオの心が荒れ狂う。このまま二人でいたい。そうデュオが思っていても、やはり何もかも捨てて外へ出ることは出来ないのか……。
息苦しさに眩暈までして来そうだ。デュオはうつむいたままどうにか深呼吸をして心を落ち着かせる。
シェピア本人も確かにデュオと一緒にいたいと思っている。全て捨てて逃げてしまいたい。でも心の奥底では、それを許さない自分がいる。
外に出れないのなら仕方がない、と自分を無理矢理納得させるふりをして本心ではホッとしている……。そんなずるい自分がいる事を大切な人にきっと知られてしまった。
そう思うと耐え切れず、シェピアは泣き出してしまった。
「ちがうの、ちがうの……ごめんなさい……」シェピアは内心を垣間見られ、言い訳をする様何度も何度も首を横に振り顔を伏せ泣き崩れてしまった。
「シェピア、ちょっと、休憩しようか……。ほら、俺もちょっと疲れたし」少し落ち着いてきていたデュオは愛しい少女を気遣いわざとそう明るくおどけてみせた。
シェピアは涙に濡れた瞳をデュオと合わすとうなずいた。
「おいで」そう言ってデュオは少女の肩を抱き、離れた崖の少しへこんで洞窟のようになっている所へ座らせた。
「もう泣かないで。責めてる訳じゃないんだ」
「うん……本当ごめん。わかってるんだけど、涙が勝手に出てきちゃって……本当、私涙腺弱くて」
「俺は泣いてる姿も好きだけどね。可愛いよ」そう恥かしげもなく真面目にデュオは言うと、シェピアを正面から抱きしめる。
「謝らなければいけないのは俺のほうだよ。ごめん。シェピアの気持ち全然わかってなかった。俺、焦り過ぎてたね」少しでも長く、たくさん少女と一緒にいたい。
自分にとって彼女の命は短すぎる。こんなにも死を恐れ、時間が止まって欲しいと願ったことはなかった。
そんなデュオの想いはシェピアを早く外に連れ出し、ここの……闇の部族の人間から隠してしまいたいという焦りに変わっていた。
そのため多少強引にはなっていたのだろう。
「違うの。本当に私だって、このままデュオと一緒にいたい。外に出て、二人で自由に暮らしたい。でも……」
押し黙るシェピアに何も言わずデュオは次の言葉を待った。そんなデュオの視線を受け、少女は意を決したように話し出した。
「このままの状態じゃ行けない。きっと、私は後悔する……。マヴラァス候も、父様も応援してくださった。でも当事者の私がこのまま二人に問題を擦り付けて、何もなかったように新しく過ごすなんて……やっぱり出来ないよ」
「そんで? どうすんの?」半ば判っていた事とは言え、シェピアにそうはっきりと言われデュオは内心のショックを隠せなかった。だからつい言葉がぞんざいになってしまう。
冷たささえ感じる口調。その口調を受けてシェピアもショックを受ける。そしてうつむきまた何も言えず黙ってしまった。
しばらくの間二人は無言で目も合わさずにうつむいていたが、デュオがいきなり立ち上がった。この状況に耐えられなくなったのか、言葉少なく穴を掘りに行くと言ってその場を離れた。
一人残されたシェピアは付いて行きたかったが、やっぱり動けずにいると遠くで爆音が響き始めた。
二人の距離は離れていた。今の心の距離を表すかのように……。
◆ ◆ ◆
「裏切ったな」言葉少なく男は聞いた。身体を拘束され、頭を垂れるもう一人の男。暗い、廃墟の一室には二人の男がいる。
「殺す、か……」手に持ったナイフを弄びながら、独白する。
「別に、愛情も執着もない。あれ以外はどうでもいいんだ。殺すのは簡単」拘束された男を見ることなく、ナイフを弄んでいる。
「……おとりにでも使ったら?」急に第三者の声が割り込んできた。高い、男性のものとは違った声が暗闇に響く。
「…………」ナイフを遊ぶ手を止め男は濃い藍――藍とは呼べないほど深く暗い濃紺の瞳を閉じ思案する。
「奥の部屋の椅子に縛り付けておけ」女が返事するのも確認せず、またナイフを弄びながらその部屋を後にする。
その背中に向かって、今まで何も話さなかった拘束された男は顔を上げ叫んだ。
「シェリオ! シェリオ! なぜっ」両手は背にする形で縛られ、両足も縛られそれでも這って男を追う。
「殺せ! 私が憎いなら殺せ! おとりなど……あの子の幸せ……」そこまで言いかけて男は力尽きたように倒れこんだ。
「もう決まったことなのよ。ごめんなさい」女が何かをして気を失ったようだ。
「あなたは、素敵なお父様ね」聞こえてはいないとわかっていながら女は言うと指笛を鳴らす。
すぐに強面の黒ずくめの男達が現れ、気を失っている男をもっと奥まった別の部屋へと運んでいった。
◆ ◆ ◆
「はぁ、はぁはぁはぁ……」
『大分進んだな。だが、一発毎の威力が弱い。イライラをぶつけても集中力が逸れ体力を使うだけだぞ』
「うるっせーなー。そのぐらいわかってるよ! わかってるけど……」デュオは腹立ち気に瓦礫の上に座ると髪をかきあげる。
肩で息をしながら呼吸を整える。体中から汗が噴出していた。
「はぁー。水浴びでもしてーなー」目に入った汗を拭いながら、シェピアのいる方を見る。そしてため息。
「俺って変わんねー。どんなに長く生きても逃げてばっか」
剣と向き合うことから逃げた。そして仲間から何度も逃げた。昔愛した女性からも逃げ、優しい人達からも逃げ、人間との関わりからも逃げ、島から島へ。
逃げて、拒絶して、ここへたどり着いた。そしてここでも、闇の部族から逃げ、シェピアからも逃げている。
『おまえは人間だからな』きっと慰めているのだろう。だがどこか変な慰めを聞きデュオは口の端を持ち上げ笑った。
そしてひざを叩いて勢い良く立ちシェピアのいる方へと歩き出す。
近づくにつれデュオの歩みは速くなってきた。そして最後には走り出す。
「シェピア!!」滑り込むように崖を覗くとシェピアの前には三人の男がいた。
「シェピア! 大丈夫か? なんだおまえら」デュオはシェピアと男たちの間に無理やり入り込むと、少女を背に庇い男たちを睨み付ける。
男たちは皆、青い衣装に身を包んでいた。
「私たちは水の集落の者です。シェピア皇女にはすでにご挨拶は済ませましたが」三人の中心にいた男はそう言うと、お辞儀する。
「彼の言っていることは本当よ。大丈夫。会ったことがあるの」そう言ってシェピアはデュオの腕を抑えた。
「先ほど変わったことをしていらっしゃった方ですね。私は水が王ウェリーの第一子皇子エリスと申します」その言葉を受けデュオは内心舌打ちする。
こんなやつらが近くにいながら気づかなかったとは……。余程心乱れていたようだ。
「音や煙ですぐに風の皇女の場所がわかりました。感謝します」棘棘としたデュオと違い、物腰柔らかく優しく丁寧な口調でエリスは言うと、シェピアに視線を戻す。
「受けていただけますか?」シェピアはその問いには答えずデュオを見る。
「水の集落への招待を受けたの。皇女が私に会いたいと……」
「私たちはそっとしておいてあげなさいと、何度も諭したのですが、なかなか頑固で……」そう言ってエリスは笑った。苦笑ではあるもののその顔には純粋な愛情が見える。
だが妹に対する気持ちとは少し違うような……。もちろんマヴラァスがクラウディアに対するのとも違うような気もする。
「私は受けようと思うの。デュオはどう……」そうシェピアが言うよりも早く、デュオは言葉をかぶせて来た。
「シェピアが行きたいと思うなら行けばいい。俺に決定権はないよ。それに、俺が反対しても行くんだろ?」優しく話そうと思っていたのに少し口調が強くなってしまった。そう後悔したが出た言葉はなくならず、シェピアを見るとやはり傷ついた表情をしていた。
何も言わずうつむいたシェピアを見て、デュオはまた心の中で舌打ちをする。
本当ならば今すぐ岩に頭を打ち付けたい、そして自分の馬鹿っぷりをシェピアに証明したい。そう思う程心の中は乱れまくっていたが、態度は一向に変わりがなかった。
さすがに剣もあきれたのか声が響いた。
『阿呆』
デュオの神経をより逆撫でしたが、事実なので何も言い返すことが出来ない。なによりこんなにギャラリーがいては反論も出来ないが。
またまた内心舌打ち。焦りがイライラとなり、シェピアに向けられてしまう。
一体自分の平常心はどこへ行ってしまったのか。どうもリズムが崩れ、自分自身のコントロールが効かなくなっていた。
愛しくてたまらないのに、頑固で逃げずに立ち向かおうとするシェピアが憎らしい。なぜ俺の事だけを見てくれないのか、なぜ俺の言う事だけを聞いていてくれないのか……そんな愚かな独占欲が込み上げて来る。
無表情のデュオと、うつむいたままのシェピアの間に流れる空気に遠慮しながら控えめにエリスが話しかけてきた。
「……あの、よろしければ、私たちは外でお答えが出るのを待ちますが……」
この状態で二人っきりにされても困る、そうデュオは思ったが、シェピアははっきりと返事を返していた。
「いえ、それには及びません。ご一緒させていただきます」
やっぱり行くのか……。いっそ俺だけ残る、なんて意地悪を言ってやろうかと、汚く考えているとシェピアが見つめてきた。
「もちろんデュオも来てくれる、よね?」と控えめに、それでも真摯な視線を向けてきた。その赤い瞳は澄んでいて、決して自分の意思だけを押し通そうと思っているようには見えない。
本当に、ダメな男だな……。
自分とは違いシェピアはなんて真っ直ぐなんだろう。自分はなんてバカなんだろう。これでは剣に阿呆と言われても仕方がない。
シェピアは自分の意思に正直で飾らない。そして目を逸らさず真っ直ぐ前を向き逃げ出さない。だからと言って自分勝手に動くわけじゃなくて、しっかりと相手を思いやれる優しさを持ち合わせている。
自分とは正反対。自分はいつも物事を横から、斜めから見、客観的に人事と思って逃げてきた。自分自身の運命からも目を逸らしていた。
人事と思っていながら誰かを思いやる余裕もなくいつも自分本位だ。みんなを傷つけるとわかっていても自分は逃げてしまった。そして今も逃げかけていた。
命の輝き。そうかも知れない。
自分とはこうも違う人間にここまで惹かれるとは。人の心とは不思議なものだ。ないものねだりだろうか? そう考えていると人の思考を読んだのか、剣の声が響いた。
『違わない。本質は同じだ。ただ、おまえは所有してしまった。そして長く生き過ぎたから……』私のせいで……と剣の心の声が聞こえた気がした。
やっぱりこいつには感情があるのかもしれない。自分のせいでこう歪んでしまった俺のことを気に病んでいる。
なんとなく慰められた気がして、少し心が軽くなった。口元が自然に緩む。
そしてシェピアを見つめてきつくならない様にいつもの様に言う。
「もちろんだろ! 俺が守ってやるんだから」軽い口調に戻ったデュオを見てシェピアの赤い瞳が少し潤んだが、すぐにエリスによろしくお願いしますと、頭を下げた。
◆ ◆ ◆
「はじめまして、わたくし、エリスが妻エシャロットと申します」そう絶世の美女はにこやかに挨拶をした。
「えっと、はじめまして。風の民が王シェプスの第一子皇女シェピアです」シェピアも美女に倣い一応挨拶をするものの、顔は引きつり心は動揺していた。
彼女は銀色に透き通る髪、明るい紫色の印象的な瞳の持ち主だった。
腰まで流れキラキラと輝く髪、少し大きめだが優しそうな瞳、穢れを知らない白く透き通る肌。
どれを取っても世の女性たちが羨むが、何よりもその造形は形容しがたい美しさだった。嫉妬など感じないほどの完璧なまでの美。誰もが驚嘆の声を囁く。
女性は憧れ、尊敬し、男性はおいそれと触れてはいけないような衝動に見舞われる。
そんな彼女はまさしく水の皇女のお手本となる人物だ。そして、なによりも妻、と自己紹介した……。
「水と緑で契約がなされたのはご存知でしょう?」シェピアの驚愕を受け、話してきた。
そしてうなずくシェピアに完結に答えを出してくれた。
「もう交換されたのです」まったく悪びれた様子もなく、にっこりという。
「ですから、わたくし緑の民が王アランの第一子皇女エシャロットでもあり、水の集落が第一子皇子エリスの妻エシャロットでもあるのです」
「そんな……普通に……平気に……」
「もちろん、わたくしも嘆きましたわ。わたくし、シェピア様と同じように何も知らなかったのです。でもきっとわたくしの方が知らない過ぎでしたわね。本当にかごの中の鳥。父も母も兄も、わたくしを決して外には出さなかった……天幕から一歩も出ず、中でずっと暮らしていました。それなのにいきなり嫁に行け、そう言われて泣きましたわ」その時の事を思い出したのか、口に手を当て、少し潤む。
「ですがこちらに嫁ぎ、すぐに本当のことを知りました。わたくし自分の容姿が緑の民の中で浮いているなんて全然知らなくて……」と、今度は面白かったのかコロコロと笑う。
「ですから、すべて本当のことをエリスが話してくださり、すっごく楽になりましたの。父や母がわたくしを外に出したがらなかったのは容姿のせいだって知って。でも、ここでなら全然気にせず歩けますでしょう? ですからわたくし嬉しくって」次から次へと話すエシャロットに呆然とシェピアもデュオも聞き惚れていた。
「……マヴラァスが言ってた事当たってたな」
「……なによっ」
「色の違う皇女は皆変わってるって」そう言ってニヤニヤ笑うデュオの足を思いっきり踏みつけて、まだ何やら色々と話している皇女に視線を戻す。
「あ、あの。それで、ここの暮らしに不自由はないんですか?」ためらいがちにそれでもはっきりとシェピアは聞いた。
エシャロットは話を止められて一瞬きょとんとしたが、すぐににこやかにまた話し出した。
「ええ、もちろんですわ。皆様とても優しくしてくださいます。それに、何よりエリスはわたくしの事をとても愛してくださっていますわ」そう言って頬を染める。
「もちろんわたくしも、あのおだやかで優しくて誠実で素敵なエリスを愛しています」恥かしそうながらも、はっきりと言う。
「ですからわたくし、あなたのなさっている事がわからなくて……。本来の場所へ戻ればとても幸せになれますのに。あなたの赤い色はとても素敵ですわ。きっと炎の部族誰よりも素敵なはず。それなのに逃げ出して……」
「……ご存じではないのですか。私は炎ではなく闇へと決まっていたのです」
「まぁ! なぜ?」
「わかりません」口調が強くなる。内心憎しみさえ感じるほど怒っていた。
確かにあのエリスが相手ならば穏やかに過ごせるかも知れない。だが父を脅迫するような人の所へ行って幸せになれるとは思えない。
自分が恵まれているだけなのに、何も知らないくせに私の行動を非難するなんて。
そんなプリプリと怒っているシェピアを見てエシャロットは微笑むと、言葉を続ける。
「あなた、とっても恵まれていらっしゃるのですね」心臓が破裂しそうになった。何を言う! そう思って口を開くより早くエシャロットが言葉を続けた。
「わたくし、緑の民での暮らしはひどいものでしたわ。自分の天幕から出たことがないのですもの。会う人は父か母か兄。ですから外に出られるのならどこでもよかった。例え水の集落の方々がひどい方達でも、夫となる方が眼も当てられない不細工な男の方でも、性格のひどい方でもよかったのです。一度でも外に出られるのなら。手枷、足枷を外し自由に身体を動かせるのなら……。どこへ行ってもきっと今より人間らしい暮らしが出来る、そう思って嫁に来たのです」
そんなエシャロットの言葉を聞いて、シェピアは怒りなど消え居たたまれなくうつむく。
「あなたはきっと、生まれてからずっと、愛され自由に伸び伸びと育っていらしたのでしょう? 幸せを知っていらっしゃる。ですからこの先の未来を怖いと感じていらっしゃる。とても、恵まれた方ね」決して嫌味ではなく、素直にシェピアのことを語っていた。
ただ、デュオに視線を変え、
「それに、わたくしには連れ去ってくださる綺麗な殿方も現れませんでしたわ」と、少し拗ねた様に口を尖らし可愛い仕草で言った。
「ごめんなさい……」シェピアは自分の気持ちを恥じた。
シェピアだってエシャロットがどんな暮らしをしてて、どんな思いで来たのかわかっていなかった。それなのに恵まれているだなんて思ってしまった。
自分は手かせ足かせをつけられ過ごした覚えなどない。
好きな時好きな所へ行き、好きな時好きな事をする。
それが奪われてしまうのではないか、そう思って怖かった。でもエシャロットはまったくの逆だったのだ。
でも、だからと言って自分にもそんな素敵な暮らしが待っているとは思えない。ただエシャロットは運がよかっただけ。
「わたくしに謝らないで下さい。でも、ちょっと意地悪を言ってしまったかしら? 別に今わたくしは幸せですもの。あなたの育ってきた環境や今の状態を妬むつもりはありませんの。そんなことをしてもつまらないでしょう? 今までわたくしがどんな暮らしをしていたとしても、それは過去のこと。現在はとっても幸せで、それを楽しまなきゃ。ただあの方が余りに素敵だから、ちょっとやっぱりうらやましかったのかも知れませんわね」少し離れて立っているデュオを見て、いたずらっぽく笑った。
それにつられてついシェピアも笑ってしまう。
とっても可愛らしい人。きっと、ずっとつらい思いをしてきただろう。それでも、前向きに考えを変え生きている。
もしかしたらここでもつらい思いをしたかもしれない。
でもめげず、努力して今の生活があるのかもしれない。
運がよかった……そんなわけではない。きっと頑張ったからなのだろうと、シェピアは考え直さずにはいられなかった。
『ふむ。すばらしい輝きだ。黒き女は闇に覆われ小さく興味がわかなかったが、この女性はなんとすばらしいこと。惜しいな。この女性も連れて行かぬか』
「バカ言うな」談笑している二人から少し離れ傍観していたデュオは驚いた。
シェピアと逃げることに何も言ってはこなかったが、きっと反対していると思っていた。それがもう一人連れて行けとは。
「……おまえ、惹かれる命の持ち主集めてどうすんだよ」答えが返ってくるわけないと思っていたが、意外にも素直に話してくれた。
『この輝きを見ていると癒される。……愚かしいな。私に心などないはずなのに癒されるなど……。だが、なんと言えばいいのか、愛しくて、苦しくて、もどかしく……締め付けられる』
「……切ない?……」
『そう、そうだな。切ないと形容するのが一番近いか……』そう言葉を響かせてから、人間で言うなら頭を振るかのように揺れた。
『やはり、愚かな……』そう語って黙る。
デュオも何も言えなかった。確かにたまに人間のような反応を示すことはあったが、ここまで剣にそんな気持ちがあると教えてくれたのは初めてだった。
やはり黙っていただけで感情があるのだろう。
そうか、と思う反面そんな馬鹿な、と否定したくなる。剣に人と同じ感情があるなんて……。
そこまで考えているとシェピアがすごい勢いで近づいてきた。
「デュオ、ありがとう! 私、ここに来てよかった」デュオの態度などお構いなしに最高に晴れやかな笑顔を見せると、シェピアはそうお礼を言った。
早足で更新したので、少し気になる部分もありますが内容的には何も違いはありません。
3人目の皇女登場です。
そしてそうです、ヒーローは強いくせにとってもヘ〇レなんです。そんな情けないヒーローでもよろしいでしょうか……