07.風の民
暗闇の中、少女は一人うずくまっていた。夜を嫌うかのように火が燃えさかる天幕の集落から少しだけ離れ、それでも光の届かぬ所で少女は腰を下ろし、膝を抱えている。
嗚咽がこみ上げ、一人泣き濡れてから、いくらかの時が経ち何をするでもなくうずくまっている。
泣きやんだ今でもあてがわれた天幕に戻る気がないのはなぜだろう。
これ以上とない恥と屈辱にまみれて、今更誰かと会い目の周りが赤いのを気付かれようと関係ないはずなのに。
一番みっともないところを見せたくないと思っていた青年に迄さらけ出し、きっと呆れられている。
そう思うのが辛いのか、それともただ単に火照った体を冷やすのに丁度いいと思っているのか定かではないが、少女は微動だにしなかった。
このまま消えてしまいたい。そう思った。自分は多少大人になったと思っていたのにこんなにも子供で、恥ずかしくて。
しかもなぜ逃げてきてしまったのか。自ら敗北を認めるかのように、逃げた。
泣くという行為で逃げ道をつくり、その道に駆け込むことでどうにか心の安静を得ている。
情けなかった。彼に呆れられたとかそんなショックより、ただ自分自身が情けなくて退いた涙が再び膨れあがってくる。
「泣くな、泣くな!」そう自分に言い聞かせれば聞かせるほど、涙は涸れることなく溢れてくる。
「よっ!」そんな少女の心には似合わない、なんとも明るい声がかけられる。
少女は一瞬驚きから体を震わせたが、それが誰の声か分かると余計頑なに膝を抱く。
「ほらほら、こんな所にいたら風邪引いちゃうよ! もう遅いし寝ないと明日の朝大変だよ」ことさら明るい口調で頑なな少女の背中に声をかける。
無視するのは気が引けるのか、それでも膝を抱え振り向かずに首を横に振る。
青年は呆れるでもなく、ゆっくりとわざと近づく音を立て隣に倣った。
少女は無言で顔も向けない。青年も無言で風景を見つめている。
シェピアは只動揺していた。正直頭が混乱している。彼がどうしてここが分かって追ってきてくれたのかも、話す内容さえも浮かばない。
もちろん彼女とどんな話しをしたのかなんて、聞きたくても到底口には出せなかった。
するといきなり黙っていた青年の方から語りだした。
「彼女さー。なんか俺のこと救世主とか言ってた。勘違いしてるのかね?」
「……救世主?」またとないだろう機会につい少女は話しを促す。もちろんいつまでも意地を張っている訳にはいかないとは思ったが、さすがに自分の現金さに呆れる。
それでもデュオはこちらを向いた少女の反応が嬉しかったのか、いつもの皮肉めいた笑みとは違う顔で微笑んだ。
「うん。なんか君たちを救うために来たとかなんとか……。ちょっと言ってることがわかんなかったから逃げて来ちゃった」と、可愛らしく舌を出してみせる。
そんな今まで見た事のない青年に出会い、シェピアは顔を赤らめる。
心臓が飛び出るかと思った。それほど鼓動は跳ね上がり、一気に心拍数は上昇。
デュオにに気づかれないよう深呼吸する。もちろん青年は気づかず、遠くの方を少し寂しげに見つめている。
金色に光る髪がなびいている。こんな暗闇の中でもそれは輝きを失うことがない。
その横顔を見つめ、初めてシェピアは心から青年の境遇に同情した。それと同時に自分が恥ずかしいと思った。
今まで自分の事に精一杯で、彼のことを本気で深く考えたことはなかった。
自分が気絶させてここまで付き合わせてしまっているのに、彼のことを知ろうと思わなかったのだ。
青年の飄々とした態度にごまかされていた。自分の事より、記憶をなくしたと言う青年の事を第一に考えなければいけなかったのに…。
「ごめんなさい……」知らず謝罪の言葉が出た。
案の定デュオは意外そうに、驚いた顔をする。
「どうした? シェピアがあやまることなんかないのに」心なしか声と口調まで優しい。
またシェピアは泣きたくなった。彼はこんなにも優しくて、強いのに、自分はなんて弱くて醜いのか!
でもだからと言ってここで泣けばまた彼は優しいから慰めてくれる。泣けば自分の弱さが、醜さが薄れるわけではないのに、慰められ、救われてしまう。
そんなんじゃいけない。もっと強くならなきゃ。自分自身の心の葛藤を、他人に助けてもらうなんてそんなんじゃ駄目だ。
シェピアは溢れてきそうな涙を無理矢理押さえつける。そして青年に心配かけないよう――それでも少し泣いているような――笑顔を見せた。
デュオはそんなシェピアを見て、そっと肩に手を置き少女を抱き寄せる。
再び少女の心拍数が跳ね上がる。そして頬を染める。デュオと目があった。優しく微笑んでいる。その瞳が近づき、シェピアはぼんやりと綺麗だなと思い自然に目を閉じていた。
少し冷たくて、柔らかい唇が軽く触れる。だがすぐデュオは離れると、余韻を忘れるように少女を少し乱暴に放し立ち上がる。
「…………」そのいきなりの豹変にシェピアは驚いた。何も言えずにデュオを見る。
その視線を感じているだろうに、それでも青年はシェピアを見ることなく、背を向けている。
「……ごめん」耐えきれなくなったかのように、デュオは吐息と共に言葉を発した。
「……どうしてあやまるの? 私も同意の上だったのに……本当は嫌、だった?」シェピアは少しうつむいて震える声で聞いてきた。
「違うんだ! 違う……。後悔なんてしてない! 嬉しかった。でも……自分が卑怯だと思って……」デュオは少女言葉を聞いて慌てて向き直る。
「本当は俺、俺……」
『フォン! 言うな、このまま白を切るのだ。フォン!』剣の言葉が頭に響く。だがデュオはその言葉に騙されまいと言うように頭を振る。
「……俺……」
「……本当は、記憶を失ってなんかいない?」
「っ!」続きの言葉を少女に言われ、青年は驚愕する。
「……な、ぜ?」分かった? そう瞳が問いかけている。
「何となくね、今分かった。本当に勘なの」青年の心を軽くさせるためか、シェピアは戯けて見せた。青年がよくするように肩をすくめる。
「そっか……。ごめん、嘘ついて」効果があったのか幾分肩の力を抜いて青年は言う。
「でも、どうして?」少女はもっともな疑問を浮かべる。
「……正直ね、どうしようか迷った。でもここの事もよく分からないし、なにより色々聞かれたら困ると思って」
「ってことはやっぱりあなた外の世界から来たのね……」確信を持って少女は言うと立ち上がり、大胆にも青年の腕に自分の腕を絡ませた。
「でも……もう私には話してくれるよね?」少し不安そうにシェピアはデュオを見上げる。
そんなシェピアを見つめ返し、デュオは少女をきつく抱きしめる。
「降参。こんな事になるなんて思わなかった。君に対しても、適当に合わせて風邪の民に送り届けたらさっさと退散するつもりだったんだ」その言葉に少しふくれる少女を見、青年は今まで見せたことのない極上の笑顔を浮かべる。
顔を赤くし驚いている少女の赤い髪を乱暴になでる。
「でも君に捕まっちゃったよ。もうごまかさない。側にいるよ」その言葉に今度は少女が満面の笑みを浮かべる。
そして先程のやり直しと言うかのように、デュオはシェピアに顔を寄せる。赤い瞳を瞑ったシェピアを少し上向かせると、その小さな唇に唇を重ねる。初めは軽く触れるようについばみ、その後何度も角度を変えて二人は温もりを感じ合った。
そしてそのまま二人は無言でしばらく抱き合っていた。
『……我は止めた。歯車は回りだした。もう止まらない。どんな結果が待とうとも、動き出したものはもう止まらない』
不吉な剣の声だけが、青年の頭の中に響いていた。
◆ ◆ ◆
「名前はフォン。フォルテシア・ディオンだ。もともと俺は世界を旅していた」
赤い、少女の天幕の中で二人は毛布にくるまり寄り添っている。
「ただ少し……疲れていて、なるべく、人のいない所で、暫く……過ごしたい、と思っていた」歯切れが悪い。
「……無理しないで。嫌なことを無理矢理聞き出そうなんて思わないから……」気遣わしげに言うシェピアを見つめ、フォンと名乗った青年は首を横に振る。
「いや、これも逃げだな。ちゃんと知っていて欲しい。確かに話していいのか分からないけど……それでも、本当の事だから」そう前置きして彼は話し出した。
「君は、もしかしたら勘違いをしてるかもしれない。外の人間はみんな俺みたいに変わった力を持っているんじゃないかって。」
「違うの?」
「そう違うんだ。俺が変わってる。もともとは俺だって君と同じだった。確かに少し変わった職業には就いていたけど。」
「……しょくぎょう?」言葉の意味が分からないのか首を傾げる。
「この島にもいる異生。あれは外の世界にも沢山いる。そして人を傷つけている。簡単に言えばそれを退治する役目だった。」
「そう言うのをしょくぎょうって言うの?」
「そう」
「……子供の頃両親を目の前で異生に殺されてね。俺も殺されると思った時に、その役目を担っている人に助けられた。それからその人について行き、自分もその役目を望んだ」シェピアを見ずに、正面を凝視したまま淡々と青年は語る。
「…………」
「正直、憎かったよ。異生が。見境なく襲うあいつらが……。全て根絶やしにしてやりたかった。自分と同じような人をつくりたくないとも思っていたけど……」
「……ごめんなさい、私、襲われた時……」そう言うと顔を伏せる。赤い瞳が曇っている。
「ああ、君が謝る事じゃないよ。確かにあの時はあんな事言うなんてびっくりしたけど……」優しく青年は少女の頭をなでると、再び正面を見据える。
「それで仲間と退治に遺跡、みたいな所にいってね。そこでこれを見つけた。」
「これって……、剣?」
「そう。棺桶のような箱に刺さってた」そして青年は少し戸惑う。
「まぁ、その後は色々あって、こいつが意志を持つ剣だって事が分かった。そして自分で主人を選ぶって事も」余程辛いことが合ったのか、言葉を濁し先を続ける。少女も問わなかった。
「……意志を持ってるの?」
「そ、我儘で、偉そうで生意気な性格だね」
「…………」少女はいまいち信じてなさそうに青年の腰に下げてある剣を凝視する。とても意志があるようには思えない。
「んで、まぁ、不幸なことに俺はこいつに選ばれたわけ」
「それであんな魔法が使えるの?」
「魔法の力だけじゃない。実際の筋力も、何もかもが普通の人とは違う様になった」
「なにもかも? あまりピンとこないわ……どう見ても普通だもの」と、首を傾げる。青年は言うより易し、証明して見せた。
横に座っていたシェピアに断り、片手で少女を持ち上げたのだ。
「わっ」持ち上げられた少女はバランスを崩さないように丸く固まったまま、青年を見る。
「……でも、もっと驚くのはこれじゃない」少女を下ろし青年は重そうに口を開く。
十分に驚いた少女はこんな辛そうにしてる青年の言葉に不安なものを感じた。聞いてはいけないような気がする。それでも聞かなければいけないような気もする。
そう思っていても、促す言葉が先に出ていた。
「聞かせて」
「……俺は、年を取らない」
「……?」
「つまり、この先、一生、死ぬことはないんだ。傷ついてもすぐに治るし、死ぬような傷も死なない。さすがに首を落とされたら死ぬだろうけど、今の所そんな危険な目に遭ったことはないな」最初はゆっくり、そのうち早くなった青年の言葉を少女はゆっくりと噛みしめ吟味した後、いくらか遅れて答える。
「……冗談……でしょ?」冗談であって欲しい。そんな言葉だった。でも震えた声は事実をわかっていた。
それでも青年は証明するように、剣に手をかけ、左の掌に滑らす。
「デュオ!」非難の声を上げた少女の目の前に、経った今傷つけた左手を突き出す。
そこには赤い一本の筋がある。結構な力を入れたのか、開いた掌から鮮血があふれ出した。
「手当を!」
「必要ない」強く言い放つ青年に怒りを感じながら、少女は掌から目が離せなかった。
流れていた血はすぐさま止まり、急激に、まるで皮膚が生きているかのように開いた傷を埋めていく。
そして、瞬く間にそれは古傷のように赤い線だけとなり、痕だけとなり、シェピアが見つめている間に筋もなくなり、先程までのなんら変わりもない掌になった。
青年は完治したのを認めると、少女の前から手を引き、呆然としている愛しい人を見つめる。
少女は青年に視線を移動し、見つめ返す。するとその瞳から涙が零れだした。
「……なんで、泣くの?」その反応には青年の方が驚いた。普通ならここで恐怖や畏怖、または非難の言葉や視線が突き刺さるはずなのに。
「わかんない。わかんないけど、泣けてきたんだもん」そういいながら、子供のようにしゃくり上げる少女にそっと青年は近づいた。
それでも、青年は触れられなかった。ここまで見せて、自分に触られて喜ぶ人間は今まで出会ったことがなかった。
正直、拒絶されるだろうと分かっていて、それでも見せた。もしかしたらまだ逃げてしまいたかったのかも知れない。
ここでシェピアに化け物と罵られれば、シェピアに恐怖の瞳を向けられれば、自分はここから逃げられる。
例えそれで傷つこうとも、恋した相手に拒絶されたなら再び殻に閉じこもり、もう二度と人と関わろうとは思わないのではないかと。
だが少女はそんな青年の複雑な心を知らず、近づいてきたフォンに彼女の方から抱きついた。
「わからないけど、なんだかとても悲しい。寂しい。苦しい」青年の首に固く抱きつく。青年は恐る恐る少女の背に手を回した。
するとより一層少女は手に力を込め、より激しく泣き出した。
「シェピア、シェピア。泣かないで、ごめんよ。もう二度としないから」後悔した。自分は試してしまったのだ。少女が本当に自分の全てを認めてくれるのか。
あきらめながらもどこかで期待していた自分がいたのかも知れない。そして少女はそんな自分の気持ちに関係なく答えてくれた。それだけで十分だった。
長く時を経ても、なんて自分は愚かなのだろう。時を経たが為により一層愚かになったのか。分からないけれど、シェピアとこの先――自分にとっては短い時間でも――共に過ごせると思うことが、何よりも青年には幸福だったかも知れない。
『……すまない……』どこか遠くの方で、誰かの謝罪の言葉が響いた気がした。
◆ ◆ ◆
あくる日、マヴラァスはわざわざ護衛を付けて風の民の集落まで送ってくれた。
その中には不安を覚えつつも、もちろんマヴラァスもいて炎の部族の旗を掲げている。
風の民はそんな堂々とした炎の部族の訪問に、驚きを見せつつそれでも表面上は歓迎した。
炎の部族との折り合いはあまりいい方とは言えなかったが、正面から乗り込まれては邪険にするわけにもいけなかった。
なにより彼らは行方不明となっていた皇女シェピアを丁重に客人として迎えてくれていたというのだ。
約一名得体の知れない若者が混じってはいたが、シェピア本人が客人だと言う以上無碍にも出来ない。
かくして風の民の一番大きな天幕の中には、風の王と、炎の王、風の皇女、奇妙な客人という四人が鎮座していた。
炎の前王の死。シェピアを保護したいきさつなどを説明すると、風の王はマヴラァスの正面から見つめる。
「それで、王自ら来て頂いたのには何かしらご要望があるのでは?」多少言葉が強くなるのは、これをネタに何か要望されるのではと思っている為だろう。
そんな父に、シェピアのほうが不満の声を上げる。
「父様! そんな言い方はないと思いますけど? 何も私は人質に捕らわれた訳ではないのですから」
「いや、いいのですよ。私が逆の立場でもそう思ったでしょう」そうマヴラァスは言うと、真摯な瞳を風の王へ向けた。
「私も悩みましたが……。正直にお話ししましょう。あなた方は我ら部族をないがしろにされた。本来ならば我々の所に来るはずのシェピア皇女を闇へ渡される。その真意をお伺いしたい」
「それは!……」風の王はそう言ってから押し黙る。顔を伏せ、無言だ。
「……父様……。お願いです。私も真実が知りたいのです」
「……シェピア……」シェピアを見、マヴラァスを見る。相手の赤く、黒い瞳を除き本意を探る。
力強く固い意志に彩られた瞳はしっかりと視線を合わして来る。
「わかりました。素直に、お話しいたしましょう。ですが、全てを語る事は出来ません。それはご了承願いたい」そう前置きして、マヴラァスが頷くのを確認し話し出した。
「闇の民の族長がつい2年ほど前に交代しました。新しい族長はまだ若く、ツェスカと言います。その彼に、私は……風の民は弱みを握られてしまったのです」
「……弱み?」シェピアが聞いたが、父は首を振る。
「それは、例え誰であろうと教えるわけにはいかない」
「わかります。続けてください」マヴラァスが先を促す。
「そして、その弱みを笠にシェピアを要求してきました。私は従うしかなかった。例えそれで今までの均衡が崩れようとも、罪とわかっていようとも……。本当に、炎の部族には申し訳ない事をしました。全面戦争になるやもと思ってもいましたが……」
「父は、そうするつもりでした。すぐ近くまで戦士たちを忍ばせておりました。ですが父は死に、私が王位を継ぎ争いをしたくないのです。許は同じ血縁にある身、争う必要を感じません」
「ありがたいお言葉です。私もあなたの意志の強い目を見て、目が覚めた想いです。娘を不幸にさせるとわかっていながら、止める事をしなかった……」そう言ってから風の王は娘の方を向く。
「すまないシェピア。父は逃げていたのだな。おまえをずっと内に閉じ込め真実を教えないように育ててきた。だがそれでもお前は成長し、一人でちゃんと考え、行動できるようになった。ずっと子供のままではなかったのだな」
「父様……」
「私達はおまえを守りたかった……。だがいつからかそれが間違ってしまった……。逃げなさい。シェピア……。ツェスカの手の届かない所まで。私たちの事は気にしなくていい。自分の、幸せのために生きなさい」
「父様! 父様!」シェピアは父に泣きながら抱きつく。嗚咽を漏らす娘を力強く抱き返すと、ずっと黙って座っていたデュオに話しかける。
「娘を、よろしく頼む……旅人よ」その、優しく真摯な瞳に見つめられ、デュオは力強く頷いた。
「決まったようだな。なら出立は早いほうがいい。私たちと共に発とう」マヴラァスはそう言うと二人を促す。
「そうしていただけますか? 実はツェスカの手下が私たちを見張っているのです。ですからすぐに気づかれてしまうでしょう」
「父様……」離れながらも立ち去りがたく、再びシェピアは父に抱きつく。
「元気で……。強く生きておくれ」
二人が名残惜しそうにしている所マヴラァスは手下を呼び、炎の部族の衣装を持ってこさせデュオとシェピアにかぶるよう指示する。
そして炎の部族にまぎれ、二人は風の集落を後にし旅立った。
◆ ◆ ◆
「たぶん気づかれてはいないと思うが……。我が部族が風の王と話していたことは周知の事実。すぐに問い詰められるだろう」
「はい……」シェピアはいまだ、名残惜しそうに遠く、風の集落を眺めている。
デュオはその辛そうなシェピアの腰を支え、軽く促した。
シェピアはデュオを見上げると、デュオの胸に顔をうずめる。青年は片手できつく少女の肩を寄せる。
「……コホン。お邪魔かな?」マヴラァスに言われ、慌てて二人は離れる。
「ここからは、二人で大丈夫だね?」優しくマヴラァスは言うと、水や食料をデュオに手渡す。
「私たちが助けられるのはここまでだ。風の王と同じように幸せになって欲しいと願っているよ……」マヴラァスはシェピアの両肩に手を置き、一際優しく言う。
再び涙腺が緩んできたのか、シェピアは泣きながらマヴラァスに抱きつき、何度も何度もお礼を言った。
そして炎の部族は旅立ち、その場にはデュオとシェピア二人だけが残された。
広い砂漠にポツンと二人。心細くないかと聞かれれば、是と答えるに違いない。
だがシェピアはデュオを見つめ、微笑んでいる。
「そう言えば私、まだデュオって呼んでるけど、フォンって呼んだほうがいいのかな?」
「ん?……出来ればデュオの方がいいな。シェピアが俺のこと輝かしいって思ってつけてくれた名前だから」デュオはからかう様に答えた。
「え? なっなっなんで意味知ってんの? 知らないって言ったのに!」シェピアは顔を真っ赤してどもりながらデュオを叩くふりをした。
「ま、本当にデュオがいいな。正直俺の本当の名前知ってたのかってびびったけど……。フォンってのはこいつにやろうかな」デュオは叩かれるふりをしながら笑って剣を指差す。
「そう言えば、そうよね? 本名って……」
「フォルテシア・デュオン」
「確かにびっくりね」シェピアは軽く首をかしげ、すぐに頷いた。
「でも、そうね。いつまでもこの子とかこの剣とかじゃ可哀想だもん。これからあなたはフォンね。よろしく」そう言ってデュオの腰に差した剣をなでなでする。
『……人間で言うなら複雑な心境か?』
「ぷっ。そうかもな。嬉しいような嬉しくないような?」
『…………』
「でも本当は意味知っていたのね?」シェピアは余程悔しかったのか、頬を膨らませながら再び同じ事を聞いてきた。
「いや、こいつ……フォンに教えてもらった」そんなシェピアを見てデュオは嬉しそうな顔をする。
「そっかぁ。本当に物知りさんなのね。デュオってね、これの事なの」そう言ってシェピアはピアスを指差した。
「……この、宝石?」
「そう、綺麗でしょう? すっごく硬くて、この丸い形のまま岩に埋まってるんだよ」シェピアノ耳には直径1cm程度の丸くて透き通った透明の石がぶら下がっている。
「水晶みたいだけど……違うの?」
「違うよ。なんて言うのかな、丸いダイヤモンド?」耳にぶらさっが石を弄びながらシェピアは答える。
「ふーん。すごい綺麗だね」デュオは特に興味なく適当に相槌を打ったが、頭に剣の声が響いてきた。
『精霊石だ』
「精霊石? って誰でも魔法が使える様になるあの?」デュオは驚いて剣に聞く。
『そうだ。女神の力が漏れて結晶化したものだろう』
「はぁー。じゃぁこれ持ってたら法使えんの?」
『使えるだろう。だが大した力は込められていない。本当に漏れた程度だ。だから一度でも術を発動させたら砕けるだろう』
「ふーん。すごいなぁ。珍しい物があるもんだなぁ」甚く感心した様にデュオが言ったので、剣との会話を傍観していたシェピアは満面の笑みを浮かべた。
死の島と呼ばれていてもシェピアにとっては故郷だ。その故郷の物を褒められた気がして嬉しくなったのだ。
「何でも兄の話によるとこの島でしか取れないらしいよ」
「へー……ってお兄さん?!」
「うん。私にも5歳違いの兄がいたの。でも、今はいない……。父に、集落から追放を命じられて……」そう言ってシェピアは先程とは打って変わって辛そうに顔を曇らせた。
「聞いてもいいの?……なんで?」そんなシェピアを見て、一瞬戸惑ったが頷くシェピアを見てすぐに先を促した。
「よくは知らないの。父は教えてくれないし、いなくなる時兄とは話せなかったから。フォンみたいにすごく物知りでね、難しい本とかたくさん読んでた。で、たぶん、父にはナイショで他の部族とも色々と交流があったみたい。それで追放されたんじゃないかなって私は思ってるけど」
「そっか……今は?」
「わからない……。追放されたら絶対異生に襲われてしまうと思うけど……あの兄の事だから、きっとどこかで生きれてるって私は思ってる!」笑顔で言うシェピアを見て、デュオは愛しさがこみ上げて来た。
きっと、そう思えるにはずいぶんと時間がかかったのだろう。自分の父親が自分の兄(子供)を異生の元へ放ったのだ。
それでも彼女は彼女なりに考え、明るく思う事にしたに違いない。
「へぇー、頭のいいお兄さんだったんだ」
「うん! 大好きだった。もしかしたら兄も外の世界に出てたりしてね」そう嬉しそうに言うシェピアに、デュオは何も言えなくなってしまった。
島に上陸した時に剣が言っていた普通の人間では越える事の出来ない結界。正直その事がずっと頭から離れない。
このままシェピアを連れ去り島の外周へ出たとしても……。
慌てて首を振る。今考えても仕方のないこと。試してみない事には何も言えない。
「どうしたの?」無言のデュオに対して、少しシェピアは心配そうだ。
「いや、なんでもないよ。行こうか」そう笑顔を作ってシェピアの手を握る。
「俺が乗ってきた船の方向、フォンが覚えているからそこへ向かおう」
「うん」しっかりとデュオの手を握り返し、二人はそのまま手を繋ぎ広い砂漠を歩き出した。
『この方角で合っている』フォンの声がデュオの頭に響く。
自分のこの不安をわかっているだろうに、この先どうなるのかきっとわかっているだろうに、それでも何も語らず、人間の様に意思を持つ剣はただひたすら船の方向へと導いてくれた。
やっと本当の所で両想いになりました。