06.血の契約
説明文が続きます。
少し暗いかも。
「まず、何から話していいのか、私もわからないのだが……」そう前置きしてからマヴラァスは話し出した。
我々の先祖が女神を怒らせてこの様な土地にしてしまったのは知っているね?
たぶん皇女も本気で信じてはいなかったと思う。私だってそうだ。一体誰が信じる? この大地が元は光り輝く緑と水の島だったとは。今生きている人間には到底信じられないだろう。
そしてそれがたった一人の人間の過ちによって一瞬に変えられてしまったなど。
あえて言わせてもらうなら、女神もどうかしている。何十人何百人といる他の人間のことも考えず、たった一人の人間のためにここまでしてしまうとは。
他にも色々と訳はあったのかも知れない。けれど残された人の事を考えては下さらなかった……。
私情はともかく、その後王は命を絶ち、4人の子供が荒れ果てた城を後にし旅に出た。それが流れて時と共に私や皇女の集落となるのだが、城には残った者達もいた。
当然潔く旅に出る者達だけではなかったからな。その中に一人の子供もいて、それが闇の部族だ。
そして今と同じ五つの集落に至るのだが……。昔から、彼らの仲は亀裂が入っていたという。
王が生きている時から、5人の子供達は仲が悪かったと聞く。
長女は銀の髪に、紫の瞳の大変な美女だったと聞く。透き通るような白い肌を持ち、どの姉妹よりも美しく、その類い希な美貌は他の者を近づけない水のような美女だったという。
次女は燃える様な瞳に、鮮やかな紅い髪を備えた勇敢な乙女だったと聞く。どの姉妹より勇敢で、誰も太刀打ちできない炎のように勇ましい乙女だったという。
三女は薄い茶色の髪に、深緑の瞳の聡明な女性だったと聞く。どの姉妹より賢く、深い森のように知識を備えていた女性だったという。
四女は白く透き通る髪に、空色の瞳を称え軽やかな少女だったと聞く。どの姉妹よりもはつらつとして、敏捷性に優れた、風のような少女だったという。
そう、それぞれの姉妹達は自分たちの容姿に自信を持ち、それぞれが自由気ままに過ごしていたという。
その時は仲睦まじい姉妹だったと聞く。それぞれの特徴を称え、褒め、認め、過ごしていた。
だが、一人の男の子が産まれた。母はその子を産むと、命を落とし、初めての男子に父は諸手をあげて喜んだ。
産まれた子は艶やかに光る黒髪に、深い闇を従えた黒い瞳だったという。
姉妹達は母を亡くしたことを悲しんだが、それでも新しい兄弟にありったけの愛情を注いだ。
男子は長女からは思慮深さを、次女からは勇気を、三女からは知識を、四女からは未来という光をそれぞれ請い、成長していった。
だが、父はそんな心優しい姉妹達には目もくれず、男子に希望をゆだね、彼だけを可愛がりだした。
そんな父に次第に募る不信。不満。不平……。
耐えきれず長女は父に泣いてみせる。耐えきれず次女は父にまくしたてる。耐えきれず三女は父の良心に訴える。耐えきれず四女は心のまま父に請う。それでも父は長男を可愛がる。
娘達がいくら泣こうとも、いくら責め立てようとも、いくら冷静に話しても、いくら気持ちを聴こうとしても、こちらを向いてくれることはなくなってしまった。
そのうち娘達に亀裂が走る。
誰かが泣き叫びうるさいからだ、と言えば誰かがひどい言葉で責めるからだ、と言う。
誰かが意見を厳しく問うからだ、と言えば誰かが気持ちを聴いてばかりだからだ、と言う。
そうして四人の姉妹の心の中には亀裂が入り、肩を並べることはなくなってしまった。
また、闇のような少年は一人一人に囁きかける。
あなたのそのヒステリックに父は嫌気がさしたのだ。あなたのその傲慢な暴言に嫌気がさしたのだ。あなたのその慇懃な知能に嫌気がさしたのだ。あなたのその受身の態度に嫌気がさしたのだ。
少年は父と姉たちを遠ざけ、一人父に抱かれ愛情を、地位を、名誉を独り占めにした。
姉たちは何も言えず、言わず、弟の言うがまま過ごしていく。
そんな少年が絶頂の時、我々も知る悲劇が起こった。栄えていた文明は一気に堕落し、あるのは砂だけ。
美しかった城も見るすべもなく砂に埋もれてしまった。
少年は絶叫した。いつかは自分のものになるだろう美しい島を焦らず、ゆっくりと手の内に抱え込んでいたというのに、父はそれを死の島へと変えてしまった。
少年は生きている全ての者に罪を負わす。民がいけないのだ、父を追いつめた。姉たちがいけないのだ、父を苦しめた。最後には死者にまで罪を負わす。母がいけないのだ、父を悲しませた。
そうして跡継ぎは狂ったまま城に固執していた。姉たちは思い思いにそれぞれを責め立て、旅に出る。
弟に負わされた罪を償うために、砂しか見えない大地に放り出される。
まず最初に長女の元へ男達が駆け寄る。絶世の美女を前に、口々にお守りいたしますと叫ぶ。そして城を起つ。
次に次女の前には女達がひざまずく。勇敢なる乙女を前に、口々に我らを導き下さいと祈る。そして城を起った。
三女の所へは男女とも聡明な者達が集まる。賢い彼女に、口々に謎を解き明かしましょうと声を張り上げる。そして城を起つ。
そして、四女の周りには、これ特有のない者達が囲む。謙虚な少女に、口々に未来を目指しましょうと説く。そして城を起った。
最後、姉たちのいなくなった城には、起つことの出来ない者達が集まる。口々に少年に許しを請う。そして過去の栄光をただ振り返る。助けを叫び、ただ少年と共に城に執着していく。
そして、五人は寄り添うことなくそれぞれに道を進む……。
◆ ◆ ◆
「ずいぶんとまぁ、なんて言うか……びっくりな話しだな」青年は言葉を濁し曖昧に感想を漏らす。
少女は無言で聞いている。途中から相づちを打つのもやめ、ただ俯いている。そんな少女の肩に、青年はそっと手を乗せる。
酒を酌み、喉を湿らせていたマヴラァスは青年の感想に苦笑いをする。
「この話しは長が交替するときに口から口に語り継がれてきたと聞いている。だから、まぁ、多少大げさになっていると私は踏んでいるがね」
「多少大げさになっているとは言え、大体は真実なんだろう?」
「……部族によっても伝承は異なってくると思う。なんせ炎の部族は言葉にしてだが、水の民は文書にして残っていると聞くしな」
「なぜ、お父上が不慮の死を遂げたのに、あなたはご存じなのでしょう?」素朴な疑問をシェピアはやっとの事で聞く。
頭がやっとものを考えられるようになってきた。口から口へと言うわりに、ちゃんとした世代交代ではなくいきなりの継承。準備など出来ていなかっただろうに……。
「……父の手記を見つけてな。遺品を整理していたときに、父の今までの人生が書かれた本を見つけたのだよ。もちろんこのこともしっかりと記されていた……父と一緒に燃やしたがな」
「…………」嘘を言っている。デュオはそう直感で思った。だがシェピアは深く追求しようとはしていないし、自分がそれを問いただしても得があるとは思えない。
とりあえず今は、男の言うことを聞いて考えるべきか……。必要な情報をもらえなくなる可能性もあるわけだし。
「でも、その、仲に亀裂が入っていたのと……その、私たちにどう関係が?」デュオの思考を遮断するかのように、シェピアが続けて聞いた。
「……無論、ここからが本題だ……」マヴラァスは勿体付けるように言うと、再び酒を飲む。
だいぶ酔いが回ってきたのか、座る足下がおぼつかない。
そして一際大きく息を吐くと再び話し出した。
どういう経歴でそうなったのかは不明なところだが、それぞれは漂島し、気がついたときには流れなくなっていた。
そしていつの間にかそれぞれ姉妹の容姿と性格から、長女は水、次女は火、三女は地、四女は風、少年は闇の部族と名乗るようになっていった。
集落が出来て、それぞれが男と女の関係を育み、子をなしていった。
だが、生まれくる子供達はみな姉妹達と同じ容姿の子供達。男の子でも、女の子でも皆が同じ髪の色に同じ瞳の色。
それにはたぶん自分たちの容姿にこだわっていた姉妹達が、率先となり同じ色素を持つ者達を掛け合わせていたと聞く。
その中にはかなり近い親族の間でも行われたのだろう。
王族の血を、容姿を失わないため、それこそ兄弟、親……その間でも汚らわしく続いていた。
そうして、何年、何十年、何百年。もしかしたら何千年と言う時の流れの中でそれぞれの部族の、しかも皇族の中から容姿も、血も受け継がない者達が生まれた。
いつその者達が生まれるのかは分からないが、決まって必ず皇女がそうなる。
最初はそれぞれ姉妹の容姿が今や部族の掟。そぐわぬ容姿で産まれてきた子供はどんなに望まれていようと、どんなに貴重がられようと部族追放の刑にあった。
髪の色が違うだけで、瞳の色が違うだけで、大人達は何十人も、何百人も赤子を殺してきた。
たった一部族の皇女がそうであったのなら、大人達はまた砂に隠し赤子の首を捻っただろう。
だがその世代は一月、二月と違わず五つ部族全てに皇女が生まれ、また、誰もが異なった容姿をしていた。
隠そうとしても、噂は風に舞い、大地を駆け抜け、水に流れ、炎のように激しく知れ渡っていった。
五つの部族は初めて会議を開いた。それぞれがそれぞれをなじり、詰問し、そして嘆いた。
なぜこんな事になってしまったのか、我々は間違っていたのだろうか……。
もとは同じ所から生まれた身。神の導きにより違う色が生まれても仕方がない。
ならばこのまま違う色を受け入れ共に生きろと言うのか。今まで我々が誓い守ってきたことを捨て、新しく生きろと言うのか。
神は一度見捨てた、それなのに今になって余計な手を差し出す。どうしろと言うのだ。今更仲睦まじく手を取り合うことなど出来ない。そう思い悩む者達に一人、闇の男は悪魔の囁きをかける。
元は同じ血。交換しても善いのではないか? 誰もが沈黙する。
言わぬとする意味はわかる。だがそれでは誓いを破ることにはならないのだろうか?
長女に、次女に、三女に四女に……、そして城に残った少年に誓ったこの血と、色。それを裏切ることには……?
だが囁きは強くなる。何を躊躇う。今までと同じ生活を保ちたいのだろう。だったら目を瞑るのだ。
元は同じ血。そしてその色の元へそれぞれを送るのが正しいのではないのか? そう悪魔は囁く。
誰もが耳を塞いだ。それではいけない。誰もが目を瞑る。いけないことは分かっている……。
それでも一度囚われた心は離れず、闇に支配されていく。誰も、何も言わないまま、暗黙に契約は交わされる。
銀に彩る皇女は水の元へ。紅く燃える皇女は炎の元へ。緑に潤う皇女は土の元へ。白く輝く皇女は風の元へ。そして、闇に支配される皇女は闇の元へ…。
幾年にも奇異の目に晒された皇女達は何も言えぬまま契約の元、それぞれの色へと引き渡される。
そして何も言えぬまま皇女として、ただそこに存在し、消えてゆく。人々の心には悔恨の念だけが残り、また時と共に消えてゆく。
そして幾世代もの時を越え、再び悪夢は甦り、再び悔恨の念を残し、再び消えて行く……。
何度も、何度も繰り返し、積み重なる罪。それはまるで車輪のように、繰り返し、繰り返し行われてゆく儀式。
歪み、捻れ、それでもゆっくりと、確実に回り続ける。
そしてその悪夢は、思わぬ時、私たちの世代で再び回りだしてしまった。
◆ ◆ ◆
そうマヴラァスは話し終えた。沈黙に風が一人音を立てている。
「……ばかが……」忌々しくデュオは一言口にする。そんな彼を見、マヴラァスも頷く。
「ただ、愚かな。と言うことは簡単だ。先祖もそう思っただろう。だが流れを変えることは誰も、誰もだ! 砂の世界になってから何百年と経つのに誰も! 誰も止めることは出来なかった……」
「聡明な人もいただろう。勇敢な人だっていただろう。沢山の人が、悩み、考えただろう。それでも!…それでも……」言葉を無くす。この憤りはどうやって収めたらいいのか分からない。
同じ人として、この島に住む住人として……また、部族の長としてやるせない想いに支配される。
「……それで、私は……結婚とは名ばかりの、契約に支配されるの?」震えた声でシェピアは問う。手が震えている。否、手だけではない。座っている足も、体も、ガクガクと激しく震えている。
「だが、君は色通りには行かない……」マヴラァスからやけに低い声で返事が返ってくる。凍えるものを感じシェピアはより一層大きく体を震わせ、マヴラァスの顔を見る。
「君は……、君の嫁ぎ先は、炎ではないね?」
「……ええ。ええそうよ。私は闇の部族の元へ行くことになっている……どうして?」
「父が、風の民を襲撃しようとした理由にもなるのだがな、闇の民がなぜかそなたを欲しがった」
「どうして? 闇とはかけ離れている。私も不思議に思った。他部族に嫁に行くなど、聞いたこともなかったから。でも、父は教えてくれなくて……」
「私も、なぜ闇がそなたを欲しがったのか、本当の理由は知らないがね、父には許せなかった」シェピアから視線を外し、虚空を見つめる。
「闇の皇女の彩りは、風の民のものと聞く。つまり、風と闇との間だけで契約が交わされようとしていた。父は怒り狂ったよ…」
「…………」
「我が部族を蔑ろにして、と……。二部族の契約が交わされてしまったら、つまり炎が余ってしまう。私にこういったよ。許せぬ、闇が我が部族の色を手中に収め、我が部族には忌々しい闇の色が存在するなど、許せぬ! とな……。妹の事などどうでもよかったのだよ父は。部族の色、それだけを考えて生きている人だったからな。だから、妹にも辛く当たり……見た通り、妹は感情が薄れてしまった……」
「っ……」シェピアは思い当たるところがあるのか、押し黙る。そして辛そうに顔を歪め、痛そうに胸を押さえた。
「私は、二部族が契約を交わしてくれて逆に安堵したよ。妹が生け贄のように闇に行かなくて済むのだから。でも、父は……そなたの色を欲しがった……」
「それで、風の民を……」自分の中で考えを落ち着かせようと、少女はマヴラァスの言わぬとすることを続いて言葉にする。
「話し、折って悪いけど……、他の土と水はどうなんだ?」素朴な疑問を口に出したのは無言でシェピアを労っていた青年だ。
「その二部族が独立して契約を交わしたと聞いている」
「つまり、やっぱり違っていたんだな?」
その問いにマヴラァスは無言で頷いた。
(どう思う?)と青年は口に出さす腰に下げた剣に意見を伺う。
『どう思うも何も、これが女神の救いの手のつもりだったのだろう。五部族全てに違う色が生まれれば、皆多少考えると…』
(けど考え直すどころか余計悪い方に向かってしまった……)
『愚かだな。救いの余地もない。だが、いまだ違う色が生まれると言うことはまだ女神関与していると言うことか。ふん、神と言え、私情で民の未来を奪ったような女だ、愚かなのは女神も同じ』
(……逆に考えればまだ救いの余地はあるって事だろ?)
『どうであろうかな……ただ繰り返しているだけと私は思うがな』
「……それで、あなたはどうなさるおつもりなのですか?」多少は心の整理がついたのか、幾分落ち着いた声でシェピアが口を開いた。
剣と語り合っていたデュオも思考を中断しマヴラァスの言葉を待つ。
少し思案していたようだが、少女に向き合い答えを返す。
「別に、何もしないさ。我が部族は因果の鎖から外れた。そう思っている。妹が闇の部族に行くこともなく、また、他の部族の皇女を受け入れることもしない。自然の流れに身を任せるだけ……。その為に私は父を殺したのだよ」
「っ!!」少女は赤い瞳を一際大きく見開く。
「驚くことあるまい。分かっていただろう?」
「…………」確かに、何かおかしな事があると分かってはいたが、まさか父を殺したなど!
「私はそなたに手の内全てを見せた。それでそなたがどう捉えようと自由だ。ただ、言わせて頂きたい。人は誰も間違いを犯す。私とて、父を殺したことが正しかったとは思わない。だがそれでも私は闇や風との紛争を避け、妹を守った。その為には父殺しの罪も喜んで背負う。……私の言いたいことがわかるか?」
「……はい……」
「要は自分が何をすべきかと言うことだ。重罪になろうとも私は自らの意志に従いそれを貫いた。悔いはない。我が部族を守れたし、何よりも妹を守れた。誇りに思っている。悔いのないように生きて欲しいのだ」と、そこで言葉を句切り少女の赤い髪にそっと触れる。
「我が部族の兄弟とも言えるそなたに、幸せになって欲しいと思う。確かに我らの先祖は間違いを犯した、そして犯し続けている。だからといって私たちもそれに倣わなければならないわけはない。わかるな? 後悔のないよう、行動して欲しい」そう優しい瞳で少女に語りかけると、デュオに向き直る。
「そなたの事も色々聞きたいのだが、今日はもう遅い。機会があればまた酒でも交わそう」デュオが頷くのを見て、自分も頷き再び少女を顧みる。
「風の民も心配していることだろう、明朝一番に風の集落まで送ろう。そして、我々は元の集落へと戻る事にする。だから、今日はゆっくりと眠るがいい」
◆ ◆ ◆
用意された天幕で少女は一人眠れずにいた。彼は眠ると良い、などと言っていたが眠れるはずもなく、何度も寝返りを打つ。
すると静かな夜の外。人の気配がする。
殺気だった者達も新しい王の計らいにより一応は収まりついたものの、マヴラァスは少女の身を案じて闇のような皇女クラウディアの黒い天幕の隣に場所を構えてくれた。
クラウディアの前では炎の部族誰も武器を持つ姿を見せたことがないと言う。
考えれば、風の民でもシェピアの目の前で暴言を吐くものなどいなかった。影で囁かれているのは知っていたが……。
元が王女達から始まった為か、色が違うと言えど部族の中で皇女は巫女のような扱いを受ける。象徴とも言える彼女たちに暴力を振るうなど重刑だ。
だからシェピアを襲いに来た者達ではない。無論、クラウディアに対しても。
またシェピアの不安な心を感じてか、マヴラァスは普段なら決して許可出さないだろうに、未婚の男女の天幕を近くに陣してくれた。
つまり少女の天幕すぐ真っ正面にあの煌めくばかりの金の髪を持つ青年の天幕をも、用意してくれたのだ。
だから最初、青年に向けての殺気かとも思ったが、そのわりには一向に動く気配がない。
言い争う声さえないが、とても和やかとは言えない雰囲気を醸し出している。
恐怖もあったが、何より好奇心に負けたシェピアはそっと天幕から除く。
そこにはマヴラァス候その人と、候の妹、クラウディア皇女の姿があった。
「どこへ向かおうと言うのだ? 私のクラウディア」
「……お兄さま。わたしくしは話しがしたいと申しました」感情を押し殺したかのような青年の声とは違い、淡々と少女は言う。
「状況が変わった、そう話しただろう?」幼子を諭すかのように優しくいさなめる。
「逢いたいのです。その方に」声を小さく、それでも幾分感情のこもった声で少女は懇願する。
「だからと言ってこんな夜更けに、皇女であるおまえが赴くなど……」馬鹿らしい、と言わんばかりに青年は首を横に振る。
「でも、連れてきてはくれないのでしょう?」
「…………」
「逢いたいのです。その方に」
「だが!……彼はシェピア皇女の客人。皇女の許可なしにと言うのは気が引けないか?」宥めるのがだめと悟ったか、今度は正論じみた事で責めてみる。
少女は少し首を捻った。そして不思議そうに兄を見る。気が引ける、という感情が分からないと言うように。
「……相手にとっても失礼ではないか? 寝ているところに押し掛けるなど」また違う方法で諭してみる。でも少女は聞かない。
そんな不毛な会話を聞き耳立てながら、シェピアはやっと理解した。彼女は自分の連れのあの煌めく青年に逢いたいと言っているのだ。
多少、心がざわつく。別に彼女が華麗でしとやかな美女だから、と言うわけではない。ただ、固くなまでに今青年に逢いたいという少女の風変わりな気持ちになぜが心が騒ぎ立てる。
マヴラァス候にしてもそうなのだろう。出会ってから初めてと言うほど彼は驚き、そして必死に愛しい少女を止めようとしている。
そしていまだ続く行く行かせないの押し問答の中、シェピアはやや躊躇いながらも入っていった。
二人はそんなシェピアに気づいていないのか、または気づいていても気にしないと言うのか、同じ会話を狂った人形達の様に繰り返してる。
側に近づくと余計その狂わしい殺気は激しく、シェピアはやはり後悔をした。マヴラァスからクラウディアに対してシェピアは感じた事もない狂気を感じた。
出来ればこのまま踵を返し何事もなかったかのように天幕に戻り、暖かい毛布にくるまってしまいたがったが、内容が内容だけに退くわけには行かなかった。
「このような夜分、人の天幕の前で話すには適さない内容ではないですか?」内心の恐怖を表に出さないよう、声が震えないよう唇を湿らせながら少女は二人に話しかけた。
すると、少女の多少ながら感情を表していた眉目秀麗な顔は、何事もなかったように端正な人形のようになる。
そして無言で割り込んできた気丈な紅き炎の化身のような少女を見下ろした。
「あなたは綺麗ね。だからね……」そう一言感情を含まぬ声で言う。決して感嘆も、憧れも、皮肉も憤りも感じさせない声。
シェピアは声をかけたことで幾分薄れた恐怖が、再び自分を浸食し始めたのを感じた。相手の感情が読めないと言うのは、こんなにも怖いと感じるなんて…。
言葉に対し、どんな考えを持っているのか分からなかった。意味もなく言うわけはない。少女には少女の考えがあって自分に語りかけているのだろう。
だが、分からない。分かろう、少女の問いにどんな答えをかければいいのだろう、そう思っても口から出で来る言葉はない。ただ渇いた喉に耐えられないように唾を飲み込むだけ。
「妹よ。それではシェピア殿がわからないだろう」シェピアの出現でこちらはいくらか気が落ち着いたようで、優しく少女に語りかける。
言われた少女は多少思案するように兄を見、再び自分より小柄な少女に視線を浴びせる。
「彼の人はあなたが美しいからあなたの前に現れたのでしょう」先程より感情を込め、れっきとした問いとなって言葉になった。
シェピアは安堵したのを表情に出さないよう苦心しながらそれでも、少女の問いに首を傾げた。
「クラウディア皇女。あなたがどうしてそうお思いなのか分かりませんが、彼は私の前に故意に現れたのではありません。偶然です。また、私は自分が……他者より美しいと言う容姿とは思ったことありませんが」あなたのように、と言いかけて思いとどまる。
それではなんだか皮肉のようだ。まるで自分の容姿が劣っていることが悔しいように聞こえてしまうと思ったのだ。
別にシェピアとて、自分がかなり劣る、人目にでられないような容姿をしてるとは思っていない。
だがシェピアを見た何人に聞いても、なかなか美しい、綺麗、という形容詞は出てこないのではないだろうか。
確かに、整ってはいるものの、標準よりも小柄で表情豊かな顔は、どちらかと言えば人に可愛らしいという印象を与える。愛くるしいとか、元気がいいとか、そう言うイメージだろう。
また、青年との出会いがまるで運命とでも言うように、もしくは必然とでも言うような言葉にも疑問を浮かべずにはいられない。
だから多少感情がこもろうとと、少女の問いはやはりシェピアには不可解なものだった。
だが少女にとってはシェピアの答えなど最初からどうでもよかったのだろう。だからか、シェピアの答えに対して別に落胆もせず、激怒もせず、また満足に思うわけもなく、じっと凝視している。
黒い瞳に見つめられると、少し居心地悪くなる。背中の辺りがむずむずと痒くなってきた。それでもシェピアの紅い瞳も捉えたまま動かない。互いに見つめ合い、互いに離せぬまま、無言。
そんな中沈黙を破るはマヴラァス候のため息だった。
「色の違う皇女は皆変わっているのか? それならば他の皇女達ともいくらか話しをしてみたいとも思うが、この様子では私が話したところで意味がないのか」あきれた様に言うと、クラウディアの肩に手をかける。
「愛しい妹よ。今日は美しい炎の少女と話しができたのだ。満足と思いなさい」そう言われると少女は頷きもせず、踵を返し自分の天幕へと歩みを進ます。
その態度に、どうやらマヴラァス候の台詞に思う所が合ったのか、納得したのだろうと読みとることが出来た。
だがシェピアは納得できない。わざと青年が美しいと使ったことも神経を逆撫でしたし、少女にとって今のが話しとは思えなかった。
だから不服を唱えよう、そう思った瞬間、問題の天幕から一人シェピアに向かって手を振る青年が視界に入った。
「あっ!」知らず声が出る。慌てて口を押さえるが、一度出てしまった音は二度と元には戻らない。
その声に、兄妹共にシェピアに目を向けすぐに視線を馳せる。すると先に気がついたのは意外にも妹皇女の方だった。
今までの緩慢な動きが嘘のように、つつがなくそれでも素早く青年の正面へと、シェピアを塞ぐかのように立った。
「お初にお目にかかります。私炎が部族の第一子皇女、クラウディアと申します。以後お見知りおきを」それこそ今までのシェピアに対するのが嘘のように流暢に言葉を紡ぎだし、にこやかに、にこやかにだ!……挨拶して見せた。
シェピアは丸く大きな瞳をより一層開き、つい阿呆のように口を呆け、ひたすら言葉をなくして驚愕した。
それよりその続きを見るや否や、ますます呆ける。
「こちらこそ、あなた様のような美しい方にお逢いでき光栄です。生憎と名乗るような名はございませんが、勘弁いただきたく思います」いきなり目の前に現れた美女に一瞬驚いたであろう青年は、それでも何もなかったように、こちらも流暢な舌運びで少し皮肉っぽく言いながらも少女の手を取り甲に軽く口付けして見せたのだ!
シェピアは一瞬の驚愕から立ち直ると、対面も羞恥心もなにも殴り捨て、大股で二人へと向かう。そして深夜なのも忘れ去り、大声で叫んでいた。
「ちょっと! あんた達何よ! 人のこと無視しまくって! って言うか、私たちの話し聞き耳立ててたんでしょう? 最低、神経疑うわ! 大体クラウディア皇女も何なんですか? さっきまでの人に対するのとずいぶん違いません? 私にはちゃんと挨拶もしてくれなかったのに!」
と自分の行動を棚に上げて青年と闇の少女に罵声を浴びせる。
青年は可笑しそうに、人をおちょくるように肩をすくめる。その顔にはその瞳には、明らかに笑いが見える。
少女の方は興味なさそうな顔を向け、すぐに青年へと向き直り、なおも会話を続けようとした。
そこにすかさずシェピアは二人の間に入り、青年に触れようとする少女の手を塞ぐ。そして、ふんと鼻を鳴らした。
さすがのこれにはクラウディアも驚いたようだ。先程までは何の感情も見えなかった瞳に、ありありとした憤りの色が見える。
「私は、この方とお話ししているのです。あなたには関係ないことと思いますが」それでも感情が爆発していない声で淡々と言うと、シェピアの頭上を通り越し青年に黒い、少し興奮気味の視線を馳せる。
クラウディアの背はシェピアより幾分高いせいか、頭上での見つめ合いにシェピアはより一層気を悪くすると、二人の視線を外させるかのように頭の上で手を交差させ再び怒鳴った。
「言っておきますが彼は私の連れです! 私の知らぬ所で、許可なく会話を進めないでください!」
「彼の方は誰のものではありません。ましてや誰のためでもありません。私たちの、この島全ての為ですわ。あなたに許可を頂く必要はありません。私たちは誰でも許可なく触れることが許されているのです」静かに意外そうに不思議そうに、それでも別に侮蔑の色は見えず、心底不可解にそんなことも分からないのですか? とシェピアに向け変えた瞳が語っている。
少女の黒い瞳に見つめられ、さすがのシェピアも感情的になりすぎた、と今更ながら反省した。
だからといって、やはり一度言葉にしたら戻るものではなく、ばつが悪いながらも恥ずかしがりながらも反論する。
「あなたの言っていることはよく分からないわ。彼がいるのは別にみんなの為じゃない。もちろん私のためでもない。そんなの変よ、彼は彼。触れることを許すのは本人だわ!」
「それならば、それで余計あなたの許可はいらないのではなくて?」先程よりも少女の言っていることが分からない、と言うように、可愛らしく首を傾げる。
シェピアだって自分の言っていることが、支離滅裂なのは承知である。ただ、最初の言葉は感情が高ぶって出てしまった言葉であって、今の言葉が本心なのだが、それが前者の言葉を引きだし分からないと言われてしまってはどうしようもない。
ここまであからさまに態度が出てしまっているのにその、シェピアの移りを理解できない少女に逆に怒りを感じでしまう。
決して馬鹿とは思わない。他人の気持ちに鈍いだけかと思うが、そうではなくて、たぶん、本当に理解できないのだ。
シェピアの憤りも、恥も、対面も、何もかもが、彼女には理解できないのであろう。
感情の欠如。感情がないわけではない。ただ人のより劣るそれでは、他の人が感じることも感じられなくて、理解できないのであろう。
シェピアは視線を下にそらしたまま、顔を俯いたまま、唇を噛む。言葉がたりない。どうやって話したらいいのだろう。
自分はただ、無視しないで話しに加えてもらいたいだけなのに……。確かに正直言えば彼にだけ優雅な態度をとる彼女を見て、心が疼いた。
悔しい。少女の最初の態度は、誰にでもそうだと思ったから納得できた。でもデュオにだけあんな態度を取るなんてなぜかすごく許せなかった。
クラウディアにとっての特別がデュオだと言うことに感じた事のない嫌な気持ちが溢れてくる。
嫉妬だろうか。そんな物に支配されて自分を見失うなんてこれではただの子供みたいだ。
彼に対して怒ったのもきっとそうなんだろう。自分にはあんな風に話して敬ってくれたことはない。いつもからかうように、馬鹿にするように、子供を相手にするように話す。
だから悔しくて仕方なかった。
これじゃぁ、当たり前だ。誰だってそう。子供を相手にしているんだもの。
あまりの悔しさと羞恥に涙が浮き出てきた。このまま放って置けば嗚咽に変わる。
泣くところを見られるのはいやだった。これ以上、彼女にも、彼にも、恥ずかしいところは見せたくない。
そう思った時シェピアは、一人光のない暗闇へと吸い込まれるよう駆けだしていた。