10.フォルテシア 4
『おまえは、逃げてばかりだな』
剣にそう言われたのはいつだっただろうか……。
『彼女は寿命を全うしたぞ』
誰が? と聞かなくても分かっていた。でもどうすればいい?
『会いに行かないでいいのか?』
これは……何時聞かれたのだろう。よく覚えていない……。
『私を手放すか?』
何も答えられなかった。
『いつまでこうして閉じこもっているつもりだ?』
わからない……。
『人間は悲しい生き物だな』
そうだな……そう答えていた。
『私の存在意義は愚かなものだ』
そうなのか? ……でも俺の方が愚かさ。
『人間は愚かでも美しいものではないのか?』
美しい……か。確かにそう言う人もいるかも知れない。でも、俺は醜い。汚い……。
『旅に出ないか?』
旅か……悪くないかもしれない。
『私を手放すか?』
同じ質問……何度目だろう。だが、まだ答えられない。
『もう閉じこもるべきではないだろう?』
……一体どの位の時をこうして過ごしたのだろう?
きっと、もう……俺の事を知る人間はいない……。
『私を手放すか?』
何度聞かれても答えられない……。
……わからない……。
『答えを見つけに行くか?』
……わからない。
だけど、そうした方がいいのかも知れない。
『もう逃げずに向き合うか?』
……わからない……。
『わからない事だらけだな』
そうだな、その通りだ。
自分の気持ちのはずなのに、何もかも分からない。
『答えを探しに行くか?』
……そうだな。ここでお前と話し、考えても何もわからない事だらけだ。
『逃げ回るのはもう止めにしよう』
今更だ。今更向き合っても時は戻って来ない。
でも、だけど……俺は行くべきなんだろうな。
『旅に、出るか?』
旅に……出るか……。
『旅に……』
「出るよ」
◆ ◆ ◆
――エレクトラ・デュオン ここに眠る――
――カティシア・クルス ここに眠る――
――マ=リアン・クルス ここに眠る――
――レ=ロイド・クルス ここに眠る――
四つの墓が並んでいた。
遊女屋にいたはずのカティシア……。
きっと死んだ後……事件の後、マ=リアンとレ=ロイドが引き取ってくれたんだろう。
シャインの墓はなかった。
マ=リアンがタイトゥー王国へ戻ったと言っていた気がするからタイトゥー王国にあるんだろう……。
結局みんな……この町に留まったのか……。
俺を探している間、マ=リアンとレ=ロイドはどんな想いだったんだろう……。
わからない……本当に分からない事だらけだ。
もう、あの時のことを知っている人はいない……。
誰に聞く事も出来ない……。
激しい後悔だけが俺を押しつぶす。
あの時、エレと別れなければ……。
あの時、マ=リアンの話をちゃんと聞いていれば……。
あの時、カティシアの話を受けなければ……。
あの時、剣の声を無視していれば……。
あの時、女王に剣を返していれば……。
他にも、他にも他にも数え切れないほどの後悔が俺を支配している。
「……お前の力は、人の生死にも関与できるのか?」
『……遠回しな言い方だな。はっきり言ってみろ』
「……生き返らすことは出来ないのか?」馬鹿げた問いだと自分でもわかっている。
『不可能だ。私は破壊の剣だ。生あるものを殺すだけ』
「……確かに……。俺に流れ込んできている力の中には人を治癒するものはない」そう言って俺は自分の両手を見つめた。
人を助けたいと言う思いはなく、壊したいと言う衝動が溢れてくる。
『その通りだ。直す事など出来ない。壊すだけ』
「お前は……何のためにいる?」
『……言っただろう。愚かなものと。生きとし生ける全てのものを破壊する。全てだ。この世界の全てを破壊尽くす……』
「おっそろしいな」絵空事の様に聞こえ、つい鼻で笑う。
それが気に障ったのか、意味深な事を言ってきた。
『今は封印に守られているため、力が十分ではない! 封印を解けば全てが破壊される』初耳だ。
「……その、封印とか言うのを解けばもっと強い力が手に入るのか?」
『……愚かな事を考えるな。言ったはずだ、私は破壊の剣だと……』
「わかってるさ。でも……試す価値はある」膨らみ始めた期待は、破壊だけと聞いても簡単には萎んではくれなかった。
もしかしたら……もしかしたら……もっと強い力が手に入れば、みんなを……。
『私の使命は全てを破壊することだ。宿主がそれを望むなら叶えよう』
「……馬鹿言うな……。俺は破壊なんて望んでない。ただ……」
◆ ◆ ◆
その後の事はよく覚えていない……。
剣の名前を呼び、光に包まれ、俺はどうしたのだろう?
気がついた時、俺は一面枯れ野原にいたんだ。
ここはどこだろう……。
俺はみんなの墓の前にいたはずだ。だが辺りを見回しても何もない。町さえ見当たらない。
俺は移動したのか? 何をしていたんだ?
『破壊だ』
「馬鹿言うな」剣の声を即否定したが、心臓が奇妙に高鳴る。
俺は何をした?
流れ込んでくる強大な力に意思も何もかも飲み込まれ、俺は何をした?
『破壊だ』
うそだ! そう叫びたかった……。馬鹿を言うな! そう否定したかった。
だが俺の奇妙な鼓動はより一層激しくなり、あまりの痛さにその場に崩れ落ちてしまった。
剣の言葉を否定できない。
自分の意思ではなかった。でも止める事も出来なかった。夢の中の出来事の様に俺は力を振るい続けた。
力を振るって、振るって……破壊したんだ……。
全てを壊していくのを呆然と見ていた。止めようと言う意志も働かず、ただ、為すがまま……自分の体が勝手に動いていた。
破壊だ。破壊したんだ。俺は破壊したんだ……この一面を。
みんなが眠っているはずの墓地も、たくさんの人が生活していたはずの町も、そして人も……全て壊した。
何も残っていない。瓦礫さえ残っていない。人のかけらさえ残っていない。あるのは、ただの荒地。
生き物のいない荒地。草も一本も生えていない荒地。石もない荒地。ただ延々と広がる大地……。
『……私を手放すか?』
何度も何度も聞いた問い。その度に答えることは出来なかった。
手放せば力はなくなる。だが手放して新しい人生を歩む事も出来る。でもみんなとの事をなかったことには出来ない。
そんな想いがぐるぐる回って、いつも答えることは出来なかった。
いつもずっと何度聞かれても答えることが出来なかった。でも今は答えることが出来る。
「手放さない。手放さない! 手放せるわけがない!」
手放せるわけがない。俺は自分の馬鹿な考えで破壊したんだ。
全てを。何の罪のない人々を……命も生活も思い出も……死後の魂も刻まれた名前もこれから産まれてくる命も。
何もかもたくさんのものを奪っておきながら、もう、逃げるわけにはいかないんだ。
剣を手放して何もなかった様に死ぬ? そんな事……そんな事出来るわけがない!
罪には罰が必要だ。
このまま剣を手放さず年も取らず死ぬ事もなく、俺は永遠にこの世を彷徨い続ける。
罪への償い? そんな事出来るわけがない。償って許される事じゃない。
何も持っていない俺への罰はこの罪を背負い生き続ける事だろ? 死は全てを忘れる事の出来る安息の行為だ。
俺にそれは許されない。
何をすればいいのかなんて分からない。罪が消えるわけもない。背負い生き続けたって意味もないかも知れない。罪を忘れてしまったら生きていたらいけないのかも知れない。
でも今の俺に逃げずに出来る事といったら、この罪を背負い生き続ける事しかないんだ。
後悔だけが俺を支配する。
全ての事への後悔だけが俺を支配している。
何もかもから逃げ出した自分を後悔している。
でも、やっぱり……俺は今の状況からも逃げ出したくて仕方がなかった。
剣からも、この罪からも、大切だった仲間の死からも……逃げ出したくて仕方なかった。
逃げずに出来る事……と言いながら、罪を背負って剣を持ったまま彷徨い続ける事が、俺にとっては逃げている行為だったのかも知れない……。
外伝Ⅰフォルテシア完結です。あとがきを一話入れて一応完結設定します。