09.フォルテシア 3
「やっと……見つけました。フォン様……私、私ずっとお探しして……」
そう言って老齢の女性は俺の顔を見て涙ぐんだ。
誰だ? こんな気分の俺の前にそんな顔で現れても余計に苛立つだけだ。
エレと別れ一人宿を発った後、俺は特にどこにも行かなかった。一人山にいた。
誰とも話さない。誰とも会わない。
たまに襲ってくる異生を倒して、魔石をただ集めた。気がついたらその魔石は百を有に超えていた。
いい加減それが邪魔臭くなり、金に換えようと街に下りたところを急に呼び止められたのだ。
「本当に、フォン様……なんで……」そう言って女性は顔を覆った。
苛立ちが押さえられない。壊してしまいたい衝動が俺を襲う。
「あんた誰? 用がないなら邪魔だからどっかいけよ」俺がそう言うと、女性は弾かれた様に顔を上げる。そして流していた涙を拭わず笑った。
「私がお分かりにならない……? そうですよね……もう二十五年も前の話し……。でも、あなたは本当に何一つ変わっていらっしゃらない」
……二十五年? 何言ってんだ、この女。
そう思いながらも、何故かすごく気になり女を観察する。その、瞳を見つめているうちに俺は一人の名前を口走っていた。
「……マ=リアン……?」
「はい。フォン様。随分とおばさんになってしまいました」そう言って微笑んだ顔は、俺の知っている聖女の微笑と何ら違いはなかった。
◆ ◆ ◆
「二十五年……冗談だろ」
「……本当にご存じなかったのですか?」
「知らない! 俺……なんで生きてんだ?」山にこもっている間に二十五年も経っていたなんて信じられなかった。
数日……多くても数週間の出来事と思っていた。一ヶ月しか経っていないと言われても信じられない。
なぜならその間中俺は何も食べていない……。確かに腹が減ったなと感じる事はあったが、水を飲むだけで特に食べたいと思うことはなかった。
そして何より俺の見た目は何も変わっていない……。
マ=リアンでさえしっかりおばさん――と言うには綺麗過ぎるが――になっているのに、俺は宿を飛び出した時のまま……。髪さえ伸びていないし髭も無精髭程度。
確かに服は傷んでいるが決して変な匂いがするとか言うわけじゃないし、二十五年山にいたと言うのに綺麗過ぎるような気がする。
「……心も……何も変わっていないのですか?」急に黙った俺に、マ=リアンが辛そうにそんな事を聞いてきた。
「……当たり前さ。俺にとって宿を飛び出したことは数日前の出来事だ」いまいち状況に納得できないまま、それでも取り合えず答える。
すると深い溜息が聞こえた。
俺の知っているマ=リアンは決してこんな辛そうな顔で深い溜息をつくような女性じゃなかった。
ちょっと楽天的すぎるだろう。もっと色々考えた方がいいぞ! と思ってしまうぐらいのほほんとしていて常に笑っている……そんな女性だった。
二十五年……そして本当にマ=リアン……。俺の知らない時間が経っているのは事実だった。
「こんな状況のフォン様に話すべきではないと思いますが……私は、知っておいて頂きたくて、フォン様を探していたのです」マ=リアンはそう前置きして、二十五年の間の出来事を話し始めた。
「私、本当にフォン様のこと好きでした。考えの足りない私やレロイと違って、優しく考えすぎてしまうフォン様。側にいて、少しでもお力になりたかった。力がありすぎて辛い思いをした私としては力がなく悩むフォン様のため、この力を使いたかった……」
言葉が、胸に突き刺さった気がした。
力の強い巫女は不幸だと聞いた事がある。外の世界と隔離され自分の生活も自由もなく、巫女としての勤めを一生死ぬまで神殿の中で果たす。
マ=リアンもそんな暮らしだったのだろうか……。だからこそ、力を強く望む俺の事を見捨てられなかったのか。
「レロイは……兄貴ってこんな感じなのかな? って言ってました。私達にはフォン様と同じ年の兄がいたのですが、私達は五歳の時から神殿に仕えたので、それ以来一度も会っていないのです。私達家族の中で兄だけが強い力を使えなかったので、レロイには被って見えたのだと思います。助けになりたい、といつも言っていました」
やめてくれ。そんな事聞きたくない……。そう言いたかったが言えなかった。
そんな風に……思い出話みたいに言わないでくれ。俺にとってはついこの間迄一緒にいたんだ。
エレにひどい事を言って、みんなの事もひどい風に思っているんだ。
「シャインは……妹さんがいらしたそうです。その方がフォン様と同じカリスト・ヴィー月生まれで、加護は強いのですが法を扱えなかったそうです。なんでもカリスト・ヴィー月生まれには稀にあることらしく……。その方々はみんなお辛い思いをされるとか……。妹さんも若くして亡くなったそうです。それで、どうしてもフォン様の事が気になったんだ……と言ってました」
本当に、やめてくれ……。
こんな話を俺に聞かせてどうするつもりだ?
だって、もう二十五年も経ったんだろ? 今更そんな事を聞いても、もう戻れないんだろう?
「それで、シャインはタイトゥー王国へ戻りその剣の事を調べました。その剣は……どうやらカール大帝の持ち物だったようです」
「カール大帝!?」あの、伝説の……。
「はい。カール大帝がある方に送った品だそうです。誰なのか、どうしてなのかまったく伝えられていないそうですが、その柄に彫られている印はカール大帝のものだそうです」
『……カール……大帝……。タイトゥー王国……』剣が呆けた様に呟いた。いつもの高圧的な口調ではなく、物思いに耽っている様な呟きだった。
だがそれでも頭の中に声が響くのは嫌な気分だ。気持ちが悪い。
「カール大帝のものですから、呪われているなどと恐れ多く言える事ではありませんが……。タイトゥー王国では赤い宝石に纏わる因縁が様々な世代で多々あるそうで、その剣に輝いている石がそうではないか……と」
『馬鹿馬鹿しい』
「……。それでその因縁の仲にはその石を持つと変な力が使えるようになったり、年を取らなくなったり、何て事があったのか?」
「……内容は詳しく教えて頂けませんでした。ですが……フォン様! その剣はやはりよくない物です。今からでも遅くないと思います。タイトゥー王国へお返しになっては如何ですか?」
「……それで、俺はどうなる? 二十五年ずっとこのままだった。やっぱり俺が年を取ってないのは事実で、この剣が原因だと言う事も確かなのかも知れない。だけど、返した後、俺はどうなるんだ? 二十五年前に戻れるのか? 戻れるわけがない!」
「フォン様……」マ=リアンは俯いてしまった。
マ=リアンに当たってどうする。むしろ感謝しなきゃいけないのに。こんな俺をずっと探してくれていたんだ……。
だけど、この遣る瀬無さはどうしようもない。
俺がいけないんだ。俺が招いた事だ。わかってる……。分かってはいるが、誰かを恨まずには、責めずにはいられない。
「私がいます! 返上して、フォン様がどうなろうとも、私が一生側にいます」
「マ=リアン……」涙が出そうになった。
俺は、マ=リアンと真剣に向き合おうともしなかったのに、なんで……マ=リアンはこんなに……。
「お願いです。フォン様! 私と一緒にタイトゥー王国へ行きましょう」
マ=リアン……ごめん、ごめん。でも、ごめん。俺は……ダメだ……。
君の気持ちには答えられない。
俺が……ずっと一緒に過ごして行きたいと思っていた相手は……
「エレは……どうしてる?」
マ=リアンがひどく傷ついた顔をする。口に出すべきではないと分かっていたが聞かずにはいられなかった。
「お願いだ。教えてくれ……。エレは……今どうしているんだ?」俺がそう詰め寄ると、マ=リアンは慌てて目を逸らした。
最初は居場所を言いたくないのだと思った。みんなの話の中にもエレは出てこなかったし……。
だがその割には落ち着かない瞳と、激しい動揺を見ているうちに俺の鼓動も早くなる。
「マ=リアン? マ=リアン! 何かあったのか?! エレは、エレはどうしてるんだ?」
「私……私……」俺が激しく問い詰めると、マ=リアンは泣き出した。
「私……フォン様に会ったら全てをお話しようと思っていました。でも、でもフォン様が……こんな状況ではお話しするべきではないと思って……」泣きながら早口でそんな事を言う。
「ですから……ですから! お願いです……聞かないで下さい」その言葉に俺は頭をを振る。
そんなわけにはいかない。こんなマ=リアンを見て聞かずになんていられるか!
良くない事が起こったのは確かだ。でもどんな悪い事かなんてわからない……。
「お願いだ。マ=リアン。俺は大丈夫だから……。本当の事を話してくれ……」俺はそうお願いしたが、マ=リアンは泣きながら首を横に振った。
その様子を見て俺は深呼吸する……。そして逆に聞いた。
「……死んだのか?」マ=リアンがビクッと体を振るわせた。
自分でも驚くほど冷静な声が出ていた。二十五年経ったと聞いてすぐに考えた事だ。
ハンターをしていれば、いつ何時死んでも可笑しくはない。……だけど……。
「どうして……どうして! いつ!」嘆かずにはいられない。
エレはいない。どこを探してももういないんだ。死ぬってのはそう言う事だ。もう会うことも話す事も出来ない。
ついこの間、俺はエレを傷つけた。ひどい事を言って傷つけたままなんだ!
ずっと一緒に育ってきた。過ごしてきた。それなのに……最後が……あの時だなんて……。
俺は何をしてるんだ? 俺はこの剣を手に入れて何をしてるんだ?
傷つけて……傷つけて……傷つけて……。誰か……助けてくれ……。
…………カティシア……。
「カティシアは? ……マ=リアンに聞く事じゃないけど……カティシアはどうしてるんだ?」俺がそう聞くと、マ=リアンはより一層泣き出した。
「……お願いです、聞かないで……きかないで……」
なんで? 何でだよ……。カティシアにも何かあった? 何があったんだよ……。
頭が可笑しくなりそうだ。やっぱり俺は二十五年も何も知らずに過ごしてきたんだ。
「頼む……。教えてくれ。本当に教えてくれ! 知らない事の方が辛い……」
「知った方が辛いかも知れません」涙を拭ってマ=リアンはそう言った。
俺の顔を正面から見て唇を噛み締めている。再び涙がこぼれそうな瞳を俺は見つめ返し、奥歯を噛み締めながらも催促した。
マ=リアンは、心を決めたのか、淡々と報告した。
「エレは、カティシアを殺害して自害しました」
は?
「どう言った行き先でそうなったのか私は知りません。でも、取り乱したエレがカティシアの所へ行き……私達が駆けつけた時すでにカティシアは息絶えてました」
は? 何言ってる?
「エレは……私達の目の前で……」
マ=リアンの言っている言葉が頭に入ってこない。何を言っているのかよくわからない。
「私達はすぐにフォン様を探したのです……。でも……」
何も聞こえない。頭に靄がかかってる。
何も聞こえない。何も言えない。何も考えられない。
「フォン様!?」
マ=リアンの驚愕した制止の声が聞こえた気がしたが、俺はその場から走り出していた。
何も聞こえない。何も聞こえない。何も聞いてない。何も知らない。何もかも知らない。何もかも嘘だ…………。
次回22日更新。




