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シルフォン  作者: 尾花となみ
本編Ⅰ 砂漠の皇女
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02.始まりの日

五つの集落の一つ。風の民の集落にて砂の中を駆ける少女の姿があった。


「父様―!」赤い髪をなびかせ少女は走ってくる。自分の父に遠目ながら手を振っているのがわかる。


 そんな少女を見た男は慌てて大声で言葉を返す。

「ああ!シェピア!そんなに走っては駄目だ」そう言ったも遅く、少女は近づいてきた。


「だって父様。私退屈!」シェピアと呼ばれた十四、五歳の少女は、息を弾ませながら側に来ると少し幼さの残る頬を膨らませた。


「それでもおまえは結婚を控えた清らかな乙女なのだ。おしとやかにしていなさい」


「私…結婚なんて嫌…愛してもいない人となんて!」シェピアは心底腹立ちそうに唇を強くかみ締めると父親を睨みつける。


「そんな目で見ないでおくれ。私だってどうにかしてあげたい。だが、闇の部族がシェピアを選んだのだよ」男は少女の勝気な瞳から目をそらすと、遠くを見つめて細める。


「…逆らえない……逆らえない掟なのだよ」

「そんな、そんな大昔のシキタリに娘を楽しくもない嫁に行かせちゃう訳!」少女は精一杯の嫌味を込めて吐き捨てると踵を返す。


「それは、言わないでくれ…シェピア。私とて仕方のないことなのだ」男は少女が去っていった方を力なく見つめて言うと、足元に流れる砂へと視線を移動させた。


 そしてそのまま流れる砂を心無く見つめていたがいきなり顔を上げ、少女とは反対の方向に歩き出した。

 力強く、砂の感触をかみ締めるかのように足を進めた。



 ◆ ◆ ◆



 太陽が完全に隠された刻、風もなく静寂な海の中一隻の小船が迷い込んでいた。

 嵐に見舞われかろうじて浮いていることが出来た、そんな満身創痍な小船だった。その小船の上には、一人の青年が乗っている。


 波に逆らわず、流されるがまま小船を進めてきていたが嵐のせいで明確な位置確認もままならなかった。


 気づいたときには、目の前に強圧的な島ネセ・カイザストがそびえ立っていた。


「かなり流されたな・・・」無造作に伸びた髪を後ろで一つに束ねた青年は、小船の中で悩んでいた。

 目の前には島がある。散々な嵐のおかげで、青年自体も満身創痍であったし、何よりも体が揺れていることに限界が来ていた。


 だが目の前の島は地面に立ちたいが為だけに踏み入れる訳にはいけないような重々しい雰囲気が立ち込めていた。


 善良なる人間が見たならば、その禍々しさに一瞬のうちに気を失っただろう。そう思わせる何かが島にはあった。

 だが、青年は眉目をしかめただけで、もちろん気絶しなかった。


 青年の腰に下げた剣が、嘲笑したように自我の意思で揺れた。

『ここは死の島だ』妖剣と呼ばれるそれは、自我があり、また人の言語を理解する。

 だが音声が出るわけもなく、主人の頭に直接語りかける。


 自分の意思を持っている以上に、剣は人に似つかわしい性格を持っていた。

 その為か、主人となるものを自らの意思で選び、自らの存在を証明しようとする。


 だがその関係は決して服従ではなく協力。もしくは共同と立場を認識している。


 したがって剣は青年を主人と呼ぶには不適切に思っており、またそれを証明するかのように、自己が語らぬと決定したことについては、黙秘を追及する。


 どういった経歴でこのような剣が出来たのか。どういった理由でこの剣は作られたのか。そもそもこの剣は人間の技で作り出されたものなのか。

 答えの見つかることのない疑問だけが青年の頭を蝕んでいたが、この剣が危害を持つと独自ではあるが認識した以上、剣を手放すことが出来なかった。


 剣の主人となってからかなりの年月が過ぎていた。だが、青年は年をとることもなく、死ぬこともなく存在している。


 莫大なる富と名誉を手に入れたものでさえ、争って我が物にしたがる不老不死に青年は侵されていた。

 そうと気づいた以上、いや気がつかなくても青年はこの剣を手放すことが出来ずにいた。


 青年が長い年月剣と過ごして手に入れた事実は、人としてあまりにも耐え難いものであったからだ。

 今までどのようなことに見舞われてきたかはわからないが、当てもなくこの広い世界を一人と一差しで回りに回り、この死の島へと巡って来たのだ。


「死の島?」青年は語りかけてきた剣へゆっくりと問う。

『そう、神の呪いによって姿を変えた』


『神の、のろい…』青年はその島を見上げる。


 島の岩々は荒波に削られたのか、触れただけで体に傷が出来そうなほど研がれている。


 暗雲が島全体を覆い、生き物の活力にあふれた声さえ聞くことは出来ない。

 海を渡る鳥でさえ飛んでいることもなく、動くものは一切この世界には存在しないのではないか、そんな錯覚に駆り立てられる。


「確かに、すさまじいな」青年は喉を湿らせると、腰に差された剣に手をかけた。

『愚かな人間のせいでな』


「おい!何を知っているんだ?」青年は声を上げて問うたが、期待する返事は返ってこない。


「いつものだんまりか」面白くなさそうに青年は言うと、小船から島へと降り立った。


「うぁっ!」一瞬、体に電撃が走った。

 世界がふらつき、それは激痛となり体の隅から炭まで舐め回した。


 だがそれもすぐに治まり静寂が戻ってくる。


『どうした』色整然と心配の言葉が語られたがそれはあくまで形だけで、どのような感情も捉えることは出来なかった。


「なんでもない。ただ、体になんか異物が入ったような感覚に襲われた」肩で息をしながら青年は言うと、一際大きく息を吸う。


『そうか。今のはきっと結界だな』

「結界・・・?」青年は尖った岩に小船をくくりつけながら聞く。


『無人といわれている所以はそこから来ているのだろう。まず普通の人間では入れまい』

「そう、か・・・」青年は腰まで伸び結われた髪を弾き、吐息を漏らす。


 普通の人間では駄目だと言われながら、入れてしまう自分がここにいる。

 再び世界がふらつくような錯覚に見舞われた。だが、両足はしっかりと地面についている。


『ここならしばらく暮らせるな』以外にも少し感情がこもったような声が響く。

「ふん。いつも大変な思いをするのは俺だ。おまえの意思なんかかまうもんか」


『別に意思など見せてなかろう。ただ、事実を述べただけだ』

「はいはいっ」投げやりに言葉を吐くと青年は岩々に手をかけ、黙々と崖を登り始めた。


 一体どのくらいの時が流れただろうか。単純な、それでも体力を要する作業に掌が傷ついたり、爪がはがれたりして青年の赤い血が滴り落ちているが、深く気にするのをやめていた。


 感情というものはある。神経はもちろんあるし、血が流れると余計に痛くも感じる。人間の情緒があるからだ。だが痛くても気にしなくなってきていた。


 剣の力が青年に宿っている限り自然治癒力は一般とは尋常なまでに差があり、死に至る傷でさえ何のその、だ。


 そしてそんな自分の体を見るたびに、青年の心は行く当てもなく病んでいった。

 すぐに治ってしまう傷。老いを取らない体。人間には似つかわしくない身体能力。そしていつの間にか身についていた特殊な力。


 どれ一つとっても青年はすでに人とは呼べなくなっていた。そしてそんな自分を恐れるように、重ねてきた過去を悟られないように、気がつくといつの間にか他の人との関わりを拒絶するようになっていた。


『頂上だな』腰に差されていながらどうして分かるのか知らないが、剣は説明してくれた。

「分かってるよっ」腹立ちそうに青年は吐き捨てると、崖の頂上からまわりを見渡した。


「なんだよ、これ・・・」青年の目の前に広がった光景は、息を呑むものだった。


 島はクレーターのような形をしていた。中心がへこんでいる。いや、正確には島全体が崖に覆われている形なのだろう。

 これでは例え結界を越えられたとしても、外洋に行き来するのは困難だろう。


 だが青年がそう言った言葉は別のことに向けられていた。

「砂だ、砂だらけだ」青年は呆然とその光景を見つめた。


 上から見てもかなりの面積の島だ。だが目に付くのは崖か、砂か、そのどちらかしかない。


 青年は意を決して崖を降りだした。外壁よりも内壁の方がかなりの急斜面だ。

 ただ内壁の方が岩々に鋭さがなく、丸みを帯びている。風によって風化したのだろうか。


 それでも人が上り下りするのには十分無理があった。

 だが青年は人とは違った身体能力を発揮し、ゆっくりと、それでも着実に降りる。


 どうにかたどり着いた青年は足の裏が暑いのに気がついた。かがんで砂に触れると、かなりの熱を持っている。


「熱い。気候がかなり偏っているのか…」砂をすくってみると掌から音を立て落下していく。

 光に反射され熱を含んだ金色の砂は輝きながら同じ砂の許へ還っていく。


「綺麗だ…」感嘆のように青年は言うと立ち上がり周りを見渡す。


「辺り一面は砂、か…。これならひともいないだろう」

『そうとも限らんな』剣は青年の浅はかを嘲笑するように揺れる。


「人が、いるのか?こんな死の島に…」

『人間はしたたかな生き物だな』馬鹿にしたのか褒めたのか分からない言葉を紡ぎ、剣はまた揺れた。


『声が聞こえるな。一人二人ではない。かなりの人間が生活しているのだろう』

「生活、ね…。まぁ、懇意にさえしなければどうにでもなるか」独白めいて青年は吐息とともに漏らすと位置を伺う。


『そうさな。ある人間の位置なら明確に分かる』何処か感情を含んだ言葉だ。たまにこの剣は自分の意思を表す。

 人間のような喜怒哀楽。そんなはずはないと青年は思いながらも、こいつならあり得るといつも考えてしまう。


「明確に、おまえに位置が分かるって?」動揺を隠そうともせず青年は息を荒げた。

『命の輝きが見えるのでな』答えを聞くまでもなく青年は意外といった表情を浮かべる。

「こんな砂漠で、おまえの惹かれる輝きがあるのか?」答えを期待しないで問う。


 辺りを見渡すと確かに金色に輝く砂しか見えない。

 それなのに人々がいて、生活し、それでいて剣の惹かれる輝きを持つ人間がいる…。


『確かに、信じられないだろうな』また感情が見え隠れする言葉を響かせる。人間で言うなら困惑、だらうか。

 青年は端麗な顔にそれこそ困惑の表情を浮かべた。

 周りを何度見渡しても砂しかない。後ろには先ほど苦労して降りた崖が見える。


「…とりあえず、その輝きの方向を教えてくださいな」投げやりに伺いを立てる。

『うむ、ここから東の方向と我は感じておる』投げやりな伺いでも気分を良くしたのか、素直に答えが返ってきた。


「東って…何も見えないぞ、おい」青年は視力のいい目を凝らしたがどう見ても砂しかない。

『だが、いる』今度は気分を害したのか面白くなさそうな言葉が返ってきた。


「…わかったよ。とりあえず進むか」

『そうしろ』いたく偉そうに響かせると会話は終了した。もちろんそれ以上青年は聞かず歩き出した。


 風が流れた。いやに熱い風だった。それでいて乾いている。青年の金の髪を揺らしまた静かになる。

 足が熱かった。それはやはり金の砂のせいだろうが青年は気にせず歩く。


 砂を踏む音が響き風はまた吹く。

 青年は一言もしゃべることなく歩き続けた。それでも音も生む『生』はやはり感じることが出来なかった。



 ◆ ◆ ◆



「うーん、やっぱり湖は大切よね。水につかると生きてるって気がする。生命の恵み」体を覆うものを何も付けずに少女は大きく広げる。

 誰もいないのを良い事に風の民の皇女シェピアは水浴び、と言うか泳いでいた。


「ねぇ、リィーダ。私、やっぱり結婚するしかないのかなぁ?絶世の美青年でも迎えに来てくれないかしら」すぐ隣で気持ちよさそうに及びまわる獣に向かってシェピアは話しかける。


 獣と言っても肩に乗れるほどの大きさで、それでいて鋭い牙と爪を持つ。黄色の透き通った毛並みがなんとも美しい。

 リィーダと呼ばれたそれは少女の声に突き立った耳を器用に動かし反応する。


「あーあ、父様ったら私が可愛くないのかしら?」リィーダは耳を傾けるが別段返事をしない。いつものことだ。シェピアがリィーダに話しかける、これは自分自身の気持ちの整理のためだ。


「なんてそれは言っちゃいけないか。仕方がないんだもんね。でも…だからって納得できるほど私は大人じゃないけど」小さな口を尖らせ湖に沈む。

 赤い髪を湿らせ乾燥を防いだ少女は仰向けに器用に泳ぎだした。


 陸に着き布で体全体を覆う。水分を吸い取らせながら小さな相棒へ視線を注いだ。

 すると今まで耳を傾けながらも身を震わせ、器用に毛繕いをしていた行為をやめ、シェピアの足元に走り寄ってきた。

 湖を挟んだ反対側の陸を見て牙をむきうなり声を上げ、黄色い毛を逆立てている。


「なに?どうしたの?」リィーダのいきなりの変化にシェピアは戸惑い服を着る手を止める。

 リィーダが見つめる先で人為的な木の葉がこすれる音がした。


「だれ?そこにいるのは!」シェピアはそこに向かって足元に落ちていた片手ほどの大きさの石を投げつけた。

「うげっ」と言う叫び声と共に湖は派手な水音を響かせた。


「きゃっ」落ちた衝撃で巻き上げられた水を少女は浴びながらどうにか警戒する。

「どこに、どこに行ったの?逃げたのかしら…」肩に乗ってきたリィーダをなでながらあの声の主を探すが、浮かび上がってくる気配がない。


「…まさか…」シェピアは幼さの残る顔を歪めると湖に近づく。そして声の主が落ちただろうと思われる所をくまなく目配せする。すると、なにやらモノが沈んで行く水の音。


「え?ちょ、ちょっとやだ!」驚愕に赤い瞳を見開き少女は慌てて泡の立つ所へ飛び込んだ。


「君、ちょっとしっかりしてよ!君!」シェピアは気を失い沈む男を抱えると力の限り泳ぎだした。

 平均よりも小柄の少女にとってこれほどの重労働はなかっただろうが、それでも見捨てる訳にはいかなかった。


「殺人者になってたまるもんですか!」風の民の皇女シェピア。十七歳の初春の出来事であった。


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