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静かな復讐 奪われたすべてを、完璧に奪い返す  作者: 雫石しま


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第17話 Broken Vows 破られた誓い

 佐々川拓也の名前は、スキャンダルの代名詞となった。


 ワイドショーのテロップは「近親相姦疑惑の財閥後継者」、ネットニュースの見出しは「佐々川家崩壊か」。マスコミは連日、邸宅の門前に張り付き、望遠レンズを構えて拓也と麻里奈の姿を狙った。鉄門の隙間から、フラッシュが絶え間なく閃く。警備員が追い払っても、ドローンが上空を旋回し、隠し撮りの写真が翌朝の新聞に載る。


 邸宅の中は、息の詰まるような静寂に包まれていた。泰造は病床から這い上がり、杖を突きながら拓也を監視した。応接間では、拓也と麻里奈が顔を合わせるたび、泰造の視線が刺すように突き刺さる。


「お前たちは、もう外に出るな」


 泰造の声は枯れていたが、威圧は変わらない。拓也は俯き、麻里奈は部屋に篭もる日々を送った。スマートフォンは没収され、窓は厚いカーテンで覆われ、外の世界は遠くの喧騒だけが聞こえる。麻里奈はベッドに座り、膝を抱えた。涙はもう枯れ、代わりに虚無が胸を満たす。拓也は廊下で泰造の前を通るたび、頭を下げ、言葉を失う。


 私は「不倫された悲劇の妻」を完璧に演じながら、佐々川家の門を叩いた。やつれた化粧を施し、地味な黒のワンピースに薄手のコート。髪は乱れ気味にまとめ、目元に薄く影を落として疲弊を演出した。マスコミのカメラが一斉に私に向けられ、フラッシュが容赦なく焚かれる。私は深々と頭を下げ、白いハンカチを口元に当てて、震える声で言った。


「この度は、佐々川がご迷惑をおかけして申し訳ございません……」


 言葉の端に、かすかな嗚咽を混ぜる。ハンカチで顔を覆う仕草で、冷ややかな笑みを隠した。記者たちは一瞬息を呑み、同情の眼差しを向ける。


「奥様、大変でしたね……」

「動画は本物ですか?」

「佐々川拓也氏に一言……」


 私はハンカチを握りしめ、涙声で答えた。


「私は……ただ、静かに離婚したいだけです」


 声が途切れ、肩を震わせる。カメラが寄り、マイクが突きつけられる。記者の一人が優しく尋ねた。「奥様、動画の件について、何かおっしゃりたいことは?」私はゆっくり顔を上げ、涙で濡れた瞳を向けた。


「信じていた人が……そんなことをするなんて、思わなかった。でも、もう終わりにします」


 ハンカチを目元に押し当て、再び頭を下げる。記者の同情が一気に膨らむ。


「奥様、頑張ってください」「応援しています」という声が飛び交う。門の奥から執事の足音が近づき、私を中へ導いた。


「お久しぶりでございます」

「ええ、拓也さんは?」

「応接室でお待ちです」


 応接室、そう聞いただけで怖気が背中を走った。暖炉の木が爆ぜる音、麻里奈さんの甘い吐息、拓也の唇が重なる音、全てが鮮明に甦り、ドアノブを握る手が自然と離れた。私はバッグから一通の封筒を取り出し、執事に手渡した。


「奥様、旦那様にお会いになられないんですか?」


 私は踵を返し、玄関へと向かった。大理石の床にシャンデリアが嘲笑うように煌めく。泰造の肖像画を憐れむように見上げた。あの鋭い目は、今も私を値踏みしているようだった。


「奥様……」


 執事が背後から呼び止める声に、私は足を止めた。振り返ると、彼は封筒を胸に抱え、困惑した表情を浮かべていた。


「これを……私が旦那様にお渡ししてよろしいのでしょうか?」


 私は静かに頷いた。




 ◇◇◇




 それは、拓也への不倫慰謝料請求500万円の内容証明と、Lueurの新作発表会の招待状だった。私は「ぜひ、佐々川家の皆様でお越しください」と一筆添えた。封筒は二通。どちらも同じ厚みの封書で、表書きは丁寧な筆ペンで私の手によるもの。内容証明は弁護士事務所経由で正式に発送されるが、この控えは私が直接手渡すためのものだ。招待状は金箔の縁取りが施されたLueurの公式カード。表紙には『Reborn Eternal - Final Chapter』と銀文字で刻まれている。裏面に添えた一筆は、墨の匂いがまだ残るほど新鮮だった。


 私のジュエリーもショーケースに並ぶ。コレクションラインは「Broken Vows」——破られた誓い。ジュエリーデザイナーの実体験に基づく衝撃作として、一躍注目を浴びた。裏切りを輝きに変えるデザイナー、私の名前はワイドショーで大きく取り上げられた。


 欠けたサファイアを意図的に残し、ひび割れたリング。センターストーンに細かなクラックを入れ、光が当たるたび傷跡が青く輝く。離婚や別れを連想させるデザインは、観客の胸を刺す。会場では「これは……美しい……涙のようだ」と囁きが広がった。


 私はステージに立ち、スポットライトの下で静かに語った。


「このコレクションは、永遠を信じていた私が、裏切られた瞬間の記録です。誓いが破られたとき、傷は光に変わることもあります」


 客席の後ろに、拓也と麻里奈の姿があった。拓也は青ざめ、麻里奈は目を伏せたまま。泰造は杖を握りしめ、動かない。マスコミのカメラが拓也と麻里奈を捉え、フラッシュが閃く。私はリングを指に嵌め、微笑んだ。


「この傷は、私のもの。この光はもう、誰にも奪われません」


 私はステージを降り、微笑みを湛えながら拓也へと歩み寄った。スポットライトが私を追い、呆然と立ち尽くす拓也と麻里奈を冷たく照らし出す。青いサファイアが首元で冷たく煌めく。拓也は震える声で呟いた。


「すまない……裏切るつもりはなかったんだ」

「……そう」

「許してくれ」


 私の心には、もう何も届かない。言葉は空気を震わせるだけで、胸の奥に落ちて砕けるだけだった。麻里奈は肩を震わせ、目を伏せたまま動かない。泰造の杖が床を叩く音が、乾いたリズムを刻む。


 私は拓也の前に立ち、ゆっくりと左手を差し出した。指には『Broken Vows』のリング。ひび割れたサファイアが、光を散らして青く輝く。


「これ、記念に差し上げるわ」


 拓也は一瞬、目を逸らしたが、震える手で受け取った。リングを握りしめ、指先が白くなる。


「瑞穂……」


 私は首を振り、静かに言った。


「もう、名前で呼ばないで」


 会場は静まり返り、カメラのシャッター音だけが鋭く響く。マスコミのフラッシュが二人を容赦なく照らす。私は一歩退き、微笑んだ。冷たく、穏やかに。


 拓也は床に膝から崩れ落ち、私の脚に縋りついた。


「俺が悪かった! 麻里奈とは別れる!」


 その目には涙が溢れ、声は掠れ震えていた。すると顔色を変えた麻里奈が割って入ってきた。拓也の肩に縋り付く。


「お兄ちゃん! 赤ちゃんはどうするの!?」


 息が止まった。会場がざわつき始める。報道陣のカメラが一斉に麻里奈に向けられ、フラッシュが容赦なく焚かれる。


「赤ちゃん?」

「妊娠?」


 囁きが広がり、マイクが突きつけられる。私は脚に縋りつく彼の手を、静かに振り払う。彼は絶望の表情で床へと倒れ込んだ。拓也の顔から血の気が完全に引く。


「そう……妊娠していたのね」


 麻里奈は唇を噛み、真っ青な顔で、両手でお腹を覆った。白いドレスが震え、涙が頰を伝う。


「最初にマンションに来た時、『急ぎの用事がある』って言ってたの……あれは、妊娠の報告だったの?」


 私の声は静かだった。怒りも悲しみも、もう通り越していた。ただ、冷たい事実だけが残る。拓也は床に額を押しつけ、嗚咽を漏らした。


「瑞穂……違うんだ、俺は……」

「違うって、何が違うの?」


 私は冷たく見下ろした。


「あなたたちは『永遠』を誓ったんでしょう? #T&M Forever。赤ちゃんは、その証拠ね」


 会場は騒然となり、泰造の杖が床を叩く音が響く。報道陣の声が重なり、「妊娠発言!」「近親相姦疑惑に新たな展開!」と叫びが飛び交う。


 拓也の瞳が大きく見開かれ、膝から崩れ落ちた手が私の裾を掴む。


「瑞穂、瑞穂ぉ……」


 掠れた声が、喉の奥から絞り出される。醜い涙が青白い頰を伝い、床に落ちる音が小さく響く。スポットライトの下で、彼の目の下は落ち窪み、かつての自信は跡形もなく消えていた。私は静かに裾を振り払い、脚を掴んだ彼の指を一本ずつ外した。震える冷たい指先が、私の肌から離れる感触が妙に生々しかった。


 私は踵を返し、ステージへと戻る。緞帳から現れたスタッフが、サファイアのように青い花束を、目を細め微笑みながら手渡してくれた。花束を受け取り、深く一礼する。会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。私のBroken Vowsは、観客の胸を貫き、静かな涙を誘っていた。


 スポットライトの下で、私はマイクを握り直した。声は静かで、でもしっかりと響く。


「このコレクションのインスピレーションは、佐々川さん......あなたたちから生まれたの」


 客席の拓也と麻里奈の姿が、はっきり見えた。拓也は青ざめ、膝から崩れ落ちるように座り込み、麻里奈は唇を噛みながら肩を震わせている。泰造は杖を握りしめ、動かなくなっていた。


「破られた誓い、砕けた永遠、傷ついた絆。それを、私はジュエリーに変えた。欠けたサファイアは、私の痛み。ひび割れたリングは、あなたたちの裏切り」


 会場が息を呑む。拍手が一瞬止まり、再び爆発する。マスコミのカメラが容赦なく二人を捉え、フラッシュが閃く。私は花束を抱き、ゆっくりと語り続けた。


「このリングはあなたたちに見せたくて作ったの。受注は過去最高、皮肉ね」


 拓也の瞳に、初めての本当の絶望が浮かぶ。麻里奈は嗚咽を漏らし、泰造の杖が床に落ちる音が響く。私はサファイアのリングを指に嵌め直した。ひび割れたサファイアが、光を散らして青く輝く。


「私の傷は、もう光になった。あなたたちの闇は、世界の目に晒された」


 私は微笑んだ。冷たく、穏やかに。それは、5年間の私へのさようならでもあった。


「これで、本当にさようなら」


 スポットライトが私を追いかけるが、私は振り返らずにステージを降りた。拍手が背中を押し、会場を震わせる。終わった……頬を熱い涙が一筋流れた。でもそれは、もう悲しみの涙ではなかった。ようやく自由になった、私の涙だった。


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