王都から逃げたら、森でカフェと勇者様を手に入れました ~スローライフ希望の私に、過保護な愛はオプションですか~
カラン、と澄んだ音が鳴った。
木の扉につけた小さなベルが、朝の静かな森に響く。私はカウンターの中で、そっと顔を上げた。
「おはよう、ユイ」
いつもの低い声。振り向かなくても、誰かは分かる。
「……レオン、開店前って言ったよね?」
「分かってるよ。でも、朝の一杯は俺の特権だろ?」
入り口で笑っているのは、この国の勇者、レオン・アルバート。金色の髪に、青い瞳。物語の中の王子様、みたいな人。
でも今は、毎朝勝手にカフェの椅子に座って、当然の顔でモーニングを頼む、常連さんだ。
「特権なんてあげた覚えはないけど」
「俺がモンスターから守ってるんだから、いいだろ?」
「ここ、森のいちばん平和な場所なんだけど」
「それでも、もしもの時のためだ」
レオンはそう言いながら、いつもの席に腰かけた。窓際、陽の当たるいちばんいい場所。いつの間にか、そこが彼の指定席になってしまっている。
「今日も、森のハーブティーでいい?」
「ユイのおまかせで」
私は小さくため息をついて、笑った。
「じゃあ、今日はミントとカモミールね」
棚から乾燥させたハーブを取り出す。お湯を沸かして、ポットに落とす。ふわっとやさしい香りが広がって、私の胸の奥まで温めていく。
ここは、森の外れの小さなカフェ。
名前は「ゆらぎ」。薬草とお茶、簡単なスイーツを出すだけの、のんびりしたお店だ。
オープンして、もう3ヶ月。
あのブラック企業みたいな王都の生活から逃げてきて、本当によかった、と毎朝思う。
……うん、やっぱり思い返すと、王都時代はなかなかにブラックだった。
異世界召喚されたのが、そもそもの始まりだ。
会社帰りに電車で寝落ちして、気づいたら王様の前で正座させられていて。
「君は聖女候補だ。この国のために尽くしてほしい」
なんて言われて。
聖女候補は私を含めて3人いたけれど、ステータスを見た結果、私だけが微妙にハズレだったらしい。
攻撃魔法も治癒魔法も中途半端。唯一高かったのは、「生活魔法」と「薬草知識」。
そのせいで、聖女チームの雑用係みたいな扱いになった。
回復薬の仕込み、衣装の修繕、部屋の掃除、勇者パーティーのご飯。気づけば、ほとんどの家事を押しつけられていた。
その勇者が、今、目の前で当然のようにハーブティーを受け取っている人、なんだけど。
「今日は甘いのも欲しい気分だな」
レオンが、ポットから立ちのぼる湯気を眺めながら、ぽつりと言った。
「昨日だって甘いの食べてたでしょ」
「昨日のは昨日。今日は今日」
「子どもか」
「ユイのスイーツは、世界一なんだ。毎日でも食べたい」
さらっと、とんでもないことを言う。
この人は昔から、こうやって、すぐに私の心拍数を上げにくる。
「……じゃあ、ラベンダークッキー焼いてあるから、それで我慢して」
「やった。今日も来てよかった」
レオンは本当に嬉しそうに笑う。その笑顔に、私は負けてしまうのだ。
カウンターの奥でクッキーの皿を用意しながら、私はこっそり息を吐いた。
ここに来て、毎日、私はスローライフを満喫している。
朝、森の小道を歩いてハーブを摘んで、厨房で仕込みをして、昼間だけお店を開けて。夜はランタンの灯りを眺めながら、本を読む。
なのに。
なのに、どうして、勇者様が毎日通ってくるのか。
私はクッキーをお皿に並べながら、いつもの疑問を口の中で転がした。
「今日も王都には行かないの?」
気づいたら、聞いていた。
レオンはハーブティーをひと口飲んでから、あっさりと首を横に振る。
「行かない」
「勇者の仕事、放り投げてない?」
「ちゃんとした用事は、もうほとんど終わってる。討伐依頼は他のパーティーにも回してるし」
「でも、勇者って、国の顔みたいなものでしょ?」
「顔ならここにもあるだろ」
「どこの理論?」
私は思わずツッコミを入れてから、きょとんとするレオンを見た。
このやりとりも、もう何度目か分からない。
レオンは、私が王都から逃げるように出てきた時、当然のような顔でついてきた。
『ユイがいないと困る』
そのひと言だけを残して。
最初は、てっきり王都に連れ戻しに来たのかと思った。
でも、違った。
彼は私の隣に立って、森の土地を一緒に探して、カフェ作りを手伝ってくれて。
気づけば、オープン当日までずっと、一緒にいた。
……それなのに、正式な話は、何もない。
私の中だけが、一方的にドキドキしている。
そんなの、ずるい。
「ところでユイ」
「なに?」
「今日、王都から使いが来るって」
「え」
私は手に持っていた布巾を落としそうになった。
「ちょっと待って。初耳なんだけど」
「さっき、村の入り口で見た。王都の紋章入りの馬車だった。こっちに向かってたから、たぶんここに来る」
「なんで、最初にそれ言ってよ!」
「今、言った」
「そういうことじゃなくて!」
胸のあたりが、いやな予感でざわつく。
王都の使いが、こんな森の小さなカフェに来る意味なんて、1つしか思い浮かばない。
まさか、戻れ、とか言われる?
やっと見つけたスローライフ、やっと手に入れた静かな毎日。
それを、また手放さなきゃいけないの?
「……ねえ、レオン」
「ん?」
「もし、私に戻ってこいって言われたら、どうしよう」
自分の声が、ほんの少し震えているのが分かる。
レオンは、静かにカップを置いた。
「ユイは、戻りたいのか?」
その問いかけに、私は即答した。
「やだ」
「だよな」
彼は、少しだけ、安心したように笑った。
「じゃあ、戻らなくていい」
「そんな簡単に言わないでよ。相手、王様とかだよ?」
「王様でも関係ない」
レオンは、まっすぐに私を見る。
青い瞳が、真剣に揺れた。
「俺は勇者だ。ユイを守るために剣を振るうのは、前から変わらない」
「でも、今守るべきは国じゃないの?」
「国は、もう十分守った。これからは、ユイの番だ」
さらっと、また心臓に悪いことを言う。
本当に、この人、ずるい。
返事ができずにいると、カラン、と、また扉のベルが鳴った。
振り返ると、立派な服を着た、中年の男性が立っていた。後ろには兵士っぽい人が2人。
ああ、完全に、王都の使いだ。
「こちらが、森の……ゆらぎ、でよろしいかな?」
「は、はい。店主のユイです」
思わず姿勢を正してしまう。
男性は私を見て、目を細めた。
「やはり。聖女候補ユイ殿であったか」
「元・ですけど……」
私は小さく付け足した。
「本日は、王都より勅命を伝えに参った」
ああ、やっぱりそうきた。
「聖女候補ユイ殿。王都へ戻り、再び聖女として務めを果たしていただきたい」
ほら来た。
どうしよう、どうしよう。
断りたい。でも、どう断ればいいのか分からない。
言葉が出てこなくて、私は固まった。
「断る」
代わりに、隣から即答が飛んだ。
「レオン!」
私は思わず振り向いた。
レオンは椅子から立ち上がり、使者の前にすっと立つ。
「レ、レオン様……」
使者の男性は慌てたように頭を下げた。
「ご無沙汰しております、勇者レオン様。ですが、これは王命で――」
「王命だろうとなんだろうと、ユイはここから離さない」
レオンの声は静かだけど、いつもより少し、低い。
「ユイは聖女としてより、ここの店主としての方が、うまくやれてる。王都にいた頃より、ずっと楽しそうだ」
「そ、それは……」
「それに、王都はもう平和だ。魔王も倒したし、聖女の力を必要とする場面も減っている。だからこそ、彼女は彼女の人生を歩むべきだ」
1つ1つ、落ち着いた声で言葉を重ねていく。
使者は言い返せないようで、困った顔になった。
「しかし、陛下はユイ殿の力を高く評価しておられ――」
「評価するだけで、ちゃんと見てなかっただろ」
レオンが、少しだけ笑った。
「ユイは、ただの聖女候補なんかじゃない。俺にとっては、もっと大事な人だ」
どくん、と、心臓が跳ねた。
え、今、さらっと、とんでもないことを言わなかった?
視線が一斉に私に集まる。レオンの声が、店の中に静かに響く。
「ここから連れ戻そうとするなら、俺は勇者の称号を返上する」
「なっ……!」
使者の顔色が変わった。
そりゃそうだろう。勇者がやめるって、軽い話じゃない。
「さすがに、それは……」
「俺は本気だ」
レオンの目は真剣だった。
どこにも逃げ場がないほど、まっすぐな視線。私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
そんな風に、守ろうとしてくれているなんて。
「……ユイ殿」
使者は、今度は私の方を見てきた。
「あなたの意思も聞きたい。王都へ、戻る気持ちはありますか?」
静かな問いかけ。
私は一度、深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
ここに来てからの毎日を思い返す。
朝の森の空気。お客さんたちの笑顔。自分の手で入れたハーブティーを「おいしい」と言ってくれる声。
それから、毎日当たり前のように隣にいて、笑ってくれるレオン。
「……ありません」
自分でも驚くほど、はっきりと言えた。
「私は、ここで生きていきたいです。聖女じゃなくて、ただのユイとして」
使者は、ゆっくりと目を閉じた。
「勇者様がそこまでおっしゃるとは、正直、想定外でした」
そう言って、小さくため息をつく。
「分かりました。ユイ殿の意思と、勇者様の言葉、そのまま王にお伝えします」
「本当に?」
「はい。王も、無理やり縛ることは望んでおられませんでした。ただ、直接言葉を聞きたかったのです」
そう言って、使者は深く頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたしました。どうか、お元気で」
そして、彼らは来た時と同じように、静かに去っていった。
扉のベルが、最後にもう一度だけ鳴る。
森の静けさが戻ってきた。
私は、力が抜けたように、その場にへたり込みそうになった。
「……はあぁぁ……」
「お疲れ」
レオンが苦笑しながら、私の隣にしゃがむ。
「びっくりしたあ……。心臓に悪すぎるんだけど」
「ごめん。でも、ちゃんと伝えられてよかったな」
「うん……」
王都に戻らなくていい。
その事実が、じわじわと実感になって、胸いっぱいに広がっていく。
「レオン」
「ん?」
「さっきの、勇者やめるって話、本気だったの?」
「本気だ」
即答だ。
「ユイが困ってるのに、何もしない勇者なんて、なる価値ないだろ」
「でも、それだとレオンの立場が――」
「立場より、ユイの方が大事だ」
また、さらっと。
どうしてこの人は、そんな当然みたいな顔で言えるのだろう。
「……じゃあさ」
気づいたら、口が勝手に動いていた。
「そこまで言うなら、ちゃんと言ってよ」
「ちゃんと?」
「ごまかさないで。さっき、途中まで言ってたでしょ」
私はレオンを見上げる。
「私のこと、なんだって?」
レオンは、少しだけ、目を見開いた。
それから、観念したように、微笑む。
「ユイは、俺にとっていちばん大事な人だ」
ゆっくりと、噛みしめるように。
「王都から逃げ出すって聞いた時、正直、焦った。もう二度と会えなくなるかもしれないって思ったら、胸が苦しくてさ」
そんな顔、ひとつも見せなかったくせに。
「勇者としてじゃなくて、1人の男として、ユイの隣にいたい。ユイが笑ってる場所を、一緒に守りたい」
心臓がうるさい。耳まで熱くなっていく。
こんな告白みたいな言葉、どう返せばいいのか分からない。
「……つまり?」
情けないことに、私はそう聞き返してしまった。
レオンは、ちょっとだけ照れたように笑って、はっきりと言う。
「好きだよ、ユイ」
シンプルすぎて、逃げ場がないひと言。
頭が真っ白になって、それから、真っ赤になった気がする。
「……今さらだよ」
やっとそれだけ言えた。
「え?」
「だって、もう気づいてたし」
毎日通ってくる時点で、気づかない方がおかしい。
私のために森の土地を探して、一緒にお店を作ってくれて。今日だって、王都から守ってくれて。
「レオンがそういう顔で笑うたびに、どれだけこっちの心臓がうるさかったか、分かってないでしょ」
「ユイ……?」
「だから、その……」
言葉が舌の先でからまる。
でも、さっき、王都に戻らないって決めた。だったら、これもちゃんと、言わないと。
「私も、レオンのこと、好きだよ」
小さな声だったけど、レオンには届いたらしい。
彼は一瞬、ぽかんとした顔になって、それから、信じられないくらい優しい笑顔になった。
「本当に?」
「嘘ついてどうするの」
「……よかった」
レオンは、ほっと息を吐いて、その場に座り込んだ。
「勇者やめる覚悟より、今の方が緊張した」
「どんな勇者」
思わず笑ってしまう。
笑いながら、気づく。
ああ、本当に、よかった。
王都に戻らなくていい。
ここで、レオンと一緒に、スローライフを続けていける。
「じゃあ、これからも毎日来てもいいか?」
「どうせ来るでしょ」
「もちろん」
即答だ。
「じゃあ、その代わりに、ちゃんと働いてよね」
「え?」
「このカフェ、公認の勇者バイトってことで。荷物運びとか、薪割りとか、森の案内とか、いろいろやってもらうから」
「勇者がバイトでいいのか?」
「勇者がバイトだから、話題になるかもよ」
「それもそうか」
レオンは笑う。
「じゃあ、これからは勇者兼ユイ専属店員ってことで」
「勝手に肩書き増やさないで」
そんな他愛のない会話をしながら、私は立ち上がった。
「そろそろ、開店時間だよ」
「あ、そうか。今日の日替わりは?」
「森のベリータルトと、ハチミツミルクティー」
「絶対頼む」
「お金はちゃんと取るからね」
「恋人料金は?」
「そんなのありません」
「え、今、恋人って否定しなかったよな?」
「……うるさい」
顔が熱くなって、私は慌ててカウンターの中に戻る。
レオンの笑い声が、心地よく耳に残った。
扉のベルがまた鳴って、村の人たちが、少しずつ入ってくる。
私は笑顔で声をかけた。
「いらっしゃいませ。森のカフェ・ゆらぎへようこそ」
今日も、ゆっくり、穏やかな1日が始まる。
勇者様で、恋人になった人が、隣で笑っている。
――これ以上のスローライフなんて、きっとない。
私はそう思いながら、新しいティーカップに、お湯を注いだ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
森のカフェでのスローライフと、ちょっと不器用な勇者の溺愛、少しでも楽しんでいただけたならうれしいです。
今回の短編は、
・社畜卒業してスローライフを満喫したい主人公
・なのに毎日通ってきてしまう勇者様
・カフェという閉じた空間で少しずつ距離が縮まっていく2人
をイメージして書きました。
もし
「続きが読みたい」
「2人のその後の甘々な日常が気になる」
「森のカフェに通いたい」
と少しでも思っていただけましたら、
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・感想
を入れてもらえると、とても励みになります。
数字やひと言の感想が、本当に次の作品を書く力になります。
また、
・こんなスローライフも見てみたい
・こういうシチュエーションの話が読みたい
といったリクエストも大歓迎です。
可能な範囲で、今後の作品づくりの参考にさせていただきます。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
これからも、ほっと一息つけるような異世界恋愛をお届けできたらと思います。
もしよろしければ
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