2 転生
ふと、意識が浮上したような感覚に僕は目を開けた。
薄っすらと開けた目にぼんやりと天井が見える。
やれやれ。
どうやら悪い夢を見ていたようだ。
自分の弟に殺される夢なんて碌なもんじゃないな。
笑い話にもなりはしない。
ましてや自分の恋人にも裏切られるなんて…。
それにしてもどうしてこんなに視界がぼんやりとしているんだろう。
目をこすろうとして、自分の手が思うように動かない事に戸惑う。
何だ、この手は?
まるで生まれたばかりの赤ん坊の手みたいじゃないか。
おまけにすぐ近くで赤ん坊が泣いているような声が聞こえるが、どういう事だ?
僕は目をしばたくと、もう一度天井を見つめた。
ぼんやりと見える天井はどう見ても自分の部屋の天井ではなかった。
ここは何処だ?
見覚えのない天井に僕は困惑を隠しきれない。
まさか、さっきの出来事は現実で、僕は怪我をして病院に搬送されたのだろうか?
だが、呼び出されたのは三十階建てのビルの屋上だ。
おまけに下はアスファルトが敷かれた駐車場だった。
あの屋上から落ちて生きているなんて、まずありえない。
たとえ奇跡的に助かったとしても、骨折は免れない筈だ。
なのに何処も痛い所は感じられない。
自分が置かれている状況がわからない僕の耳に誰かのの話し声が飛び込んできた。
「リリベットが産んだのは双子だったとはどういう事だ!」
押し殺したような声だったが、すぐ近くで聞こえたのは確かだった。
僕は声がした方へ顔を向けると、二人の人物が目に入った。
一人は真っ白な白衣を身に着けていて、いかにも医者だとわかる装いだ。
対する人物は白いシャツに黒いズボンという出で立ちだったが、どこか異質なオーラを放っていた。
「は、はい。陛下。王妃様はまずはこちらに寝かされている王子をお産みになりました。その後お休みになられましたので、王子に産湯を使わせた後、侍女長と私だけがこの場に残っておりました。すると、先ほどまた王妃様が産気づかれまして、今侍女長が抱いている王子をお産みになられたのです」
医者の言葉に僕は驚愕した。
僕が生まれたばかりの王子だって!?
…て事は…。
僕は転生したってこと!?
なんて事だ!
それじゃ、さっきの記憶は夢じゃなくて現実だったのか…。
僕は本当に弟に殺されたのか。
しかも恋人にまで裏切られて…。
転生した事の嬉しさより、弟に殺されたという現実が重く僕の心にのしかかる。
「…そうか。それではこちらが弟だな」
その言葉が聞こえた途端、白いシャツの男性の顔が僕の目に映り、何かが顔面に押し当てられた。
く、苦しい!
窒息する!
タオルのような柔らかい物が顔全体を覆って息が出来ない。
バタバタと手足を動かし、顔を左右に振ろうとするが思うように身体は動かず、息苦しさから逃れる事は出来なかった。
明らかに赤ん坊である僕を窒息死させようとしている。
転生したばっかりで、また殺されるのか!?
何で生まれたばかりの赤ん坊の僕を殺すんだ!?
「陛下! おやめください!」
医者の怒鳴り声と同時に僕の顔からタオルが取り除かれ、ようやく息が出来るようになった。
それと同時に僕の口から赤ん坊の泣き声が発せられる。
だけど、泣いている僕を抱き上げてあやしてくれる人は誰もいなかった。
やがて泣き疲れた僕は徐々に声を落としていく。
「いくら陛下でも赤ん坊を殺したとなるとただでは済みませんよ!」
「わかっておる! だが、王家に呪われた男の双子は必要ない! せめてどちらかが女か、二人共が女であれば良かったのに…」
呪われた男の双子?
よくはわからないが、どうやらこの世界では男の双子は忌み嫌われるものらしい。
だが、先に生まれたのは僕の方なんだろう?
なのに、どうして僕が弟になるんだ?
そこで、ふと思い出した。
昔は先に生まれた方が弟で、後から生まれた方を兄とする風習があった事を。
どうやらこの世界もそんな風習のようだ。
「このままこの子を生かしておいては必ず後継者争いが起こる。だからこの子は今のうちに秘密裏に処理しなくてはならんのだ…」
父親の言葉には何処か辛そうな響きがあった。
そりゃ誰だって生まれたばかりの自分の子供を好きこのんで殺したりしたくはないよね。
それにしても…。
前世でも財産争いで弟に殺されたのに、転生した先でも弟のために兄の僕が排除されるのか…。
こっちの世界では先に生まれた僕が弟らしいけどね。
しばらくの沈黙の後、父親が再び口を開いた。
「…サラ」
「は、はい、陛下」
どうやら、「サラ」と言うのは侍女長の名前らしい。
「済まないが、この子を何処か遠くの孤児院に連れて行ってくれ」
「…かしこまりました。…あの、王妃様には…」
「リリベットには何も言うな。リリベットは双子を産んだ事を知っているのか?」
これは医者に質問したもののようだ。
「いえ。意識が朦朧とされておりましたので、最初の王子の胎盤が排出されたと思われているようで…」
「そうか。では、双子が産まれたのを知っているのは私達三人だけだな?」
「「…はい」」
「では、この事は他言無用だ。万が一、何処かで噂になったりした時は…。分かっているな」
「「かしこまりました」」
それから僕は誰かに抱き上げられた。
父親と同じくらいの年齢の女性だったから、この人がサラなんだろう。
「陛下、せめて一度、抱かれては?」
サラが僕を父親の方に差し出したが、父親は首を振ってそれを拒否した。
「いや、いい。今ここで抱いては決心が鈍る」
ああ、なんて可哀想な僕。
実の両親に抱きあげられる事もなく捨てられるのか?
「では、せめてお名前だけでも…」
まさか、名付けまで拒否したりしないよね。
僕はドキドキしながら父親の返事を待った。
「…この子はエドアルドだ」
「かしこまりました。それではエドアルド様を連れて行きます」
サラはそう言って僕を連れてその場から出て行く。
待って!
せめて僕の兄弟の名前を教えてよ!
そう言いたいのに僕の口からは「アー、アー」という声しか出て来ない。
サラはそんな僕に軽く微笑むと廊下を進んで行き何処かの部屋に入った。
僕を一旦台の上に下ろすと、僕の視界から消えた。
ガサガサと何かを探しているような音がしていたが、やがて僕の隣に籐で編んだような籠が置かれた。
サラは僕を抱き上げるとその籠の中に僕を寝かせる。
「エドアルド様、どうかお許しください」
サラはそう呟くと籠をすっぽりと布で覆った。
おかげで僕は周りの景色が何も見えなくなった。
この籠を見た人も中に赤ん坊が入っているなんてわからないだろう。
籠が持ち上げられたような浮遊感の後、何処かへ運ばれているような感覚を覚えた。
ユラユラとした揺れが気持ちよくていつの間にか僕は眠ってしまったのだった。