其の十八 其の後の人々
最終回です。よろしくお願いします。
いわゆるエピローグってやつです。
はじめに
物語としては前回の「其の十七 差出の磯 結城無二三、天に召される」で終わりましたが、無二三とイビー以外の主な登場人物のその後と、色々な補足回です。(登場人物は主に無二三とイビーに関わった人々です)
【人名】
(簡単な内容)
この形式で書いていきます。
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【結城禮一郎】
結城禮一郎は大正五年(1916年)に「玄文社」を設立します。
この玄文社は『新演芸』、『新家庭』、『花形』の雑誌を刊行。(本作の参考文献の「旧幕新撰組の結城無二三:お前達のおぢい様」もこの玄文社から出版(1924年))
彼は色々なアイデアマンで先を見通す能力があったようです。
既に昭和初期に雑誌や新聞は横組みにすべきだ、と実際にパンフレット形式ですが出していました。
また、同時期には「東京の中心は新宿に移る」とか、「ビルディングではなく、地下の施設が重要」、などと発言していたとか。
演劇方面では宝塚歌劇団の帝国劇場での公演を主催して、これが東宝株式会社の設立へと繋がります。
本格的に勃興して来た関西の漫才を見て、「こんな面白いものを東京で見ることが出来ないのはもったいない」と彼らを東京へ呼んだりとしていたので、関東における関西漫才の足掛かりを作った一人です。
食道楽だったらしく、その死因は父の無二三と同じく胃癌。
父と同じく病状は自覚し家族には隠していました。
昭和十四年(1939年)十月に死去。
享年六十一歳。
終生、徳富蘇峰の弟子であったことを誇りとしていました。
また、この結城親子の師であるイビーに対しては「日本を愛すること母国のカナダ以上であった」、「まるで東洋風の豪傑」と表現しています。
【結城(前田)マツ】
無二三の妻のマツは、「旧幕新撰組の結城無二三:お前達のおぢい様」が出版される前年の大正十二年(1923年)に死去。
享年六十八歳。
【結城トヨ(古屋登世子)】
無二三とマツの長女。禮一郎のすぐ下の妹。明治十三年(1880年)生まれ。
あまり出番はありませんでしたが、明治三十五年(1902年)年に文部省による中等教育検定英語試験で合格。初の女性合格者です。
大阪で「古屋女子英学塾」を創始。
彼女もかなりの波乱万丈の人生を送っています。
同じく関西に住んでいた妹の二女のマサ(正子)の夫とその関係者たちとの間で、この「古屋女子英学塾」の経営に関してゴタゴタを起こしました。
彼女を主役にした話も出来そうなので誰かやって下さい。
昭和四十五年(1970年)に死去。
享年九十歳。
ちなみに妹の三女のトミ(多美子)は、田邊宗英(1881年~1957年)の妻です。
なんかすごくねーか、この結城一族!
【今井信郎】
元見廻組。はたして彼が坂本龍馬を斬ったのか?
供述では自身は見張り役で、実行犯は既に戊辰戦争で戦死した者たちをあげました。
殺害理由は「寺田屋事件」で龍馬が2人の同心を銃で殺しているので、公務として行ったと主張。
小太刀の名人なので、あのような狭い部屋では今井が実行役に違いない、と無二三と禮一郎は信じていたようです。
今井は直心影流男谷派を修めていますが、この流派の祖は男谷信友(1798年~1864年)。
この男谷信友。勝海舟とは親戚関係に当たります。
龍馬は師である海舟の親戚の剣によって斃されたのでしょうか……。
大正七年(1918年)に死去。
享年七十六歳。
【赤松大三郎(則良)】
旧幕臣。無二三の沼津の兵学校時代に畜産を教えた師。
別に畜産が専門ではありません。
「日本造船の父」として有名です。
大正九年(1920年)に死去。
享年七十八歳。
【江原素六】
旧幕臣。沼津の兵学校の設立者の一人。
上記の赤松の畜産の話には、彼も興味を持ち、無二三と共に学んでいました。
この縁で後々結城家は色々と彼の世話をしてもらっています。
更に禮一郎の息子たちの慎太郎と雄次郎(裕次郎ではないんですね……)の麻布中学への入学まで世話をしています。
禮一郎は「江原素六先生伝」も出しています。
結城家三代の師。
大正十一年(1922年)に死去。
享年八十歳。
【山中笑(共古)】
無二三が最初に赴任した静岡教会の牧師。
民俗学者としても有名。
息子の塩は禮一郎と同様に國民新聞社に入っています。
昭和三年(1928年)に死去。
享年七十八歳。
【平岩愃保】
本作ではひどい悪役として書いてしまいましたが、無二三や禮一郎視点では、どうしてもこうなってしまいました。
女学校の設立と運営に奔走してた人。
最初の奥さんを亡くしてから、日本における女性への教育に重視した活動を一貫して行っていました。
昭和八年(1933年)に死去。
享年七十六歳。
【デイヴィッドソン・マクドナルド】
もう一人の悪役。
「マクドナルド内閣」と禮一郎が呼ぶほど、その影響力は強く、少数派のイビーたちは何かとひどい目にあわされていました。
明治三十八年(1904年)にカナダへ帰国。
翌明治三十九年(1905年)に死去しますが、その死因は日露戦争で日本軍の旅順攻略の勝報を聞いて、興奮し大いに喜びすぎて、心臓マヒを起こしたともされています。
享年六十九歳。
【飯島信明/中沢徳兵衛】
共に無二三を支えた山梨の実業家たち。
無二三は晩年に禮一郎に対して「あの二人には何もしてあげられなかったから、お前が彼らの力になってくれ」と懇請。
中沢新一氏の曾祖父がこの中沢徳兵衛です。
飯島信明は昭和八年(1933年)に死去。享年七十五歳。
中沢徳兵衛は昭和十二年(1937年)に死去。享年八十歳。
【甲斐田立道】
生没年不詳。少年期の禮一郎を鍛えたスパルタ教師のお坊さん。
無二三たちが八幡村を離れてからほどなく死去したので、無二三よりかなり年上でしょうか?
【ハーパー・ハヴロック・コーツ】
中央会堂のイビーの助手。
その後ずっと日本の地に留まり伝道だけでなく、日本の神道や仏教を初めとする日本文化の研究もしていました。
大正十四年(1925年)に「法然上人行状絵図」を石塚龍学(1881年~1945年)との共訳による英語版を出しています。
昭和九年(1934年)に名古屋で死去。
享年七十歳。
【サラ・アグネス・ウィントミュート】
コーツの妻で山梨英和女学校の初代校長。
大積寺があわや抵当流れになる寸前の無二三を義金を募って助けました。
多分、名前を出した中で一番の激動の人生を送った人。
彼女は日本で亡くなった夫のコーツと同じく、生涯を日本の地で暮らすことを決心します。
太平洋戦争勃発後、カナダの家族からの帰国要請を無視し、戦時下の東京に留まり続けます。
昭和二十年(1945年)三月の東京大空襲で被害を免れた、神田駿河台のニコライ堂にて同年六月に死去。
享年八十一歳。
【エドワード・ガントレット】
中央会堂のパイプオルガン奏者。
イビーに請われて来日。当初は若者らしくイビーをはじめ周囲の人々に、イタズラやドッキリを仕掛けては楽しんでいたムードメーカーだったようです。(よくイビーに叱られていた)
妻は山田(ガントレット)恒(1873年~1953年)。
その弟が山田耕筰(1886年~1965年)。
ウィントミュート同様に第二次世界大戦中は日本に留まり続けます。(主に軽井沢)
戦後は日本の外交官たちに英語を教えながら昭和三十一年(1956年)に死去。
享年八十七歳。
【徳富蘇峰】
國民新聞の主宰。あまりの著名人なので詳細な説明はしません。
禮一郎の死後、その墓碑に「蘇峰門人 結城禮一郎之墓」と刻みました。
昭和三十二年(1957年)に死去。
享年九十四歳。
【徳冨蘆花】
蘇峰の弟。小説家。
無二三がモデルとされる「東三郎」が出ている「黒潮」は未完です。
昭和二年(1927年)に死去。
享年五十八歳。
【山路愛山】
禮一郎が國民新聞社に入るきっかけを作った人で、後に信濃毎日新聞に来るように懇請した人物。
禮一郎からすると恩人ですが、妹のスエの死去の間接的な原因を作ったので、禮一郎はその後、彼とは距離を置くようになります。
大正六年(1917年)に死去。
享年五十二歳。
【茅原華山】
信濃毎日新聞のライバル長野新聞の主筆。
山路は「茅原は編集が上手い」と脱帽で禮一郎を記者として長野に呼びました。
山路を慌てさせたかなりのやり手。
昭和二十七年(1952年)に死去。
享年八十二歳。
【橋本徹馬】
無二三が晩年期にやっていた養鶏を手伝っていた若者。
後に憲政擁護運動や労働運動と政治面で活躍。
上記の茅原華山とも親交があったようです。
平成二年(1990年)に死去。
享年百歳。
えっ、弘化二年(1845年)と江戸時代生まれで、元新撰組隊士の無二三と面識があった人が、平成初期に亡くなっていた!?
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色々書くと長くなるので、これで終わりです。
結城無二三の波乱万丈の人生にお付き合いしていただいてありがとうございました。
其の十八 其の後の人々 了
伝道師と為った、新撰組隊士 結城無二三伝 完結
「伝道師と為った、新撰組隊士 結城無二三伝」を読んでいただいてありがとうございます。
これを書くきっかけは、何年か前に実家にあった文春文庫の「男たちの明治維新 エピソード人物史」をたまたま読んだことです。
その中の「結城無二三」のエピソードを読んで「面白い人だな」とずっと思っていました。
「秋の文芸展2025」のテーマが「友情」と発表されてから、このことを思い出し、無二三とイビーの話で作れそうだと色々調べ始めました。
もちろん私のさまざまな創作も盛り込んでいるので、禮一郎による今井信郎が坂本龍馬を斬った場面の如く、一種の娯楽読み物のように、楽しんでいただけたら嬉しいです。
去年(2024年度は完全な自分の趣味をまるだし……)を除くと、2022年度、2023年度、そして今年(2025年度)と、この秋の企画は宗教的なものを書いてて自分でもびっくりしています。(私、そんなに信心深い人間じゃないのに……)
改めて、ここまでのおつきあい、ありがとうございました。m(__)m
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