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2.煉獄の業火


「まだ心配なのかい?」


「はい。……胸騒ぎがするんです」


 旦那様は、十分すぎるほどの軍を整えました。これなら、魔王に勝てるはず……です。


「かの魔王が持つ聖剣は、持ち主に絶大な力を与えると言われている。これはチャンスでもある」


 旦那様は、グッとこぶしを握り気力を高まらせました。それから、私を見るとにっこり笑顔で言います。


「もし失敗しても、君の力があれば、やり直せる希望があると信じている」


「はい……頑張ります」


 まだ上手く魔力のコントロールはできていませんが、泣き言を言ってはいられません。

 旦那様は、私と違い戦場に向かわれるのですから。


 旦那様は、私をギュッと抱きしめると、笑顔で言いました。


「では、行ってくるよ」


「どうか……お気を付けて」


 私は、魔王を迎撃するために出陣する旦那様を見送りました。


◇ ◇ ◇


 国中から、集まった男たちが出発していきます。すべての軍が、王都から出立したのを見送ってから私は行軍には加わっていない神官アウリスに尋ねました。


「それにしても、魔王はあの日どのようにして、王都に入り込んだのでしょうか」


 アウリスはあの日の夜に旦那様の死を伝えに来た神官です。

 あの時の状況をアウリスたちからは、何も聞けていません。

 旦那様が死んだ時まで、魔王軍が迫っているような話は一言もありませんでした。


「アウリス、魔王軍は、どのくらいの規模なのでしょうか?」


 私の質問に、アウリスは困ったような顔をしました。


「いえ、軍というか、その……魔王は単身こちらに向かって来ているようで……」


「単身とはいったい?」


 どうやら偵察にでた部隊の話によると、魔王は一人でこちらに向かってきているとのことでした。


 しかし、私がもっと詳しく聞こうと、アウリスに質問しようとした瞬間――


 ゴゴゴゴゴォーーン!


 轟音と共に、火柱が上がりました。

 ちょうど王都を出たあたり、ちょうど旦那様が進軍していると思われる場所です。


「えっ?」


 私は呆然と空を見上げます。

 天を裂く火柱は大地をえぐり、赤黒く渦を巻き、空を染めまるで天と地を繋ぐ絶望の塔のようでした。焦げた風は肉の匂いを含み、熱波は王都の壁を越え私たちの肌を刺しました。遠くの空が怒り狂う赤に染まり、太陽すらその色合いに負けています。耳をつんざく、爆音が続き石畳まで震えています。


「一体何が……」 


 その炎はただ燃え広がるだけではありません。大地を貪り、木々を喰らい、空気さえ燃え尽きさせるような巨人に見えます。まるで世界を丹念に壊して行くような悪意の炎そのものです。


「リュミエール様、ここは危険です! 召使いたちと一緒にお逃げください! 私は状況を確認してまいります!」


 アウリスはそれだけ言い残すと、灼熱の風に逆らうように駆け出していきました。


 彼の背中が小さくなっていく中、燃え盛る炎の轟音がさらに大きくなり、鼓膜を突き破るような感覚に襲われました。私はただ、その場で足がすくみ、動けませんでした。


 アウリスと入れ違い専属メイドであるエルザが駆け寄ってきました。彼女は強く私の手を掴むと震える声で叫びます。


「リュミエール様こちらです! 裏手から逃げましょう!」


 私は半ば引きずられるようにエルザに導かれ、裏門へと急ぎます。しかし、その途中で耳元を裂くような爆音が響き、足元の石畳が崩れ落ちました。

 背後を振り返ると、王宮の一部が炎に飲み込まれ、崩れ落ちていくのが見えました。


 熱波が背中を押し、呼吸をするたびに肺が焼けるような痛みが走ります。煙が立ち込め、視界はほとんど遮られました。


「エルザ、ここはどこ……?」


「リュミエール様、もう少しで裏門です! しっかり掴まって!」


 しかし、エルザの声は炎の轟音にかき消され、彼女の手の感触だけが私を現実につなぎ止めていました。

 辺りからは、人々の悲鳴と泣き叫ぶ声が混ざり合い、恐怖が辺りを支配しています。


 「どうしてこんなことに……!」

 私は口元を押さえながら、涙で滲む視界の中で立ち尽くす人々を目にしました。燃え盛る家屋から逃げ出そうとする家族、道端で動かなくなった人々、そして誰もが必死に命を守ろうと走り回っています。


 ようやく裏門が見えて、少し安堵したそのときです。


 エルザが急に立ち止まりました。


「リュミエール様、伏せて!」


 彼女が私を力強く地面に引き倒した直後、轟音と共に大きな手のような形をした炎が、私より前を逃げていた人々を飲み込みました。人々の悲惨な絶叫が耳をつんざきます。周囲はもはや業火による地獄絵図です。


「リュミエール様、裏門ももうダメなようです。別のルートを探しましょう」


 エルザの声には焦りが滲んでいました。それも当然のこと、王都全体が炎の渦に飲み込まれつつあるのですから。しかも、炎は生き物のようにうねっています。少しでも火の粉が少しでも触れれば、まるで獲物を捕らえる蛇のように巻き付いて燃え広がります。


「ああ、この炎は……!」


 明らかに普通の炎ではありません。魔法の炎です。


「どこを逃げても、炎が追いかけてくる……」


 視界の隅で、燃えさかる家々が次々と崩れ落ちていくのが見えました。その中から、助けを求める人々の手が伸びるのが一瞬見えたかと思うと、次の瞬間には炎に飲み込まれていきます。


「リュミエール様!」

 エルザが再び私の腕を強く引き、現実に引き戻しました。


 炎は、王都の中心へ向かって収束しているように見えます。そして、その中で奇妙なことに気づきました。


「正門の方だけは、炎がないようです」


 その言葉に私は眉をひそめました。


「なんだか、わざとそこだけ炎がないような?」


 追い込まれているような嫌な感覚に襲われましたが、他に選択肢がありません。私たちは正門へと向かいました。


 正門に近づくにつれ、周囲の景色はさらに異様なものに変わっていきます。燃え尽きた建物の残骸が道を塞ぎ、その間に転がる焦げた遺体が、悲劇を物語っていました。炎の熱気と血の臭いが入り混じり、まともに息をすることすら苦しい。


 そして――。


「一体なにが……ひっ!?」


 正門の手前に到着した瞬間、私は足を止めました。視界に飛び込んできた光景に、背筋がぞっとするような寒気が走ります。


 門の前には、白いものがうずたかく盛られていました。


 白いもの――それは骨でした。無数の白骨が積み上げられ、門の手前に巨大な山を作っていたのです。

 その頂上に立っていたのは、一人の女性でした。

 真紅の鎧を身につけ光り輝く剣に炎を纏わせたその姿は、この世のものとは思えない威圧感を放っていました。


「あれは……魔王……」


 燃え盛る炎と同じ紅き色をした瞳。

 燃え盛る炎の中、一切乱れぬ黄金の髪。

 まき散らされる悪辣と絶望。

 どう考えても魔王そのものです。


「ここに魔王がいるということは、旦那様は……」


 口に出すのも恐ろしく、言葉が喉に詰まりました。その瞬間、背後から逃げ惑う人々の声が聞こえてきました。王都に残っていた他の貴族たちが、私たちと同じように炎に追われ、なんとかして正門を抜けようとしていました。しかし、その道を塞ぐように立つ魔王の存在に気づき、怯えながらも無理に通り抜けようとします。


「逃がしませんよ」


 魔王の冷徹な声が響いた刹那、彼女が剣を軽く振るうと、炎の刃が剣先から放たれました。次の瞬間、貴族令嬢の一人に直撃し、轟音と共に火柱が吹き上がります。


「さあ、あなたですか?」


 魔王は何かを確認するように火だるまになった令嬢に問います。


「ひゃああああっ……! あつい、助けてぇ!」


 絶叫を上げる令嬢が炎に包まれ、もがき苦しみます。その断末魔を、魔王は薄ら笑いを浮かべながら眺めていました。


「ちゃんと魔法を使う猶予をあげているのに。ほら間に合わなければ、死んでしまいますよ」


 無情に告げるその言葉に、周囲の空気が凍りつくようでした。

 火だるまになっていく人々の姿を、目を逸らさずに見つめる魔王。その瞳には、一片の慈悲もありません。

 

「あなたも違いますか」


 魔王は淡々とした声で、今度は別の人間に視線を向けます。そのたびに、一人、また一人と犠牲者が増えていきます。顔をしっかりと覚えるように、一人ひとり丁寧に、確実に命を奪っていく魔王。


「なかなかいませんね」


 どうして私は、逆巻く時の中で記憶を保持できるのが、自分だけだと思ったのでしょうか。


 ――かの魔王も、また時の超越者。


「今回は、術者の特定に使うつもりでしたのに……何回か繰り返さないとダメでしょうか。手間が増えますね」


 魔王は小さく溜息をつきました。そして、その冷たい瞳が建物の影に隠れている私達の方を向きます。


 ああ、間違いなく狙っているのは――

 私の命です。


「リュミエール様、私は、恩を忘れていません。魔王が私に気を取られた隙に逃げてください」


 エルザが叫び、私を庇うように前に出ました。しかし、彼女の動きは魔王の冷笑を誘うだけでした。


「素人ですね。わかりやすい囮みたいな動きですね。最後に気をかけていたのはこっちですね」


 魔王の剣がエルザを一閃しました。光が閃いたかと思うと、エルザの体が地に倒れ込みます。


「エルザ……!」


 私は思わず叫び声をあげました。


「声は覚えましたよ」


 カツン、カツンと石畳を踏み鳴らしながら、魔王が私の方へと近づいてきます。その歩みはゆっくりでありながら、逃れられない宿命のような圧迫感を伴っています。


「さて、次はあなたの番ですね」


 魔王の笑みが、燃え盛る炎の中で不気味に輝いて見えました。絶望と恐怖が私の心を締め付け、足が震えて動きません――。


「あぁあああ!」


 恐怖が全身を突き抜け、心臓が激しく鼓動します。まるで喉が塞がるような息苦しさの中、全身が凍りついたかのように動けません。

 目の前に迫る魔王の存在は圧倒的で、命が燃え尽きるその瞬間がすぐそこにあるのを感じていました。


 ――その時、胸の奥深くに潜んでいた何かが弾けました。


 絶望が心を覆い尽くしたその刹那、体内の奥底から熱く燃えるような感覚が広がり始めました。それは、恐怖と共鳴するように膨れ上がり、まるで体の中に嵐が巻き起こるかのように、制御不能な力となって溢れ出していきます。


「これは……私の中の魔力……?」


 目の前が白く染まり、鼓動がさらに高まります。周囲の音が遠ざかり、何もかもが一瞬静止したように感じられました。そして、その静寂を破るように、魔力の奔流が全身を駆け巡ります。


 私は胸のペンダントを握りしめました。


「止める……戻る……!」


 口に出した覚えのない言葉が自分の唇からこぼれました。その瞬間、空気が振動し、私の周囲に青白い光が渦巻き始めます。


 体の内側から溢れ出した魔力が、まるで生き物のように暴れ出し、私の意思を超えて形を成していく――その力の名前を、私は本能的に知っていました。


 魔法『時空逆行』


 視界が急激に歪み、時間と空間がねじれます。目の前の魔王が遠ざかり、周囲の炎が逆巻くように後退していく。過去と現在の境界が曖昧になり、世界そのものが巻き戻される感覚が全身を支配しました。


「覚えましたよ」


 時空が歪む中、魔王の声が静かに響きました。

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