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煙管の葉子

虚書の部屋

作者: 黒猫屋 倫彦

具体的な地名は出していないので好きに解釈していただいて結構ですが、イメージは北海道、札幌です。

 今朝、私は雷鳴で目を()ました。まだ回らない頭でカーテンの端を引き、外の様子を確認する。豪雨に、極北の大都市が()れている。

 スマホのメッセンジャーアプリに通知が来ている。一件は友人から。

――葉子、大雨みたいだけれど大丈夫?

 大丈夫、とだけ返す。無愛想に見えるかも知れないが、相手は私がどういう人間か熟知している間柄。特に問題はない。

 もう一件は、観光会社から。今日乗る予定だった市内観光の馬車が運休になるという知らせだった。これには私も少なからず落胆した。競馬で走るサラブレッドなどとは比べ物にならないほど巨大な輓馬(ばんば)。その輓馬が牽引(けんいん)する大型馬車が摩天楼(まてんろう)のそびえ立つ大都会を歩き回るという非日常的な光景を動画共有サイトで見かけ、是非自分も乗ってみたいと思った、あのワクワク感がぶち壊しになったのだ。

「はぁ……」

 私は溜息を()いた。

「さて、今日の予定はどうする?」

 ダブダブの寝巻き(パジャマ)のまま自問するが……とりあえずは、煙草を()まなくては何も始まらない。サイドボードに置いた煙管(キセル)(くわ)え、(きざ)み煙草を手に取って小さく丸め火皿に乗せると、シュッと燐寸(マッチ)()って煙草に火を付けた。スッと煙を吸い込む。うん、やはりニコチンが補充されると頭がスッキリしてくる。

「どうする?」

 私は再び自問した。濡れるのは嫌だ。観たいと思っていたものはどれもこれもこの悪天候の中観に行くようなものではない。美術館などに行こうか……いや、イマイチ。

 私は決意した。今日一日、このホテルで缶詰になって読書三昧(ざんまい)といこう。最近は開いた時間には煙管動画の作成にかまけていた所為(せい)で、丁度読みたい本が溜まっていたのだ。幸い、今晩には雨は止み、明日は朝から快晴になる予報だ。空港に行くまでの半日でも、ちょっとした観光くらいならできる。

 そうと決まったらとりあえず身支度をして朝食を食べよう。私は備え付けの灰皿の上でポンと軽く煙管の雁首(かりくび)を叩き、吸い殻を捨てると羅宇(らう)のヤニ掃除をして煙管をサイドボードに戻した。

 顔を洗い、歯を磨き、化粧を整える。寝巻きを投げ捨て、ズボンを履き、チャイナシャツを着、寝癖(ねぐせ)隠しに昔同僚から貰った何処(どこ)かの民族の帽子を被る。いつものスタイルだ。

 エレベータで朝食会場に行く。バイキングの内容は意外と充実していた。有名ホテルのように海鮮丼やミニラーメンもあるというような豪華なものではないが、それでも品揃えは豊富だしどれもこれも美味しそうだった。中でも特にカレーは香りからして美味しそうだった。私の朝食は安直に印度式に決まった。

 朝食を済ませると、1階の地元資本のコンビニに寄ってお茶とエナジードリンクを買った。その時、私の目に止まったもの。それは動画で芸人が絶賛していた、北国限定のカップやきそばだった。

「昼はこれで決まりだな。」

 私はそれを手に取った。

 ギリギリ両手に収めた品々を上手く持ち変え、部屋の鍵を開ける。自室に入ると、それらの品々を適当な所に置き、「DON’T DISTURB」の札をドアノブに掛け、ベッドにダイブする……スゥ……

「っと、寝てはいかん。」

 体を起こし、ドラムバックの中からAR眼鏡(グラス)を取り出す。私は実体のない本を開き、読み始めた。時に無心に、時にマーカーを引き、時に注釈を付けながら黙々と読んだ。

 ………………

 古典的名著である、V氏の手によるメタバースについての著作に手を伸ばそうとした時、視界の端に表示される時計に目を向けた。

 ……もう、こんな時間だ。私はベッドから起き上がり、横着にもAR眼鏡をかけたまま備え付けの電気ケトルでお湯を沸かした。お湯はすぐに沸く。カップ焼きそばにお湯を注ぎ、丁度三分の曲を再生し麺が戻るのを待った。ついいつもの習慣で湯を捨てようとしたが、この商品には中華スープが付いている。マグカップにスープの粉を入れ、焼きそばのお湯を注ぐ。余ったお湯だけ捨てる。蓋を開け、ソースをよく混ぜ、青のりをかける。今日のランチの完成だ。

「いただきます。」

 弁当箱のような四角い入れ物いっぱいのやきそばに箸をつける。美味(うま)し。

 腹9.8分といったところか。十分食べたところで、見栄(みえ)を張って大盛りサイズにしなくて良かったと内心安堵(あんど)した。

 眠くならないようにエナジードリンクを飲む。薬用人参(にんじん)が身体に染み渡る。朝同様、煙管に火を灯す。(しば)し煙草の煙を味わい、ゆっくりと紫煙(しえん)(くゆ)らす。

「さて、独り読書大会後半戦。」

 私は再び読書に没頭する。古典的名著の次は、デザインについての最新の情報を。その次は、有名な賞を受賞した小説を――

 ………………

 窓を見ると、外はほとんど暗くなっていた。雨は()んでいるようだ。

 我が国でも最大級の歓楽街は、このホテルから目と鼻の先。美男子(イケメン)と遊ぶ気は起きなかったが、美味しい酒くらいは飲みたい。どんな店があるだろう、と検索しようと思ったが、やめた。

「行き当たりばったりで行こう。」

 私はAR眼鏡を外し、煙管とスマホだけ持って夜の街へと繰り出した。


【了】


お読みいただきありがとうございました。

葉子さんのモデルはアニメ「雲のように風のように」の江葉(こうよう)です。外見の一部をオマージュさせていただきました。

コンビニのモデルはセイコーマートです。

カップ焼きそばのモデルは東洋水産の「やきそば弁当」です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 前書きで札幌と書かれていたので、あっセイコーマートかな……と想像しながら楽しませて頂きました(´ω`*) 旅行先でこんな風な時間の使い方ができるのはとても贅沢ですよね。 何だか理想的な余暇の…
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