悪役令嬢は推しの幸せを願っていただけなのに!
学園の花園に彼女はいた。太陽の日差しに煌めく金糸の長い髪を風に靡かせて、色とりどりの花を眺めている少女、ジュリア。白雪のように透き通った肌は少し赤みを帯びてそれがまた愛らしさを強調させていた。
その傍にいるのはこの国の王子、アルヴィン。ダークブラウンの短い髪を耳にかけて彼はジュリアを眺めている。
そんな何かを語り合う二人をリリーナは遠目から観察していた。
「あぁ、今日も推しが可愛いぃぃぃ」
リリーナはジュリアを見つめながら呟いた。
リリーナは思い出した。ここが前世でプレイしていた乙女ゲームの世界であることを。自身がその悪役令嬢として転生してきたことを。そして、主人公であるジュリアが最推しであったことを。
それからリリーナは走り回った。ジュリアを陰で虐めていた複数のグループを自身の公爵令嬢という立場を利用してやめさせた。彼女の行動の先回りして危険物を回収したり、揉め事がおきればさりげなく自身が出て場を静めたりもした。
とにかく、そうとにかくジュリアに降りかかる問題をバッサバッサと切り捨てていった。推しには幸せになってほしい、その願いから。
ただ、一つ問題があった。
「ジュリアちゃんは誰を選ぶの!」
そう、ジュリアが誰を選ぶのかまだ判断ができていないのだ。リリーナが見てきた中では今、一緒にいるアルヴィンルートが最有力だと思える。けれど、それだけではない。
観察していれば二人の中を邪魔するように男子生徒がやってきた。襟足の長い緑の髪の少年、リゲルだ。彼は公爵家の長男であり、アルヴィンと張るほどに顔立ちが良い。
彼も攻略ルートの一つであるのだが、それだけではない。また一人、ジュリアの側にやってきた。
ピンクの短い髪の愛らしい少年、カルアがジュリアに抱きついた。彼も同じく攻略対象だ。
現在、ジュリアは三人の男に言い寄られている状態だ。リリーナは誰を選ぶのかハラハラしていた。どの人物を選んでも応援するつもりではあるのだが、やはりアルヴィンの方が性格ともに良いのではないかと思っている。
「あぁ、誰を選ぶの!」
「飽きないねぇ、リリーナ」
陰でジュリアを見守っていたリリーナに声がかけられる。もちろん、その声の主に心当たりがあった。
「なんですの、シュバルツ様」
シュバルツ。灰色の長い髪を一つに結った彼もまた攻略対象の一人だったはずの人物だった。何故だか彼はリリーナに必要以上に構うのだ。
今日もリリーナのミルクティ色の髪を梳いて遊んでいた。
「ジュリア嬢が大好きなのはわかるけど、ボクにも構ってくれないかなぁ」
「いえ、わたくしの推しはジュリアちゃんだけなので」
貴方に構っている暇はないのときっぱりと言い切ってリリーナは再びジュリア観察を再開した。
アルビィンとリゲルが何か言い争っている。きっとジュリアを巡って揉めているのだろう。リリーナはどうなるのだと目が離せない。そんな様子にシュバルツはつまらなさそうに息をついて彼女を後ろから抱きしめた。
リリーナの頭に顎を乗せて一緒にジュリアを観察する。
「ジュリアちゃんはどっちを選ぶのかしらぁぁあ」
「アルビィンじゃない? 二人はどう考えても無理でしょ」
「やっぱり、アルビィン様が優勢よね!」
シュバルツの言葉にうんうんとリリーナは頷く。抱きしめられていることなどこれっぽっちも気にしていないようだ。それよりもジュリアの方が気になるのだろう。
シュバルツにとってそれは日常茶飯事なので気にしている様子はない。何をやってもリリーナはジュリアばかりを見ているのだから。
「リリーナさぁ」
「何かしら?」
「ジュリア嬢のことを考えるのもいいけど、自分のことも少しは考えないといけないとボクは思うけどねぇ」
シュバルツの「キミ、婚約者いないらしいじゃん」という言葉にリリーナは固まった。
そう、リリーナに婚約者はいない。正確には婚約者候補はいたが、いなくなったのだ。
リリーナの家は父の方針から幼少期に婚約者を決めることはしなかった。ある程度成長してから、何人かの候補者を紹介してお互いに相性が良い人をという感じであった。
だというのにリリーナはジュリアを推すがあまりに候補者との交流を疎かにしてしまった。その結果、今回は無かったことにといったふうに断られてしまったのだった。
これには父も母も呆れてものも言えなかった。こればっかりは本当に申し訳ないとリリーナも思っている。けれど、推しには幸せになってほしいのだ。
「だからと言って、両親不安にさせちゃダメでしょ〜。公爵令嬢だっていうこと忘れてない? 将来のこと家のことちゃんと考えないと」
「う、何も言い返せない」
シュバルツの言う通り、将来のことを考えなくてはいけない。でも、だからといって推しを推すことをやめることはできない。無理、絶対に無理だとリリーナは唸る。
「わたくしはジュリアちゃんの幸せを見守っていたいぃぃ」
「まず、自分のことも大事にしようね、リリーナ」
相手のことよりも自分のことが先だろうとシュバルツに突っ込まれてリリーナは言い返せなかった。
自分のことを家のことを蔑ろにしてはいけない。推しを推すためにはまず自分のこともしっかりとしないといけないのだ。
そうはわかっていても、相手がいないわけで。リリーナはこんな自分でいいと言ってくれる男性がいるのか不安になった。
婚約者よりも推しを取る女だぞ、誰が好き好んで選ぶだろうか。一般男性からしたら頭おかしいと思われるに違いない。
「こんなわたくしを選ぶ男性がいるわけがない」
「いや、いるんだけど」
シュバルツの言葉にリリーナは「どこに?」と言いたげな瞳を向けた。そんな彼女にあのねぇと呆れたように言う。
「あのさ、今の状況を見てほしいんだけど」
「今の状況とは?」
「今、どうなってる?」
今、どうなっているのか。ジュリアがアルビィンとリゲルの仲裁に入っている。そう答えれば「いや、そうじゃない」と言われてしまったので他はなんだろうか。もしかして、自分のことかとリリーナは考える。
「貴方に抱きつかれてますわね」
「そこ気づいたら、気づかない?」
「何にですの?」
「嘘だろー」
シュバルツの言葉に何がだとリリーナは眉を寄せた。彼の言いたいことがいまいちわからないのだ。
「あのね、リリーナ。この体勢がアルビィンとジュリアだったらどう思う?」
「そんなのやっとお付き合いしたのね! ってなり……」
はたりとそこで気づいた。あれ、なんでシュバルツは自身を抱きしめているのだろうかと。
ただ、猫のように戯れついてきているのだと思っていたのだが、これがアルビィンとジュリアだったらそうは見えないわけで。そこまで思い至り、リリーナは固まった。
「気づいた?」
「え? は? 嘘?」
「ボク、キミ狙いなんだけど?」
「いや、だって貴方、ジュリアちゃんに」
「キミの気が引けるかなって思ったからやっただけ」
シュバルツに「ジュリアなんて興味ないけど」と言われて、リリーナは悲鳴を上げそうになった。
彼の言葉を信じるのならば、好意を寄せられているということになる。こんな推しを全力で推しているだけの女にだ。悪役令嬢らしからぬただの公爵令嬢に。
いや、悪役令嬢でない方がこの場合はいいのか。とかそんなことをリリーナが考えていれば、ジュリアの方で動きがあった。
「ちょっと、貴方、いい加減にしたらどうなの」
それは聞き覚えのある女子の声だ。見遣れば金髪の長い髪をくるくるに巻いた目つきの鋭い女子生徒が複数人の取り巻きを連れてジュリアの前に立っていた。
彼女はカトリーヌ、侯爵令嬢だ。ジュリアが自分よりも目立つのが嫌なのか、何かにつけて突っかかっている人物だ。
「王子も、リゲル様もです。無闇に騒ぎを起こすのはいかがなものかしら?」
カトリーヌに「周囲の目を気にしてなくて?」と言われて二人は黙った。彼女の言う通り、ジュリアのことになると周りが見えていない自覚があったからだ。
あぁ、せっかくのイベントがとリリーナが思っていれば、シュバルツが「助け船出さなくていいの?」と言ってくる。
確かにこのままではジュリアの株がますます下がってしまう。それにカトリーヌがでかい顔をするのは嫌だ。さらに態度が大きくなるのは避けたいところだ。
リリーナはうぅんと喉を鳴らして肩を回す。そして、自身の頬を叩いてよしっと気合いを入れるとジュリアの方へと向かった。
「あら、カトリーヌさんこそ、どうしてそんなに態度が大きいのかしら?」
そう言ってリリーナは会話に入った。カトリーヌがぎろりと睨んできたが、そんなものは通用しない。推しを守るためならば悪役令嬢にだって自分はなれるのだ。そう推しの幸せがリリーナを動かせる。
「あら〜、リリーナ様じゃない。貴方こそ、どうしてここに?」
「天気の良い日だもの。この学園の花園はとても美しいから眺めにきたのよ」
まぁ、面倒なのもいらっしゃるけどとリリーナはジュリアをチラリと横目に見た。彼女は申し訳なさげに俯いて縮こまっていた。
リリーナは心中で謝った。いくら、演技とはいえ睨むような眼差しを推しに向けるのは心が痛むのだ。
「あまりにも騒がしいから注意しただけよ」
カトリーヌは「周囲の迷惑になることは避けるべきですもの」と言いながらジュリアを睨む。
確かにアルビィンとリゲルの言い争いというのは周囲を巻き込んでいた。騒ぎになったこともある。誰かしらが迷惑に、或いはそれを恐怖に思っているかもしれないのでそれは否定できなかった。
「でも、それはアルビィン様とリゲル様は悪いのではなくて?」
「それは……」
「だってそうでしょう? お二人が周囲を巻き込んだりするのが悪いのですから」
リリーナが二人を見遣れば、アルビィンは申し訳なさそうに、リゲルは眉を寄せている。
「でも、原因はジュリアじゃない!」
反論するようにカトリーヌは言った。原因はジュリアを取り合っているからなのは事実だ。
「そうだよ。ジュリアが可哀想じゃないか」
「カルア、テメェ……」
カトリーヌに乗っかるように今まで黙っていたカルアが言う。リゲルが睨むがそんな視線など彼には通用していなかった。ジュリアに抱きつきながらにやにやとしている。
あぁ、余計にややこしくなる。リリーナは出そうになる溜息を堪えた。
「問題を起こした方がわたくしは悪いと思うのだけれど?」
「そうだねぇ、悪いことした方が悪いよねぇ」
「シュバルツ様……」
ぬっとリリーナの背後からシュバルツが現る。否定を許さないと言ったその視線にカトリーヌは一歩、引いた。
「何か他に言いたいことがおありで?」
「アナタだってジュリアのことよく思ってないくせに、何でしゃばってるのよ!」
「なんのことかしら? わたくしにはよくわかりませんの」
リリーナが「シュバルツ様、わかる?」と問えば、シュバルツはさぁと肩をすくめてみせた。
カトリーヌは何か言い返してやろうと思うも、ジュリアが二人の喧嘩の原因であっても、彼女がそうさせたわけでないのは事実だ。文句を言いたくても言えないもどかしさで苛立った様子の彼女にリリーナは言う。
「羨ましいのかしらねぇ。まぁ、ジュリアさんは貴女よりよくできた子のようだし。だから、アルビィン様達が気に入っているわけですからねぇ」
口元に手を添えてそれはそれは大袈裟に馬鹿にするように言えば、カトリーヌは顔を真っ赤にさせて睨みつけてきた。
「もう、いいわ!」
カトリーヌは「問題になっても知らないんだから!」と怒鳴って取り巻きを引き連れて花園を出て行ってしまった。
意外とすんなり引き下がったなとリリーナが思っていれば、あのと声をかけられる。
「リリーナ様、ありがとうございます」
「あら、気になさらないで。騒がしかったから出てきただけだから」
リリーナは「差し出がましいことしてしまってごめんさいね」と小さく頭を下げる。
「すまない、リリーナ嬢。私たちが至らないばかりに」
「気になさらないでください、アルビィン様。でも、彼女の言う通り、周囲のことも少しは気遣って差し上げてください」
彼女と同じように思っている方は少なからずいるでしょうからというリリーナの忠告にアルビィンは頷いた。リゲルは何も言わないが自身にも悪い点があるのは納得しているようだ。
(ここで少し突いてみようかしら)
リリーナはそろそろジュリアちゃんも気持ちを固める必要があるだろうと考えた。
「ジュリアさんも、どの方を選ぶのかはわからないけれど、自身の気持ちに素直になるべきよ?」
リリーナの言葉にジュリアは頬を赤く染めて、もじもじと手を遊ばせる。言われた意味を理解したようだ。
「わかってはいるのですが、その……」
「勇気を持って。貴女なら大丈夫ですわよ」
どの方を選んでも貴女ならきっとやっていけるとリリーナが言えば、ジュリアは少し考えたのちに口を開いた。
「あの、わたしでもシュバルツ様とリリーナ様のような関係になれますかね?」
「……はい?」
ジュリアの言葉にリリーナは思わず素の声を上げてしまった。それほどまでに理解ができなかったのだ。
「わたし、猫のようなシュバルツ様を飼い慣らしてるリリーナ様みたいな、こう……。抱きつかれても憮然とした態度で恥ずかしがるようなこともせず、好きにさせているリリーナ様の強さに惹かれてまして」
どうやらシュバルツが構えと抱きついている時のことを言っているらしい。その時は決まってリリーナはジュリアのことを考えていたため、特に気にしていなかっただけだ。それをジュリアは勘違いしているらしい。
「シュバルツ様とリリーナ様のような恋仲になれたらなぁって!」
「いえ、わたくしはこの方とは……」
「そうでしょう! ボクとリリーナお似合いでしょう!」
リリーナが否定しようとするのをシュバルツが阻止するように割って入る。邪魔をするなと睨めば、彼は嫌だと声なく唇を動かした。
「大丈夫だよ〜、ジュリア嬢もきっとそうなれるって! 勇気出して!」
「はい、頑張ります!」
やる気に満ち溢れるジュリアの様子に違うのよと訂正しようとすると、それを邪魔するようにカルアが彼女に抱きついた。
「二人の邪魔をしたら悪いから、別のところに行こうよ」
「あ! そうですよね! お二人の邪魔はよくないです!」
「いえ、違くて……」
それではとジュリアは一礼してカルアに引っ張られながらアルビィンとリゲルを連れて花園を出ていった。
残されたのはシュバルツとリリーナの二人だけ。
「シュバルツ様!」
「だって、話が途中だったでしょ!」
シュバルツの「ボクはキミ狙っているって言ったでしょ!」という言葉にそういえばそんなことを話していたなと思い出す。
そうだ、彼はわたくしが良いと言ったのだ。思い出した途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
「顔赤いねぇ」
「誰のせいですか!」
「ボクのせい。で、まぁ丁度いいでしょ?」
ボクはキミがジュリア嬢を応援するのも受け入れるし、手伝いだってする。そんなことで嫌いにはならない。ぴったりじゃないか。シュバルツは条件ぴったりでしょうと笑った。
確かに、確かに条件は合う。しかし、それでいいのかとも思わなくもない。
「わたくしが好きになる保証はないじゃないですの」
「大丈夫だよ、好きにしてみせるから」
なんだ、その自信は。リリーナが驚いていればシュバルツはまた笑った。
「それに明日には広まっているだろうしね」
「あーー! 逃げ場が! ない!」
「と、いうことでよろしくね!」
「どうして、推しよりも先にわたくしが攻略してしまうのか!」
解釈違いにも程がある! リリーナはそう叫ぶと頭を抱えてうずくまった。そんな彼女の頭をシュバルツはよしよしと撫でていた。
誰のせいだと言いたいが、今のリリーナには突っ込む気力すら残っていなかった。
END