僕と彼女の愛のカタチ
僕には4歳年下の彼女がいます。容姿端麗で、性格も頭も良く、品があって、尚且つ無邪気さも兼ね備えた、誰もが羨む魅力的な女性です。のろけかよ、と顔をしかめる人もいるかと思われますが、ただ事実を述べているだけなので、仕方がないのです。
これまでも人並みに恋はしてきましたが、こんなにも人を愛した事はありません。人を愛する喜びを初めて知ったような気がします。だけど、愛するという事は喜びばかりではないようなのです。
彼女を愛するがゆえに、不吉な事を想像してしまうのです。彼女に何かあったらと思うと、胸が締め付けられる程苦しくなります。僕はもともと心配症の方ですが、彼女と付き合い始めてから酷くなったように思います。それほど、彼女を思う気持ちが強く、失いたくないという事でしょう。
今、僕が抱えている心配事は、彼女が魅力的なばかりに、変な男に声を掛けられないかという事です。もちろん彼女が相手にするとは思えません。だけど、身勝手な男というのもいます。そういう連中が襲ってこないとも限りません。そういう犯罪は後を絶たないのです。
僕が傍にいれば、彼女を守ってあげられますが、ひとりでいる時にはそうはいきません。そういう連中は、大概ひとりの時を狙って声を掛けてくるものです。だから僕は彼女にある提案を持ちかけました。
「え!?格闘技?私に格闘技を習えって言っているの。そんなに心配しなくても大丈夫よ。私、怖い目にあった事なんて一度もないわ」
「今まで運が良かっただけで、君みたいな魅力的な女性を狙っている輩は、少なくないよ。お願いだ。格闘技を習ってくれ。心配なんだ。君にもしもの事があったら…僕は…」
後半は涙で声にはなりませんでした。彼女は僕の気持ちを分かってくれたようです。格闘技を習う事を約束してくれました。本当にいい彼女です。
彼女は週に3回、仕事帰りに総合格闘技の道場に通う事になりました。総合格闘技を選んだ理由は、ただ道場が家の近所にあったからです。襲われた時に対処出来る技術をマスターするだけなので、格闘技は何でも良かったのです。デートの回数は減りましたが、彼女の身を守る為です。仕方がありません。それに、少しぐらい会えないからといって、2人の愛が変わる事はありません。
彼女は生まれ持った器用さと運動神経の良さで、めきめきと上達していきました。異例の速さで段を持つ腕前になり、色んな大会で優勝を飾りました。これで、どんな人間に襲われようと、対処出来る事でしょう。
しばらくして、彼女は総合格闘技をすっぱりと辞めました。周囲からは、かなり引き止められたようですが、彼女の目的は襲われた時に自分の身を守る事だったので、これ以上続ける意味がないのです。これでひとまず僕の心配事はなくなりました。
だけど、それから間もなくして、また心配事が出てきました。ニュース番組でA国とB国の対立が過熱していて、軍事紛争が起きるのではないかと報じていました。もし戦争なんて事になったら、日本だって巻き添えを食うかもしれません。彼女の身が心配です。僕がそばにいれば守ってあげられますが、彼女がひとりでいる時に他国の軍が攻めてきたら…。いくら格闘技を習っていたとはいえ、相手は人を殺す為の訓練を受けた武器を持った軍人です。心配でなりません。僕はいてもたってもいられず、彼女に提案をしました。
「え!?自衛隊に!?自衛隊員になったら、それこそ戦場に行かなければならなくなるかもしれないよ。余計危険だわ」
「勝手かも知れないが、そうなれば、辞めればいいんだ。君が戦場なんて行く必要はない。僕はただ、戦争から自分の身を守る術を学んで欲しいだけなんだよ」
「でも…」
「一般人より自衛隊員の方が、戦争が起こったとしても動じる事なく対処出来るだろう。君にそうなって欲しいんだ」
「そんな事言ったって…仕事もあるし……」
「仕事なんて、いくらでもやり直しはきく。死んだらおしまいだぞ」
「日本は憲法9条があるから、戦争なんて事にはならないよ」
「今の世の中、何が起こっても不思議じゃないだろう。憲法が改正されて戦争だって起こるかもしれない。お願いだ。心配なんだ。君にもしもの事があったら…僕は…」
後半は涙で言葉になりませんでした。彼女は僕の気持ちを分かってくれたようです。自衛隊に入隊する事を約束してくれました。本当にいい彼女です。
彼女は会社を辞めて自衛隊学校に入隊しました。その間会う機会は減りましたが、戦争から彼女の身を守る為です。仕方がありません。それに、離れ離れでも2人の愛が変わる事はありません。
彼女は生まれ持った理解力の早さと柔軟な対応力を生かして、自衛隊学校をトップの成績で卒業しました。晴れて自衛隊員になったのです。彼女は1年目から、外国の艦船が日本の領海に侵入するのを未然防止するための警戒監視を行う職に就きました。迅速かつ臨機応変な対応で、領海をこれまで以上に守ってみせました。
しばらくして、彼女は自衛隊をすっぱりと辞めました。優秀だったのでかなり引き止められたようですが、彼女の目的は戦争から自分の身を守る事だったので、これ以上続ける意味がないのです。これで僕の心配事がなくなりました。
しかし僕は、日本で暮らしているのにも関わらず、肝心な事を忘れていました。日本は災害大国で、自然災害が多いという事です。特に、近年は巨大地震による被害が後を絶ちません。このあいだも、彼女とレストランで食事をしている時、震度1の地震が起こりました。僕はすぐに気が付き、彼女の手をとり、2人でテーブルの下に隠れました。ウェイターや他の人たちは、地震に気が付いていなかったのでしょう。変な目で見てきました。でも、これが正しい行動なのです。地震は怖い。一番怖い。彼女の身が心配です。レストランの時のように、僕がそばにいれば、守ってあげられますが、彼女がひとりの時に大きな地震が来たら。心配でなりません。僕はいてもたってもいられず、彼女に提案をしました。
「え!?地震学者!?どういう事よ」
「地震学者になれば…」
「あ、はいはい。分かったわよ」彼女は僕の話をさえぎり言いました「私の為でしょう。何にでもなるわよ」
彼女は僕の気持ちを分かってくれたようです。地震学者になる事を約束してくれました。本当にいい彼女です。
彼女は生まれ持った集中力とのめり込む性格を活かして、地震学者になりました。彼女が学会で発表した〈地震予測方〉は世界中で評価され、ノーベル賞候補にまでなったのです。翌年、それを分かり易く解説した本「地震の脅威と生きる力」は、出版されるやいなや、ベストセラーになりました。
だけど、彼女はすっぱりと学者を辞めました。彼女の目的は地震から自分の身を守る事なので、これ以上続ける意味がないのです。これで僕の心配事がなくなりました。
しかし人間というのは、生きている限り、心配事がなくなるという事はないようです。それからも、事あるごとに、僕は彼女の事が心配になりました。僕がそばにいれば、彼女を守ってあげられますが、お互い仕事をしているので、常に一緒にいる事なんて不可能です。ただ僕の仕事は在宅ワークなので、結婚をすれば常に一緒にいる事が出来るでしょうが、残念ながら彼女を養える程、僕には収入がないので、プロポーズするまでには至っていません。情けない限りです。
彼女は、僕の心配事を解消する為にいつもひたむきに取り組んでくれます。本当にいい彼女です。このあいだまで彼女は、感染症対策の専門家だったので、未知のウィルスから、身を守る術を知っているし、3日前にフグ調理師免許を取得したので、猛毒のテトロドトキシンからも身を守れます。これで、だいぶん僕の心配事は減りました。
そしてある日の事です。僕は彼女の事ばかり心配していて、自分の事は一切考えていなかったと思い知らされました。まさか僕の方がこんな目に合うなんて…
夕映えに包まれた時刻。僕は彼女との待ち合わせ場所に向かって歩いていました。ブランドショップの並ぶ華やかな通りを抜けたところにある並木道を通っていると、突然2人組の男に襲われました。大柄の男に背後から捕まえられ、こめこみに拳銃を突き付けられたのです。銃口の冷たさが肌に伝わってきて生きた心地がしませんでした。
すぐに彼らを追って警察官がやってきたのですが、リーダー風の男が凄みます。
「動くんじゃねぇ。こいつに生きていて欲しければな」
「何という事だ」
警察官たちは、人質となった僕を見て、息をのみます。
この男たちは、近くの宝石店を襲った強盗です。宝石店の店主は、男たちに拳銃で脅されながらも、気づかれないように非常通報装置のボタンを押した。それは緊急非常時に直接警察へ通報がいく装置であります。すぐに駆けつけてきた警察官に強盗は驚きました。まだそれほど宝石を盗み出せてなかったが、モタモタしてはいられません。強盗は慌てて宝石店を出ると、ブランドショップの並ぶ通りを抜けて、並木道にやってきたところで、人質に使えそうな人物が歩いているのを見つけたようなのです。
強盗たちは僕をだしに警察に要求を始めました。
「車を一台用意しろ。あ、そうだ。パトカーがいい。ガソリンはちゃんと満タンにしておけよ。車に細工するような真似をしてみろ、こいつの命が無いからな」
「分かった。言う通りにする。その代わり、彼には手を出さないでくれ」
警察は僕の身を案じて要求を聞き入れました。
間もなく一台のパトカーが目の前の道路に停車しました。エンジンをかけたままの状態で、パトカーを運転して来た警察官が降りてきて、後ろに下がります。強盗たちはパトカーを見るなり、これで逃げられると思ったのでしょう。含み笑いを浮かべます。そこで僕を開放してくれれば良かったのですが、そう甘くありません。僕も連れていくようなのです。恐らく逃げ切ったあかつきには、用済みとなって僕は殺されてしまうでしょう。何とかしなければなりません。ですが、抵抗しようにも、僕のこめかみには、変わらず銃口が当たった状態です。
リーダー風の男は、周りに拳銃を向けながらパトカーの運転席に近づいていきます。そうしてドアノブに手をかけたその時です。車の陰から、物凄い速さで、ほふく前進してくる黒い影がありました。次の瞬間、リーダー風の男は口から泡を吹いて、地面に倒れていました。その黒い影が、男のみぞおちに一撃を食らわしたようなのです。
大柄の男は、目をぱちくりさせていました。あまりにも一瞬の出来事だったので、何が起こったのか理解が出来なかったのでしょう。驚いたのは僕も同じです。なぜなら、疾風のごとく男を仕留めたのは、僕の彼女だったんです。僕が時間になっても待ち合わせ場所にやって来ない事に胸騒ぎを覚えて、探しにきたようなのです。
「お前、何しやがる」
大柄の男が彼女に向かって言い放ちました。やっと事態を飲み込めたようです。
「あんたこそ、彼から手を放しなさい」
どうやら彼女は、僕を助けようとしているようです。だけど、彼らは強盗を働くような見境のない危険な男。それにこの男は大柄だし、手には拳銃を持っている。僕は彼女の事が心配になり叫びます。
「何しているんだ…こんなところに来たら危ないじゃないか。早く逃げろ」
「え、でも…」
「心配なんだ。逃げてくれ。君にもしもの事があったら…僕は…」
後半は涙で声にはなりませんでした。彼女が撃たれたら…彼女の身が心配でなりません。僕がこんな状況でなければ、守ってあげられますが、今は人質の身。彼女を守ってあげられません。
「逃げるんだ。早く逃げてくれ」僕は懸命に訴えますが、「お前は黙っていろ。殺すぞ」と、大柄の男に凄まれたので、黙るしかありません。
その大柄の男の態度に腹を立てたのか、彼女の顔付きが変わりました。デート用のお気に入りのワンピースの袖を捲くり、構えます。
「彼を放しなさい。さもなければ、痛い目に合うわよ」
「姉ちゃん、腕は立つようだけど、今の状況分かっているのかよ。調子に乗るんじゃねぇよ」
大柄の男は、卑怯にも僕を使い、事を有利に運ぼうとしています。
「あらそう。せっかく忠告してあげたのに。仕方がないわね」
そう言った瞬間、彼女は目にも留まらぬ速さで大柄の男の背後に回り、男の右側頭部を目掛けて強烈な右ハイキックを繰り出しました。
どん!と側頭部にハイキックをモロに喰らった男は、僕から手を放し、頭を押さえながらよろつき、倒れ込みます。そこに容赦のない彼女の鉄拳が、男の顔面に何度も打ち込まれます。これが総合格闘技の打撃なのでしょう。一方的に攻撃を加えられ、大柄の男は白目をむき、気を失いました。
彼女の出現からずっとアタフタと戸惑っていた警察官たちは、その一瞬の出来事に呆気に取られていました。無事に強盗事件が解決した事にも気が付いていません。
僕は彼女に駆け寄ります。そして人目もはばからず、彼女を抱きしめて言います。
「大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫」
「心配したじゃないか」
「あ、うん、心配かけてごめん」
「いいんだ。君が無事で良かった」
僕は彼女の無事にホッと胸を撫で下ろしました。まさか彼女があんな無茶な真似をするなんて、肝を冷やす思いです。本当に心配でなりませんでした。僕がそばにいれば、そばにはいたんですが、あんな状況でなければ、守ってあげられたんですが…。
心配事というのは本当につきません。だけど最近は、前ほど彼女の事を心配する事もなくなりました。彼女への愛が冷めたというわけではありません。彼女への愛は永遠です。実は2人にとって重大な環境の変化があったのです。
僕の仕事が軌道に乗り、彼女を養えるようになりました。彼女にプロポーズをして、無事に承諾してもらいました。前にも話しましたが、僕の仕事は在宅ワークなので、常に一緒にいられます。これで、何があろうと僕が傍にいるので、いつでも彼女を守ってあげられます。
終