婚約破棄は不可能ですが
たまには現実世界っぽいお話も書こうと思って出来たのがこれ。
最近はシリアス続きだったので、さらっと読める軽い内容を目指しました。
その声がかけられたのは放課後、いつものように校門のあたりで、友人ともども迎えを待っていた時のことだった。
「どうかお願いします、瑞原先輩! どうか龍哉先輩を、愛のない婚約から解放してあげてください!」
「それは無理ね。でも、貴女が龍哉とお付き合いしたいと言うならお好きにどうぞ?」
「……は?」
あら可愛い。龍哉の容姿に誑かされ、もとい龍哉に想いを寄せる人は老若男女問わずにいるけれど──え、一つ余計じゃないかですって? だって彼が、色んな意味で同性にも好かれるのは紛れもない事実だから──、ここまでの美少女は久しぶり。いえ、むしろ今までにも居ないレベルね。これは、今回こそは期待できるかもしれないわ。
「あー、無理無理。あやめにその気があったとしても、あの神サマの方があやめを手放すわけがないからね。第一、二人の婚約を誰かが壊そうなんてしたら、神堂グループと瑞原財閥を思いっきり敵に回すことになるし。悪いことは言わないから、貴女も無謀な計画とか小賢しい側面攻撃とかはさっさとやめて、素直に大人しくしてた方がいいわよー」
「……遥。この娘にとっても私にとっても、夢も希望もないことを言わないでくれる?」
「だって事実じゃない。そもそも初対面なのにいきなり人様の婚約関係に口を出しといて、自分は名乗りもしないような礼儀知らずの娘よ? いくら可愛くたってその程度の娘に、仮にあんたのことがなくてもなびくようなアホじゃないでしょ、あの神サマは」
「……何も否定できないわ」
遥の言う『神サマ』とは、無論龍哉のこと。私、瑞原あやめの幼馴染みにして婚約者である彼の本名は神堂龍哉といい、日本どころかアジアでも有数の規模を誇る神堂グループの御曹司だ。その肩書と立場に見合った容姿と能力とカリスマ性、何よりもその苗字からついた呼び名が『神サマ』というわけである。陰ではともかく、面と向かって呼べるのは遥くらいのものだけれど。
「……ひ、酷いです、桐生先輩! せっかく瑞原先輩が寛大な気持ちになってくださっているのに!……まさか、桐生先輩も龍哉先輩が好きなんですか!?」
恋する乙女ゆえ、と言っていいものなのか、凄まじい誤解を叫ぶ女の子──スカーフの色からして一年生ね──に、遥は真顔で即座に否定した。
どうでもいいけれど、まだ下校中の生徒はあたりに大勢いるし、私たち同様に迎え待ちの人も以下同文なのだから、もう少しボリュームを抑えてもらえないかしら。龍哉だって騒がしいのは好きじゃないのよ?
「いやそれだけは有り得ないから。冗談でも笑えないからね? 大体、中一からだからもう五年以上か。それくらいの期間、あの神サマのあやめ溺愛っぷりを間近で見てれば、惚れるなんて選択肢は地平線の彼方に消え去るレベルだし」
「……あれって、『溺愛』と呼んでいいものなの? 色々と盛大に間違っていると思うけれど」
「溺愛じゃないの。学校に圧力をかけて常にあやめと同じクラスどころか隣の席をキープしたり、問答無用であやめを同じ委員や生徒会役員に推薦して帰りは絶対に家まで送り届けたり、無謀にもあやめに告白してきた男の前でがっつりキスシーンを見せつけたり、あとは」
「ストップお願いやめてー!」
はしたなくも思わず大声を上げて、親友の口を両手でふさぐ。このままだと、怪我や体調不良で保健室で休んでいた時のあれこれも暴露されてしまいそうなので、強行手段だ。
もごもごもご、とうめく声は放っておいて、ひとまず気になったことを問いただしてみることにする。
「ええと、過去のことはともかく。貴女──ごめんなさい、お名前は?」
「辻野さくらです!」
「そう、辻野さんね。つまり貴女は辻野製薬のご令嬢? 先代の社長がお年で退いて、アメリカから帰国したご長男が跡を継がれたと聞いているけれど」
「は、はい。その新社長が父です!……でも、流石は瑞原先輩。よくご存知ですね」
「ええ。専務でいらっしゃる叔父様と、父が学生時代からの親友なのよ」
だからこそ、堅実でやり手の専務の方が、外国帰りを声高に自慢するだけの新社長などよりも、よほど後継として相応しかったはずだと知っているのだけれど。そもそも辻野製薬の中心事業は漢方薬で、そのシェアは国内の半分近くをカバーしているのにね。
まあ、父のことだからそのうち、専務をその人脈ごとヘッドハンティングして、傘下の一企業を任せるくらいはするでしょう。仮に父がしなくとも、神堂グループが間違いなく動くでしょうし。
ちなみに専務の奥様は、遥の母方の叔母様だったりするのだけれど……見たところ、このご令嬢は知らないようね。
「それはともかく、辻野さん。貴女、龍哉を名前で呼んでいるということは、既に彼とはそれなりに親しい仲と考えていいのかしら?」
「は、はい! 実はその、この後も、父と一緒にご自宅へご挨拶に伺う予定なんです!」
「……それってつまり、単なる新社長就任の挨拶に、厚かましくもただついていくだけなんじゃないの? 大体、ビジネスの場にまだ家業に携わってもいない娘を連れていくとか、それも神堂グループ総帥相手にやらかすだなんて、新社長も大概いい度胸だわね」
「まあ、龍哉が時折ビジネスシーンに顔を出すことはよく知られているから、ご令嬢を売り込む意味もあるんじゃないかしら? そのご令嬢が暴走気味の傾向にあることまでは、把握しているかどうかは怪しいけれど」
「把握も何も、新社長本人が暴走列車の典型例だから……この娘には今まで会ったことはなかったけど、顔はあまり似てなくとも立派に父娘だって分かるわ。千尋叔父様も大変ね」
義理の叔父を理想の男性と崇める遥がしみじみ言う。
確かに千尋おじ様は、プライベートではとても優しく穏やかで、いかにも紳士らしい風情の、この上なく素敵な男性だ。おじ様が独身で、もう二十歳ほど若ければ、私も喜んで恋人に立候補したいくらいである。
そんなことを考えていたのが悪かっただろうか。
「あやめ。ろくでもない騒ぎの中で、何を不穏なことを考えてるんだい?」
「龍哉先輩!」
……そろそろ来る頃だとは思っていたけれど、人の思考まで読んでいる気配を漂わせないでほしいものだわ。我が婚約者ながら、相変わらず人外じみた容姿と能力だこと。
「それ、あんたも両方の面で大概だからね、あやめ」
遥が何か言っているけれど今はスルー。大抵のことは人様よりも上手くこなせる自信はあるものの、龍哉ほど規格外の手際は持ち合わせてはいないので。
「いや、あの神サマが比較対象になる時点でどうなのよ?」
そして、辻野さんは大きな瞳をきらきら輝かせ、面と向かって龍哉に名前で呼び掛けていた。……いい度胸と言うか無謀と言うか。とりあえず、惨劇にならないことだけは祈らせていただきましょうか。
「さ、あやめ、帰ろうか。今日は金曜だから、我が家に直行でいいよね?」
ああ、週末恒例の死亡フラグが立ってしまいました。
と言うか、目の前の超美少女は完全に無視ですか、そうですか。
「ま、待ってください龍哉先輩! 私、辻野さくらです! 昔、同じピアノ教室に通っていて、先輩と連弾をしたことがあって……覚えてくださっているでしょう? 私、ずっと先輩にまた会いたくて、この学園を受験したんです……!」
うるうるお目々で訴えてくる様子は、私が龍哉ならうっかり抱き締めたくなるほどいじらしくて可愛い。「あれはあざといって言うのよ」なんて遥が冷静に突っ込んでいるけれど。
それはともかく、龍哉のピアノの連弾……ああ、確か七年くらい前に、龍哉から聞いたことがあったような気が。
「……ああ、もしかしてあの『さくらちゃん』かい? そう言えば確かに面影があるような」
「はい!……よかった、覚えていてくれて。先輩、私はあの時からずっと──」
「うん、すっかり思い出したよ。教室が終わる時間の間際になって、何の前触れもなくいきなり泣きながら、『先生! わたし、龍哉くんと連弾がしたいんです! お引っ越しで、この教室は今日が最後だから、思い出に大好きな人と一緒にピアノを弾きたくて……だからどうか、お願いします!』なんて強引に先生を説き伏せてたね。お陰で僕の帰りまで遅くなったものだから、家の皆に無駄な心配をかけたのをよく覚えてるよ。その割に演奏はほとんど僕が気を遣って合わせなきゃいけなくて、何も面白くなかったし」
「「「……………………」」」
フラグを完膚なきまでに粉砕するあんまりな言い草に、『さくらちゃん』は勿論、ギャラリーに徹していた遥と私も絶句した。
確かに当時も、似たような愚痴を聞かされた覚えがあるけれど。
「おまけにその日はちょうど、あやめの我が家へのお泊まりの日でね。せっかく二人でお喋りしたりして、一緒に夜を過ごせると思って楽しみにしてたのに、帰ったらあやめはもう熟睡していて台無しだったよ。まあ、可愛い寝顔をじっくり堪能できたから、完全な厄日ではなかったけどね」
「……龍哉。まさか私の寝顔を、一晩中眺めていたわけじゃないわよね?」
「まさか。僕だってちゃんと睡眠が必要なんだから、流石に数時間くらいの話だよ。それに寝顔なら、今は週末になれば好きなだけ──」
「ストップ! もう、セクハラ発言は禁止だって何度言えば分かるの!?」
龍哉といい遥といい、もう少し場を考えた発言を心がけてくれないかしら。
慌てて口をふさいだ私の手をとり、龍哉は満足そうに微笑んで、手のひらに猫のように頬擦りをしてくる。……辻野さんよりも、こちらの方がよっぽどあざといと思うのよ。
「ごめんね。でも、これも僕があやめを好きすぎることから来る言動だから、許して?」
「……土日に、午前中からきちんと外でデートをしてくれるなら、許してあげるわ」
「うん、約束するよ。じゃあ帰ろうか」
笑顔で快諾し、龍哉はいつものように私をエスコートしてくれる。
その紳士の見本のような振る舞いに、周囲から一斉に溜め息がこぼれるのもいつものこと。
「みんなが見とれてるのは何も、神サマに対してだけじゃないんだけどね。じゃ、あやめ。神サマも、また月曜にね」
「ええ。ごきげんよう」
「いつもあやめのガードをありがとう、桐生さん。感謝してるよ。それと──」
「はいはい、任されましたよ。さて辻野さん、ちょっとこちらでお話いいかしら?」
「えっ、ちょ、ええっ!? 待ってよ、私はちゃんとゲーム通りにしたわ! なのに何で、龍哉との再会シーンがこんな変な展開に!? どうしてよー!!」
せっかくの可愛い顔を台無しにしながら、ずるずると遥に引きずられていく辻野さんを、私は内心合掌して見送る。
そして、神堂家のリムジンに龍哉とともに乗り込んだ……のはいいのだけれど。
「龍哉。どうしてわざわざ、私を膝に乗せるの?」
「ん? 勿論、あやめ成分補給だよ」
「私は必須栄養素か何か?」
「僕限定のね」
とうに見慣れているはずなのに、目まいがするほど綺麗な笑顔が間近にあって、思わず頬を赤らめてしまう。
「ふふ。あやめは相変わらず可愛い」
甘い声と一緒に下りてくる唇を素直に受け入れてしまう自分は、何だかんだとこの婚約者に惚れ込んでいるのだと、嫌でも実感できてしまった。
……これで、もう少しベッドでの酷使がなくなれば言うことはないのに。
愛人の二、三人程度なら怒るつもりはないので、結婚後には考慮に入れてもらうよう頼んでみようかしら……
「聞かないからね?」
即答ですか。声に出してもいないのに。
幸い、今週は酷使からは解放されそうだけれど、来週以降が……
ああ、『さくらちゃん』がもう少し真っ当なご令嬢だったらなあ……婚約破棄はできないけれど、愛人ならいつでもウェルカムだったのよ?
ちゃんと婚約者のことは好いているけど、そのことと全面的に酷使を受け入れられるかどうかは別問題な悪役令嬢でしたとさ。
以下、キャラクター紹介。
*瑞原あやめ(18)
乙女ゲームにおける悪役令嬢。ゲーム設定とは逆に、初めて会った時から龍哉に溺愛されている。
日本屈指の規模を誇る財閥の令嬢で、オールマイティな才女。容姿も国宝級の美女だが、本人は全く自覚なし。要は天然。
六歳年上の兄(学園理事長)と、四歳年下の弟(中等部生)がいる。なおどちらも攻略対象である。
*神堂龍哉(18)
乙女ゲームのメインヒーロー兼あやめの婚約者。超絶腹黒。
神堂グループの一人息子で跡取り。既に経営に携わる立場で、いくつかの部門を統括していたりもする。経済的にはいつでも自立できるので、学生結婚の許可を得るために瑞原家のメンバーに直談判した過去があるが、あやめの兄に光速で却下された。
*桐生遥(18)
あやめの親友。ショートヘアの中性的美人で突っ込みポジ。
本人の意識や感性は一般人だが、父親が警視総監だったりするので、世間的には一般人とは見なされないかもしれない。
父やその仲間にあらゆる格闘技を仕込まれており、将来はSPを目指している。が、いずれ龍哉に引き抜かれて、あやめの私的ボディーガードにされそうな気がする。そうなっても別に文句はないけど。
*辻野さくら(16・中身22)
乙女ゲームのヒロインにして転生者。
ゲーム設定では、ピアノと文系科目が得意な超美少女。ただし中身の前世が音楽ダメダメだったため、現実はスペックの食い違いで割と残念なキャラとなってしまった。ゲームに関する記憶はばっちりだったので、それを頼りに龍哉ルートを再現しようとしたが、あえなく失敗に終わる。
場合によっては、姉と遥から話を聞いた瑞原家次男が、珍獣見物のノリで接触してきてフラグが立つかもしれないし、そうでもないかもしれない。




