35話 無邪気な少年トア
俺はトパーズ達の部屋を離れ、外に出て、森にいた。
なんとなく、外の風に当たりたくなったのだ。少し冷気を含んだそよ風が、火照った体に丁度よい。
「……あとで、俺もトパーズとお喋りするか」
どうして俺が、あの部屋を後にしたのか、それは、俺が“家族愛”というものに、コンプレックスがあるからだろう。
小さい頃からそうだった。周りの同年代の子が、両親と仲良く手を繋いで歩いているのを見るだけで、今回みたく胸がきゅっと締め付けられる。
……俺がちょっと、欲張りなだけなのだろうか。
そんな風に、“普通の愛”が貰えなくても、住む家はあったし部屋もあったし、3食のご飯が食べられて学校にも行けて、暴力や暴言を言われることもなかった。必要最低限のものは、親から貰えていた。
だから、それ以上の愛情や会話を求めた俺は、ただの欲張りなのかもしれない。
──何が正解で何が駄目なのか、最初からもう、分からない。
…………
「ああーー! 暗くなるな俺! どうせ俺は、これから一生パラミシアで暮らすんだ! 将来に関係のない過去にウジウジしてどうするーー!!」
目一杯の大声で、俺は叫んだ。疲れて少し、肩で息をする。
あぁ~、我ながら、俺って感情の落差がスゲー激しいよなぁ。一応自覚はあるんですよ。それが面倒臭い性格だってことも。
「……やることないし、素振りでもしとくかぁ」
剣は今手元にないため、俺はそこら辺に落ちていた手頃な長さの枝を拾った。
イアの稽古を思い出して、型に気を付けながら枝で空気を斬る。そうすると、ひゅっと音がした。縄跳びで二重飛びをすると、必ず聞こえるあの音だ。
ランビリスさんも今頃、トパーズと言葉を交わしているのかな。
そういえば、トパーズって俺だけじゃなく、ランビリスさんとも初対面なのか。
つーか、トパーズって名前長い。よし、イアやルアと同じ感じで、愛称は“トア”だ。うん、よいではないか!
ランビリスさんの名前も長いんだよなぁ。まーでもなんか、ランビリスさんを愛称で呼ぶなんて、なんか失礼な気がしてできないし……
と、そんな時
「く~~! 何年かぶりの日光浴サイコー!」
「!?」
突如後方から、聞き覚えのない声がする。
驚いて咄嗟に振り返ると、そこにはぐっと背伸びをするトアの姿があった。
「トアあ?!」
思わず、先程考えたばかりのトパーズの愛称で叫ぶ。
「ん? トア?」
「あ、あ~悪い、俺が勝手に考えたトパーズのニックネームだ……」
「おお! いいねトア! イアとルアとお揃いだ~♪」
そう無邪気に笑うトア。
無表情にベッドで眠るトアじゃあない。初めて見る、トアの表情の変化だった。
イアが話していたとおり、明るく元気で前向きな子のようである。
──いやそーじゃなくて!
「えっ待って、とゆーかなんでトアがここに?」
ついさっきまで、イア達と感動の再会を果たしていたではないか。
「俺もちょっと、久しぶりに外を満喫したくて。イア達の最近あったことは、前から聞かせてもらってたし、そこまでの長話にもならなかったんだ~」
「そ、そうなのか」
感動の再会って、案外あっさりしているものなんだな……
てっきり、普通に何時間も話し込むと思ってたから、めっちゃ驚きなんだけど。
「あっそうだ、まだ言えてなかった」
何かを思い出したように、トアが声を上げた。
「ん、どうしたんだ?」
俺は尋ね返す。
するとトアは、真剣な顔つきで俺の方に向き直った。何やら真面目な話があるらしい。
「俺を助けてくれて、ありがとうございます!」
トアが頭を下げた。見事な90°のお辞儀である。
ぎょっとし、俺は慌てて、顔を上げるように言った。
「お、大げささ。俺はそんな大したことは……」
「大したことだよ!」
言われたとおり顔を上げ、トアは大きな声で言う。
「あなたがいなかったら、俺は今もずぅと暗闇の中だった。言葉だけじゃ伝わりにくいかもしれないけど……本当に、命の恩人なんだ!」
その迫力に、俺は言葉を詰まらせる。
……これは、これ以上謙遜するべきじゃないな。
「……そうか──そう思ってくれたなら、俺も頑張った甲斐があったな! こうやってトアと話すことができるようになって、凄い嬉しいよ」
そう言い笑う。
トアも、すぐに笑い返してくれた。
ほんと、純粋で良い子のようだ。
「そういえば、イアとルアはどうしたんだ?」
「ん~? なんかね~、二人ともパーティーの用意だって」
「へぇ、じゃあトアの為のパーティーだろうな。愛されてるねぇトア」
「うん! 二人とも俺のこと、本当に大切にしてくれてるんだ~! 俺も二人のこと大好き!」
「はは、まさに、絵に描いたような完璧な家族像だな。……羨ましいよ」
「兄貴だって、イアとルアから好かれてるじゃん」
「え~、それはあり得な──えっ兄貴?」
聞き慣れない珍しい単語の登場に、俺は思わずトアに尋ねる。
見渡す限り、今この空間にいるのは俺とトアの二人だけなため、つまり、兄貴=俺ということになるわけだが──えっ兄貴?(2回目)
「ん? そーだよ。兄貴は兄貴」
「……なんで兄貴呼び?」
「ん~嫌だった?」
「あ~いや別に、そういう意味じゃないけど。兄貴って、珍しい呼び方だなぁって思って」
「そうなの? ……俺が寝てる時に、よくルアが本を読んでくれたんだけどね? その本の登場人物が、そのリスペクトする人のことを兄貴って呼んでたんだ。だから、かっこいー! って思って。ケーイって意味もあるし?」
敬意のことかな?
「だから兄貴は兄貴なんだよ!」
オレンジ色のキラキラした瞳を、こちらに向けてくるトア。
そ、そんな目ぇされたら、断るもんも断れねぇって……
「……よし分かった。今日から俺は、お前の兄貴だ!」
もうこの際だ。とことんやろう。
「わーーい! 兄貴兄貴♪」
トアがその場でぴょんぴょんジャンプする。ほんの数時間前まで、ベッドで寝たきりだった少年とは到底思えない。
あとやっぱり、声も男にしては高い方だから、どうしても女の子に見える……こればかりは、俺が慣れるしかないか。
にしても、そんなにこれが喜ぶことなのか?
「ねぇ、兄貴はここで何してたの?」
「あ、えっと、枝で素振りをしてたんだ。何もしないのは、なんだか時間が勿体ない気がしてな」
「へ~。そういえば兄貴って、イアから稽古受けてるんだよね? イアって、今はそんなに強いの?」
「……え?」
思わず、とんちんかんな声を上げてしまった。
「えっ、そう聞くってことは……イアって、昔は全然強くなかったのか?」
少なくとも8年以上前は。
それにトアが頷く。
「うん。剣を持ってるところも見たことないよ。基本的に戦ってたのは俺だし。こっちに来てから剣の練習をし始めたらしいけど、腕前は実際に見たことないから分からないんだよね」
「そ、そうだったのか……」
意外だ。てっきり、イアがずっとルアとトアを守っている感じかと思っていた。
けど実際は、守ってくれていたトアが昏睡状態になってしまったから、イアが剣術を学び始めたってことなのか。
「兄貴から見て、イアは強い?」
トアが再度尋ねてくる。
「ああ、めちゃくちゃ強いぞ。あれは人間にできる動きじゃねぇわ」
だからイアと俺とで身体能力のさじ加減が合わず、よく達成不可能なメニューを押し付けられる。
この前なんて、空を飛ぶ鳥を剣で仕留めろだぜ? 俺は空は飛べません! 木をいくつか飛び登って、その勢いで鳥に追い付けばいけるらしいが、それも俺には実行不可能です!
「──そっかあ♪」
トアは俺の返答を聞き、嬉しそうに笑った。姉の成長が嬉しいのだろうか。
「俺も今度から、イアに稽古つけてもらおっかな~。大分体も鈍ってるだろうし」
肩と首をぐるぐる回し、ポキポキと音を鳴らす。
鈍ってるっと言っているが、俺が今トアと戦っても余裕でトアが勝つんだろうなぁ、と直感的にそう思った。
「俺的にはオススメせんぞ。イアの稽古、めっちゃスパルタだから……」
「でも兄貴は受けてるんだよね?」
「う……あっま、まあな」
「なら大丈夫だよ。きついだろうけど、それ以上に得られるものの方が大きい気がするんだ」
この子、なんてポジティブな子なんだ。
「なら今度から一緒にやるか」
「うん!」
そんなこんなで、時間は瞬く間にに過ぎて行く。
話し込んでいる間に、気付けば空は赤くなり、吹く風も若干冷たくなってきた。
「そろそろ戻るか」
俺がそう言うと、トアはこくりと頷いた。腕を擦りながら、二人で具竜荘へと戻っていく。
今日から6月だというのに、日本のような暑さはなかった。
ラウンジには、イアとルアとランビリスさんが揃っていた。
机の上には、いつもより豪華な夕食が並べられている。メインはハンバーグで、一番目を引くのは中央にある巨大ホールケーキチョコレート味だ。これもルアが作ったのだろうか。
しかしパーティーと言う割には、部屋が装飾されている様子はない。
「わーい! ハンバーグ、俺の好物だ~♪」
どうやら今夜のメニューは、トアの好きな物で固められているらしい。
「まあ、今日くらいは……。明日からはちゃんと、栄養バランスが取れた食事にしますけど」
普段のルアが作る料理は、全ての栄養が平等に取れるようになっている、健康的なものだ。しかし味はしっかりついていて、あんな美味しい料理を食べるだけできちんと栄養が取れているとか、俺にとっては得しかない。
だから別に、え~明日もこういうメニューがいい、とはならないわけで。
そして並んで見ると、やはりそっくりなこの三つ子。三つ子だから当たり前か。分身の術でも使っているのではと思う。
それからコップを合わせ、夕食はスタートした。
いつもよりちょっと華やかな食事というだけで、他は普段とあまり変わらない。
しかしそれが一番、全員にとって心地よい食事なんだと思う。
ただ、以前よりも笑顔が増えた。トアは常に明るく笑顔だし、イアも笑顔を浮かべる回数が増えた。ルアも時々、微笑を見せるようになったし、そんな様子を見て俺とランビリスさんも笑う。
これが、本来あるべき具竜荘での食事風景なんだなと、俺は甘いケーキを口に運びながらそう思った────
次回、『チャプターⅠ』完結です。