32話 やることはまだある
5月14日木曜日。
怨念の宝具を浄化して、早いことに3日が経過していた。
あの色々ヤバイ魔族もコスミマから姿を消し、あれ以来同じ路地を訪ねても、もうそこに奴の姿を見ることはない。
といっても2回しか様子見に行ったことないんだけどな! まあ流石にもういないだろ、うん。
ルアによるとコスミマの感染症は、根源となっていた宝具を浄化したことにより、綺麗さっぱりなくなったそうな。
既に感染してしまっていた人たちも、続々と体調の回復に向かっているという。
幸いと言っていいのかは分からないが、今回の騒動による死亡者は、数人程度で済んだらしい。
俺はあまり知らなかったのだが、感染はかなりの大規模であり、これだけの犠牲者に止まったことは“奇跡”と言っても過言ではないそうだ。
実感はなくとも、奇跡という単語を聞けば、なんとなく良い方なんだなと思える。
ちなみにこれらのことは全てルアとイアから聞いた話であり、これ以上の詳しい情報を俺はまったく知らない。
一応俺はこの奇跡を作り出した張本人なのだが、もう過ぎたことなのであまり関心がないのが、正直なところだ。
この関心の薄さは、我ながら些か問題かもしれないと自覚はしているのだが……。
しかし、俺にもやることがあったんだ。今回ばかりは致し方ない。
──そう、トパーズを助けるという、さ────
◇◇◇
「────ということがあったんだよトパーズ。俺、英雄になっちゃったかもしんない」
話しかける先にいる少年──トパーズは瞼を閉じ、雪のように白い肌はピクリとも動く気配がない。
片手に触れてみるとそれは冷たく、しかし僅かに生命を感じさせる温もりもまた、残っていた。
……やべー、やっぱまじまじと顔みるとこいつ、女子にしか見えないわ。男の娘って、こういう奴のことを言うためにある言葉なのか納得。
握っていた手を戻す。そして俺は少し、瞳を閉じた。
俺がトパーズに向けて話していたのは、3日前のあの騒動。
トパーズも、ただ寝ているだけじゃ暇だろう。
だから話していたのだが、あんなヤベー話じゃ、気分を悪くしただけだったかもしれない。あと、説明がくそ下手だったのは許してくださいお願いします合掌。
……目を閉じていると、今でもまだ、あの魔族の狂った笑みが、記憶の端から蘇ってくる。
漫画やアニメじゃ、サイコパスはよく見るキャラクターだが、流石に現実であんなサイコパスと出会ったのは人生初だ。
やはり、フィクションとノンフィクションでは、根本的に全てが比べ物にならないくらいに違う。衝撃が強すぎた。……あんな笑い、生で見たくなかったな。
瞼を開けると、部屋の明かりが少し眩しく感じられた。
トパーズを見ると、先程から1㎜たりとも動いていない。けれどどこか、急に黙った俺を心配してくれているように見えた。……俺の変な思い込みなのかもしれないが、それが嬉しかった。
俺はふっと笑うと、また口を開く。
「でさ~聞いてくれよ。イアの奴、まーたトレーニングメニューを増やそうとしてくるんだぜ? あれ以上増やしたら、回復が天才的に上手な俺も流石に過労死するって~!!」
できるだけ明るい口調を心がけて、俺はイアの愚痴をトパーズに話す。
やはり、トパーズにとってはコスミマの感染症よりも、自分の姉たちに関することの方が聞きたいんじゃないかと思ったからだ。
……まあ、俺が愚痴を発散したかったってのもある、かも。ははは……。
ほんとイアの奴、人間がどれだけデリケートな動物か知ってるんですかね!
「あ、あとあと、ルアがこの前珍しく料理で失敗したんだよ。塩と砂糖を間違えたんだってさ。それがもーー作り話みたいで面白すぎてさ! ……笑ってたらルアから思いっきり腹にグーパン食らいましたマジで痛かったです……」
そしてその後の冷たい視線も痛かったです。
もう絶対にルアの失敗を笑ったりなどいたしません。
俺はとても反省しましたごめんなさい。
あれは24時間が経過した頃、ようやく許してもらえた。
トパーズに話せる話題は、考えてみると次から次へと溢れ出てくる。
ほんと、あいつらといると暇しないな。……俺が勝手に騒いでるだけかもしんねーけど!
まぁ、それだけ毎日が充実しているということだ。それは、とても幸せなことである。
「ちなみに今日も、この後はイアのトレーニングが入ってるんだ。昨日8時間ほぼぶっ続けで剣振り回したのに、今日も他にまたやることがあるとかスゲーよな。剣技の道は、どれだけ鬼畜なことや」
返事が返ってくることはない。けれど、俺は話し続ける。……こういう一方通行は、小さい頃から慣れてるから。
「トパーズは剣とか得意なのか? 俺はイアからは、可もなければ不可もないって言われたな。つまりヘーボンなわけだ、悲しいねぇ」
トパーズは、瞬きすらもしない。人形以上に動かない。ただ、そこで“眠っている”。
「……時々考えるんだけどさ──俺は一体どのレベルまで強くなれば、魔族から自分の身を守れるのかな?」
これは、本当に素朴な疑問。
これだけ努力した今のレベルでも、俺はまだあの弱っちい(であろう)サイコパス魔族とすら、まともに渡り合えない程のレベルだという。
「魔族強すぎるだろ?! 戦ったことないけど分かるよ、チートだチートだってね! この世界、人間と魔族の力関係があまりにも釣り合ってなくね?!」
思わず、声が大きくなった。それを自覚し、慌てて口を塞ぐ。
「あぁ、悪いなトパーズ……つい大声出しちまった」
おほん、と一度咳払いをし、また話を再開させる。
「まあだから、俺が何を言いたいかっていうとな──こうして生きられているだけでも、スゲー幸せなことなんだなって、そういうこと。────って、なんか話の路線が全然違うとこに行っちゃったな。最初なんの話してたんだっけか? たく、誰だよ話そらした奴……俺か!?」
そんな一人漫才を素でかまし、俺は立ち上がる。
「結局、俺の愚痴ばっかになってごめんな。いや~静かに聞いてもらえると、ついつい本音がぽろっと出ちまう……。今話したこと、男と男の秘密だぞ? 姉さん達にバレたら、俺が怖い目に遭っちゃうからな!」
部屋の壁掛け時計に目をやると、そろそろイアとの稽古をする時間だ。早く行かないと、イアにトレーニングメニューを倍にされてしまう。それだけは避けたい。
「じゃあそろそろいくわ。トパーズ──もうちょっとで、お前を救えるかもしれない。だから、それまで頑張れよ!」
言ってから、ちょっとクサイ台詞だったなと我ながら恥ずかしくなった。
なんだよ俺は、患者に語りかける医者かよ!
部屋のドアを開け、トパーズの方を振り返った。俺はニカッと笑う。
「じゃあな!」
手を振り俺は、時間に間に合うよう駆け足で部屋を後にしたのだった────