15話 疲れは夜をも蝕む
時は過ぎて、午後6時──
場所はギルド──
午後4時過ぎに魔石発掘を終えた俺たちは、つい今、クエストの報告と報酬の受け取りのため、またギルドまで戻ってきた。
外は少し暗くなってきていたが、ギルドの中は人でいっぱいだ。外は人がほとんどいないのにも関わらず、だ。
感染症が飛沫感染なら、外よりもこういう人が密集した室内の方が危ない気がするんだが……まあ俺もそのうちの一人なわけだし、とやかく言える立場じゃないな。
俺たちの今回の成果は、ルアの採掘しためちゃくちゃ綺麗な魔宝石14個、クエスト達成条件のほぼ3倍だ。それに加え、俺が削った魔水晶と魔鉱石が合わせて12個。ルアも気分転換に何個か削ったらしいから、もうちょいある。
魔宝石と比べれば、魔水晶を削る作業はとてもeasyらしい。それ故の気分転換。俺が神経すり減りながらやってたことが、気分転換ですよ皆さん。
あとは、俺が無心で拾い続けた魔塊が、数え切れない程ある。
ん、イアが掘り出していた魔石はどうなったかって?
流石にあの量を全て綺麗に削るには、気が遠くなるような時間がかかるため、持ち帰っては来たが、今回のクエスト成果には出していない。ちゃんと余分な部分は削らないと、成果としてはカウントされないらしいからな。
また暇な時にでも、ルアか俺がコツコツ削って、質屋かどっかで売るつもり。
イアは……見た目によらず結構な怪力の持ち主らしくて、力加減が言うことを聞かなく、削り出し最初の一発でいつも、魔石を粉々にしてしまうらしい。
それを本人が痛い程自覚しているため、イアは削り出しを行わない。
俺もそれを聞いて「それりゃあ止めた方がいい」と同意を表した。
ただ、クエスト成果を伝える役目は、イアだ。このメンバーの中では一番ギルドを利用してるし、手続きも手慣れているから。
俺とルアは、受付カウンターに一番近い位置にあるソファに、長机を挟んで座り、待っている。
そのため、受付人とイアの会話が、こちらまで余裕で聞こえてくるのだ。
「こちらが、今回お受けいただいたクエストの報酬になります」
「ありがとう」
受付人が、トレーに乗せられた銀貨の山を、カウンターへ置いた。その銀貨の山に、遠目で見ていた俺は目を見張る。
受付の人が丁寧にお辞儀をした後、イアがトレーに乗った山盛りの銀貨を、俺とルアの座るテーブルソファまで運んで来た。
イアがちゃんと前を見えているのかが不安になる程、銀貨は高く積まれている。
「はいお待たせ」
トレーが机に置かれた瞬間、ドンッという少し大きな音がなった。かなりの重さがあったのだろう。
それにしては流石はイア、重さを少しも苦に感じている様子はなかった。
俺が持っていたら、重みで銀貨をぶちまけていた可能性もあったため、イアが行ってくれて良かったと本気で思う。
銀貨を置いたイアは座ろうとはせず、俺から見て右、ルアから見て左の場所で立ったままだ。
俺は机の銀貨へ、視線を戻す。
ざっと25㎝くらいの高さに積まれた銀貨のタワーが、5つあった。
「思いの外増えましたね、報酬。元は銀貨100枚でしたが、これは?」
「ぴったり500枚だそうよ」
「ごひゃっっ?!」
待てよ待てよ~?
冷静に計算すると──50万円?
大・金!
そんな大金を、こんなどうどうと机に出していていいのだろうか……
「へぇ。魔宝石14個で、銀貨300枚は堅いと思っていましたが、そこから更に200枚もプラスされるとは……」
ルアも、表情こそ変わっていないが、結構このプラスアルファの報酬には驚いているようだ。
「リョーガが死に物狂いで集めた魔塊が、思いの外プラスされてね。結構な量もあったし」
「おっ、俺役に立てた感じ?」
「そうね、今回は、ルビーの次にMVPかしら」
「いえーい! まっ、ルアには勝てんわな」
約4時間淡々と、神経を使う精密な同じ作業をやり続けたルアには、心の底から感服する。
超えられるわけありませんよ。
「……やはりサファイアは、討伐クエストの方が向いていますね」
自身の発言に納得するように、頷くルア。
「そうねぇ……毎回実感させられるわ」
イアもまた、自身の発言に頷き、そしてがっくりと項垂れた。
自分で自分の首を絞めた感じである。
討伐クエストでのイアの腕前を知らない俺は、このやり取りに肯定も否定もできない。
ただ、稽古をつけてもらっている身からして、イアが本当に腕利きなのは、疑う余地がないと思う。現に、イアのギルドランクがプラチナという話が、それを物語っているわけだ。
「……で、今回の報酬の内訳だけど、私・ルビー・リョーガで1・2・2でいいかしら?」
「あれ、イアだけ1?」
「ええ。私は今回、大した貢献はしてないもの。ほぼ全部、ルビーとリョーガの力」
なんか、あっさり素直に認めてもらえたな……
イアも十分貢献してたと思うけど。アステリ洞窟に隠された、秘密の空洞を見つけ出したのはイアなんだし。
「まあ今回の目的は、一文無しのリョーガのお小遣い稼ぎの為でしたし、それでいいんじゃないでしょうか。で、それぞれの内訳の半分を、具竜荘での食費などに回すということで」
「そうね。じゃあ実質の配分は、私が50枚。ルビーが100枚。リョーガも100枚で大丈夫かしら?」
「はい、異議はありません」
「俺も異議なし」
「よし、じゃあ決まりね」
「でも、銀貨500枚なんて、具竜荘まで持ち帰るの大変じゃないか?」
日本だと、千円以上は紙幣だからあんまり嵩張らないけど、これは硬貨だし。
「あぁ、リョーガは知らなかったのね」
「えっ何を?」
まさかのまたまた、新常識か?
「硬貨って、たくさん持ってるととても嵩張るでしょ? でも、銅貨100枚で銀貨1枚の価値になるから、どうしても銅貨をたくさん持ち運ばないといけない」
「まぁ……そうだな」
例えるなら、銅貨10枚の商品を買うのに銀貨1枚で払ったら、銅貨90枚のお釣りがくるってことだもんな。90枚ってヤバイじゃん。
「それで使うのが“カード”。まぁ、名前そのまんまだけど……カードに硬貨をチャージして、それで買い物をするの」
あれ、待ってこれもしかして……
「だからカード1枚あれば、いいってわけ。ギルドの報酬は、カウンター横にあるチャージポイントでカードへチャージするわ」
やっぱりキャッシュレスだろこれ?! 異世界にしてはやけにハイテクだなぁ!?
洗濯箱といい無限袋といい、パラミシアが日本と比べて技術が進んでるのか遅れてるのか分かんねー。
「ちなみに最初からカードにチャージせずに、直接硬貨で報酬が支払われるのは、チームを組んでクエストを行った人たちが、今回の私たちみたいに報酬の配分を自分たちで決められるようにするためよ。決まったら取り分の分、自分でチャージできるってわけ」
「成る程理解。──ってあれルアは?」
俺がイアの話を聞いている間に、目の前にあったはずのルアの姿がなくなっていた。
どうりでルアが、説明に口を挟んでこなかったわけだ。
「ルビーなら、先に報酬をチャージしに行ったわよ。あっあと、具竜荘全体で使うお金を管理してるのもルビーだから、そこのところよろしく」
──確かに机を見ると、積まれていた銀貨の3分の2程が無くなっていた。
具竜荘での食費などに回す、銀貨250枚分をルアがチャージしに行ったのが原因だろう。まぁ、ルアなら安心だな。
というか、いつの間にかいなくなってるって、お前はやっぱり忍者かよ。
「あっ待て、俺そのカード持ってない」
今頃だが気が付いた、とても重大な事実。
嫌だよ? 俺だけ銀貨100枚抱えて、1時間の道のり歩くなんて絶対嫌だよ?
「安心しなさい。ギルドの受付人に頼めば、カードは無料で作ってもらえるから」
あっさり言うイア。
良かった、要らん心配だったな。
あっでも──
「カードが誰かに盗まれたりしたら、勝手に金が使われたりとかするか?」
日本だと、そこら辺は対策されてたような気がするが、パラミシアではどうなのだろう?
「それは自業自得ね。諦めるしかないわ」
「ええ?!」
解決法ないのかよ?!
「だから1枚のカードに全額をチャージするんじゃなくて、カードを何枚か作って、手持ちのお金を分散させるのよ。そうすれば、仮に盗まれたとしで、損失はそこまでのものにはならないわ」
「は、はぁ……」
海外旅行の時に、スリに遭った時のために財布を何個も持っていくようなやつじゃん!
正直本音言うと、めんどくせ~……
「めんどくさいって顔しないの」
ヤバイ顔に出てた!?
と、そんなことをしているうちに、ルアがチャージから戻ってきた。
「お先でした。次どうぞ」
俺とイアを交互に見ながら言うルア。
その言葉を受け、俺は立ち上がった。イアは元から立ってたけど。
「カードを発行してくださいって頼めば、後は受付人の指示に従えばいいわ」
「分かった」
イアは銀貨を持って、カウンター横のチャージポイントへ向かったが、俺は何も持たず、先にカウンターへ向かった。
受付前に立つと、優しそうな雰囲気の女性が、こちらへ頭を下げた。
「ようこそ。本日はどのようなご用件で?」
とても流暢で丁寧な言葉遣いで、受付人は俺を真っ直ぐ見る。
「カードの発行をお願いしたいんですが……」
少ししどろもどろしながらも、俺はイアに言われたとおりの言葉で頼んだ。
「かしこまりました。では、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「す──リョクガです」
危うく、癖で名字から言いそうになったのを、ギリギリで止めた。
「リョクガ様ですね。──では、こちらの石板に右手をかざしてください」
名前を確認した後、カウンターの下から、大理石のような石板が出され、それがカウンターの上に置かれる。
俺は言われたとおり、石板に右手をかざした。
これって指紋認証とか、そういう感じか?
データを取るって部分では、きっと合っているだろう。
そして右手をかざして1秒も経たないうちに、石板がほわっと淡く光った。音とかは鳴らなかったが、多少驚く。
「──はい、大丈夫です。右手をお戻しください」
そう言われ、俺は右手を石板から離した。
「カードを発行致しますので、少々お待ちください」
カードの発行は、なんと10秒程度で終わった。お待ちくださいと言われたが、全然待ってませんよ!
「こちらが、リョクガ様のカードになります」
トレーに置かれ渡されたのは、日本でも馴染みのあるポイントカードと、ほぼ同じ見た目をしているカードだ。形も普通に長方形で、右下に発行日時と名前が記されていた。
うむ、なんの変哲もないな。
俺はそれを手に取り、ポケットへと閉まった。
「そういえばリョクガ様は、ギルドに登録をされていませんね。この際、ギルドへの登録をオススメ致しますが、いかがなさいますか?」
「へ?」
予期していなかった質問に、俺は思わずそう聞き返してしまった。
ギルドへの登録?
「ギルドへ登録をすると、クエスト達成に応じてギルドランクが上がり、クエストによっては報酬がギルドから上乗せされることもございます。登録も無料ですので、是非」
俺はポカーンとなった。
そんなのイア達から聞いてねぇぞ!
てかギルドランクって、ギルドに登録しておかないと上がらないのかよ! 勝手に上がるものとばかり思ってた。
「あ~はい、じゃあお願いします」
登録しないと損だろうと思い、俺はあっさりとギルドへの登録をお願いした。
この手続きもかなりあっさりと終わり、こうして俺は、めでたくアマチュアというギルドランクを獲得したのだった。
◇◇◇
1時間という、長いのか短いのか、よく分からない距離の帰り道を歩き、夜の7時。丁度星が見えてくるこの時間、俺たちはようやくマイホームの具竜荘へと帰ってきた。
まだ宝具店内で仕事をしていたランビリスさんに、ただいまという挨拶をして帰宅を報告し、俺たちはラウンジまで来る。
今日は新しいことの連続で、もう体力は限界に近づいていた。
ルアなんて、ラウンジに入った瞬間、中央の切り株椅子に座って丸太テーブルに突っ伏したもん。
「もう無理です……指先一本動かせません……」
しかもルアには珍しく、そんな弱気な発言も飛び出していた。
毎日鍛えているイアは、まだまだ涼しい表情でルアの隣に座っていたが、稽古をしていないルアはもう、俺以上に心身共に限界を超えていたようだ。
普段体力作りをしていないわりには、スゲー体力ある方だと思うけど。
スライムのように脱力して突っ伏すルアと、まだまだ元気ありありな様子のイア、この二人が並んで座る光景は、その正面に座る俺から見て、かなり異様な光景だ。
こんな様子では、ルアは夕食など作れそうもないし、寧ろ無理して作らないでほしいため、今日は保存食のカレーを食べることになった。
ルア以外の人物が作ってもいいんだが、俺もルア同様、夕食を作れるだけの体力も気力も残ってないし、体力は残っているが、カレーの鍋を爆発させたというイアは、もちろん論外だ。
ランビリスさんも、ここ最近は料理を作っておらず腕に自信がないとかで、結局残った選択肢が保存食だったというわけ。
味はやはり、ルアの手料理には及ばないものの、それでも腹は空いていたため、全員すぐにカレーを完食した。イアなんて、ものの1、2分で食べ終わっていた。
ランビリスさんに今日の成果を聞かれ、色々話しているうちに、あっという間に1時間程が過ぎる。
疲れてはいるが、やっぱりこういう団欒しながら何かを話すのは楽しい。こんなに食事が楽しいなんて、パラミシアに来て初めて知った。
もちろん、ルアの美味しい料理があればもっと楽しいがな。
食器の後片付けは、今日はランビリスさんがやってくれるという。
イアもやると言ってたが、食器が割れるからと言ってたルアに速攻拒否され、今落ち込んでいるところだ。
怪力だから割っちゃうのかな? 未だに、あんな小さな手をしたイアが怪力という話は、少し信じられないが……
後俺たちがやることは、風呂に入って寝るだけ。あっ歯磨きもな!
そして、時間は過ぎていく────
◇◇◇
「──zzz──zzz────っんあ?」
突如、なんの前触れもなく、俺は目を覚ました。
別に、蝉の鳴き声に魘されたわけでも、蚊の音に苛立ったわけでもない。というかそれは夏だし。
本当に、自分でも驚く程突然だった。
俺は寝ていたのだ。
そう、風呂に入り、ランビリスさんに貰ったラフな服装に着替え、歯磨きもし、俺は今の今まで気持ち穏やかに寝ていた。
しかし、起きてしまったぁ……
今日は疲れたから、朝までぐっすりと気持ちよく寝られると思っていたんだが……どうやら、疲れ過ぎて逆に起きてしまったらしい。
ついでに眠気も綺麗さっぱり吹き飛んだ!
「──水飲みに行くか……」
このまま再び目を瞑っても、もう寝られる気はしないし、喉を潤そう。
温かいココアを飲んだ方が、眠気が起きやすいって言われてるが、実際は冷たい水なんかを飲んだ方がいいらしい。冷た過ぎるのも逆に駄目だが。
おぼつかない足取りで、俺はベッドから出て部屋の扉を開けた。皆を起こさないよう、足音を立てないように気を付けて進む。
電気のついていない具竜荘のラウンジは、小さな窓から差し込む星明かりで、微かに辺りが目視できる程度だった。
目を凝らして前を見ながら、家具に当たらないように注意して、俺はキッチンへたどり着く。
真っ白なシンクには傷の跡一つなく、とても綺麗に手入れされた様子が見てとれた。
よく食器運びの手伝いはしていたから、グラスのある場所はすぐに分かる。食器の棚は、シンクの上にある。
それを、俺は余裕のよっちゃんで取り出した。高さ的には身長約170㎝の俺が、丁度上の段の食器を取れるくらい。
12歳の身長であるルアは、いつも踏み台を使っている。その様子を思い出すと微笑ましくて、俺はふっと笑いが溢れた。
──おっと、それよりも水水。
右手に持ったグラスを蛇口の下へ持って行き、捻って水を勢いよく出す。コポコポと、グラスの中へ水が溜まる音が辺りに響いた。
3分の2程まで水が溜まったのを確認して、蛇口を閉める。
グラスを上から覗き込むと、その水面には俺のちょっと眠気のある顔が映った。自分の眠気が復活していることに、その表情を見て初めて気が付いた。
自覚すると、つい欠伸が漏れだしてくる。ふあぁ…………
パラミシア──というかコスミマは、日本と同じで水道水をそのまま飲める国(?)だ。
日本で暮らしていると、水道水を飲めることが当たり前のように感じるが、世界的に視野を広げて見ると、それができる国は意外と少ない。
それと同じでパラミシアにも、飲める地域と飲めない地域があるそうだから、気を付けないとな。
腰に手を当て、俺はゴキュゴキュとグラスの水を一気に飲み干した。
冷たい水が、体の中を川のように流れていくのを感じる。この感覚、結構好きな人多いと思う。
水を飲み干したグラスをシンクへ戻そうとする。でも途中で、俺はその手を止めた。
……このグラス、ちゃんと洗っとかないといけないよな。
洗い物一つないシンクを見て、それを思い出す。
一人だったら、明日の朝洗えばいいやとかできるけど、この具竜荘で、家事の全てをしているのはルアだ。このままほっといたら、このグラスを洗うのはルアになる。流石にそれは申し訳なさすぎる!
どうせなら、ルアの洗い物よりも綺麗にってくらいの心意気で洗っておこう。
皆寝てるだろうし、水音にも気を付けないとな。
洗い物は一つなため、すぐに終わった。
最後、水切り籠にグラスを逆さまにして置き、欠伸を噛み殺す。
元々の狙いどおり、眠気も戻ってきていた。やっぱ冷たい水がいいんだな。
俺は自室へ戻ってお布団ダイブをしようと、キッチンから視線を外してたくさんの扉の方向を向いた。
その時────
「──あれ、ルア?」
俺のこの呟きは、静まり返ったラウンジ一帯に反響した。
そしてそれは、上の階のとある部屋から出てきたルアにも届いたようで、遠目ながら、驚いた様子でこちらを見るルアの姿が分かった。
何でこんな時間にルアが?
いや、それよりも──
すでに表情を引き締めているルアが、スケルトン階段を足音を立てずに下り、こちらへとやってくる。
そのルアを、俺は真っ直ぐな視線で追い続けた。
……ただ真夜中に、たまたまラウンジで顔を合わせただけだ。それだけなのに、俺とルアの間には、自然とピリピリした空気が流れる。俺が特に意識してピリピリしているのではなく、その空気の約9割を作り出しているのは、ルアだ。
何か気に入らないことでもあったのか、それは俺には分からない。
「……こんな時間に、キッチンで何をされているんですか、リョーガ」
……気持ち、少し不機嫌そうに聞こえる声音で、ルアは俺に尋ねてきた。それに対して俺は、いつもの調子で普通に答える。
「なんか、今日疲れ過ぎて逆に目が覚めちゃってさ。また眠気を誘うために、キッチンまで水を飲みに来たんだ」
これに納得したように、ルアは数度軽く頷いた。
良かったぁ……なんか言いがかりでもつけられそうな雰囲気だったから、素直に受け入れてもらえて安心する。言いがかりつけられても、事実だから俺お手上げだし。
そして次は、こちらのターン──
「俺からも聞くが、どうしてルアがあの部屋から出てきたんだ? ルアの自室は、あの部屋の右隣だよな?」
ルアの自室に関しては、先日の夕食の時間にさらっと聞いた。
今時刻が何時かなんて知らないが、真夜中であることは確か。つまり、余程のことがない限りは、ルアも自室で寝ていたはずなのだ。それなのに、ルアは自室ではなく、その右隣の部屋から出てきた。それが、俺にとって不思議で不思議でたまらない。
無理に強制するつもりもないが、理由を教えてもらえれば、俺は今夜何ももやもやせず、健やかに寝られることだろう。これは、俺の安眠がかかった問題なのだ!
ルアはこちらを真っ直ぐに見つめ、先程と変わらぬ口調で言った。
「空き部屋の掃除をしていただけです。誰も使っていないと、すぐに埃が溜まってしまうので」
「なんでこんな時間に?」
「僕も今夜はなかなか眠れなかったんです。リョーガと同じ理由というのが、とてつもなく不快ですが」
分かりやすく表情をしかめるルア。
「俺と同じが不快とはどーゆーことじゃい。なんか悪かったな!」
ルアが俺を快く思っていないのは分かっているが、流石にこちらも言われっぱなしではいられない。まあなんか謝っちゃったけど!
「つまり俺と同じでぇ、眠気を誘う目的があって、ルアはあの部屋の掃除を今の今までしていたと、そういうことだな?」
「リョーガと同じ、という部分を強調しないでいただけますか。なんとも幼稚な煽りで、聞くに耐えません」
「そこまで言う?!」
「まぁそういうことです」
俺の言葉は華麗にスルーされ、事実だけを肯定される。
「──グラスはきちんと洗ってくれたようですね」
ルアが水切り籠に置かれた、水滴の垂れるグラスを横目に確認し、言う。
「ああ。頑張ったぜ!」
「頑張るシチュエーションを間違えているように感じますが──リョーガに、僕の仕事を増やさないように考える脳があったとは、驚きです」
「そこは素直にさぁ、ありがとうだろぉ?」
確かに定期テストではよく理科以外、赤点ギリギリの点数を連発してたけどさぁ……それはこれとは関係ねー!
相手を思いやる道徳的な心は、誰よりも持っとるわ!
「自分が水を飲んだグラスを、自分で洗うことは当然の義務です。──サファイアを除いて」
「それはそうだけど──ん、なんでイアにはその義務がないんだ?」
「サファイアが食器洗いをすると、食器が8割方割れて逆に散らかり、損害の方が大きいんですよ」
「あっそうだったな……イア……」
それは確かに、やらせちゃいかん。
「まっ、僕はもう寝ます。リョーガもさっさと自室へ戻って眠ってください。明日、寝坊したら承知しませんからね」
「怖い怖い。もちろん善処するよ」
なんかもう、寝坊したら首が飛びそうなくらい、ルアのオーラが怖いんだもん!
俺はそんなルアに別れを告げ、そろそろと部屋へ戻った。
ベッドにダイブしたいところだったが、物音が立つことに直前で気が付き、静かにお布団の中へと入った。
水を飲みに出た時にはあった布団の熱は、完全に冷めている。
目を瞑ると、睡魔は急速に襲ってきた。
そしてその直後、俺の意識は途絶える────
今回は長くなりましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます(*^.^*)
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