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告白体練習 四篇

作者: 式森悠馬

告白体練習 四篇


                式森悠馬




『一』


 ……私は、いささかふざけすぎまして、人間を忘れてしまいました。ある日の朝、鏡を覗いてみると、あれ、自分はこんな顔だったかな、と思い、一方他人の顔を見つめていると、あれ、人間はこんな顔だったかな、と思ったのです。唐突なこれは恣意的な思考では導かれないような孤高の現象と現実でありました。人間の顔から始まり、やがて頭、体、そして人格なども侵蝕の対象になってしまい、疑うようになりました。もちろん家族や友人に対しても同様でした。ですが、なるべくしてこうなったのだ、後にそう思わせる何かが私の心には度々訪れていました。

 私は優等生でありました。学校の教科でいえば特に数学が得意で、誰とでも気兼ねなく話し、積極的な行動ができました。しかしあの現象が始まってからは、それこそ砂の城が波に浚われ、崩れていくようにそれらをうまくこなすことができなくなってしまいました。崩壊というものに気がついていたにしろ、私は無力だったでしょう。崩壊に私の意識が集中する前にもう、それは静かに起こっていたのですから。またあらゆる崩壊が常に安泰の陰に潜んでいて、いつでも私たちが怯む瞬間を窺っていることも知りました。友人との会話を心底愛していた私も今では、「ああ、古きよ」と心の中でふざけて嘆くのです。実際は、対人の機会があるたび相当どきまぎしてしまい、人生で初めて不眠症を患ってしまいました。そのため、睡眠不足で成績は自然と下がり、活力が無くなっていきました。親からはひどく心配されました。友人も私の異変には敏感でありました。ですが私は人間の愛情なるものや友情なるものすらもどういう感覚で成り立っているのか分からなくなってしまっていたので、結局適当な嘘を吐き続けました。周りの人々の顔は、私と接するとき、一種特異な陰りが表れてきます。浅はかな同情よりも私は嘲笑の方が遥かに清々しいものだと考えています。

 さて、そろそろなぜこんな理不尽な現象が起こったのが解説を加えていきたいところではありますが、それが分かっていたならもう少しはましだったのでしょう。原因が自覚できていたなら、あくまで「罰」としてそれを受容しようと思えば、できるのでしょうから。私は何も知ることが許されていないらしいのです。我ながら可哀想と思ってしまいます。

 最近、よく思い出すのは私が真面目に生活していた日々の断片であります。それはいつもモノトーンで、人の話す声が籠もって聞こえてくるのです。登場人物の顔は黒で塗りつぶされて、漆黒の闇が顔に張り付いているようです。回想で映し出される映像の、いちばん暗いところはそこであります。

私は今とても前向きな気持ちをもっています。これからこの他人及び世間との乖離を無くそうと努力をしようと思っています。ですが私は弱くなりました。今日はまだ部屋にいる方が断然楽なのであります。崩壊の足音にびくびく怯えながら、堅い殻を持った虫のように小さく丸まって眠ることが私の日常なのです……


『二』


 ……私は、いささかふざけすぎまして、最小限の勇気と利他心を喪ってしまいました。その絶好の機会になった日というのは、いくつもの偶然によって成り立つ運命的な日でありました。

正午、いつもと同じように太陽が沖天し、その有り余る光熱をじりじり地面に注いでおりました。季節も季節でしたので、清冽な気持ちになって、病院から出ていきました。2か月前に少々左脚を怪我してしまい、もうほぼ完治していたのですが、一応確認として自宅に近いかかりつけの病院に赴いたのであります。ちょうど空腹感が向上してきまして、帰路の途中で何か昼食を買って、家で食べようかな、などぼんやり考えておりました。背中に当たる日の光が喜ばしく、快活にてくてく歩いていました。少し狭い道に入り込むと、一匹の野良猫を視界の脇、つまりちょうど駐車場にある車の下に発見しました。言うまでもなく、目つきが悪く、不潔な毛並みで、顔には何だかよく分からないものがこびりついておりました。しかし小動物ゆえの可愛らしさにたちまち目を奪われたのです。今、この猫はただの猫ではなかったのではないかと思ったりもします。

猫は私の前を軽やかに通り抜け、泰然とした態度で車道へ出ていってしまったのです。あ、と思いました。助けるという選択肢が浮かびました。これは良心を持っている者なら誰でも浮かぶものでありました。そしてもう一つほど。

「あの猫が死んでも……」

 これが浮かぶのは私だけではないはずです。

ばっと私の前をまた何かが駆け抜けました。素早く目を追うと、四、五歳ほどの小さな女の子が走っていました。またもや、あ、と思いました。右脚が一歩前に出ました。左脚を動かそうとしたとき、何か黒い幕みたいなものが頭に下りてきました。その子は車道へ出た猫の元へ走っていました。先ほどの猫の足どりと比較すれば、ひどい走りでした。赤い自動車が二十メートルほど先に見えていました。女の子のキラキラしている靴に太陽の光が反射し、私の目にうるさく輝きました。女の子は後ろから猫を捕まえ、(猫は少なからず驚いていました)案外すぐに猫を抱きかかえ、こちらへまた走ってきました。ところが車道から逃げて、歩道に掛けた一歩が不安定でその子は勢いよく転んでしまいました。その弾みで猫は路地裏に逃げていきました。赤い自動車の運転手はちらりとこちらを見て、そのまま去っていきました。

私の頭はほっとしました。私は女の子の元へ急いで寄りました。しばらくしてその子の両親がどこからかやって来ました。状況を説明しなければなりませんでした。私は猫のことと、女の子のことを詳らかに話しました。

「自分は脚を怪我しておりまして、走ることができず……」

 両親は私に礼を言いました。何の礼かはよく分かりません。女の子は種類分けできない表情のまま、両親に連れられて帰っていきました。その子はちらっと私を一瞥しました。もしかすると、彼女のそのときの目が私の最も恐れる目だったのかもしれません。

 あのときの思考はすべてが虚構でありました。女の子が私は快活に歩いているところを見ていたかどうか分かりません。女の子がそんなことを考えていたかどうかも分かりません。私の勇気と利他心の在処がいちばん分かりません。利己心だけは立派に鎮座しております。私はあの黒い幕のことを知っているような気がして、ときどき身震いします。

 私は普通に歩いて近所のスーパーに立ち寄り、食べ物を買いました。

帰宅してから、両親に「調子はどう?」と訊かれました。つい「きっと、どうだろう」とぼそっと呟いてしまいました……


『三』


……私は、いささかふざけすぎまして、恋をしてしまいました。恋というものにもし純度なるものがありましたら、いちばん透明な恋でありました。いちばん透明な性欲の形でありました。

 私は初めてその女の子を見たとき、ああ、こりゃ、うん、うん、などと自分の心の変化に戸惑い、未来の方針を決定するのに躊躇ってしまいました。しかし生まれた恋は理性の管轄外であり、すぐさま気持ちに素直であることにしたのです。そう決断を下したからには、それがどんな決断であれ、英断と化します。その女の子を手に入れる、それは素敵なことでありました。

 男は一目惚れな多いらしいですが、それは男が外見を重視する生きものだからです。確かに女が一目惚れというのは男の場合と比べて少ないように思われます。そういうわけですから、私は街なんかでいかにも「詩的な恋愛」を演じているように見せる男女がとても醜く見えてしまうのです。それはもはや一つの本能なのだと確信しました。人間は本当の姿を他人に見せることを嫌がります。それを「詩」という美化素材でカモフラージュして、デートを遂行しているのであります。似たように、最近流行りのラブソングなどにも強い嫌悪がありました。私は静謐で、いやにじっとり湿っている路地裏で無言で交尾をする一組の野良猫たちの方がなんだかよっぽど崇高で素直な恋愛を知っているような気がします。

 かといって、好意を抱くその子に対してそのことを話した後で「付き合ってください」、もしくは付き合って初めてのデートで「あの路地裏のね……」などという行為は非常に憚られるものでありました。しかしその懸念すらも相手を獲得し、逃さないための本能なのだと思うと、恋愛の真髄とは何だろう、と不安になるのです。我々は「器」であり、恋すなわち生殖活動は種を存続、繁栄させるためならば、変に知能を与えられた人間はそれとどう向き合っていけばよいのだろうか、と。

 私はその思考を積み重ねながらも、体はその子を手に入れるため懸命に働きました。かなり地道ではありましたが、ある日ついに交際に成功しました。彼女に自分のどこがいいのかと訊くと、「懸命なところ」と答えてくれました。彼女はとても可愛い子です。体つきの良い子です。髪がさらさらで、傍を通られると良い匂いがします。だから私は彼女が好きでした。これが性欲の主な所業です。

 さて、もし恋愛=性欲ならば、私はもっと明快に、後に起こる事実を受け入れられました。

さきほど話した「詩的な恋愛」の意識、これがどうも私を惑わし、恋の清流を濁し、塞ぐのです。彼女とどこか遊びに行って、何かしらで堪能させ、小物を買ってあげると彼女は素直に喜び、可愛らしくはしゃぐのです。逆に瑣末なことで喧嘩になると、フグのように怒った、嫌な顔をします。その生活に浮かされて、自分は一体何をしているのだろうか、と思うようになるのです。

 私は彼女と大分懇ろになって、互いに信頼を置くようになったときに、あの話、つまりは私が生来考えてきた恋愛についてのことを彼女に話してみたのです。それはとあるカフェでの話でしたが、面白いことに隣の席に座っていたカップルが私たちとは対比的に、終始いちゃついていました。私は性欲だったり、愛とかなんとかだったりについて話しました。小声で実は彼女と付き合う前に、彼女を思って自分が自慰をしていたことも打ち明けました。彼女はとても寛容で、度々頷きながら訊いてくれました。それは私にとって嬉しいことでありました。

 しかしそれから彼女の態度はよそよそしくなっていきました。何だか今までよりも気を遣われているように思われたのです。実は彼女から手紙を受けとっています。それは三ヶ月前のことで以来彼女とは会っていません。

 「……わたしは恋愛というものは最高の癒しだと思っています。あなたが話してくれたことは決して間違いではなく、きっと本質を捉えているのでしょう。ですが、哲学にでなく、普遍的な生活に本質を与えてくれるものの一つが恋愛だと思います。わたしはあなたが好きでした。 でも、恋愛とはまた何か別の感情でわたしはあなたと距離を置かなければならない気がするのです。 補足:もっともわたしたちが路地裏の野良猫でしたら、一切は安泰だったろうと思います」……

 

『四』


……私は、いささかふざけすぎまして、静寂を知ってしまいました。私は最近よく夜空の星をひとり眺めることが多くあります。それはいつも静かで、濃密な時間であります。

私はその時間、自らの過去をよく思い出してしまいます。

小学生時代、友達と山に秘密基地を作りました。すぐ壊しました。また作りました。それは前のものよりもっと頑丈なものを作りました。段ボールを切るときに怪我をしても、げらげら笑い合っておりました。森なんかにもよく足を運びました。しょっちゅう転んだり、滑ったりしました。でも進みました。その力強く、若々しい歩みは、青々と繁茂している雑草を踏み潰し、ぺしゃんこにしました。

中学生になるとよく勉強を督促されました。親にも学校の先生にも「真面目にやれ」と言われ、それなりに勉強をしました。そして期末テストなんかで良い成績を取り、上位に食い込むと快感を覚えるようになりました。それから高校入試までには頑張って勉強をしました。自分よりも成績が良い人がクラスにいましたら、私はその人を妬みました。また小学生のときに一緒に遊んでいた友達とも考え方が変わってきて、いささか疎遠になりました。女子の友達が新しく何人かできましたが、特に関係が発展することはありませんでした。

高校に入学して数ヶ月後、なぜか急に読書に傾倒しました。「人間失格」を読んだ日は部屋にこもって漠然とした考えを巡らせ、「よだかの星」を読んだ日は、夜の街を自転車で全力疾走し、浪漫に浸っておりました。また、勉強は今まで同様精進し、筋肉トレーニングを始めました。頭だけ使うのは、身体感覚の欠如に繫がる、と思ったのです。悩みは増えましたが、精神面ではかなりタフになりました。人付き合いが多くなり、二年生のときには恋人もできましたが、すぐに別れました。

しかしそのときはもう夜空に瞬く星や、山々が讃える緑にも無関心でありました。将来への不安からか、読書をした後などときどき静けさが心の端っこを囓っては退いていくようになりました。今の政治体制や世間など境遇に疑問や不満を持つようになり、哲学的なことをよく考えました。

私はそのまま大学へ進学し、地方の企業に就職しました。一人暮らしをするようになり、夕食を済ませると、よくこうして夜の空を見つめるのです。きっと私はこのまま誰かと結婚し、平凡な生活をしていくのでありましょう。かのゴッホのように狂乱して耳でも切って、その姿を描いて、やがて何らかの方法で自殺すると、いくらか刺激的な人生が送れたと思えるのでしょう。世界はどうやら前に進んでいるらしいと本で読みました。その歩みは私が子どもの頃、山に登るときの歩みと同じものなのでしょうか。人類は前に進み、地球を支配し続けていくのでしょうか。それが幸福に繫がるかどうかは別として。

いつか読んだ「よだかの星」を思い出し、それらしい星をふと探してみます。色とりどりの数多の星は、角砂糖の砕いたようで、自分でもつくれそうな錯覚を起こし、宇宙との膨大な距離を曖昧にすることを可能にします。北西の空に一際大きく、底光りする一つの星が黒々とした背景に映えておりました。指輪よりもっと小さい輪郭と放つ光とが重なって、ゆらゆら元気に揺れており、ひ弱な他の星たちは気圧されているようでありました。もしかすると、と思いました。確か光の速さはとても速く、一秒で地球を何周もするという話を聞いたことがありますが、それでも宇宙は広く、光が私たちの目に届くまで相当な時間を有し、星はもうないという可能性も十分あり得るらしいのです。あれは死んだ光かもしれない。かつて生きた人間が創作した物語の星、それを求めている私、現実の揺らいでいる星、想像し、感嘆する私、そういう妄想がいつまでも続くべき美しいものと思いました。この夜の懐で人間は、酒を酌み交わしたり、異性の体を相も変わらず求めたりしているのでしょうか。前に、進んでいるのでしょうか。

私は部屋に戻り、そこの静かさに身を置くと、すぐに眠ってしまいました。私の古きよだかにさよならを告げて……


『五』


 告白いたします。

これらはいささかふざけた文章を連ねた練習であります。

それを読ませるほど私は今、飢えています。


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