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小豆色の追憶

作者: 若松ユウ

 京とれいんに乗りながら、わたしは、かれこれ三、四十年以上も前になる、学生時代のことを思い返していました。


 当時、この電車の内装は、今のように和のテイストを前面に押し出したものではなく、二人掛けの座席が左右に並んでいるばかりで、車内放送も、当然のように日本語だけでした。

 日除けも、薄手のカーテンを下ろすのではなく、ブラインド型の重い鎧戸を引き上げて固定しなければいけませんでした。


 停車駅も、十三、大宮、烏丸だけだったと思います。

 十三で駆け込み乗車した少年が、淡路や桂を通過していくのを、切なそうに見ていたことがありましたから。

 その少年は赤、白、黒のブレーブスの野球帽をかぶっていましたから、きっと神戸行きと間違えてしまったのでしょう。

 

 学生時代のわたしは、日本を出て海外で暮らしたいという、なんとも大それた憧れを持っていました。

 装いも、今のように訪問着や浴衣に袖を通すのは、どこか年寄り臭くてイヤで、水玉や格子の生地をワンピースを仕立てたり、ハイヒールをカツカツと鳴らして歩いたりしていました。

 そういう時代だったというのもありますが、岩波の赤帯や洋書のペーパーバックを持ち歩いたり、会話にカタカナ語を入れるのがオシャレだと思っていたんです。

 今にして思えば、若いエネルギーにまかせて、赤面を禁じ得ないことばかりしていました。


 京都の大学に通っていましたし、寿退社するまでも大学から遠くない企業で勤めてましたので、通学通勤の定期は、京都線の全区間と、京都の市バスとの二枚を持ち歩いていました。

 けれど、講義がお休みになった時や金曜日の夜は、よく神戸や宝塚に足を運んでいました。

 日本物の雪組、芝居の月組、ダンスの花組、コスチュームの星組なんて呼ばれていたのも、それと同じ頃だったろうと思います。

 そうそう。子どもが小さい時分は、よくファミリーランドへ連れて行って、帰りにホテルのハードドーナツを買ったものでした。


 あの当時は、週末にレジャーを楽しむ余裕があって、日本が好景気で元気だった頃でしたわ。

 懐かしい感傷に浸っていたら、もうすぐ河原町ですね。

 お店や道が空いてると良いんですけど。

 祇園祭も盛りを過ぎた頃合いですし。


 さて。学生時代を知ってる友人が今のわたしを見たら、どんな反応をするかしら。

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