所有という概念
私は物欲に乏しい。
これは正確ではない表現かもしれない。しかしまぁ、少なくとも、頻繁に買い物に出かけてあれこれ買うタイプではないのは確かだ。基本的に、どうしても必要なものと、後々必要になるとわかっているものしか買わない。そもそも切羽詰まらないと買い物に行かない。
その場にあるもので間に合わせたり、困ったまま終わらせたりする。それで、先日出先にスマホの充電器を自分のものを持っていかずに借りて済まそうとしたら妹弟に怒られた。いや、これに関しては私にも言い分がある。私の(スマホに付属してきた)充電器はいつの間にか行方不明になっていたので、いつもは弟が定位置に刺しっぱなしにしているものを使っているのである。そのいつも使っている充電器は弟が持ってきていた。
そのようなことを言うと、妹弟たちにはスマホの充電器は二つも三つも予備を用意しておくのが普通だから買えばいいという。それがなんとも不愉快な提案に思えて私は突っぱねた。その場はそれで終わった。
私は真面目で根に持つタイプでおまけにプライドも高いので、一度口にした内容についていつまでもウジウジ悩む。言いたいことが伝わらなかった時は猶更である。何故伝わらなかったのか、もっと的確に伝えられる言い回しはなかったか、そもそも間違ったことを言っていなかったか。そういうことをぐるぐる悩んで、しばらく事あるごとに思考の沼から引っ張り出して、考えてはまた沈める。
まあそういうわけで、そのこともぐるぐる考えていたわけである。そうして一つ、結論が出た。私は、"己の物を所有する"ということに対して、隔意とか諦観に近いものを持っているのである。ありていに言うと、「どうせ私のものを所有しても、他の人の手で損なわれるし…」という感じになる。
根拠のない思い込みとは言い切れない程度の実績はあるが、認知の歪みもあると言われれば否定はしない。しかし私は執念深いのである。他人にとって、"そんなこと"、"その程度のこと"と言われるようなことも根に持っている。それこそ、小学校や保育園似通っていた頃の事さえ全てではないが覚えていることはあって根に持っている。中高生以前のことは忘却の彼方に投げ捨てたことの方が多いが。
まず前提として、私は独占欲が強い。手に入れたものは壊れるまで捨てずに使い倒す。己の物は決まったところにないと何処にあるか見つけられなくなるから、いつも決まったところに置いておく。学生時代のトラウマみたいなもので、己のものを知らない人間に弄られるかもしれない場所に置いておくことに忌避感を持っている。
物を捨てるのは苦手だ。それを買った自分を否定するような心地がする。壊れていたりすれば思いきれるのだが。
前記の思い込みの原因たる出来事を三つあげよう。どれも楽しい話ではない。
一つ目。何年前だったか。歯磨きの時に使うコップ、家族で二つぐらいのを使いまわしていたのだが、趣味が合わないので自分のが欲しくなった。今でも覚えている。百円ショップのプラスチック製の紺色で和柄の入ったコップを買った。いくらも使わない内に歯ブラシ立てにされ、最終的に場所を取るからと大掃除の時に捨てられた。
二つ目。私の傘はたびたび他の家族に使われて使いたい時に傘立てにない時がある。私は常に帰ってきたら同じ場所に戻している。
三つ目。充電器をいつも同じ位置で使うので刺しっぱなしにしていたのになくなった。いや、理由はなんとなく推測はつく。他の兄弟は他の場所でも使うのでそちらで使えるように持って行って、そちらに設置しているのだ。私はそちらでは使わないので、私の充電器は私のものではなくなった。
まあ、そういう感じで私は己の個人の、家族で共有して使う場合のあるものを所有することに対してナーバスになったのである。他の家族のものはそうした扱いを受けている印象がないので(ここは認知の歪みかもしれない)自分のものを持つより、脅かされない家族のものを使う方がいいと思う。実際それで普段は困らない。私しか使わないものにはあまりそういうネガティブな心象はない。必要があれば使うし買うし、大体置いたところにある。
このナーバスな気持ちを、結論が出るまで自覚していなかった。私は、私がそういう思い込みを持っていることを自覚していなかった。
そして、その結論を口に出して言おうとするまで、それが大層ネガティブで、涙で言葉が詰まるほどのものだという認識がなかった。口にするその時まで、淡々と報告するつもりだった。
突然泣き出した私に当然家族は困惑したし、言いたいことは伝わらなかった。まあそもそも伝わらないだろうと思う。私に捨てられないものを他の人たちは捨てられるのだから。
精神科にでもかかれば、何かしら病名が付くのかもしれない。私は己の精神に社会生活を滞りなく過ごす上で障害となるものを抱えていると認識している。しかし、どうしても改善しなければならないとは思っていない。そう意欲がないので、病名を確かめないでいる。