46話 信頼
五メートルの大きさを持ち硬質な鱗に覆われた尻尾で打たれ、これまで生きてきて感じたことのない痛みが襲いかかるハルカ。
そのピンボールのように弾き飛ばされたハルカが直撃しさらに上に覆い被さられているコハル。
元凶が身体をうねらせ音もなく、しかしハッキリと存在感を醸し出しながら近付いて来ているのに身動きが取れずにいた。
彼女たちよりも強いランの刃が通らずなす術もなく敗れた様を見て、そして尚且つ、たった今自らの身に受けた痛みと恐怖で身体が震え徐々に近寄って来るラミアが倒すべき敵から、恐怖の対象に変わりつつあった。
「うっく…痛い…よう…」
「こ、来ないで……」
庇うためか、それともただの恐怖故か、コハルは覆い被さられている姉を抱き締めながら後ずっていく。魔法使いである彼女にこの距離で振るう武器もなく、魔法を放つための集中力を捻出する気概が湧き出てこなかった。
「ギシッギシッギシッ」
ラミアにはその姿が一層憐れに映り嗜虐心をくすぐり、笑い声がつい口から零れてしまう。ちょっとした仕草ではあるが少女達にとって恐怖を煽るには充分だった。
ズッ…ズッ…ズッ…ドン。
「あ、あっ…」
ついに退がる場もなくなり追いやられてしまい表情には絶望が浮かぶ。
周りも見えずに諦めかけていたとき、なぜ忘れていたのか彼女たちが最も信頼する男の声が届く。
「悠香、俺に強いってことを見せるんじゃなかったのか?間に槍が入って相手の攻撃は直撃してないだろう、まだ動けるはずだ。心悠、マルクスは助けたぞ。そうしたら満足か?魔力が残ってる限り魔法使いは援護し続けろ。それともやっぱり二人には戦えないか、俺がやるから見てるか?」
届けられた声は叱責だった。優しい兄からの元の世界では掛けられたことのないほどの厳しいものだった。
……だが、やはりどこかでゲームのような本当に死ぬとは思っていなかった彼女たちにとって、現実を教えてくれる、そしてそれでも必ず守ってくれる、最も信頼する兄からの優しい声援だった。
「まさか、私たちは強いんだから、見ててよ…おにい」
「お兄ちゃんがマルクス様を助けるの待ってただけだよ。これで心置きなく魔法を撃てるよ」
当然強がりではある、そのことをユウジが察せないはずもないが妹たちの心意気を無にすることなど出来ようはずもない。虚勢であろうが妹たちの勇姿を見せられた彼に出来ることは笑みを浮かべることだけだった。
それまで甚振るだけだった獲物の様子が変わった様を見せられたラミアは自分よりも強い仲間がすでに殺されていることに今更ながら気付き、怒りを露わにする。目の前にいる小さき獲物を仕留めるため行動に移す。
「させない!」
しかしラミアに先んじて槍を突き出し攻撃に回される尻尾を守りに向けさせる。短い時間とはいえユウジが駆けつけるまで守りに徹することが出来たことは伊達ではない。ハルカが守りの要を務める間、コハルが魔法を放つための準備を整える。
「怒りを知れ、風の、天の、そして我の、罰を受けて焼き焦げろ───“雷撃槍”!」
ハルカが巻き込まれないように先程までとは違う範囲の狭い、防がれても体内にダメージが通る魔法を放つ。
「ギシャアァッ!?」
硬い鱗が意味を成さない初めて受ける攻撃に動きが一瞬止まるが死ぬほどの威力はまだ未熟なコハルには出せない。それでも能力を見誤っていたツケを支払わされたラミアにとって優先順位が変わるには充分な威力を秘めていたことに違いなかった。
魔法を放ったばかりで新たに魔法を放てないコハルに向かい確実に息の根を止めるため爪を伸ばす。
◆
カラカラ…
打ち付けられた際に砕けた壁の破片が地面に転がり落ちる。
ほんの短い間だが気を失っていた彼女が意識を取り戻した時、敬愛する主人の妹を称する二人が壁に追いやられているときだった。
(…たすけ…なきゃ…)
気に入らない気持ちはあるが主人が大切に想っている相手がいなくなっては主人が悲しんでしまう。悲しませるわけにはいかない。その一心で痛みで起き上がることを拒否する身体に鞭を打つ。だがその小さな身体に力は入らず瓦礫から這い出ることは敵わなかった。
それでも諦めることなく腕を、脚を起こそうと足掻いている時、声が聞こえた。
「悠香、俺に強いってことを見せるんじゃなかったのか?間に槍が入って相手の攻撃は直撃してないだろう、まだ動けるはずだ。心悠、マルクスは助けたぞ。そうしたら満足か?魔力が残ってる限り魔法使いは援護し続けろ。それともやっぱり二人には戦えないか、俺がやるから見てるか?」
それは主人による、退路を失い震えている二人に向けた声援だった。
その声に呼応するように二人は立ち上がり敵に向き直っている。そして主人から次の言葉が発せられることはなかった。
「……ッ!」
その仕打ちに対しランは何を想ったのか。
声を掛けられなかったことに対する悲しみか、妹だけに声が掛けられたことに対する悔しさか。
……否、主人から声が掛けられなかったが、彼はランに視線を投げ掛けた。
ランにはそれで充分。ユウジもそれが分かっていたからこそ敢えて言葉を必要としなかった。
「……任せて!」
敬愛する主人から向けられる信頼に応えるため力を振り絞り、彼女は立ち上がる。