5.迷惑を撒き散らす原因は結構そこら辺で生まれる①
ユシュノは現在、事務所内にて毛布に包まりソファの上で身をかがめている。
一方、先輩であるゼオシムガは半裸の状態で、汗だくになって手元を懸命に動かしていた。
彼が血眼になってやっているのは、絡まった薄黄色の彼が普段使いしているイヤホンを断線せずに使える状態に戻すということ。
(難儀っすね、ほんと……)
特段、変わった日常ではないため、ユシュノは毛布の中で身体を摩りながら窓の外を眺める。
今日は曇り空だが、果たして空を覆っているのは雲であろうか。それとも巨大戦艦やどこかの大陸、なんかよく分からないものや、どう考えても理解できないものかもしれない。ともかく、人間世界の太陽を隠しているのは間違いない。
比較的涼しい日であるのにも関わらず、会社 《バースデイ・パーティー》のルールをぶっちぎって破る設定温度までクーラーの温度を下げていた。
が、今だけは目を瞑ってもらっている。
天秤にかけているものを比べれば、電気代など安いものだ。
(この前の仕事の直後にイヂュアシァさんに返してもらった『ねじもげら! ぶるねずっちゃり』。あれアタッシュケースごとあたしのデスクにしまってたから、持ってくればよかったかなー?)
緊急事態であったためそんな余裕はなかった。また携帯端末も自分のデスクの机の中に入っているため、安易な暇潰しもできずにいる。
先程思いついた『ゼオシムガの上半身にある傷跡をなぞったら何見えるか』という遊びは、やり始めたら虚しくなりそうだったので最終手段にしておくことにした。
他の新たな遊びを考案してみてもいいが、絶賛イラつき中のゼオシムガがどんな反応を示すか分からない。
何よりも、それきっかけで世界が滅んだら溜まったものじゃない。
(まあでも。吸血鬼の代行の際にイヂュアシァさんの到着が遅れた理由が『向かう途中であたしのメールに気づいて引き返したから』なんて、今知られるわけにもいかないしなー。あの時持ってたアタッシュケースそのまんまだから、気づかれるかもしれないし。なんせ中に入ってるの全部漫画だし)
あの日、このことをユシュノとイヂュアシァは絶対に口外しないと強く誓い合った。
この世界は常に、ひょんなことから自らの価値を変わってしまう危険があるのだから。
(あたしの価値は少し落ちたんだけどね……)
ゼオシムガによるユシュノの怠慢は本当に報告され、減給こそなかったが厳重注意をされた。
嫌なことを色々思い出すと、自然と溜め息も出る。
気を紛らわせるため、頬杖をついて外を眺めてみることにした。
隣のビルの窓の数。そこで働く者達の動き。上層階から地上階へと各階層ごとに、暇を持て余しながら、ぼけーっと見ていく。
ついに一階まで観察し終えたら、今度はそこを通る道路へ。
車やバイク、馬、車両用ムカデ、城塞、崖、斬首怪人キュセナジと斬られた首の数々。それを追いかける警察、軍隊、傭兵、暗殺者、野次馬、マスコミ、噂好きのおばちゃん集団、みんなが追いかけているからという理由で着いて行く感じの若者……
(カルケイラさんも必至だなー)
同じ《バースデイ・パーティ―》の社員である、カルケイラ・うるる闇ざ・ピャントゥ。彼女も水面の翼を羽ばたかせ、先陣を切って斬首怪人キュセナジの討伐に参加しているようだった。
嵐が過ぎ去ったあとの光景をしばし見つめたと、なんとなく見上げる。
どうやら空を覆っていたのは、第二二浄界の煤王ロツユーイの軌跡だったようだ。
その証拠に彼が通ったあとを、家来達が周囲に頭を下げながら、手早く箒と塵取りを駆使して慣れた手つきで回収している。
綺麗に払われたところで、ようやくその奥に広がる有象無象が姿を現した。
どうでもいい謎が一つ解けたところで、新たに発見したものに対してどうしていいものか訊ねてみる。
「ねー、ゼオ先輩」
「ああん?」
普段滅多に見せないガラの悪い部分を露呈させたのだから、ゼオシムガは割と切羽詰っているのかもしれない。
「窓の外。空から――あー……第六層境空っすね。モノクロなんで――、なんかでこぼこした形容し難い三角おにぎりみたいなでっかい塊が、ずーっとこっちに銃口を向けてるんすけど……」
「どうもこうもないだろ、第六層なら。着弾してから初めて報告してくれ。君は暇かもしれないけど、僕は死ぬほど忙しいんだ――というか、絶賛死にかけているんだ」
ゼオシムガに興味がないのも、ユシュノに緊張感がないのにも理由がある。
この常識が瓦解し、日常的に想像の外からの騒動が招来するのだ。建物には当り前のように何重にも障壁結界が張られている。
そして、そのような天災を故意に行う者達を制する仕事をこの会社は行っているのだから、守りは他と比べて圧倒的に強固だ。
「で、なんでしたっけ? ゼオ先輩が必死に解いてるその呪い」
「これか? どっかの次元の解呪法師が『数秒鞄に入れただけでイヤホンのコードがあり得ないほど絡まるのは、きっとこの世界にかけられた呪いに違いない』って常理深部にまでアクセスして、イヤホンのコードが絶対に絡まらないよう改竄したってやつだよ。結果としてはそこを起点として、紐づけられていた全常理の繋がりまで次々解かれてしまった」
「バカなんっすかね?」
「魔法使いの類なんてものは大概、わけ分からないだろう?――あと言っとくが、これ解くの失敗したら、僕を中心に常理紐解が発生するんだからな?」
「分ーってるから、ここにいるんじゃないっすか。それに言われたって、どうすることもできないっすからねぇ。それに横から口挟んだら、ゼオ先輩キレるっすよね?」
「ああ。心底ムカつくね」
ゼオシムガの過去をまるで知らないユシュノであるが、絶対に育ちは悪いと日々の言動の端々から確信している。
絶対に口に出さないし、彼の過去もさほど興味ないが、きっとそうに違いない。
「でも解呪が結局、呪いになっちゃったんすか?」
「どう考えても、他人様に迷惑を被る大惨事だからな」
「その呪いかどうかって誰が判断してるんっすかね?」
「恐らくは誰でもないし、誰もが判断しているんだろうさ。願いなんてもんは非自然現象である以上、誰かしらの意思が相乗しているんだ。それを全存在の無意識が己にとっての有利不利を裁定している――まあ、あくまでも仮説の一つだ」
ユシュノも漠然とだが、その理論を聞いたことがある。
そして、その全存在の無意識下による裁定こそ、とち狂った全知全能者達によってこの世界を未だに滅ぼされていないことの説明がつく。らしい。
曖昧なのは、まさに今、世界滅亡の危機と直面しているからだ。
「僕の呪いが通じない相手なんてごまんといるだろ? 人によってはそれを呪いと思わない。ないしは呪いそのものが効かないなんていうのも、その仮説から説明ができるってわけだ」
「無能自慢っすか?」
「君は先日、失言で痛い目にあったことをもう忘れたのか?」
冷たく刺さるその言葉は、否が応でも嫌なものを思い出させる。
それを一秒で長く忘却するかのように、ユシュノは疑問を口にした。
「でも、常理を解けるなら応用して『八紘一宇』も解けるんじゃないっすか?」
「それを試そうとして失敗したのが、この前のウルガナン・パガタ乱転次元界だよ」
ゼオシムガの説明はこう続く。
次元隔離離脱を図ろうと、自らの次元を一度最小単位まで解こうとする。
それ自体は成功したのだが、再構築の際にこっちの世界の常理が結びつきに行ってしまい、全くの別物に再構築されてしまった。
それでも今も隔離離脱は自動的に継続してしまっているため、入界するとその再構成に巻き込まれる。
「ゼオ先輩、手元お留守っすよ」
「君はせめて『教えていただき、ありがとうございます』とか感謝の言葉くらい言えないのか?」
「いや、あたしの命もかかってんすよね? もっと必死になって下さいよ」
「だから。失言は控えろと言ってるだろう?」
「だって、パートナーだからって酷くないっすか!? なんで一蓮托生なんすか!?」
「君の〝転倒黒白〟のせいもあるだろ。連帯保証人が消滅したら、他の誰かに行くかもしれないんだから」
「会社としてはこのまま、債務者ともども消えてくれた方が有難いんすかね……?」
「いや、裏次元魔法使いからしたら〝転倒黒白〟の消滅は絶対に避けたはずだ。故に世界が滅亡しようものなら、債務者である何がなんでも君を助けようとするさ」
きっぱりと言い放つゼオシムガに、ユシュノは幸せどころか魂が抜け出るのではないかというほどの大きなため息をついた。
「つまりあたしは人質みたいなもんっすか……自分らの魔法が消えるかもしれないんだから助けろっていう」
「まあその保険が効くか、やや眉唾物だけどな。ただ一人か二人くらいは真に受けてくれるかもしれないだろ?」
「自分の生き死にを赤の他人に――しかも信用できるかすら全く分からない、なんなのかも見当つかないモノに委ねるしかないのは、釈然としないっすよ……」
頬杖をつき、ユシュノは唇を尖らせる。
言ったってしょうがないのだが、しょうがないのだから口にしたって構わないだろう。
「そんなに死ぬことばっかり考えるな。いつ死ぬか分からないなんてのは、『八紘一宇』が起きる前からのことだ。だからこそ少しは生きることに意識を持っていくんだよ」
「誰かの受け売りっすか? それともどっかのやっすい教訓パクリました?」
「お前は言ってる傍からほんとに……安くて悪かったな。僕自身の言葉だよ」
気まずさを抱かなかったのはまあ、薄々分かっていたからだ。
そして反射的に口走ったのは、ユシュノがこの状況にすっかり飽きて思考が疎かになっているから。まあお粗末なのは、飽きているとかあまり関係ないが。
「それに死んだところで――運の良し悪しは置いておいて――、冥界とかにそこら辺の死の世界の概念がある常理に引っ張られて魂が再構築されて、よく分からない何かに変化できるかもしれないんだ。だから、難しく考えても仕方ない」
「よく分からない何かに変化できるかもしれないって、情報量ゼロじゃないっすか」
「だから考えたって無駄だろ?」
「そうっすかね~……?」
そんな簡単に割り切れないユシュノは、もしかしたらこんな世界に於いては稀有な存在なのかもしれない。
『八紘一宇』発生以降、『人類』という言葉は、その意味をなさなくなったのかもしれないし、もしくは刷新されたのかもしれないのだ。
人類という言葉が指すものは今となっては、旧時代から見れば亜人や超人、怪人、奇人、変人。果ては狂人などと呼ばれていたであろうモノへと書き換わった。
それもこれも世界の法則というものが、それまで培ってきた人類叡智の全てをふいにし無為にしたからだ。
法則も倫理も何もかもが変容し、現実と夢(悪夢成分の方が圧倒的に多い)が混在してしまった中で、人間が人間として生存を続けるには、その新たに現出した理に対応せざるを得なくなった
(その皺寄せが常識の非常識化。無際限な価値観。永遠遷移する地位……)
挙げればキリがない飽和不能の変転事項。
今こうしている間でさえ、日常は非日常へと移ろい、それが日常となる。
ユシュノが物思いに耽っていたせいか、ゼオシムガは完全に呪いへと意識を向けていた。
再び空へと視線を戻す――その時だった。
「あっ。撃って来たっすよ、歪おにぎり」
「だから、報告は着弾してか――」
そこでゼオシムガの言葉が詰まる。
ユシュノも全てを理解し、固まった。
二人の視線。その場所。ゼオシムガの左胸――心臓がある部分。
半透明の銃弾がゼオシムガの左胸に止まっている。その弾の中央では羅列された文字が忙しなく変化していた。
これがカウントダウンであるということくらい、文字が読めなくても理解できる。
(これ……仮相弾っすよね……?)
ユシュノが震えながら言葉にした仮相弾というものは、ざっくり言えば『全因果から導き出された結論が、先んじて現れたもの』だ。
つまりカウントダウンが終わり仮相弾が実相弾になれば、六層の境空を突破し、会社に張られた幾重の断層障壁、常理紐解の被害を最小限に抑えるための限定結界を突き破り、ゼオシムガの心臓を撃ち抜くということ。
絡まったイヤホンを貫いて……
「今すぐあいつと銃をぶっ壊すぞ!」
ゼオシムガが絡まったイヤホンを握ったまま、切羽詰った顔で部屋を飛び出す。
実相弾から逃れる方法は、因果の根源――銃と弾そのものを消滅させる他ない。
「だあああ! もう! 次から次になんなんっすかあああああああああ!」
ユシュノは叫ぶがその嘆きにはどこか虚しさが伴っている。
だがそれは無理もない。
『八紘一宇』後のこの世界に於いて、滅亡の危機など四六時中起こるし、破滅の要因がいくつも重なることなど珍しくはない。
だからといって、それを受け入れるほどこの世界に馴染むわけにはいかないのだ。