2.命を脅かすモノは存外そこら辺にいる②
再びの客引き概念集合体からの逃走を続ける、ゼオシムガとユシュノ。
積み上げてきた希望がしょうもないミスで絶望に変わったことで、疲労と何より無気力に精神が苛まれていく。
全てを諦め、何もかも投げ出したい衝動に駆られる。が、それによってもたらされるものが、現状よりもさらに悲惨なのは分かり切ったことだ。
そのため、今はその『想定される最悪』を気力に変換するしかない。
「あああああああああ! あああああああああ! あああああああああ!」
泣き叫びながらも走り続ける――超加速で後頭部を強打した割には元気だが――ユシュノは、相当精神的に参っているようだ。
「ユシュノ! いい加減、泣くのを止めるんだ! 体力を消耗す――」
ゼオシムガが諭し終える前、ユシュノが急に泣き止んで立ち尽くした。
そわり、と悪寒が背筋を走る。
「おいっ! ユシュ――!」
「簡易借用書>>>群層鉄壁!」
据わった目をしたユシュノの前に、群れ成す鉄壁を借用するための詳細紋様が構成される。そしてすぐさま、客引き概念集合体との間にそれが発生した。
ユシュノは続けざまに、債務魔法を次々借用する。
「簡易借用書>>>スクード・ディ・グーショ!」
超宇宙巨大亀の甲羅でできた盾――固すぎて加工できず、持ち手すらないから使い勝手が悪くて仕方ないことで名を馳せている――が現れた。
「簡易借用書>>>奇天烈不愉快絵画展は昨日までです!」
宣言詠唱により、眼前にそもそも誰も入らなかった絵画展の『閉館』を示す看板が形成され、関係者以外(企画者を除く)立ち入り禁止となる。
「簡易借用書>>>三千大世界万年引きこもりウォルキスタの空間施錠術!」
引きこもり界の英傑ウォルキスタが実践したという、絶対に親族を部屋入れさせない秘訣が空間に形成された。
――が、その全ては客引き概念集合体が触れるだけで、いとも簡単に消滅した。
「ぎゃああああああああああああ! ああああああああああああ! ああああああああああああ!」
「落ち着け! 無駄に負債を増やすな!」
「どぅわああああああて! しょおおおおおおおおおがないじゃないですかあああああああああ! どぅううううううしろって言うんすかあああああああああ!?」
パニックにあるユシュノをよそに、ゼオシムガは息を吸って覚悟を決める。
「ユシュノ! 三〇秒だ! それだけ時間をやる!」
「うぅ……ううう……先輩のぶぅわああああああかああああああ! ぶぶぶのぶぅぅぅううううううわぁぁぁあああああああああきゃあああああああああああああああ!」
「泣き喚くんじゃない! 誰のせいだと思っているんだ!? 君も腹括れ!」
「分かってるっすよおおお! やるっすよおおお! やるしかないじゃないっすかあああ! でも絶対、諸悪の根源のゼオ先輩っすもおおおん!」
「ああもう! それでいいからやるぞ! あと、いいか! 僕の心配なんてするなよ!」
「するわけないじゃないっすか! だから先輩はバカなんですよ!」
「しろ! 一体、誰の連帯保証人だと思っているだ!」
「駄々っ子っすかああああああ!?」
減らず口を叩きながらも、観念してユシュノはブックホルダーの封印を解き始めた。
「とにかく行くぞ!――よーい、どん!」
始まる、命運をかけた三〇秒。
『あっ! 大丈夫っすよおおおおおお! レインボーポイントカード使える店探してますからああああ! 知ってますううう!? レインボーポイントカードおおおおおお!』
加盟点数業界ナンバーワン(客引き概念集合体曰く)のレインボーポイントカードの説明を始めたので、命運をかけるのは五〇秒くらいに引き伸びた感はある。が、嬉しくもなんともない。
ゼオシムガの顔と右腕――それと見えぬが背中――に、色取り取りの文様が三つ浮かぶ。
《【ヂルナリオ時檻幽閉】/【均一種族染色】/【かの大迷惑家ワザーク一家に名を連ねた】》
封呪大鎌〝ヌァ・ルヲキュユ・ムツィ〟から三つの呪いが同時詠唱されると、ゼオシムガの内に潜む数多のもの中から選ばれた呪いそれらが、大鎌に向かって這いずるように集結していく。
客引き概念集合体の中心に大鎌を刺すと、塊の周囲に停滞次元ヂルナリオの凍結時間が適用される。
動けなくなった客引き概念集合体を構成する無数の服は抵抗することもできず、一切合財の個性を剥奪されて一時的に同種族として見做された。
最後の呪いが注入され、同一種となった全ての服は誰か一人でも負った責を同族が同様に負うこととなる――つまり同じ術をみなが喰らう因果が結びつけられた。
お膳立てが整った頃には、ユシュノの魔導書〝転倒黒白〟は完全に開かれている。
そして、そこには書かれていなかった魔法が突如として記載された。
――《〝清掃〟の魔法使いフィカティナ》>>>〔縦絞りの大推奨〕。
「捻じ曲げ示せ、《主婦の集叡智ケウェサ・パワゥクク》の神秘を!」
自動書記に従いユシュノが詠唱すると、〝清掃〟の魔法使いフィカティナが、神《主婦の集叡智ケウェサ・パワゥクク》から盗んだ神秘――脱水の最終形として編み出された、文字通り絞り切ることで水分子さえも残さない、神が数多のプレッシャーに圧し掛かられながらも生み出した迷走が再現される。
塊の中。客引き概念集合体を構成する内の黄色の法被が一枚、なんの前触れもなく縦に絞り千切れる。
すると、他の服全ても、まるでそれに倣うかのように同時に絞り千切られた。
それら全ては一瞬の出来事。
さっきまでの騒ぎはなんだったのだろうか、と疑問に思ってしまうほどあっさり事態は終結した。
(『あっさり』の代償はそれぞれ払うことになるけどね……)
縮小させた封呪大鎌〝ヌァ・ルヲキュユ・ムツィ〟をホルスターの収めながら、ゼオシムガは溜め息をつく。
魔導書を眺めながらがっくり肩を落としているユシュノが視界に入り、先程よりも大きいものをもう一つ。
「あとは本題の違法営業してるラーメン屋の排除を――」
携帯端末のアプリケーションを起動して確認すると、いつの間にか代理執行完了の印が捺されていた。
釈然としないが仕事が終わったことに違いない。所詮、自分達は代行だ。納得の有無は依頼人の権利である。
「ユシュノ。仕事はこれで終わりだ――ただ君はさっき後頭部を打ったんだ。一応、病院に行くぞ」
「うわっ! ここに来て優しさを見せることで、さっきの見捨てようとした事実を帳消ししようとしてる!」
「やっぱり脳に相当なダメージを負っているみたいだな。確かこの商店街にあったはずなんだよな、脳を全取っ換えしてくれる病院」
「なんっすか!? 脳全取っ換えって!?」
「それに全ステータスを知性に割り振るチャンスじゃないか。さっさとやってもらおう。その歪んだ性格も矯正できるかもしれないし。できなかったら、今度は魂を入れ替えればいい話だ」
「何から何まで嫌っすよ!」
それから二人は口論しながら近くの診療所(脳の入れ替えは専門外)に予約を入れ、ユシュノは人間的には至極普通な緊急精密検査を受けることとなった。
そして幸いに特に異常は見られなかったので、ユシュノは身体の丈夫さを自慢し、ゼオシムガはもはや身体が痛みさえ理解できないほど無知であること嘆く。という、これもまたいつもとなんら変わらない一悶着が続いた。
そう。これはいつも通りでしかない日常の一ページ。
特別、特異などはまるでない、些細で瑣末な出来事の一つ。
人類世界のみならず全宇宙、全世界、全次元、全時空など……全ての常理が統合されてしまったこの世界のほんの一部分。
それら全ては、未曽有の大変異――『八紘一宇』を迎えたこの世界の、不定形で不安定なれど不変である。