1.命を脅かすモノは存外そこら辺にいる①
天には空。地には土。進む先は前方で、背が向くは常に後方。
当り前のようなことではあるが、その可能性に全幅の信頼を寄せ、身を委ねることができたのは、そこそこ昔か、はたまたつい最近の話だという。
「ゼオ先輩はバカなんすか!? バカなんすか!? バカなんすか!?」
棚引く白藍色の髪と同じ輝きをする瞳を持つ幼顔の小柄な少女――債務魔道士・朔望ユシュノは、泣き喚きながら混み込みとする商店街を全力疾走している。そりゃもう、筋繊維の全てが断裂することを厭わず、人体構造や理屈などお構いなしの勢いで。
対刃・対呪仕様のピンクのコートに魔術道具が入ったポーチ。そこから下げられたブックホルスターには厳重に封じられた分厚い魔導書。
その他にも魔道士らしい装備をしているが、逃げるという点に於いて、その全てを捨ててしまいたい衝動に何度も駆られる。まあ魔導書に関しては、今日に限ったことではないが。
「馬鹿なのかは君だろうユシュノ! 黙って走れ! その無駄口開けるエネルギーを少しでも脚力に割り振れ!」
そんな彼女の後ろを人ごみを避けながら走るのは、玉虫色のざんばら髪と眼鏡の奥から覗ける同色の三白眼を持つ長身の青年――器呪詛狩人・ゼオシムガ・ワロイムベ。
簡易軽装鎧に腰には呪術道具が詰まった帯を兼ねたポーチ。そこから下げられているホルスターには、ステッカーが貼り散らされている。
また彼の右手には、普段ならそのホルスターにコンパクトに畳まれ収められていた、柄の長い死神が持っているような大きな鎌――封呪大鎌〝ヌァ・ルヲキュユ・ムツィ〟が。
「なんっすかエネルギーの割り振りって!? そんなことできるわけないじゃないですか!? ゲーム脳っすか!? 昨今流行ってるっていう寄生型64bitゲーム虫が脳に湧いたんっすか!? 夜な夜なカセット、フーフー吹いてるんっすか!?」
「ああもう! 本当にゲームだったらどれほどよかったか! それなら君の全ステータスを知能に割り振れるのに!」
「それはこっちの台詞っすよ!」
この混伝叡念四在方商店街を必死の形相で言い争う二人を、周囲を押し潰しながら追いかけ回しているのは、カラフルな法被やスーツ、パーカー。その他多数の服が数千、数万折り重なり、超圧縮された三メートル近くある塊。
電子機器やら魔導通信機などが身体中から飛び出し、大量のクーポン券の紙吹雪が舞い、それこそ雪のように地面に積もっていた。
『そこのカップルさああああああん! いかかですかああああああ!? 飲みほありますよおおおおおお! 美味しいですよおおおお!』
商店街という名だけあり、様々な店が文字通り縦横無尽に並んでおり、多種多様な店員や客が各々の目的を持って行動している。
しかし、その塊は全身ど紫色の人間や鰐の頭を持つ人、数万のマッチ棒で構成されたマッチョ、どう見ても道端で風雨に晒され続けたようにしか見えない軍手(左手)、TCGカード(レアリティ最底辺)の集団、ゴミでできた人や人でできたゴミ。あとは全身ど紫色の人間と全身ど紫色の人間や全身ど紫色の人間などには一切興味は持たず、ただただユシュノとゼオシムガを誘う。
『安くしておきますよおおおおおお! 個室もありますよおおおおおお!』
先程から騒がしいほどに訴えかける言葉の数々は、声としてではなくテレパシー(と言うよりは怨念か)で二人の脳内に直接送られてくる。
それを聞きたくないからか、ユシュノとゼオシムガの口論はどんどんヒートアップしていく。
「なんでよりにもよって、あんなやつに声をかけたんだ君は!?」
足元で這いずり蠢くファンシーショップを飛び越え、
「はあああ!? ゼオ先輩が代行対象の違法営業してるラーメン屋を見失うから訊き回ってたんすよ!?」
頭上にそびえる無限増殖百貨店をくぐり、
「だからって相手を選べ! 君にだって目玉と脳味噌がついてるだろう!?」
ライバル同士の大手コンビニ(魔獣グランビオガ・ベベルニ支店と、超科学粘状生命体VDA‐ヤェザジ・744/ヌェ型支店)の散らす火花を躱し、
「それこそ! そっくりそのまま返すっすよ!」
コンビニの影響で延焼した道を逃げ惑う、違法営業をしていた本格派風ラーメン的麺類屋蟻の群れを踏み潰しながら(図らずも本来の駆除の仕事はこれで終わった)、二人はただひたすらに逃げる。
商店街を脱すれば理論上、追いかけ回す塊から逃れることはできる。
『ちょっと今からああああ! 開いてる店聞いてみますねぇええええええ!』
「――っ!? いよいよ勝手に始めたぞ! いい加減、もったいぶってないで使うんだ、魔導書を!」
「嫌っすよ! 絶対に嫌っす!」
「君の通常の債務魔法がまるで歯が立たないのは、何度もやっているんだから散々分ったろう!? それともこのままあの客引き概念集合体に予約されるか!? 契約が完了されたら、ウルガナン・パガタ乱転次元界の居酒屋に直行だぞ!?」
「絶っっっ対嫌っすうううううう! 入界した瞬間にサービスで人体パーツの全てがシャッフルされて再構築される次元界になんて行きたくないっすよおおおおおお!」
あの未曽有の大変異によって全ての次元と法則、常理が統合した現在に於いて、当然のことながら客の争奪戦は激化している。
そこで客引きが横行することとなったが、度重なる苦情が相次いだため今では規制されている――ただ、なくなるということはない。
裏で横行していたという有象無象による客引きは、時には捕まり、殴り合い、死すらした。また単純に客を全く捕まえられなかった者も。
そんな彼らの無念がいつしか一つに収斂し、概念体へと変質。
そしてどういうわけか、ウルガナン・パガタ乱転次元界の居酒屋へと強制的に連れてこうとする――あの次元がもっとも熱心に客引きをし、かつ成功率が低いからだという説が一番有力だ。
「仮に神秘的確率で元の形状を維持したままでも、あそこはランダム数値の会計だからな! 天文学的数字が可愛く見えることもあるんだぞ!? 君はこれ以上負債を重ねたいのか!?」
「でも〝転倒黒白〟を裏次元魔法使い以外に使いたくないっすよおおおおおお!」
『具体的な店は決まってますかああああああ!? SNS映えするうううううう! 料理やお酒提供してるところがいいですかねええええええ!?』
幸い、何度も同じ質問をして来ているのに加え、無駄で的外れな真面目さのせいで仕事が遅い――だから客を逃すのではないだろうか?
だが、様々な無念が混在しているのだ。急に仕事はできるものの、不幸があって亡くなったモノがテキパキと仕事を熟し始めるかもしれない。
ともかく余裕はない。
ゼオシムガは腰に備えたバインダーから、呪術道具である空呪符を二枚切り取る。それと同時、掌の甲に七色に輝く紋様が浮かんだ。
「【見知らぬ双子の片割れなれど血族】」
詠唱に従い、流水の如く七色の紋様はゼオシムガの指を伝い、一枚目の空呪符に染み込んでいく。
(これで解決してくれるわけないが……)
迫り来る客引き概念集合体目がけ呪符を放る。ゼオシムガに収められた呪いが染み込んだ、彼自身の身代わりとなるそれを。
と、一切の警戒鳴く客引き概念集合体は呑み込んだ。
そこからゼオシムガはユシュノと距離を大きく取る。すると、客引き概念集合体はゆっくりとだったが分裂を始めた。
「やはりそう上手いこと行かないな」
すぐさまユシュノに合流すると、客引き概念集合体の分裂は止まり、元へと戻っていく。
そんな一連の行動にユシュノが激昂した。
「ゼオ先輩! 今のって成功したら、客引き概念集合体があたしのみに突っ込んでいてましたよね!? 囮にしようとしたんっすか!? それとも自分だけ助かろうとしたんっすか!?」
「君の方が足が速い! 合理的だ! それに分裂のお蔭で、客引き概念集合体の速度が一時的に落ちたろう!?」
「そんなのただの偶然っすよね!? うわー! ゼオ先輩がそこまで冷血漢だったなんて、ほんっっっと見損なったっすよ! 幻滅っす! 人でなしっすよ!」
ぎゃんぎゃん喚くユシュノを対象にし、ゼオシムガは認識対象を絶対消失させる大呪を込める予定だった二枚目の空呪符を、ただ黙って丸めて捨てた。
一方、よっぽど腹が立っているのか。ユシュノは速度を落とすことなく後ろ向きで走りながら、文句を次々ぶつけ続ける。もはや先程の呪符の件など関係ない、日頃のことまで出る始末。
それはきっと、商店街の出口を示す注意書きがづらづらと連なった看板が見えた安堵から、そんなことをしているのだろう。と、ゼオシムガは何度も己に言い聞かせることで納得した。
その混伝叡念四在方の商店街の出口。
側面の長さが違う、やたら長い銀のポールアーチがぽつんとあるだけで、左右に塀や仕切りなどはない。
また、出入り口は注意書きにあるようにアーチの内側のみ。
「そんなわけで! ゼオ先輩には金輪際、頼らないっすからね! 簡易借用書>>>」
ユシュノの眼前に、借用する魔法の詳細が紋様のように展開され――
「疾風迅雷!」
――ユシュノの全身を覆うように金粉のような光が舞う。
刹那、超加速を得た彼女の姿は、あっという間に小さくなった。
「ふははははっ! グッバイ、ゼオ先輩! 自分が蒔いた種っす! 独りでどうにかし――」
「馬ッ――!」
ゼオシムガの「馬鹿」という言葉が詰まったのは、忠告よりも最悪の結果が先に訪れたからだ。そして、それを向けるべき人間が消え去ったため。
ただそれは、債務魔法による神速で見えなくなったわけではない。
消える直前。ユシュノはあろうことか出口手前で盛大にこけてポールアーチに後頭部を強打し、よろけた拍子にポールアーチの外側へ倒れた。
次の瞬間に、彼女は姿を消す。
いや、正確には転移したのだ。
ゼオシムガはできる限り、ユシュノが倒れ込んだ位置へと身体を滑り込ませる。
境界や接触判定などは正確には分からないが、ポールアーチの側面くらいまでに身体が近づいた瞬間には、ゼオシムガの瞳に映る光景は一変した。
(……最悪だ)
転移先を理解し、ゼオシムガは今まで目を逸らしてきた疲労感に苛まれる。
旧世代の人間の常理を引きずってしまうのは、もはや遺伝子に刻まれた呪いの類なのだろう。
故に、この出口から一歩外れただけで、商店街の中心に転移してしまうというこの現象。それを念頭に置きながら行動するのは、よもや不可能なことだ。
(予見や予防はできるんだけどな!)
ゼオシムガが転移した辺りからなんら前触れもなく、突如として客引き概念集合体が現れる。
『この近くのお店がいいんですかあああああああああああああああ!?』
「ぎにゃああああああ! バラバラっす! バラバラ確定っすうううううう! さよなら五体満足! 初めまして異形のフォルムうううううう!」
ユシュノは直面した絶望に、小さい身体には似つかわしくないほど大きな絶叫をした。
そんな彼女の背中を見ながらゼオシムガは小さく溜め息を吐く。
ユシュノが蒔いた種のせいで絶体絶命に追い込まれ、ゼオシムガがそれに巻き込まれる。
いつものことではあるが、できれば少なくなってほしいものだ。
とはいえ嘆いたところで、何かが解決してくれるわけでもない。
ゼオシムガはユシュノの首根っこを掴み、全力で駆け出す。
単純な打開策はある。が、それをどうすれば使えるか。ゼオシムガは早急に、その答えを引き出す必要に迫られていた。
ユシュノが錯乱してめっちゃくちゃ暴れているから。