第二話
襲撃から四十分程して、すべての夜魔を退けることができた。深手を追った二匹の夜魔に逃げられてしまったが、当然ながら村の住民にも負傷者が出たこともあり深追いをせずに、早急に治療と崩されたレンガの壁の応急修理が行われた。
私は負傷者の数を記録しながら、治療の手伝いをしていると、簡易ベッドで千星が治療を受けているのを見かけ様子を見に近づいた。
「あ、那月さん。負傷者のチェック?」
「うん、そう。若い夜魔だから、あまり負傷者は出ないと思ったけれど、私が思ってた以上に負傷者が多くて……」
驚いたと、続けようとして千星が怪我をしている左手に目が行って、失礼なことを言ってしまったと恥じた。
「ごめん。千星も怪我しているのに……」
「ううん、良いんです。それに、戦いが始まる前に那月さんが忠告してくれてなかったら、このくらいじゃ済まなかったかもしれないですから」
「千星が、そう言うなら……」
「あっ! ルナセミスがまた姉さんをイジメてる!」
千星の様子を見に来た様子の千衛が、因縁をつけて来る。
「千衛、そういう呼び方はやめなさいって言ってるでしょ」
「だって、ルナセミスは大地を変異させた『遥か遠くの空から銀を纏う赤の目の魔物』つまり、ルナポプルスと人間との混血なんだから、夜魔が村を襲うのだって、そいつらのせいだって話でしょ。忌み嫌われるルナポプルスの子だなんて――」
私は母の存在を悪く言う千衛の頬を思い切り殴りつけた。
「千衛が差別思想を持ってることは否定はしないし、私のことを悪く言うのも我慢できる。けれど、私の母を悪く言うのだけは、絶対に許さない! 今度また同じことを……私の前で言ってみろ……」
「言ったら、どうなるって言うの?」
挑発的に言う千衛を咎めるように、千星が「やめなさい!」と語気を強くして言う。
「お前を縛って森の中に放置して、夜魔の餌にしてやる」
「できるものなら、やってみなさいよ」
「もう、二人とも怪我をして休んでる人も大勢いるんだから、いい加減にしなさい!」
私達の喧嘩を見兼ねて、千星が大声で怒鳴った。普段は優しい千星が、怒鳴ることは珍しく、私も千衛も驚きのあまり固まってしまった。
「……ごめんなさい。声を荒げてしまって。ほら、那月さんは負傷者のチェックあるんでしょ。千衛も野盗に備えて見張りをしに行きなさい」
「そ、そうね。ルナセミスの相手なんてしてる場合じゃなかったわ」
千衛はそう言うと、そそくさとこの場から逃げるように去って行くのを、私は見送りながら「じゃ、私も行くから」と別れを言って離れようと千星に背を向けるたところで、
「千衛がいつも、嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい……」
と、心底申し訳なさそうに謝る。
「いや、千星が謝るようなことじゃないよ。あれは私と……いや、千衛自身の問題だから」
そう言い残し、無言で右手を上げて「またね」と伝え、残りの仕事を終えるため立ち去った。
負傷者のチェックを終えてから、人気の無い場所で寝転びながら星空を眺め千衛の言っていたことを思い起こす。
――『銀を纏う赤い目の魔物』これは、数年前に考古学者の一人が古代文明の痕跡のある図書施設から見つけた書物に記されていた話だ。これが、実際にルナポプルスのことを指すのかは不明だが、古書の研究者はルナポプルスのことを記したものだとして、世間に発表したことで、それが世界に広まり元々人間とは違う存在だと考えていたルナポプルスやハーフであるルナセミスのことを差別する人間達にとっては、都合の良い内容であり現在の危険に溢れた大地の元凶はすべてルナポプルスのせいにされた。
この古書が発表されるまでは、ルナポプルスと人間たちはぎこちないながらも、共に暮らしていたが、この古書の発表によりルナポプルスと人間との間には大きな亀裂を生じ、今ではルナポプルスは高度な技術が眠っていた巨大な施設を拠点にし種族的に完全に孤立の道を歩むこととなった。
そして、人間とルナポプルスが共に暮らしていた間に生まれた多くのルナセミス達は、どちらでもない種族として人間にもルナポプルスにも差別を受けることとなる。
ルナセミスは人間から見るとルナポプルス寄りであり、ルナポプルスから見ると人間寄りであるように見えるらしく、どちらにも馴染めずに社会的に孤立した存在になっていることが多い。
私はまだ幸運な方で、父が村の英雄的存在であったこともあり、村では千衛のように露骨に差別的な目で見る人は少ない。
そんな父は夜魔に対抗する有効な手段を見つけるための研究を行っている主要都市のイェネオスに滞在しているらしい――というのも母が亡くなってからは、まるで取り憑かれたかのように、夜魔を駆逐する手段がないかと研究に明け暮れ、私が十六の時に置き手紙と大斧を置いて出ていったきり連絡もないので、実際に今はどうしているかは分からないのだけれど……。
そういえば、最近ではイェネオスを含む大都市では差別され追い込まれたルナセミスと過激な差別主義者との間で、抗争が起きたという話を聞いたっけ。都市警察がすぐに出動して沈静化し、幸いにも死者は出なかったらしいけど。
夜魔の存在もあるのに、共に生きる者同士が争って……世界はどうなっているのだろう。
そんなことを考えていると、草を踏む音が耳に入りその方向へと目線を向けると、左手に包帯を巻いた千星だった。
「那月さん、こんなところにいたんですか」
「まあ、考え事をしたくて」
「やっぱり、千衛に言われたことを気にして?」
私は小さく笑いながら、
「そんなとこかな」と答えてると千星は真剣な面持ちで、
「千衛には、あとで良く言って聞かせますから。妹が本当にすみません」
「さっきも言ったように、あれは千衛本人の問題だよ。気付いていながら、偏見的な考えを持つということは、それが千衛にとって正しい価値観なんだから、誰かが何か言ってどう変わるわけでもないよ」
「でも……」
納得できないと言うような表情をして俯向く千星に私は横に座るように催して声をかける。
「あんまり、なんでも自分の責任だと思って重荷を背負うようなことはしなくて良いんだ。まあ、こんなこと言うと逆のことを言ってる気もするけれど、千衛は千衛が選んだ道があるんだ。だから、あまり過干渉になることはないんだ……。私の言いたいこと分かる?」
「何となくですけれど、えぇ確かに。でも、あの子の将来のことを考えると、つい口うるさくなってしまうんですよ」
両親が幼い頃に夜魔に殺された過去があり、千衛の姉であり母親のように育った千星からすると、千衛という存在は彼女からすると、まだまだ子供のような存在なんだろうと思う。片親を亡くしたから、気持ちは分かる。もし、私にも弟や妹がいたら同じようになっていたかもしれない。
でも、だからこそ思うのだ。千星はもっと誰かに甘えても良いのではないか、もっと自分を優先しても良いのではないかと思うことは少なくはない。だけれど、今の千星が否応なしにしろ抗わず受け入れて、千星が決めた道でもあるのだから、私がとやかく言うようなことでもない。
「ねえ、那月さんは村を出たいと思ったことってありますか?」
「どうしたの? 藪から棒に」
「千衛が、村を出て大きな街で暮らしたいと最近言い出すようになって」
「へぇ、千星はどうしたいの?」
「私は……この村も好きですけれど、両親を亡くした土地に縛られずに、どこか他所で暮らしても良いかなって思っています」
昔、どうして夜魔との戦いに参加するのか聞いた時に「両親の仇を取りたいから」と言っていた千星がそんなことを考えていたのは少し意外だった。
「夜魔を狩って両親の仇を取るんじゃなかったの?」
「夜魔狩りに参加した時は、確かにそう思っていたのですが、最近は狩っても狩ってもキリがない。そんな状況で恨みなんて晴らせるのか疑問になってきたんです。だから、恨みなんて忘れて心機一転、引っ越しも悪くないって思ってて。那月さんはどうなんですか? この村で終わらない夜魔狩りを続けるつもりなんですか? お母さんの仇を取るために村に残り続けるんですか?」
「私だって、こんな小さな村で生涯を終えるつもりはないけれど、だからと言って何か村を離れて何かしたいことがあるわけじゃないから……」
千星から目を離し夜空に瞬く小さな星々に目をやり私が本当にやりたいことを考える。
私は母を殺した夜魔に復讐することを考えて今まで生きてきた。けれど、そろそろ前に進むべきなのかもしれない。母が亡くなって父が姿を消す理由となった夜魔への恨みは消えないだろうけど、立ち止まってはいられない。一度、この村から出るのも悪くない……。でも、何をするために?
「……やりたいことなんて、村から出てからでも考えられるじゃないですか。私だって転居して何をするかは、まだ決めてないですから」
「村を出てからか……」
そう呟いてから、バッと立ち上がって私は「良し、決めた!」と大声を上げた。それを見た千星は驚いた表情で「どうしたんですか?」と聞く。
「思い立ったが吉日だ! すぐに出立の用意をして、私は村を出る!」
「え、すぐにですか? さすがにもう少し考えてから行動をしても良いと思うのですけれど」
千星は私の極端な行動に戸惑いを隠せないという表情で言う。
「こういうのは勢いが大切だと私は思うんだ。だから、準備ができ次第に村から出るぞ!」
そう私は言って、自宅に戻るために歩き出すのと同じく千星も横に並ぶようについて来る。
「いくらなんでも、決め方が雑ではないですか?」
「良いの良いの。このくらい雑でも。そもそも、千星が言ったんじゃないか『目的は村を出てから』ってさ。だったら、目的を決めるためにはできるだけ早くに出た方が良いって、そう思わない?」
「まあ、そうですけれど。那月さんの行動が突発すぎて、私が追いつけませんよ。こう……私が説得しても、村に残る方を選ぶんじゃないかと思っていたので戸惑ってしまいます」
「つまりは、私をその気にさせたのは千星なんだからさ、私が村を出る時は笑顔で手を振ってくれるよね?」
私は手を後ろに組んで千星の顔を覗き込むようにして、意地悪な笑みを向ける。
「那月さんが、そう決意したのなら私は止めません。笑顔で見送りくらいしますけれど。準備不十分で困ったりしないかが心配なだけですよ。路銀のことや食料は大丈夫ですか? あとは……地図とかですかね?」
「路銀は大丈夫かな。父が私が一人で暮らしていくには十分な額を置いていったから、全然足りるよ。食料も干し肉や乾飯の貯蔵を今年は多めにしてあるから平気かな。でも、そうか。地図は盲点だった……。一応家の中を探してみるけど、もし無かったら譲ってもらうしかないかな。確認と準備を急ぐから走って帰るね」
「はい。まだ暗いですから、足元には気をつけてくださいね。私はもう少しゆっくりしてから帰ります。また、あとで」
お互いに手を振り笑顔で別れた。私は涼しい風を切るように家まで走り続けた。
まだ見ぬ世界を見ることに心躍らせながら――。