再び…
それから小学校を卒業するときも、高校に入学するときも、美大に合格した時も、咲は桜の季節になると公園の桜を見に来た。
だがあれから桜は咲かない。
そして留学する今日、私は再び公園を訪れた。
「ねぇ、あれは貴方の力だったのかな?」
私は桜の木に手を触れて木のぬくもりを感じながらそう呟いた。
叶うならもう一度あの子に会いたい。会ってお礼を言いたい。
そう願った時だった。
一陣の風が咲の髪を揺らした。ふと体が温かい何かに包まれるような不思議な感覚にとらわれた。視線を感じ、思わず振り返った先には、あの少年が立っていた。
「咲…。」
夢を見ているようだった。
あの頃のまま、少年があの微笑みを浮かべて立っている。
「貴方!!」
「良かった。もう一度会えたね。」
「貴方にお礼が言いたかったの。ずっと何度も何度もここに来て。でも会えなくて!!」
少年に語り掛けながら私の目からは涙が溢れて止まらなかった。
15年経ってやっと再会できたのだ。少年が人間ではない存在だったとしても、全然怖くなかった。どうしても会いたかったのだ。
それがようやく叶った。
少年がゆっくりと桜の木に近づきながら言った。
「僕に力がなくて…あれからこの木に花を咲かせることができなかったんだ。」
「貴方はいまどうしているの?寂しくない?」
「咲が来てくれたから、そして会いたいって強く願ってくれたから、僕はこうして君に会えた。ずっと頑張ってたんだね。」
「私ずっと絵を描いていた。貴方に渡したくて。ほら、上手になったでしょ?今度留学するのよ!海外でもっと絵をたくさんかいて、そして個展を開きたいの!!みんなを笑顔にする絵を描きたいの!」
私は思いが溢れるのを止められず、一気に捲し立てた。それを少年はあの微笑みを浮かべて聞いていた。
そして一言言った。
「うん…知っている。ずっと見てきたから。」
「そっか・・・ありがとう。あの時もずっと見守ってくれて、ありがとう。お祖父ちゃん。」
咲の言葉に少年は少し驚いた顔をして、照れくさそうに笑った。
「…もう大丈夫だね。」
「え?」
「僕はこの木の精ではいられなくなったんだ。この木は老いすぎた。精霊として宿り続けたけどもう寿命だ。だからまた最後の力でこの木に花を咲かす。」
「じゃああなたはどうなるの?消えちゃうの?」
「ううん。僕は木の精として別の木に宿り、生まれ変わる。だけど、たぶんもう咲には会えない。」
「そんな…。」
「でもね、ずっと見守っているから。どこにいても咲を思っているから。だから、夢を諦めちゃだめだよ。どんなにつらくても生きること、夢を見ることを諦めないで。」
「うん…。」
「きっとだよ…」
少年は小指を差し出した。その指に私の小指を絡めて指切りげんまんをする。
少年の手は暖かかった。まるで陽だまりの木の下のようなそんな暖かさだった。
「咲、目をつむって。」
少年に促されるように私は目を閉じた。
するりと少年の指が小指から離れる。
一瞬の不安を消すように、少年は耳元でささやいた。
「大丈夫。1…2…3…」
さぁと風が舞った。何か異変を感じ、私は目を開けると、手のひらに桜の花びらが握られていた。
だけど気づいたときには少年はもういなくて。私は公園で立ち尽くしたまま桜の花を見つめていた。
正直、留学には不安があった。美術大学は天才の集まりで、私の能力なんて凡人の何者でもないことを痛感していた。何度も絵の道を捨てようと、諦めようとしたこともあった。
逃げるように留学を決めたのも、何か自分を変えるようなきっかけが欲しかったのも事実だった。
だからもう一度この桜を見たかった。
私の原点。この桜の舞散る姿を。
「また、渡せなかったな。」
私はカバンからスケッチブックを取り出した。そこに描いたのは満開の桜と私の家族。そして少年の姿だった。
「私、諦めないから。頑張るから、ね…」
(ずっと見ているから…)
どこかでそう聞こえた気がした。