生き残った不運な少女
「ねえ、戦争ってどうしたら終わるんだろうね。」
1944年の夏、つまり後に世界中で唯一である被爆国日本という歴史が刻まれることになるちょうど1年前のことである。
人手のないところで二人の少女が話していた。
もちろん大日本帝国においては、我が国の勝利のみが戦争を終わらせる道だ……、そのはずだった。
しかし彼女たちは何となく日本の苦戦を感じていた。
そして、彼女たちは地獄を見ることになる。
「お前ら、何をしているっ。その制服は……ひめゆり学徒隊のものか。」
兵隊に見つかってしまった。
そして、これから戦況の激しくなる中2人はこの質問について考えることはなかった。
壕に戻るといつもの日常だ。
腐って、異臭を放っている兵隊の足の手当て。
死体処理。
こんな辛い仕事だってもう慣れた。
お腹はすくけど、ぜいたくを言ってはいけないことも学んだ。
大日本帝国の利になることは口にし、大日本帝国を批判するような言葉は間違っても口にしない。
心に思い浮かぶ思い、意見、言う言葉は選んで話す。
少なくとも軍に、そして大日本帝国に従順でいさえすれば無駄死には免れる。
そして、何事も無い平凡な日常が過ぎた。
腐った死体を運んで、敵軍の爆撃で仲間が死んだこともあったか?
おにぎりは小さくなっていったけど。
こんなのはただの日常
爆弾が落ちてくることも、人が死ぬことも。
秋が来た。
いや、これは冬かもしれない。
とにかく寒くなった。
戦時中だから、空を眺める余裕は無かったし、木々なんてもうすでに存在しない。
存在したとしても秋が来る前に葉っぱは落ちている。
だからいつが秋かなんてわからない
でも秋が来た。
そして冬が来た。
もちろんこの沖縄に雪が降るわけ無いけど。
そして春が来た。
緑が青々と生い茂る…なんて表現できるような春じゃないけど。
そして沖縄地上戦が始まり、戦争は終結した。
自分の周りを見渡してみる。
周りには異臭が漂い、いくつもの死体が転がっている
いくつあるかなんてわからない。
あとでわかったことでは、この小さな沖縄だけでも、20万の戦死者が出たらしい。
私の周りにはたくさんの人がいる。
ただの抜け殻が、人間という種族の皮をかぶっただけの抜け殻がたくさん。
何で私は動けるのだろう。
何で私の体は抜け殻じゃないんだろう
私はアメリカ兵を憎む。
日本政府を憎む。
ありったけの憎悪をアメリカ兵と日本政府に。
何で政府は降伏したの?
日本政府にはそう憎む
降伏したことに対して憎む。
─戦争を終わらせたいんじゃなかったの?─
アメリカ兵には……。
何で戦争終結する前に……、
いや、仲間を殺す前に、
仲間が次々と死んでいく前に
私を殺してくれなかったの?
日本政府があと少し降伏のときを遅らせていたら。
アメリカ兵が一番に私を殺していたら。
荒れ果てた荒野。
死を免れた住人。
「あなた、ひめゆり隊だったの?」
「よかったわねぇ、生き残れて」
「私の子供は戦死したわ…」
「命は大切にね。」
うるさい、うるさい、うるさいっっ
生き残れたことが幸せみたいに言って。
戯言だ。
殺してほしかった。
本当は死体をひたすら運ぶ仕事やりたくなかった。
友の死体なんて運びたくなかった。
肉が見え、腐りかかっている気持ち悪い足も見たくなかった。
早く解放されたかった。
早く死にたかった。
「ねえ、戦争ってどうしたら終わるんだろうね。」
1年前この質問をした少女。
いや、少女とよく似た顔が転がっている。
胴体は……ない。あるのはただの燃え焦げてしまった肉。
私はこの焦げた肉と、見覚えのある顔を運ぶ。
そしてつぶやいた。
はぁ。
「生き残ってしまったなんて、わたし、なんて不運な子なんでしょう」
いかがでしたでしょうか?
今回のテーマは生と死についてです。
たしかに命は尊いものです。
しかし、残された側の苦痛・死んだほうが楽になれるのではないか?
ということを提示したかった作品です。
なぜなら生きている側の苦痛は行き続ける限り続くのです。
そして…実際にこういうことをやらされた方たちは
今の中高校生ぐらいの年頃だったのですから。