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大嫌いと鏡に吐き捨てた

作者: アズ

「私はあなたが大嫌いなの。存在も許せない。早く死んでよ。消えてよ。お願いだから」


 私は鏡に語り掛ける。鏡の私は無表情だ。呪詛の言葉を吐いているのに、無表情だ。


「だから気持ち悪いって言われるんだ。死ねって言ってるんだから憎悪に染まった顔をすればいい。死ねって言われたんだから悲痛な顔をすればいい。どっちにもならずに何も読み取れない。本当に、気持ち悪い」


 本心だ。気持ち悪い。自分自身が気持ち悪い。それでも何も変わらない顔。しいて言うなら諦観が透けるような目をしている。そこまでたくさんの経験をしたわけじゃないのに。まだまだ苦しいこともつらいこともあるだろうに。もうすでに何もかもを諦めているような目だ。大嫌い。

 カツン、と指が鏡にぶつかる。この境界線さえなければ私は私を殺せるのに。

 自分も他人も否定の言葉しか吐いていないのに、それでも存在し続ける自分が、大嫌い。早く終わらせたいと願っているのに実行できない自分が大嫌い。

 鏡像ではなく、自分自身の首に手をかける。手が震える。目の前に差し出すときはそんなことなかったのに。力が入らない。殺せない。死ねない。


「あなたが、あなたが私を殺してくれれば、私は」


 私は、……なんだというのだろう。鏡の中の私は相変わらず感情が読めない顔で。決められた台本を読んでいるだけの、園児にも劣る演技を披露しているようで。


『じゃあ、かわりましょう?』


 聞きなれたような、初めて聞くような、不思議な声がした。鏡の中の私が口を動かした。喋った。鏡像が。私ではなく、向こう側の。


『簡単よ。両手を私と合わせて、おでこもくっつけるの』


 私が見たこともない表情をしている。諦めきった目はそのままなのに、薄く笑って、どこか妖艶な雰囲気を醸し出している。

 言われるがままに左手を鏡につける。私、いや、彼女も同じように動いて合わせてくれた。少しだけ躊躇って、右手もつける。一呼吸おいて、彼女の目を見た。何にも興味がなさそうな目だ。違う。これは私じゃない。きっと私は。私の目は。


『どうしたの?』


 ごくり、と唾を飲み込む。きっと後戻りはできない。

 …………それでも、いい。


 目を閉じ、覚悟と共に、そっと、おでこをつけた。いや、つけようとした。差し出した頭は目の前にあるはずの鏡に当たることはなく、しかし強い力に引きずられて、私は前のめりに倒れた。

 痛いと思うことはなかった。驚いて目を開ける。


 全てが記憶の中とは左右対称の空間だった。


 鏡の中に来たんだとすぐに思い至った。じゃあ、元の場所には、彼女が? 振り返って鏡があるはずの場所を見る。しかしそこには、鏡の代わりに真っ黒な長方形の何かが置かれているだけだった。触れてみても反応はない。「かわりましょう?」の一言が頭の中で響く。代わった。換わった。かわった。思ったより感情は動かない。まだ実感がないのかもしれない。他の部屋も見てみよう。外にも出てみよう。きっと、今までとは違う新しい世界で、新しい場所で、きっと。

 閉めた覚えのない扉を開けると、真っ黒な壁があった。振れると生暖かいけれど、確かに硬い素材で、何をしても壊れそうになかった。

 窓は開けられなかった。力いっぱい殴っても、ガタガタと鳴ることもなかった。

 歯ブラシもコップも、何もかも、動かすことはできなかった。




 何もできることはないと気づいたのは、認めたのは、空が白んできてからだった。眠くもない。空腹もない。もしかしたら心臓すら動いていないのかもしれない。私は死体なのかもしれない。死体ならば、この無表情だって仕方ないことだ。死体を殺すには、動かなくするには、どうしたらいいのだろう。考えても答えは出ない。この空間で私の望みはきっと叶わない。彼女は私の代わりになったのだろうか。彼女は私だったのだろうか。私は、どうすればいいのだろうか。

 外が完全に明るくなった。なんとなく、そう、なんとなくだ。意味はないし理由もなかった。黒い長方形の前に立った。手を伸ばして、触れてみた。

 さっきは何もなかったのに、一瞬で鏡になった。私が映っている。私。いや、彼女だ。彼女は笑っている。私がしたことのない表情だ。機嫌よく髪をとかしている。起きたばかりなのだろうか、お気に入りのパジャマで寝癖もついていて、どこからどう見ても私なのに、私ではない彼女が、ガラス越しに、そこに。

 気づく。私も同じ動作をしている。全く同じ、鏡のように。止められない。私の意思も思考も無視して、彼女を真似ている。


「おはよう。そちらはどうかしら」


 笑った彼女は私に喋りかけた。弾んだ声だ。私が発することなど絶対ない喋り方だ。


『私は、ここは、あなたは』


 声は出た。でも体は動かない。まとまらない単語で状況を問う。


「そこは鏡の中。あなたは映り続けなければならない。あなたは私を映さなければならない。あなたは死なない。あなたは私の」

『殺して、くれないの』

「かわりましょう、としか言ってないわ」


 彼女は笑って、何かを呟いたけれど、私は何も聞き取れなかった。

 彼女が枠から去る。消える。鏡が黒い長方形に戻る。私の体の自由も戻る。

 だけれど、それが何というのか。私はずっと彼女の鏡像であり続けなければならない。この狭い空間から出ることもできず、彼女が鏡を覗くときだけ外と繋がることができる、鏡像。


 私が望んだものは、こうじゃなかったのに。

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