「愛想」
主人公 近江想太
告白された人 柏木夏帆
眼を覚ますと塩っぽい味がした。口の中に涙が入ってきたらしい。
玉砕翌日。6月25日。世間は平常運転。
だがぼくは今にも事故を起こしそうな蛇行運転で洗面所に向かい顔を洗い歯を磨いた。
母の昨晩夕飯用意したのにとか制服が皺になるからハンガーに掛けて寝なさい、とかまあいつも通りの小言を受け流して朝食のトーストとフルーツを牛乳で流し込んだ。
昨日振られていいようが今日もお構いなしに学校がある。大した名門校でもないのに進学科を謳うクラスである。サボったら間違いなく親に連絡が行く。休めない。
そのことが憂鬱で仕方がなかった。
なんだか心模様を反映したかのようにどんよりとした曇り空の下、アパシーな眼でのろのろとバス停に向けて足を前に出した。夏の緑の葉を堂々と携えた木々と爽やかな薫風がひどく空しい。
都立名倉高校行きのバスを待つこと5分間。 ブロロロ、と排気ガスを引き連れて緑色の登校バスが到着した。
乗車してもはや習慣となった動作となってしまった視線の動きで気づかれないように彼女を探す。
いた。
柏木夏帆さん。他の学生客によって既に座席は占領されており想太から少し離れたバス後方で吊革をその柔らかそうな手でしっかりと握りこみ、スマホに視線を落としていた。
天然モノの大きな涙袋と長いまつ毛によって眼の輪郭がはっきりしており朝の時間帯でも顔全体に明るい雰囲気を構成している。
あ──。
目線が合った。
夏帆さんは昨日のことなんてまるでなかったかのように、ぱあっと可憐な笑顔をこちらに向けた。
じわりと背中に汗。握った右手にも。開いた左手にも。
こちらも用意していた笑顔でもって彼女に応じた。幸いにも既にバスは多くの乗客が居るため近づくことはできなさそうだ。
バスを降りた後どういった対応をするか。
まずはそれだ。
朝の寝ぼけた頭に掛かる霧を一気に払い、凡庸な脳をフル回転させた。急いでるフリをしてすぐにでも教室に向かうか、これからもよろしく的方向に話をもっていく──いや1限である公民の教師のハゲ頭の話題でも振るか。
はたして脳内議論は杞憂に終わった。
バスから降りて夏帆さんの可憐な笑顔が近づく。
告白の時とは別種の、ネガティブなもやもやがお腹のあたりに渦巻いた。
「おはよう想太くん。バスの中で目線、あったよね。昨日さ──」
心臓が跳ねた。
気がした。
「昨日、近江くんがお勧めしてくれたバンド聴いたよ!! "american foot ball"、名前でごつい男の人のがしゃがしゃっーってロックを想像していたんだけど凄く綺麗で切ない音楽だね。」
「そ、う、、なんだ!ギターが瑞々しくってさ!!歌詞を訳さなくても曲の構成と雰囲気で切なさが伝わってくるんだよね!」
少しどもった。
夏帆さんとは普段音楽の話で盛り上がることが多かった。
告白した日の前日、つまり2日前にも互いのお勧めのバンドを紹介し合ったばかりだった。
夏帆さんはギター色の前面に出た思わず体が動き出すような邦ロック──例えばELLEGARDENなんかを好み、対するぼくはNIRVANAに代表されるグランジロックや、色彩的な音色や夕焼け空などのランドスケープを彷彿とさせる楽曲の世界観に浸れるポストロックの類を特に好んでいた。
つまり同じバンド音楽好きでありながら微妙に趣味が違ったのだ。
しかしながら入学時の自己紹介をきっかけに後ろの席ということもあり、お互いにまずは性別問わず話せる相手が欲しいと考えていたことも重なり、音楽の話をするようになりCDの貸し借りをするようになった。
ぼくが彼女に恋をしていたからなのか、それまで聴かず嫌いしていただけなのかは判然としないが、不思議と彼女に推されたことをきっかけに中学時代いけてるやつらが聴いていた、と勝手に思っているギターロックを肯定的に取り込むことができた。
彼女もそれまで自分の知らなかったジャンルに好感を覚えてくれていた。
「ねえそっちは?私の貸した MONOEYESの新譜聴いたっ?」
「あ・・・・・・ごめんまだ聴いてないや」
「え~っ、今のわたしのトレンドにして絶賛ループ中の盤なのにぃ!!」
ばんっ!と背中を叩かれた。
「あ~うん。絶対今日には聴いて明日感想言うよ」
ぼくがそう言うと彼女は白い歯を見せにかっと笑いながらこちらに中指を立ててみせた。
別に忘れていたわけではなくて彼女に告白するだけの勇気を蓄積させ、それを弾倉に込め弾丸として打ち出し不発におわり落ち込む、という一連の流れに音楽鑑賞タイムが介入する余地がなかっただけだ。
当然口には出さないけど。
でも夏帆さんはちゃんとぼくの貸したCDを昨日聴いた。
それはつまりぼくが放課後呼び出して告白してそれを丁重に決まり文句でもって断ったその後にしっかり日常を送ったということだ。
それだけまだ彼女との間に「差」があるということを表しているようにも思えた。
ぼくが勝手にヤキモキしている間にも彼女が大きな黒目を輝かせて「エモーショナルなんだけどコントロールが効いていて素晴らしいんだよ!!」とか「サウンドはやっぱりエルレの頃より洋楽的な印象を受けるんだけどメロディはどこか日本人に馴染みのいいものがあって」とか大いに熱弁を奮ってくれたおかげで気がついたら教室に到着していた。
見慣れた昇降口や渡り廊下の景色がまるで眼に入ってこなかった。
自席に腰を下ろすと夏帆さんがそれに習って彼女が後ろの席に腰を下ろし
「いやいや、昨日席替えしたでしょ!!」
思わず大きな声でツッコミを入れてしまった。
「たはは、そうでした~失敬失敬・・・・・・」
すると夏帆さんは顔を赤らめはむっと唇をはんで、後ろで黒髪を少し掻いて見せた。
よっと、と漏らしながらぼくの席──廊下側から数えて2番目、前から2番目の席から離れ、彼女の窓際の後ろから2番目の席に向かっていく。途中でおわっと、と蹴躓きそうになる。
その照れ隠しの大げさな仕草がやっぱり可愛くってぼくはそれ以上のリアクションをとる事ができずに彼女が友人たちに挨拶しながら座席に着く一連の流れをしかと見届けた後自席に改めて座りなおした。
ぼくも席の近いクラスメイトと挨拶を交わした。
夏帆さんは黒髪ロングだ。黒髪ロングといえばアニメ並びにライトノベルの世界で言えば清楚と相場が決まっている。おまけに名前は「柏木夏帆」だ。
しかし夏帆さんは意外と現代的というか略語もバンバン使うしリアクション取る際に中指を立ててみたりする。
それに結構抜けているところがある。部屋も散らかっているらしい。
でもそれが距離感を近く感じさせ、より一層魅力的に感じるアクセントになっているとぼくは思う。
それでいて彼女はスクールカーストの高い人たちとも恋愛ドラマやコスメの話で盛り上がり、オタク女子たちともアニメの話に興じる。成績は良く、運動も上手にこなしてみせる。
ぼくも高校に入学してからはそれなりに上手くやっているつもりだがアニメが好きであることは隠しておりかといってカースト上位の面子と楽しくやれているかと言えば微妙で、クラスでも真ん中くらいのやつらとそれなりによろしくやっている状態だ。
夏帆さんの凄さを痛感する。
ホームルームが終わりすぐさま1限の公民が始まると急速に瞼が重くなった。
公民担当の持田のハゲ頭が西日を反射していることについて前方で江西と磯部がこそこそ話しているのが遠く聞こえる。
やがて意識がぼんやりしていき焦点がぶれ視界が滲み意識が途切れた。
あ。
想太くん、居眠りしてる。
近江想太くん──昨日わたしに告白してきた男の子。
自分でも馬鹿だと思う。
たぶん友達に恋愛相談される立場なら、一言「つきあっちゃえ」とアドバイスしたに違いない。
友達の恋愛相談に適当に応じてるわけでもない。ないんだけれど自分がいざその立場になるとその責任は身をもって重く感じられた。
「今のわたし」になれたのは間違いなくスタートダッシュを切るきっかけを作ってくれた想太くんのおかげだ。
中学の頃わたしは今のように誰とでも仲良くできるタイプではなかった。
クラスで特段浮いているわけではなかったけれど、決して誰の印象にも残らない人間だった。
自分がおばさんになった時、昔を思い出したとき。
制服の思い出が欲しかった。
だから変わることに決めた。
中学を卒業して高校が始まるまでの間、わたしは自己研鑽に励んだ。毎日の愛犬の散歩中、近所の人と積極的に話すことを心がけた。すると、年配の人であっても同年代の人であっても自分で思うよりも少しだけ大袈裟にリアクションを取り、笑顔を作るととても受けが良いことがわかった。どうやらわたしは表情を作ることに関して一定の才能があるらしい。
そして入学式で目の前であわあわとする想太くんと出会った。
上手く励ますことができた。
仲良くなることができた。
そのたった1回の成功体験は自分自身を明るくし、その明るさが私の心にストンと馴染んだ。
すると馴染んだ色は心全体を染め上げた。
間違いなく想太くんのおかげで私は僅か数ヶ月の間で変身することができたのだ。
だからとても感謝している。
けれど本当に彼のことが好きなのか。
成功体験を作ってくれたことが好意的感情を生んでいる?趣味の共有が心地よい?そこに男性としての魅力は感じている?いやいや男性としての魅力がそんなに大事ならこの世には性愛しかないのでは?まずは付き合ってみる?1/1で運命の人なんて現れるわけがない?そんなに簡単に付き合ってなんか気持ちが盛り上がりませんでした、で学生特有の数週間で分かれる現象に落ち着いたらどうする?何よりまだ出会って3ヶ月経ってない相手だぞ?
即、頭に無数に疑問符の行列。
完全に混乱していた。
一言「考えさせて」そう告げることすらままならなかった。
自分に素敵な恋人が現れたらと、妄想していたときの台詞はまるで思い出せなかった。
頭が真っ白になり気がつくと自分は周囲に合わせて見ていた恋愛ドラマの冒頭の失恋シーンよろしくテンプレートもテンプレートな台詞を口にしていた。
自宅に着いてからもぐるぐると考えていたが結論はでなかった。
早い子たちは中学生でもう恋愛体験を済ませている。でも自分は初めてだった。
だから仕方ないってことはないんだけど、まだ夢見る少女なのだろう。きっと。
興味があるから。いい感じだから。お試しで。
そういう理由で手と手を取り合い、唇を合わせ、体を重ねるにはどうしても抵抗があった。
だからすぐにつきあわなかったことに後悔はしていない。
ただ──
傷ついてほしくはなかった。
だから明日少しでも今まで通り想太くんと過ごす努力をしよう。
少しでも生産的な方向に思考回路を切り替え、まずはいつも通りの話題づくりにと昨日借りていたCDをプレイヤーにセットした。
読んでいただきありがとうございます。
ヒロインの1人である夏帆さんが登場しました。
評価やコメントなどありましたらお気軽によろしくお願いします。
次話も読んでいただけたら幸いです。