はじめてのたたかい
暑さのピークが過ぎ、気温が下がってきた。体感的にも生まれて半年くらいが経っている気がするし、四季があるなら秋にさしかかってきたところだろうか。葉の色は変わらないが、木の実が落ち始めたので少なくとも春ではないだろう。この調子だと冬もあるのではないだろうか。
初めての解体から季節が移り替わるまでに、俺は様々な生物の解体に挑戦した。羽猫、羽狼、羽鹿、羽猪、羽猿、羽牛、羽馬、羽熊…などなど。不思議なことに、いや不気味なことにというべきかもしれないが、生物には漏れなく翼があり、体の一部が羽毛に覆われていた。
そんなビックリ生物を見ているうちに、「人間に見つかったらどうしよう」という懸念は吹き飛んだ。最初のうちはグリフォンも羽兎も、どこか人の手の届かない場所に暮らす新種の生物だろうと考えていたのだが。こんな生物が地球上にたくさん生息しているはずはない、ここはそもそも元いた世界とは別のどこかに違いない、と考えたからである。輪廻転生はおろか、平行世界まで実在するとは。俺と同じ境遇の人が、前世の世界にもいたに違いない。
とにもかくにも、これで本格的にグリフォン生活を送る覚悟が決まった。
フォンが運んでくる生物には、翼と羽毛があること以外にもう一つ共通点があった。死体の損傷具合がどうにもおかしい。かつて運んできていた生肉には、前脚の鋭い爪をものすごい力で食いこませて引き裂いた跡があった。しかし、最近運んでくる死体には目立った外傷は見られない。かといって気絶しているだけ、傷は全くない、というわけでもない。不思議なことに、元医学生として本当に不思議なのだが、内部からグズグズに崩れているようなのである。解体したときに、ものによっては血管が破裂していたり、骨が砕けていたりといった様子が見られた。これがフォン固有の能力なのか、はたまたグリフォンが持つ力なのかはわからないが、解体の術を一通り身に着けた今、次の目標は外傷のない死体の謎を解き明かすことである。
さて、今日もフォンが獲物を持って帰ってきた。今日の最初の獲物は羽兎だ。今や俺の体は羽兎よりも大きく育っており、解体など文字通り朝飯前である。フォンが巣に投げ入れた羽兎に張り切って近づこうとして…ようやく気づいた。
(これ死体じゃない! というかほぼ無傷だよね!?)
逃げられないように翼だけは大きく傷つけてあるものの、他に傷は見受けられなかった。弱っているどころか、生命の危機が目前に迫った羽兎からは、俺を殺してでも生き延びてやるという気迫を感じた。
フォンはというと、「よし、頑張れ!」という表情でこちらを見守っていた。解体は大体覚えたろう、次は狩りの練習だな!とでも言わんばかりである。
(そうきたか…解体なら前世でもやったけど哺乳類を殺したことはないんだよな…うーん、爪で直接殺すと手に気持ち悪い感触が残りそうで抵抗がある…断末魔も聞きたくないし…かといってフォンみたいに相手の内部に傷をつける方法もわからない…どうしようk)
瞬間、すさまじい衝撃を受けて吹き飛ばされた。羽兎がタックルの構えをとったところまでは目で追えたが、タックルの速度が想像以上であったために防御しそこなってしまったのだ。
(痛っ…! いっ………てえなあ…………!)
羽兎のタックルの威力は馬鹿にできないもので、生まれて初めて痛みを覚えた。しかし、前世で味わった痛みに比べればダメージのうちにも入らない。なんたって比較対象はトラックだ。羽兎の決死のタックルは、俺の心を折るには及ばず、むしろ殺意を掻き立てる結果にしかならなかった。
(調子に乗りやがって兎ごときが…! こちとらその気になればお前なんざ一瞬で肉塊にできるんだよっ!)
翼を大きく広げる。はばたきの練習をしていて気づいたのだが、巨大な肉食獣の体で宙を舞うことを可能にするグリフォンの翼は、とにかく大きく、力強く、頑丈である。羽兎は二度目のタックルをしかけてきたが、翼で体を覆い防御することで勢いを殺し切った。
俺の手の届く範囲で動きを止めた時点で、羽兎の絶命は確定だ。前脚を伸ばし、羽兎の動体を掴む。猛禽類のようなこの脚の握力が並はずれているのは解体作業を通してよく知っていた。この前脚に掴まれた時点で逃げる手段はない。あとはとどめを刺すだけだ。
やろうと思えば握力だけで羽兎の肉体を四散させることなど容易くはあったが、俺は羽兎を捕まえた時点で少し冷静になった。目的が「羽兎を殺すこと」ではなく「食事」であることを思い出したのである。怒りに身を任せてゴリラがリンゴを握りつぶすように羽兎を四散させたなら、きっと気分はすっきり爽快になるだろうが、バラバラになった羽兎は間違いなく食べにくい。というわけで、後片付けや解体の順序などを考慮し、力加減を調整して締め落としておいた。
フォンの表情を見ると、どうやら俺が攻撃をもろに受けることは想定外だったらしく、そこについては若干の焦りを覚えたようだが、その後の展開には満足したようだ。俺が最初から躊躇なく直接攻撃を行うものだと思っていたらしい。まあ、まさか自分の子どもの中身が別の世界の生物の生まれ変わりで、肉食の生物に生まれたくせに殺しに抵抗がある、なんて夢にも思わないだろう。
俺の初戦闘はこうしてあっけなく幕を下ろした。生まれて初めて、前世まで込みで生まれて初めてこの手で生物を殺し、糧を得た。新鮮な生肉はいつも食べている生肉より心なしか美味しかったように思う。そしてこれ以降、フォンが運んでくるのは生きたままの獲物となる。