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ボラの奥方

作者: M38
掲載日:2015/12/16

 ここは、海の底の竜宮城――。


 天花は天帝さまの奥方さまだ。

 だが、すごい無骨ものなので、周りが絶対にそれを認めようとしない。

 すでにこどもが、4人もいるのに――。


オク……」

親方オヤカタさま? こねーな時間にどうしたんじゃか?」

「おくに会いにきた」


「奥方さま! 天帝さまをそのように呼ぶのはお止めください! 天帝さま! このような下女あがりのおなごのところにばかり渡らずに、鯛やひらめの精のお妃さまのところへも行ってくだされ!」


 アンコウの精の女官長が、額に下がったちょうちんをピカピカさせながら、真後ろに立って怒鳴りちらしている。

 天花が奥方さまなのが、気に入らないのだ。


「邪魔だ……帰れ」

「そんな! 天帝さま!」


 天帝さまが天花の手を取り、奥の寝所へと歩き出した。

 女官長が地団駄を踏んでくやしがっている。

 天花はふっとため息をつき、おとなしく天帝さまにしたがった。


「おやかたさま……息子たちは元気じゃろうか? 風邪を引いてねーじゃろうか?」

「元気だそうだ。乳母たちがそう噂をしていた」

「そうじゃろうか。せーならよかったです……」

 

 天帝のこどもたちは、生まれてすぐに親の手を離れ、乳母や教育係たちに育てられる。

 天花はくやしかった。

 1度でいいから、この手でこどもを育ててみたい――!


 

 5年前――。


 天帝さまとは、この世の海を全て支配しておられる龍の精の子孫だ。

 先の天帝さまには100人のお妃と100人の皇子さまがいらっしゃった。

 だが、なぜか成人した皇子様たちには、こどもが1人もできなかった。

 いくら后を娶っても、誰一人として子を成せなかった。


 そこで、先の天帝さまは101番目の皇子、正式なお妃さまではない女が産んだタツノオトシゴの精『竜也』に、多産で有名なボラの精『天花』を娶らせた。

 これがたいへん相性がよかったとみえ、天花は見事に期待に応えて毎年おとこの子を産み、たちまち皇子が4人となった。

 先の天帝は引退し、竜也が正式に天帝を引き継ぐ事となったのだ。


 天花は、嵐の晩に竜宮城へ迷い込んだボラの孤児だった。

 ボラは出世魚のため、当時、天花はまだオボコという幼魚の精だった。

 薄汚い田舎者で、竜宮城で下働きをしていた。

 だから天花は、他の皇子の后や側室たちのような品はない。

 りっぱなナマズひげをたくわえたゴンズイの精のじいやに、毎日のようにたしなめられる。


「天花さま! またそのようにすそを踏んづけて! しっかりと足を上げてお歩きなされ!」

「じい、うちの足はみじけーからあがらんじゃ……わあ! おいしそうな餅だ! もらうで!」

「また両手に持って食べておりますな? そんなに粉を飛ばして……」

「もんげーっ! おいしい! じいも食べるか? すごくおいしいじゃ! はい!」

「食べ物を家臣にむやみに差し出すものではありません! まったくいつまでもオボコのままで……おや? 天花さま、どろんこではないですか?」

「裏庭の柿がおいしそうになっとったから……」

「まさか……木に登られた? 竜宮の? 奥方ともあろうお方が!」


「じい……もう、よいではないか? 天花の好きにさせてやれ」

「天帝さま! あなたがそのようなことを言われるから、いつまでも奥方さまが成長なされないのです。わたくしは竜也さまを小さい頃から見守って参りました。あなたさまは先の天帝さまのお妃たちに南国育ちと馬鹿にされ、いつも101番目にあまんじてきました。でも、今は違いまする! 100人もの皇子を押しのけて、天帝になられたのです! 先の天帝さま付きじいやのイセエビ精のような立派な長い髭を、わたくしめも持っておりまする! 天帝さまも、天花さまというたくさんの皇子さまを産まれた奥方さまがおりまする! 天花さまには、側室に負けないりっぱな皇后になってほしいのです!」

「じい……天花が寝てしまったわ」

「なんとこれは! まったく……」


 天花はあまりにじいやの小言が長いため、寝てしまった。

 天帝は天花をそっと抱き上げ、寝所に連れて行った。


「ねんねこねんねこ……天花……」


 天帝は天花のぷにょっとした頬を撫でながら、添い寝して子守唄を歌ってあげた。

 天花は、見た目もぷくっとしていて、ボラの精の特徴で腹がぼてっと出ている。

 いつも乱れた赤い着物を着ていて背も低く、いつまでも童女のようなタタズまいだ。


 それに比べて天帝の竜也さまは、タツノオトシゴの精とは思えないほどの偉丈夫で美男子だ。

 瞳と同じ紫色の、腰まで伸びた美しい髪をたなびかせ、立ち居振る舞いもたいへん優雅だ。

 また、やさしい性格で頭脳明晰、ハリのある素晴らしい声をしている。


 とにかく、何の欠点もないお方なのだ。

 欠けているところといえば、奥方さまだけだ。

 あまりにもひどいと、竜宮城中の噂になっているほどだ。


「ほらほら! あれがうわさの奥方さまよ! あの大きなたれ目を見てごらん! 鼻は低いし、口はいつもぽこっと開けっ放しだし、みっともないったらありゃあしない! それに比べて天帝さまのなんと凛々しいことよ……!」

「クスクス! あのドタドタとしたガニマタ歩き、とても宮中の者とは思えないわ。天帝さまがかわいそう……」

「あれが奥方なのか? みっともなくて外交には連れて行けないではないか! 他国の使者が来てもあのボラは絶対に応対させるな! 側室の方を奥方さまだと言っておけ! つり合わないにもほどがあるぞ」

「髪が男のように短いではないか? 真っ黒であっちこっちに跳ねているし……。それに、あのヒキガエルのような声はなんだ? 姿かたちもそっくりじゃないか!」

「ホホホホ! 奥方さまじゃなくて、ヒキガエルと呼びましょう! ぴったりじゃなくて?」


 さすがに天花も、皆が嘲笑していることには気がついていた。

 だから、人がいないところを選んで歩いているうちに、いつもどろどろに汚れてしまい、毎回、じいやの小言をくらうのだ。


 とても后とは言いがたい天花のその様子に、見かねた側近たちが数ヶ月前、勝手に側妃を2人も迎え入れてしまった。

 鯛とひらめの精の姫君だ。

 どちらもたいへん品がよく、竜宮城の中でもとびきりの美人で才媛。

 家柄も超一流だ。


 きらびやかな妃たちと比べられ、天花への風当たりはますますひどくなった。

 それにつれ、じいやの説教も長くなった。 

 だが、天帝は側室をまったく顧みることはなく、不調法な天花を叱ることもなく、仕事以外はずっと奥方さまの宮に入り浸っていた。

 

「天花、何か欲しいものはあるか?」

「おやかたさま……1度でええから、この手にうちの子をでーて育てたいじゃ。乳をあげてみたいんじゃ」

「そうか……だが、それは出来ぬ決まりなのだ。われもそうやって育てられたのだ。すまぬ。辛抱してくれ」


 式典の舞台上で、御簾の蔭から見るたびに成長していくわが子。

 どの子もおやかたさまに似て凛々しい。

 大きくなるほどに、立派になっていく。

 できたらもう1度、あの子らをこの手に抱きたい――。

 それが天花の唯一の望みだ。

 奥方として召し抱えられたときから、覚悟はしていた。

 自分に自由はないのだと。


 2人の側室が出来てからは、天花の悩みは増えた。

 はたからみると、天花は側室のことをぜんぜん気にしていないようにみえる。

 だが、彼女たちのことを考えると胸の奥が痛み、どろどろとした物がこみ上げてくるのだ。

 おいしいご飯ものどを通らなくなる。

 それが嫉妬だとは、幼い天花にはわからなかった。

 ただ、側室たちの話を聞くのはとてもイヤだった。


「はえっ? こどもがじゃろか?」

「そうじゃ! 鯛の妃もひらめの妃もご懐妊じゃ」

「せーは、おやかたさまのこどもがっちゅうことじゃろうか?」

「あたりまえであろう! このボラは、なんということをぬかすか!」

「そうじゃろうか……せーは目出度いことじゃ。なにか贈り物をいたしょー」

「けっこうじゃ!」


 めずらしく女官長が来たと思ったら、側室の妃たちにこどもが出来たことを知らせるためだった。

 女官長はことさらに天花を忌み嫌っており、目に映すのも汚らわしいといった風で、天花と話しをするときはいつもあちらの方を向いている。

 

「それより、天花さま……そろそろ、どこかへ行かれたらどうじゃ? 皇子はたくさん産まれた。側室にまでじゃ。じゃが、おまえがいつまでも奥方でいては、他の妃さまたちがいずらかろう。このままでは跡目争いが起きるかもしれん。おまえは親もわからぬ孤児じゃ。出ていけ!」

「はえっ? うちが出て行かのうてはおえんじゃろうか? どうしてじゃろうか?」

「じゃから! いま、言うたであろうが! おまえがいては皆が困るのじゃ! おまえはこの竜宮城には邪魔な存在なのだ!」

「それは……おやかたさまもじゃろうか?」

「おやかたさま? 天帝さまのことを、まだそのように呼んでおるのか? そうじゃ、天帝さまのご意思じゃ! おまえはいますぐに出て行くがよい!」

「おやかたさまにとってうちは邪魔者……わかりたんじゃ。うち、すぐに荷物をまとめて出ていきます。その前に……こどもたちに会わせてもらえませんじゃろか? ひと目だけでええんです! さわったりは、せんから……」

「そんなことを許すわけがなかろうが! 決めたのなら、とっとと荷物をまとめるがよい! 衛兵! このボラ女を外門まで連れて行け! 二度と竜宮城へは立ち入らせぬように!」

「そねーな……ひと目だけでええんです! こどもたちに……」

「ええい! うるさい! おまえが出て行くと言ったのじゃからな! 衛兵! ひったてい!」

「女官長さま! おやかたさまにあいさつだけでもさせてつかあさい!」

「おやかたさまなどという者はこの城にはおらぬわ! ここはボラが居られるような場所ではない! この、田舎モノが!」

 

 突然、女官長が扇を振り上げ、天花の背中を激しく打った!

 天花は痛みにうずくまった――。

 すかさずサメの精の衛兵たちがやってきて、天花を抱えて門まで連れて行き、外へ放り投げた。


「そらよ! ボラ女! 今度この辺で見かけたら、容赦しないからな!」


 荷物を天花に投げつけながら、衛兵が恐ろしい目でにらみつけてきた。

 天花は地面に転がった自分の荷物を拾うと、傷む背中をさすりながら竜宮城を後にした。

 

「なにもしょーらんのに、この仕打ちはねーじゃろう。しめーにおやかたさまやこどもたちに、ひとめだけでも会いたかったな……せーにしても……どこに行ったらええんじゃろうか?」


 天花には親がいない。

 幼いときにボラの群れが嵐に遭い、皆、死んでしまった。

 天花だけが生き残り、先の天帝さまのお情けで竜宮城に入れてもらったのだ。

 だから、ここを追い出されたら行くところも帰る故郷もない。


「ちょこっとだけ……こどもたちの顔みたら、はあ思い残すこたーねーから……」


 天花は竜宮上の裏の城壁に回りこみ、皇子たちが見えないか覗いてみることにした。


「おい! おまえ! まだこんなところに居たのか! とっとと、行けと言っただろうが!」


 さっきのサメの衛兵が天花に気がつき、こちらに向かって来ようとしている!

 天花は恐くなり、全速力で大海原へと逃げ出した――。

 波が荒い。

 今日はおりからの強風で、海の上も底も荒れていた。

 嵐が近づいているのだ。



 しばらく泳いでいると、岩陰から何かがやってきた。


 ヒトデの盗賊団たちだ――!

 なぜ、かれらがここに?

 竜宮城のそばには、近寄れないはずなのに!


「おい! おまえが天花ってボラだな?」

「はえっ? いったい、なんの用じゃろうか?」

「おれたちはアンコウ女に、おまえは殺すように頼まれたんだ!」

「ひえーっ! どうしてじゃろうか? うちは竜宮城を追い出された身じゃ?」

「万が一おまえが心変わりして帰って来られたら困るからだとよ! とにかく、そういうことだ! おまえたち! このボラを八つ裂きにしろ!」

「ぎゃーっ! 助けてつかあさい! うちはこどもたちが大きくなるまでは死ぬわけにゃーいかねーんです! やめてつかあさい~っ!」

「かわいそうだが、おまえはじき天帝の邪魔になるんだとよ! いいから、おまえたち! やっちまえ!」


 手に手に、ヤリを持ったヒトデたちが天花に迫ってきた。

 ゆうに十人はいる。

 絶体絶命だ。

 おやかたさま! 

 こどもたち!


 もうだめだと思い、天花が目をつぶったその瞬間――!


 ゴーッっという海鳴りと共に、大きなうねりがやってきた!

 本格的な大嵐が、吹き荒れはじめたのだ。

 その第一陣である大波に、天花もヒトデの盗賊団も飲み込まれていった――。


「ギャーッ! たすけてくれ~っ!」

「わーっ! 飲み込まれていくーっ! かみさまーっ!」

「でーかーっ! たすけてつかあさいーっ!」


 ワーワー、ギャーギャーすごい騒ぎのなか、全員が嵐の渦に巻き込まれていった。


 天花も奮闘むなしく、海のモクズと消えていった――。




 


 ザッパーン――ッ!

 ザザッ、ザップ~ンッ!

 ミャアミャアミャアミャア――。

 

 誰かが子守唄を歌ってくれている。

 もしや――?


「おやかたさま……?」

「気がついた? これをお飲みなさい。人間が落とした金平糖を溶かした甘い水よ」


 見上げると、おやかたさまとそっくりな紫色の髪と瞳をした人魚が、天花に貝の皿で砂糖水を飲ませてくれようとしていた。

 天花は顔を上げてそれを飲み、ゆっくりとまわりを見渡した。

 どこかの海岸の浅瀬に、天花は寝転んでいた。

 太陽がまぶしい――。


「暑くなってきたわね。人間に見つかるといけないわ。洞窟に移動しましょう」


 人魚は天花を抱き上げると、崖下にある岩の洞窟へと泳いでいった。

 そこは浅瀬になっていて、奥に陸もある。

 風通しがよくて快適な場所だった。


「どうもありがとうじゃった。なんとお礼を言うてええのか……」

「あなたは、そこの海岸に打ち上げられていたのよ。助かってよかったわ……ところでお名前は?」

「はい。天花とはあします」

「天花ちゃんね? かわいいお名前ね。あの大嵐を生き延びることが出来ただなんて……天花ちゃんにはきっと、神のご加護がついているのだわ! あなた、こどもがいるわよ?」

「ええっ! こどもが……おやかたさまのこども……大丈夫じゃったのじゃろうか?」

「大丈夫、無事よ。もしも行くあてがないなら、ここで産むといいわ。わたしも協力するわ」

「ここで? ええんじゃろうか? うち、親がいねーので、行くあてがねーんです」

「ふふ、わたくしもひとりぐらしでさびしかったの。よかったら仲良くしましょう。わたくしのことは、本当のおかあさんだと思ってちょうだいね」

「あらためてどうもありがとうじゃ。どうぞよろしゅーお願いします」


 天花は、自分の素性やいままでの経緯を正直に話した。

 それに対して人魚は何も言わず、黙って天花の全てを受け入れてくれた。

 ここは南の海で食べ物も豊富にあり、こどもを産むには格好の場所だった。

 人魚はやさしくてとてもいい人で、天花ともすごく気が合った。

 こうして天花は、親切な人魚と一緒に暮らすことになった。


『ねんねこねんねこねんねこよ~、海が荒れてもねんねこよ~、風が鳴いてもねんねこよ~』


 人魚はときどき夜の海に向かい、美声を響かせ子守唄を歌った。

 それは、とても悲しげな調べであった。

 人魚も、どこかにこどもを置いてきた悲しい過去があるのかもしれない。

 そう思い、天花は彼女に昔の話を聞くようなことは決してしなかった。


 天花自身も、おやかたさまやこどもたちと離れて暮らす寂しさにくじけそうになることがあった。

 そんなときは、新しく生まれてくるこどもを想いじっと耐えた。

 人魚もきっと、子守唄を歌いながらじっと何かに耐えているのだろう。

 そう思えた――。

 



 そして翌年――。


 天花は人魚の介添えのもと、珠のようにかわいらしい元気な男の子を産んだ。

 上の4人のこどもたちにならい『五郎丸』と名付けた。

 人魚は自分のことのように喜び、かわいがってくれた。

 

「五郎丸ちゃん! こっち! こっち! わ~っ! すっごく泳げるようになったわね~!」

「バブッ!」

「五郎丸は、もんげー泳ぎが上手くなったんじゃ。人魚さまのおかげじゃ!」


 3人は毎日、とても楽しく暮らしていた。

 そんなとき、竜宮城から使者がやってきた。

 あの、ゴンズイの精のじいやだった――。


「おまえがトドの精か? 名はなんと申す?」

「…………」


 じいやには、目の前にいる女が天花だとはわからなかった。

 なぜなら――出世魚の天花はボラからトドノツマリのトドになり、美しい大人の女性へと成長していたからだ。


 短かったクセ毛は絹糸のようにまっすぐに腰まで伸び、背も高くなりほっそりとした体型になった。

 ぽっちゃりとしていた顔もキュッと引き締まり、大きな垂れ目は上に引き上げられて美しいまなじりを形成している。

 開きっぱなしだった厚ぼったい唇も、色っぽいおちょぼ口になった。

 低いだみ声は鈴を転がすような高くリンとした声音へと変化していた。

 さながら、さなぎが蝶に変身がするがごとく――。


 南の海に人魚と暮らす美しいトドがいると、世界中の海で噂になっていた。

 それは大海中を駆け巡り、深い海の底の竜宮城にまでとどいた。

 それを聞きつけ、ゴンズイのじいやがやってきたのだ。

 じいやはこの1年で随分と歳をとっていた。

 なまずひげが真っ白になり、シワが増えて腰も曲がっていた。

 

「どうした? 返事をせぬか?」

「じいやさま……このトドはくちが聞けませぬ」

「そうなのか……輿を用意してあるから、とにかく竜宮城へ参れ。人魚、おまえも女官として一緒に来るがよい……その子は?」

「この子は……わたくしのこどもです。一緒に連れていきまする」

「それでもよいぞ。はよ、行こう!」


 こうして天花は、竜宮城へ戻ることになった。

 天帝さまやこどもたちに会えることが、天花にとっては何よりもうれしかった。

 はやくみんなに会いたい――っ!


 長い旅路を経て、天花たちはやっと竜宮城へとたどり着いた。

 1年前の嵐で、随分と遠くまで流されていたようだ。


「さあ、着いたぞ! 女官たち、この者たちを風呂に入れて新しい服を着せ、御髪オグシを整えよ!」

「ちょっと待ってください! 天帝さまのじいやどの! なぜ、そのような者どもを竜宮城に入れるのですか?」


 見るとそこには、1年前に天花をここから追い出した女官長の姿があった。


「天帝さまにお子を作っていただくんです! これだけ美しければ、他のお妃どのにも退けはとらない。いや、それ以上でしょう?」

「そんな、美しいだけでどこの誰ともわからぬトドを……! ここから先に入ることは、わらわが絶対に許しません!」


 女官長が額に下がったちょうちんをピカピカ灯し、警報を発しはじめた。

 ここが赤く光り出すのは、彼女が最高潮に怒っている証だ。

 竜宮城の入り口に緊張が走った!


 と、そこへ――。


「なにをしておる……」


 なつかしい、おやかたさまが現れた。

 彼はどこかやつれていて、寂しそうだった。


「これは天帝さま! じいやがこのような身分の卑しい女を、南の海より連れて参りました。この竜宮城へは一歩も入れさせるわけには参りませぬ!」

「われが許す。通せ……」

「そんな! 天帝さま!」


 おやかたさまはそれだけ言うと、天花たちにはいちべつもくれずに去って行った。

 女官長は天帝の乳母だ。

 絶対の権限がある。

 その女官長の言い分を聞かぬとはよほどのことだ。

 この1年で、いったいなにがあったのだろうか。


「女官長! なにを取り乱しておる? みっともないぞ。天帝さまのご意向じゃ、そこを通せ!」

「キーッ! くやしい! せっかく天花を追い出せたと思ったら、今度は天帝さまが反抗期じゃ! あのボラ女が来るまではとても従順な方だったのに! おまえたち、今に見ていろ!」


 女官長は、ドタドタと足音もあらわに行ってしまった。

 あとに残った天花は、人魚と一緒にポカンとしてしまった。

 2人とも頭を下げていたため、天帝さまとは顔をあわせずにすんだ。

 あわせていたとしても、天帝さまは天花のことがわからなかっただろう。

 それほどに、天花の様子は変わってしまっていた。 


 天花と人魚は湯浴みをさせられて髪をすかれ、紫色の豪華な衣装を着せられた。

 2人はまるで、天女のように美しかった。

  

「天花さん……なんと美しいのかしら。この姿を1度でも見たら、どんな殿方でもあなたのとりこになるわ。むやみに外に出てはなりませんよ?」

「でも……こどもたちに会いに行きたいんじゃ……この側室の宮ならこどもたちのいる宮にちけーんじゃ。ちーとだけでも塀の隙間から覗きたいのじゃけど……」

「だったら……そうだ! 私の着物と取り替えて行きなさい。こちらの衣を被って! 夜陰に紛れればどうにかなるでしょう。その間は私があなたの替わりにここにいます。五郎丸ちゃんはよく眠っているし、御簾ミスがあるから大丈夫。誰も覗いたりはしないでしょうから」

「そうじゃか? ありがとうじゃ! 人魚さんにゃー、お世話になりっぱなしでほんまにすいません!」

「さあ、いまのうちに……気をつけて!」

「いってきますじゃ!」


 天花は裏の戸を開け、夜の闇に紛れて歩き出した。

 たしか、あの辺りの塀が壊れていたはず。

 そっと近づき、隙間から中を覗いた。


 皇子たちのいる宮は明かりが煌々とついていた。

 4人のこどもたちが、膳を前にして食事をしている。

 こぼしたり残したりするたびに、それぞれの世話係に怒られていた。

 

 うちもあの子たちと一緒にメシを食べたいんじゃ!

 あの子らの頬にうちのほっぺたをあてながら、あちー料理をフウフウして冷ましてやりたい。

 膝に乗せていい子いい子してあやしてあげたい、五郎丸にも会わせてあげたいんじゃ――!

  

 天花は、しらずしらずのうちに涙を流していた。

 しばらくは泣きながらこどもたちを見ていたが、急に五郎丸と人魚のことが心配になり、部屋へ戻ることにした。

 月が雲間から顔を出し、辺りがだんだんと明るくなりはじめたので、下を向いて物陰を歩くことにした。

 天花は急いでいたため、人がいることに気づかず、誰かとぶつかってしまった。

 

「ふんぎゃあっ! けーはどうもすみませんじゃった……」


 なんとそこには、おやかたさまがいた――!

 天花はあわてて、被っていた衣をしっかりと握り締めた。


「失礼……こんな夜更けにどなたかな?」

「あの……うちは……いえ、すんません」

「おや? あなたは? いや……そんなはずはないな……もしかして、あたらしく来た側室の介添え人か?」

「……はい」

「そうか……われはそちらに渡る気はないから、そのつもりで。他の側室のように好きにしてくれ」

「はい……」

「夜は城内でも危ない。送って行こう」

「いえ……はい」


 天花はおとなしく、送ってもらうことにした。

 こんな時間におやかたさまは、何をしていたのだろうか?

 去年まで天花が住んでいた宮の方から来たようだが――。

 あそこも以前は、天花にとって堅苦しいだけの場所だったが、こうして外から見るとなんだか懐かしい。

 

 天花が感慨にふけっているうちに、おやかたさまはかなり先の方へと行ってしまわれた。

 これはまずいと、天花は小走りになった。

 そのせいで、着物のすそにけつまずいて転びそうになってしまった!


「うんぎゃ~っ!」

「あぶないっ!」


 すんでのところで、天帝に助けてもらえた。

 天花はおやかたさまにがっちりと抱えこまれた。

 

「どうした? 大丈夫か?」

「あのう……放してつかあさい……」

「あ、ああ……すまない」


 天花は、おやかたさまからパッと放れて、距離を取った。

 万が一、気がつかれたら大変だ。

 女官長に追い出されたときの話だと、おやかたさまにとって自分は邪魔な存在らしいから。


「あの……はあええじゃ。しつれいしますじゃ!」

「あっ!」


 天花は走って部屋に戻った。

 よかった。

 気づかれなかったようだ――。


「天花さん? 息子さんたちはどうでしたか?」

「あっ! 人魚さま! はい……元気じゃった。うちがいのうても、あの子たちは大丈夫じゃった」

「そうですか……親が無くとも子は育つといいますからね……でも、きっとこどもたちも会いたがってますよ。実の母親に……」

「そうじゃろうか? うち、1度でええから、この手であのこたちを抱きしめてやりたいんじゃ……」

「そうなれるといいですね……さあ、もう寝ましょう。五郎丸ちゃんもよく眠っていますよ」

「五郎丸……この子だけでもうちの手元で育てられてよかった……はあ寝ます。今日はありがとうじゃった」

「天花さん、おやすみなさい。子守唄を歌ってあげますね……ねんねこねんねこ……」


 人魚が子守唄を歌いだした。

 小声だったが、透き通るようなその声は波に乗り、竜宮城の隅々にまでゆき渡った――。


 翌日――。


 朝から、鯛とひらめの側室たちの訪問が相次いだ。

 どちらも美しいかんばせを醜くゆがめながら、いかに自分が天帝に愛されているかをこんこんと訴えてきた。

 天花に出ていけと暗に言っていた。

 2人がそれぞれに産んだ皇子を伴い、いかにこの子が行方不明中の后の子たちよりも優れているかを説明してきた。

 天花は面食らった。

 側室たちは――皇子を手元で育てていたのだ!

 なぜ、天花のこどもたちだけが両親から離されて養育されているのだ?


 午後になり、じいやがやってきた。

 曲がった腰をしんどそうにこぶしで叩きながら、天花の前に座った。


「くちがきけないのだったな……おまえ、どうにか天帝さまを慰めてやってくれないかのう……。1年前、后さまがこつぜんと居なくなった。それ以来、天帝さまは元気を失くしていらしゃるんだ。天花さま……あんなにくちうるさくしなければよかった……。先の天帝さまに、天花さまを皇后にと押したのは、実はこのわしなんじゃ。ボラは多産で有名じゃし、天花は下働きのころから裏表の無い正直者で、素直な性格じゃった。働き者じゃしな。つい、しっかりして欲しくて小言が多くなってしまったんじゃが……。わしも貧しい平民の出でな……努力と我慢を重ねてこの地位まで昇りつめたんじゃ。じゃからわしにはコネも権限もない。なんとか天花さまのお子を跡継ぎにしたかった。結果的に天花さまを追い詰めてしもうたがな……。身寄りのない子じゃ。いまごろ、どこでどうしていることか……。1年前、天花さまがいなくなったとわかり、すぐに城外へ捜索隊を出した。じゃが、大嵐にはばまれてしもうたんじゃ。それ以来、世界中の海を探しておるのだが、どこにもいないのだ。噂すら聞こえてこない。無事でいてくれるといいのじゃが……」


 それだけ言うと、一礼してじいやは出て行った。

 1年前からじいやたちは、天花のことを探してくれていたのか。

 おやかたさまは、天花が邪魔だったわけではないのだろうか――?


「天花さん。少し話し方の練習をしましょうか? 舞やお琴も、練習すればどうにかなるんじゃないかしら? あなたの教育係は、いままでいなかったのかしら?」

「はい。うちみたいな平民にゃーお付きはいらん言われて……いっつもひとりでいたんじゃ。そうじや洗濯、料理はうちがしてたんじゃ」

「まあ! それはひどいわ! 今も誰もお付きがいないではないですか? その点は天帝さまに申し上げた方がいいわ!」

「そねーなこたー言えません! うちやこーのために……」

「そんなことないわ! わたくしが何とかしますから。天花さんは五郎丸ちゃんを見ていて!」

「あっ! 人魚さま!」


 人魚は衣を被り、どこかへ行ってしまった。

 天花はひとり、五郎丸をあやしながら彼女を待った。

 しばらくすると、何人か下女を連れて人魚がもどってきた。

 琴や扇子、美しい屏風なども用意してきた。


「もんげー! 人魚さま、けーはどうされたんじゃろうか?」

「ふふ……こちらが強気に出ればこれぐらいなんでもなくてよ? 女官長に直接、かけ合ってきたの! 天花さんがヒトデの強盗団に襲われた話をチラつかせてね? もちろんあなたの素性は、ばらしていないわよ。わたくし昼間、あちこちで女官たちに聞き込みをしたの。みんな女官長や側室たちのことを心良く思っていないわ。横柄で無理難題ばかり押し付けてくるってね。天花さんにはむしろ同情的よ。いびり出されてかわいそうだって!」

「人魚さま、なにからなにまでありがとうじゃ! うち、がんばって琴や話し方の練習をしますじゃ!」

「そうそう、そのいきよ! 私がいろいろ教えてあげますからね。女官長たちを見返してやりましょう!」

「はい!」


 その日から、天花は人魚に付いて琴や舞の練習にはげんだ。

 言葉づかいもだんだんと丁寧なものになっていった。

 昼間、天花の部屋へ天帝が渡ることはなかったが、夜になると皇子たちの宮の前で2人は会っていた。


「天帝さま……毎晩、こちらにいらっしゃるのはなぜですだか?」

「后が戻って来てはいないかと見に来ているのだ……。おまえこそ、新しい妃付きの側女であろう? 毎晩ここで何をしておる?」

「……うち……私は……散歩です」

「散歩? 夜にか? 変わった姫君だな」

「それでは、私はこれで……」

「待て! まだ今夜は早すぎるだろう? ちょっと話をしていけ」

「へい……はい」

「前の后の天花のことは知っておるか?」

「てんか……! いえ……しらん……」

「去年の大嵐の日に行方不明になった。われはそれからずっと天花を探しておる。家来たちは、后は嵐で死んだか、刺客に殺されたと思っていて、あきらめろと説得してくる。そなたの主人が輿入れしたのもそういう理由からだ。われが美女に溺れて天花を忘れるように仕向けているのだ」

「そねーなことが……でございますか……」

「ああ。だが、われは天花がよいのだ。でなければ、おまえがよい」

「えっ! いま、なんておっしゃられたのじゃろうか?」

「おまえがよい。おまえがわれのところに嫁に来い!」

「ええっ! それはできませぬ……」

「無理に言葉をなおす必要はないぞ。雨が降りそうだ……今宵はもう帰ろう」

「あっ! 待ってつかあさい! うち……私は……」


 おやかたさまは行ってしまった。

 うちのことを人魚さんと間違っとる! 

 どうしたらいんじゃろう――。

 天花は悩んでしまった。

 

「天花さん、どうしたの? 何かありましたか?」

「えええ、えええ……なんでもあらん!」

「天花さん、言葉づかいが……やっぱり、何か心配事があるのね?」

「そうじゃ……実は……」


 天花は人魚に、天帝とのことを正直に話した。


「では、あなたは天帝さまと毎晩、会っていたのね? しかも天帝さまは、天花さんかあなたがよいとおっしゃっている……天花さん、これは朗報かもしれないわよ? 今夜から出歩くのはやめにしなさい」

「でも……こどもたちが……」

「こどもたちは守られているから大丈夫でしょ? それよりも面白いことになるかもよ? フフフフ……」


 意味ありげにほくそ笑む人魚に、天花は従うことにした。

 その日から天花は、夜に出歩くのはやめて琴や舞の訓練に打ち込みはじめた。

 話し言葉や和歌も特訓して、なんとか人前に出ても恥ずかしくない程度には、なれた。


 そんなある日、天帝の宮からお達しがきた。

 なんと側室たちで、舞や琴、和歌の競い合いを行うそうだ。

 天帝さまが自ら判断をくだされる予定で、皇子さまたちも出席なさるということだ。


「も、もんげー! こ、こどもたちに会える……!」

「天花さん、言葉づかいが……。でも、よかったですね? しびれを切らした天帝さまが、天花さんに会える機会を自らおつくりになられたんですよ?」

「そ、そねーなこたー……」

「競い合いで優勝した者は、空席になっている后の位につけるそうよ。がんばってください!」

「ええっー! そねーなこと……ぜってーにうちに優勝は無理じゃ!」

「そんなことないです! 天花さん! 精進あるのみです!」

「人魚さま……」


 人魚の指導する和歌や琴、舞の修行は、更に厳しくなっていった――。


 そして、后を決める大会当日――。

 ゴンズイのじいやが、朝から天花の宮にやってきていた。 


南海ナンカイキミ、とうとうやってまいりましたなあ。自信のほどはいかがでございまするかな?」

「他の姫にも劣らぬ出来栄えにてございまする。今宵の催し物を、楽しみにしていてくださいましな」

「それは、それは……期待しておりまする! ……おー、坊や、よちよち! すっかりわしにもなついてくれて……かわいい坊でござるなあ。わしはこどもがおらぬから、うらやましい限りだ。ここだけの話、側女殿のこどもは天帝さまによう似ておられるな。この紫色の瞳などは特に。側女殿がそうなのであろう? 見事な紫の髪をしておられるしのう?」

「はい。そうでございまする。この色は、南の海に住む者の特徴でございます」

「やはり、そうか。天帝さまといい、とてもきれいな色でござるな。おっと、時間だ! それでは……南海の君、期待しておりまするぞ!」


 じいやは喜び勇んで天帝の下へと帰って行った――。

 天花は南の海から来た姫君ということで『南海の君』と皆から呼称されていた。


「人魚さま……わらわは自信がじぇんじぇんごじゃりませんが……」

「南海の君、いえ、天花殿! 自信なんて、どうだっていいんです! 堂々としていなされ! あとはどうにでもなりますから!」

「どうにでも……? そうでごじゃりますかな? それでは……堂々としておりまする。よろしくおねげえ致します」

「その調子! その調子! あとはわたくしにお任せあれ!」

「はい!」


 天花は堂々と、競い合いをする天帝の宮へと足を運んだ。

 大広間には宴会の用意が整えられ、大勢の家臣たちがひしめいていた。

 天花は一瞬、足がすくんだが、人魚に取られた手をしっかりと握りしめ、勇気を振り絞って中へと進んで行った。


 鯛とひらめの側室が、すでに両脇の上座に着いていた。

 御簾のうしろに陣取り、大きな扇で顔を隠しながらお互いを静かにけん制している。

 天花は天帝の席の真正面の御簾に入った。

 隣りに、五郎丸を抱いた人魚が座った。

 彼女は南海の洞窟に住んでいたとは思えぬほど、和歌も舞も琴も何もかも人並み以上にこなすかなりの才媛だ。

 髪や姿かたち、立ち居振る舞いすべてにおいて完璧な美女である。

 どこかの国のお姫様だったにちがいない。

 なぜ、天花の世話なんか焼いてくれるのか不思議でならなかった。


「天帝さまの御なりです。一同、低頭するように」

 

 天帝さまがいらっしゃった――。 

 静かに上座に着かれた。

 その隣りにゴンズイのじいやが控えている。

 そして――4人の皇子たちがやってきて、天帝の隣りの御簾の中に座っていった。


 息子だ!

 うちのこどもたちだ!

 天花は、初めて間近で見るこどもたちに大興奮した!


 一郎丸――大きくなった! もう、りっぱな男の子だ。

 二郎丸――やんちゃで、姿かたちは天帝さまによく似ている。

 三郎丸――大きなどんぐりまなこが天花にそっくりだ。

 一郎丸――赤ちゃんだったのに、もう歩いている――。


 天花は、流れる涙をそっとぬぐった。

 こどもたちの前で、恥をかくわけにゃーいかねーっ!

 ここはいっぱつ、がんばるしかねー!



 女官長が前に進み出た。


「これより、后を決める催しを始める。今日は特別に、先の天帝さまがいらしておる。一同、頭を下げよ!」


 奥の間から、先の天帝さまが現れた。

 天花の義理の父君だ。

 といっても、天花は一度も話したことがない。

 緑色の髪と瞳を持つ、りっぱな龍神さまだ。

 先の天帝がおごそかに入場し、御簾に入られた――。


「それではこれより競技を始める! まずは琴じゃ! 同じ曲を3人が同時に演奏する」


 天花たちは琴の用意をして合図を待った。


「では、始めい!」


 チントンシャン、バババン、チントンシャン――。


 琴に関しては天花はなかなかの才能を示していた。

 しかし今日は、指にはめた爪がやけにすべるし、琴の弦がところどころ異常に細くなっている――。

 なんと曲の途中で、天花の琴の爪がすっ飛んでしまった――!


 バンッ!

 バッチ~ン!

 

 それだけでなく、弦まで切れてしまった――!


「どうしょーっ……うっ」


 とっさに声を上げてしまい、人魚にくちを押さえられた――。


 クスクスクスクス――。


 側室と家臣たちから、笑いが起きた。

 誰かが爪と弦に細工でもしてあったのだろう。

 それにしても、天花は自分のふがいなさに落ち込んだ。

 せっかく、人魚さまが手ほどきしてくれたというのに――。


 側室2人の演奏が同時に終わった。

 甲乙、つけがたいほど素晴らしかった。

 家来たちから、ほうっというため息と拍手が起きた。

 天花は、消え入りたいほど恥ずかしかった。


「南海の君、大丈夫! 顔をあげて!」

「はい……」


 人魚がはげましてくれた。

 天花は頭をあげ、なんとかふんばった。


「次は舞じゃ! 仮面をつけて舞うがよい! 3人同時に行う! 南国者は、服を着ておるか?」


 馬鹿にしたような目つきで、女官長がこちらを見た。

 天花はいたたまれなくなった。

 踊る前からからだが震えた。


「南国の海は魚たちの宝庫でございまする。それを揶揄することは、自分たちをも笑うことにほか、ありませんぞ?」


 突然、人魚が言葉を発した。

 その美しくリンとした声音に、一瞬、場内が静まりかえった。


「な、なんじゃと! 琴の弦を切る不調法者がおるからたしなめたまでのことだ! おぬし! わらわにたて突く気かや!」


 女官長の叱声に、場内がざわめいた。

 額に下がったちょうちんをピカピカ光らせて怒っている。

 彼女は太政大臣の妻だ。

 この女性に逆らった者は、いままで誰もいない。

 暗殺だっていとわない、鬼女と噂されているのだ――。

 

「やめい! 女官長! いまのはそちが悪い」


 すると、先の天帝が仲裁に入った。

 異例のことだ。

 女官長は震えあがった。


「天帝さま……はい」

「われはもう、天帝ではない。早く始めい!」

「ははっ、では……舞うがよい!」


 側室3人は、能面をつけて天帝さまの前に進み出た。

 天花は極度の緊張で足がこわばってしまった。

 扇子を持つ手が震えている。

 慣れない十二単にからだが重い――。


 ヒャー、ララララ、ヒューンヒューン――。

 雅楽がはじまった。


 鯛とひらめの姫は情緒たっぷりに、面の下から天帝に流し目までくれて舞いはじめた。

 扇子を持つ手の所作が、実に美しい。

 かかとで拍子を取りながら、天女のように優雅に舞っている。

 2人の踊りは申し分ないほど素晴らしかった。

 

 いっぽう、天花は――舞うどころの騒ぎではなかった。

 出だしから後れてしまった。

 そうなったらもう、振り付けなどぜんぶ吹っ飛んで、頭がまっ白になってしまった。

 あそこはこう、そこはこうとやっと思い出し、扇子を頭の上にかざしたまではよかったのだが――。

 着物の裾を踏んづけてしまい、くるっと1回転して御簾を突き抜け、ぶざまに寝っ転がってしまった!

 天帝の膝の上に――。


「どうしょー! けーは失礼いたしたんじゃ!」

 

 場内は一瞬シーンと静まり返り、そののち爆笑と嘲笑の渦に巻き込まれた――!

 雅楽が止まり、鯛とひらめの姫は舞をやめて立ちつくし、能面の奥からこちらをにらみつけている。


 天花は、穴があったら入りたかった。

 人魚さまとじいやだけでなく、天帝さまやこどもたちにまで恥をかかせてしまったのだ。

 どうしたらええんじゃろう――。

 天花が起き上がれぬまま途方にくれていると、天帝が天花を抱き上げたまま立ち上がり、くちを開いた。


「なにがおかしい! 女官長、次に参るぞ!」


 場内は水を打ったように静まり返った――。

 天帝は天花を横抱きにしたまま、元の席に座った。

 天花は能面をつけたまま、あっ気に取られていた。


「で、ですが天帝さま……次の和歌は側室さま方が席についていただいてからでないと……」 

「最初から女官たちが詠んだものを差し出すつもりであったのだろう? すでに書かれている歌をそのまま寄こすがよい!」

「ははっ! それではそこの女官、受け取って参れ」


 女官長が傍らの女官に命令して、側室の御簾を回って和歌を取って来させた。

 天帝が言った通り、側室たちの和歌はすでに出来上がっていた。

 

 天花は天帝さまの膝の上で小さくなっていた。

 はあ、どうしたらえーのかわからん!

 面をつけているので顔は見られないですんだが、勝手に動くこともできない。


 おやかたさまは、きびしい表情であたりを見渡している。

 どうしょーっ!

 こんなに恐いおやかたさまを見るのは初めてだ!

 うちが怒らせてしもーたんだ!

 どうしたらええんじゃろう――。

 

 ふと見ると、皇子たちがこちらをもの珍しげに見ている。

 こんなに近くでこどもたちに遭遇したのは、初めてだった。

 天花が能面の陰から、なんとかわが子を見ようと必死になっている間に、側室たちの和歌を受け取った女官長が近づいてきた。

 天帝の前にひざまずくと、和歌の書かれた紙を1枚差し出した。


「こちらは素晴らしい歌にござりまする。宮と天帝、そして生まれたばかりの若君の輝かしい未来について詠まれております。さすが鯛の君!」

「うむ。基本どおりの歌だな。さすがは和歌の講師殿の作品だ。100点満点じゃな」

「あ、あの……天帝さま? で、では……こちらはいかがでございますか? ひらめの君も、天帝との間に今年お生まれになった若君について歌っております。明日の生後100日目のお食い初めに奉納されるボラを、ボラの精だった天花后に見立てております。比ゆ表現がすばらしく……」

「遠まわしに天花をおとしめている歌ではないか? ボラは神に奉納する、たいへん縁起のいい魚じゃ。粗末にするとバチが当たるぞ。それにしても不思議じゃな? どちらの姫君も、知らぬ男のこどものことを歌っておる」

「あ、あの……天帝さま? それは……」

「もう1つの歌は?」

「はい……こちらに。しかし……これは歌とはとてもいえない代物で……」

「よいから見せろ!」


 女官長が人魚が書いた紙を差し出した。

 天帝はぎょっとした顔でしばらくそれを凝視していた。

 

 いったい、なにが書いてあるんじゃろう?

 人魚さまは立派なお方じゃ。

 きっと素晴らしい作品にちがいねー。


「女官長!」

「ははっ!」

「優勝は天花じゃ。これにて閉幕」

「な、なんですと? おそれながら天帝さま、天花さまはここにはいらっしゃいません!」

「よいからこの和歌を父君にお渡ししろ。おれは出て行く」


 女官長が先の天帝に和歌の紙を渡している隙に、天帝は天花を抱いたまま立ち上がり、唖然とする家来たちを尻目に大広間から出て行こうとした。

 天花はひっくりかえるほど驚いてしまった。

 ひぇーっ!

 けーはいったいどうしたんじゃーっ!


 だが、これには側室とその側近たちがだまっていなかった。


「天帝さま! この結論には納得できませぬ!」

「そうでございます! その者がわたくしたちより優れているとは思えませぬ!」

「おそれながら天帝さま……このような不調法な者が拙者どもの姫より上とは……」

「天帝さま……これでは、皆に示しがつきませぬ!」

 

 外野をたきつけ、やんややんやと言いはじめた。

 天花は首をすぼめて震えた。

 うち、このまんまだと殺されるかもしれん!

 どうしたらええんだ――!


 そのとき、先の天帝がくちを開いた。


「女官長! 南海の姫付きの女官をここに呼べ」


 人魚さまが呼ばれている!

 天花は焦った。

 あの歌にゃーなんが書かれとるんじゃろうか?

 もしも、うちのせいで人魚さまが殺されるようなことがあったら、うちはどうしたらええんじゃ――!


 皆が再び黙り込んだ。

 しーんと静まり返ったなか、御簾を上げて五郎丸を抱いた人魚が姿を現した。

 明るい日差しのなかで見ると、人魚の美貌は際立っていた。

 紫色の長い髪をたなびかせ、しずしずと皆の前に進み出た。

 そのあまりの美しさに、大広間にいる全員が息をのんだ。

 とてもこの世のものとは思えなかった。

 まるで、天女が海中深くまで舞い降りたかのようだった。


「その子が我の孫か?」

「はい……五郎丸にてございまする」

「よく育てた。今後はおまえが女官長になれ」

「お断りすることはできませぬのですね?」

「ああ。できぬ」


「な、なんですと! 孫ですと? どういうことでございまするか?」

「ああ、そうだ。その赤子は天花の子だから我の孫だ。天帝の后は天花に決まっておる」

「そ、そんな……天花が生きているとお思いで? あの女はこどもを産むしか能のない田舎者です。最初から竜也さまにはふさわしくはなかった! 死んだ今もです!」


「そ、そうでございまする! それに……皇子でしたら、わたくしも産みました!」

「わたくしもです! わたくしたちの方が后になる権利があります!」


 側室の鯛とひらめの姫君が食い下がってきた。

 すると、天花を抱いたまま天帝がくちをひらいた。


「そこの2人の姫の子は、それぞれが右大臣と左大臣のこどもではないか。だから、おまえたちのこどもは手元で育てさせたのじゃ! 一緒に竜宮城から追放してやるから、今後はその者たちに養ってもらえ。われはおまえたちの宮に通ったことは、天地天命かけて1度もないぞ。われには天花だけじゃ!」

「な、なんですと! 天帝さま、天花は、皇后さまはもういません! わたくしがヒトデに頼んで……」

「やはり、おまえだったか……女官長!」

「天帝さま……そ、それは……」


 側室の鯛とひらめの姫君は図星だったのか、そそくさと退場し、すぐに側近たちと逃げる算段をはじめた。


 女官長は顔色を変えてうろたえている。

 額のちょうちんは光を失い、しなだれはじめている。

 

「女官長、おまえは天花をはめた張本人として北の果ての海へ島流しにする。最後の仕事としてこの歌を詠め」

 

 先の天帝が命令を下した。

 茫然自失の女官長は、それでも和歌を受け取り、無意識に詠みあげていた。


『ねんねこねんねこねんねこよ~、海が荒れてもねんねこよ~、風が鳴いてもねんねこよ~』

 

 もんげーっ!

 えーは人魚さまがいっつも歌っとる子守唄じゃーねーか!

 どうして、あの歌を――。


 だが、それを聴いてキョトンとしている家来たちとは別に、先の天帝とおやかたさまは涙を流しはじめた。

 

「母上……ですね。竜也にござりまする」

「竜也殿……いつも夢に見ていました。どんなに立派な若者に成長しているのだろうかと……」

「母上……」


 人魚も、目から涙を溢れさせながら答えた。

 天帝と人魚はそっくりだった。


 先の天帝がくちを開いた。


ナギ殿、どれだけ探したか……。我は嵐の晩あなたに助けられ、1年間一緒に暮らし申した。竜宮城に竜也を連れ帰ったあと、なぎ殿を迎えに行ったのだが、あなたは人魚の国から追い出されて行方不明となっていた。なぎ殿は人魚国の姫君だったというのに……申し訳ないことをした」

「いいえ。わたくしはこっそり竜也を産み、それがばれて国を追われました。人魚は人魚以外の者の子を産んではいけないからです。でも、わたくしは自由を得ました」

「なぜ、たずねてきてくださらなかったのですか?」

「あなたにはすでに100人の妃さまがいらっしゃいました。ご迷惑をお掛けしたくなかったのです。でも、お蔭で竜也の后と皇子を助けることができました。自分自身の選択に感謝しております」

「なぎ殿……われには側室がいても正室がいない。ぜひ、あなたに正室になっていただきたい。そして女官長としてもがんばってほしい」

「……わかりました。その申し出を全てお受けします」

「なぎ殿……どうもありがとう」


 皆が感動し、涙にくれた。


 もんげーっ!

 人魚殿はおやかたさまの母上じゃったんだ?

 ど、どうしょー!

 いまんまで失礼は、なかったじゃろうか?


「それでは天花、部屋に戻ろうか?」

「どうしてうちが天花だと……?」

「会ってすぐにわかった。転びそうになったところを抱きとめたときには、それが確信に変わった。この大海の匂いがする女性は天花にちがいないと……」


 天花はびっくりした。 

 おやかたさまは、どうして天花がうちだとわかったんじゃろうか?

 1年前たー、姿かたちがまっとう変わってしまっとるのに――。


「天花? 天帝さま! その方は天花さまではありません。南海の君です。それにしても……あなたはくちがきけたんですね?」


 じいやが横からくちをはさんできた。


「なにを言っておるか? これは天花じゃ! この大海原の香りは天花独特のものじゃ! 皇子たち! こっちに来い! おまえたちの母上さまじゃ! 」


 教育係たちが横から何か言っていたが、さっきから天花に興味を示していた皇子たちは、父親の一声ですぐに飛んできた。

 一郎、二郎、三郎、四郎丸が――。

 天花の目からめったに出ない涙がこぼれ出た。

 天花は泣かない。

 つらいことがあったとしても、泣かずにがんばってきた。


「おやかたさま! うちはすっかり様子が変わってしまいたん! ボラからトドになってしもーたんじゃ! おやかたさまの知っとる天花ではあらん!」

「どんなであろうと天花は天花だ! 6年前じいやが連れてきたとき、ひとめで好きになった初恋の君だ。われの目に狂いはない!」

「おやかたさま……」


 天帝は天花の能面をゆっくりとはずした。

 そこには――。

 

 すっかり大人の女性に成長した天花の美しいかんばせがあった。


「母上!」

「母様!」

「はは!」

「まんま……」

「こどもたち……会いたかった……うち、おめーたちにずっと、会いたかったんじゃ……」


 天花はこどもたちと抱き合い、泣き崩れた。

 それを見て、大広間中の人たちが涙にくれた――。

 

 いつの間にか女官長は衛兵に連れて行かれ、人魚のなぎ殿が五郎丸を天帝に抱かせていた。


「竜也さん……あなたの皇子、五郎丸ですよ。とても元気に育っています……あなたもりっぱになりましたね。素敵なお嫁さんと皇子たちがいて、母は鼻が高いです」

「ありがとうございます。母上……どんなにお会いしたかったことか……。あなたの子守唄を、お腹のなかでずっと聴いておりました。また、歌ってくだされ……」



『ねんねこねんねこねんねこよ~、海が荒れてもねんねこよ~、風が鳴いてもねんねこよ~』


 先の天帝の后となった人魚姫のなぎ殿が歌いだした。

 みな一様に感動し、静かで穏やかなその調べに耳を澄ました。

 よせてはかえすさざ波のように心地の良いその音は、場の雰囲気を次第に晴れやかなものへと変えていったのだった――。



 そして――。


「天花さま! もうちょっとおしとやかにできませぬか? 皆にしめしがつきません!」

「もんげー! 五郎丸が歩いた! おやかたさま! おやかたさま!」

「もんげー! 本当じゃ! はっ、しまった! 天花さまの口癖がうつってしまった」


「ハハハハッ! じい、それでいいんだ。天花は天花らしく生きていって欲しい……」

「しかし……天花さまの場合は度が過ぎておりまするぞ!」


「父上! 母上と庭で遊んで参ります!」

「父上!」

「母上!」

「あそぶー!」

「ばぶっ!」

「ああ。行っておいで……たまには父上との時間も作ってくれよ」

「はい! 行ってまいりまする!」

「行ってまいります!」

「行ってまいる!」

「いくー!」

「ばぶーっ」


「まったく……みな、天花さんに夢中ですわね」

「これは、これは母上殿。ごきげんはいかがですか?」

「ええ。元気ですよ。いま、竜宮城内の不正を、あなたのお父上と一緒に暴いているところです」

「さすがは母上。われもお手伝い致しまする」

「竜也さんはいいのよ。天花さんを大事にしてあげて。健気でいい子よ」

「はい。だからわれも、好きになったのです」

「そうね、わたくしも大好き! 天花さんはこの海のように純粋な心の持ち主だわ……あら? 天花さん、皇子たちと一緒に眠ってしまったようですよ」


 すかさず、じいやが飛んできた。


「天花さま! な、なんという……!」

「よい、よい、じいや。寝かせておけ。母上、子守唄を歌ってあげましょう……」



『ねんねこねんねこねんねこよ~、海が荒れてもねんねこよ~、風が鳴いてもねんねこよ~』



 天花は100人の皇子を産み、伝説の奥方さまとなった。

 天帝さまのはからいで、皇子たちはすべて手元で育てることが出来た。

 

 天花はおやかたさまとこどもたちと一緒に、海の底の竜宮城でいまでも幸せに暮らしているそうだ――。

  

(おわり)

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