自由
その日、私は雨の中、走っていた。
天気予報がはずれ、どしゃぶりの雨が降ってきたのだ。一瞬、傘を買おうかとも思ったが、夏の生暖かい雨は、心地いい。冬生まれのせいなのに、いや却ってそうなのかもしれないが、私は夏の全てが好きだ。
朝からうるさい蝉、デパ地下に並ぶ涼しげなスィーツ、段々と薄皮を剥くように服を脱いでいくように薄着になる人々、そして、ジリジリと照りつけるような暑さ。まあ、暑さは歓迎なのだが、その分、紫外線対策をしなくてはならないので面倒なのだが・・・。
どしゃ降りの雨の中、私を同じように走る人々を横目に見ながら、私はデパートに飛び込んだ。何も買わなくてもまるで仮面を貼り付けたような、笑顔で接してくる店員。これ以上、お金がかからなくて楽な雨宿りスポットはない。難を言えば、濡れた体に冷房が効きすぎて寒いが、そこは、がまんしよう。
とにかく雨が過ぎ去るまで、時間つぶしをしなければならない。何もせずにじっとしているのも暇なので、私は、六階の書籍を扱っているスペースへと向かった。
私は、夏と同じくらい、いやそれ以上に本好きでもある。物心ついたら、すでに本を読んでいた。そのせいでいじめも受けた。だが、本を好きな気持ちは抑えられない。大人となった今も。
夢は、本屋に行き、自分が好きな本を全て買いあさること。無論、いくらかかるか分からない。スィーツをもう嫌だというくらい食べるのと同じくらい難しい。かたやお金の問題、かたや体型維持の問題で両方とも叶わないでいる。おそらく一生かなわないのでは、ないだろうか。
さて、エレベーターを降りるとそこに天国が広がっていた。私の居場所、気持ちいいところ。
あまりの本の多さにどれから読んでいいのか迷ってしまう。私はいつもそうだ。たくさんの好きなものがあると、どれから手をつけていいか分からない。
行動全てを親に監視され、制限され、幼稚園に入ったら今度は幼稚園でもいじめに遭い(いじめは、社会に出た今も続いている)逃げ道ばかり探してきた私に「自由」は、難しい。
鳥かごの入り口をいきなり開け放っても、中の鳥は、恐くて出て行かないと聞く。私は小鳥だ。ほんのちょっとした音に敏感に反応するところも。
ずらりと並ぶ本の中から、武田真弓の「ファイト!」を手に取り、椅子に座って読み始める。ここの本屋は、立ち読みならぬ、「座り読み」ができるように椅子が何脚も配置されている。堅い椅子だが、立ち読みに比べてはるかに楽だ。私は、すぐに本の世界に没頭しはじめた。
内容は、難聴の女性が自分自身の人生を振り返ったものである。レイプにいじめに自殺未遂・・・。私もいじめられているが、彼女ほどひどくはない。なんだか日々、それを苦にしている自分がまるで責められているように感じてくる。
そのときだった。私が小鳥になったのは。
「はっくしょん!!」
広いフロア中に響き渡るような大声でオヤジがくしゃみをした。まったく悪びれる様子はない。
私は、驚き、そして怒りに震えた。
私は、短気だ。だが、臆病だ。この二つを両方持っていると、いささか厄介なことになる。
まず、大きな声が嫌、ガキの泣き声、奇声が嫌、咳払いにくしゃみが嫌。世間は、不快なもので満ち溢れている。
だが、あいにく両親が私を産み落としたおかげで、私はこの世の中で生きていくしかない。自殺という方法もあるが、そこまでする度胸もない。
結局、私が起こす行動は、大きな音やら奇声に驚き、次に怒りに震えるだけ。法律がなければそいつらを間違いなく殴る、いや殺しているかもしれない。
そのくらい嫌いなのだ。そして、年々その傾向は強くなってきている。困ったものだ。
昔はこうではなかった。とあることがキッカケでこうなってしまったのだ。
それは、祖父の肺がんである。
我が家は、父が長男な為に、父方の祖父母と同居していた。そして、健康だけが取り柄の祖父が、ある日から突然、昼夜問わずにひどい咳をするようになった。
私は、祖父母が嫌いだった。二人がいるだけで家の中が陰気になる。姑と嫁の争いが起こり、父親は我関せずを決め込み、母親の怒りは全て私への虐待へと変わる。「あの二人がいなければ・・・」思春期の私は、何度もそう願った。
やがて願いが叶うときがやってきた。大の病院嫌いの祖父を見るにみかねて、父が半ば強引に病院へと連れて行ったのだ。病名は、肺がん。余命半年と宣告された。
彼は、60年もタバコを吸い続けたヘビースモーカーであり、「喫煙をすると、後々こうなりますよ」というまるで見本のようだった。
だが、不謹慎にも喜んだのも束の間、地獄が待っていた。祖父は病院を嫌がり、無理やり自宅に帰ってきてしまったのだ。毎日、毎日続く咳。
ちょうど大学の受験勉強をしていた私は、気が狂いそうだった。煩くて煩くて集中できないのだ。何しろ息をするよりも咳をするのが多いのではないか、と思えるくらい咳の回数が多いのだ。
ちょうどその頃、私が可愛がっていたハムスターが死んだ。母が動物嫌いのため、我が家では、犬も猫も飼うことを禁じられていた。なのに祖父は、堂々とチャボを飼い、庭で放し飼いにしていた。それもときどき母の逆鱗に触れ、例のごとくその矛先は私に向けられた。
ハムスターならケージ(籠)の中で飼えるし、匂いも泣き声もない。それなら・・・と母も妥協してくれ、ようやく飼えた子だった。
それだけにショックは大きかった。いつかそのときがやってくると分かっていても、やはり辛かった。初めての意思の疎通を交わした子との別れだった。
それまでカブトムシやら鈴虫、亀など飼ったが、どれもこれも意思の疎通はできない。その点、ハムスターは、人間の言葉を理解していた。
私は、泣いた。そして、思わず叫んだ。
「この子じゃなくて、あいつ(祖父)が死ねばよかったのに!!」
本心だった。私にとって、小さな小さな、ほんの1年ちょっとしか一緒に暮らせなかったハムスターのほうが、17年間同居してきた祖父より大事だった。
そして、いつまでもしなないで迷惑をかけ続ける祖父を憎んだ。
やがて、祖父にもそのときはやってきた。どうあがいても自宅での看病は、無理ということになり、クルマに押し込むようにして病院へと連れて行った。そこで数ヶ月暮らしただろうか。医師の余命宣告より長く生きて(私からすれば、本当に長すぎた)やっとあの世へと旅立った。
やれやれ、と思っていると今度は、祖母が体調を崩した。以前から高血圧だの脳血栓だのと騒いでいた祖母だ。しかも、彼女のせいで私は、家庭内でのトラブルに巻き込まれていた。私は思った。「お前も早く死ね」と。
やがて願いは、あっさりと叶った。祖母も胃がん、それも手術のできない、タイプの胃がんで余命3ヶ月と宣告された。落ち込む親戚をよそ目に、私はうれしくてたまらなかった。
祖父母がいるからいつも旅行にも行けなかった、祖父母がいるから家庭内が不穏だった、祖父母がいたから・・・・。もう数え上げたらキリがない。
それがもうすぐ終わるのだと思うと。
だが、祖母は、医者泣かせだった。余命3ヶ月と宣告されたのに、半年も生きてしまったのだ。親戚たちも「残り3ヶ月だから・・・」と必死に看病していたが、その看病している親戚たちのほうが倒れる寸前になってきた。私は、またもや死にそうで死なない祖母を憎んだ。
もう、家に電話がかかってくる=危篤の知らせ、と親戚の間では、暗黙の了解になっていた。
夏の暑い盛りに余命宣告を受けたが、そのとき、外はもう寒くてコートなしで歩けるようになっていた。そして、電話が鳴った。
危篤の電話だった。私を含む親戚一同にすぐに連絡がいき、みんな病院へと集まった。すでに祖母は、息をひきとっており、いとこが遺骸にすがりついて、人目もはばからず泣いていた。周囲を見るとみな泣いている。普段は、クールな弟でさえ。泣いていないのは、私だけだった。当たり前だ。内心、小躍りしたいくらい喜んでいたのだから。
祖母の葬儀も祖父のときと同じようにテキパキと葬儀屋さんが取り仕切ってくれ、なに滞りなく終わった。
私は自由の翼を手に入れたつもりだった。だが、それは錯覚だった。
家のどこに行っても、祖父母の痕跡が残っている。何十年も前の古い洋服が入っている紙の箱、タバコの匂いの染み付いた祖父の部屋、どれもこれも私にとっては、不快でしかなかったが、いとこたちにとっては、大事なものだったようだ。それぞれ帽子だの洋服だの、私から見ればただの汚らしいガラクタを大事そうに抱えて帰っていった。
祖父が死んでから8年、祖母が死んでからもう7年になる。彼らが死んだ直後、私はそのうち自由の翼を手に入れることができるのだろう、と思い失敗した。
では、あれから数年経った今はどうだろうか? 自由は手に入ったのか。答えは「NO」である。
相変わらず親の虐待は続き、かすかにではあるが、家に祖父母の痕跡は、残っている。
それどころか、祖父のせいで、咳が大嫌いになり、そこから連鎖して、くしゃみに鼻水に奇声と大きな音、ついでにタバコもダメになった。
ふと目を外にやるとさっきの雨は、すっかりやんでいた。さっきまでのどしゃ降りがうそのようだ。私は、席を立ち「ファイト!」を棚に戻し、エレベーターで1階に降り、下界に出る。
外には、同じように雨宿りしていて、雨がやんだのを幸いに再び人があふれ出してきていた。
その人の中に私は、混じる。そして、思った。私が死んだら誰が泣くのだろう。遺言と遺書は、すでに用意しているが、それはちゃんと執行してもらえるのだろうか? それとも執行する人なんているのだろうか。
もし、ここで私が消えても世界はなにも変わらない。祖父母が死んでも私が自由を手に入れられなかったのと同様に。
そんなことを思いつつ、雨あがりの匂いをかぎつつ、私は目的地へと向かった。やがて、最終的な目的地には、いやおうなくつくのだから、今のうちに飛べる範囲、できるかぎりの自由を謳歌しておこう。




