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「見つけたのはあいつだ。妹と会う約束をしていたらしい」
「………」
「麗らかな春の日だった」
身に覚えはない?そう問われ、真っ白の頭の中で記憶の糸を、感覚だけが手繰り寄せる。
じゃあ、また。私を見つけて、送って返した。玄関の前で別れた、阿出野。七年の空白の直前
ーーーーあの日か。
「………っ、」
息を吐くのがつらくて、思わず前のめりになった。何も知らなかった。本当に。私は私のことばかり。あいつの気持ちも知らないで。胸が張り裂けそうに苦しい。何を言うでもなく言葉を呑み込む私を見た田賀谷さんは、そっと水を差し出してくれた。
口を僅かにつけて、離す。溝のような味だった。
「とまぁ、これがざっと話すとあいつの全てだね。想像以上にヘビーで、酒の肴にもなりやしないだろう
母親が唯一の心の拠り所だったんだろうが、彼女も阿出野が大学生の頃病気で他界した。その寸前俺は彼女に言い付けられ、前の仕事を辞めてまでしてあいつの上司になることで監視役を余儀なくされたってわけさ」
「………監視…ってったって…仕方ないことだったんじゃ…」
小さく声を紡ぐ私に、田賀谷さんは真っ直ぐな姿勢だった。同情とも無垢とも取れる。この人の表情の素顔はわからない。
「君は、普段仕事もバリバリ出来て上司からの信頼も厚かった人間が、突拍子もなく一度のミスで解雇を強いられると思うか」
「…?それは…」
「真野さんを貶めた人間がいる」
「ーー、!」
「やつの名前を、存在を。俺も、あいつも知っている。そのうえで、阿出野がなぜ君の前から突然姿を消し、何をしようとしているのか。もう言わなくてもわかるだろう」
殺した奴が誰か、俺は知ってる
報復したい。何が何でも
バラバラになっていたピースが、そのときようやくカチリと音を立てて嵌った。全てに合点がいく。その割りに私の決意は揺らぐばかりで、視界なんかは雲がかったままだった。
「名前は冨樫正信。真野さんの直属の元上司だ、今は違う会社の総務部にいる」
「………」
「何故、そこで黙るのかな。答えは決まっていそうなものだけど」
「…それを私に伝えて、貴方は何がしたいんですか」
「…別に何も、ただ君は知る為にここに来た、知ったからには次の段階があるんじゃないのか」