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顔を上げると、机上で腕を組み、銀縁眼鏡の奥から色素の薄い瞳でまっすぐ私を見据える彼と目があった。どこか深みのある、底知れない雰囲気。そこはかとなく、狂気じみているとすら
感じて
「…どうして、」
「阿出野の母親に仰せつかったからさ。あいつを野放しにしておくときっと「よくない方向」に事態が転ぶと懸念した母親に」
「…と言うと」
「…阿出野の妹と、父親のことはもう知ってるね」
僅かに、ゆるりと首を縦にふる。知ってる、とは言っても、不鮮明だが。きっと間も無くその霧は晴らされる、予感がした。
「阿出野の妹は、父親に殺された」
「ーーーそれはおかしい」
「なぜ」
「ー…あいつは。阿出野は確かに…父親と妹を殺されたと言ってた、そうならそうとあの時なぜ」
「言わなかったんじゃなく、言えなかったんだろう。逆に君が同じ立場なら言えるかい?家庭内で殺人が起きて、その犯人が自分の父親だと」
「…」
私は口を噤む。それきり、もう何も言うことが出来なかった。
「あいつの父親はそもそも大手有名企業の社員でね。実は、俺は彼の下で働いていたのさ
阿出野の父親…真野さんは、社会に出て間も無い俺に働くことのいろはを教えてくれた人だ。
同期からの人望も厚く頼りがいあって仕事も出来た。人一倍責任感の強い人だったから」
「…なんで苗字が違うんですか」
素朴な疑問をぶつけると、向かいで彼は目を丸くした。
「あれ、聞いてない?離婚したんだよ、阿出野の両親は。結果あいつは母親に、妹さんは父親に引き取られる形になった
ま、知らなくても無理はない。阿出野が高校入学する以前に家庭は崩壊していたわけだからな」
「ー私生活とは裏腹に真野さんは更に実績を上げていったよ。その頃にはもう大きな仕事の管理官も任されていて、正直俺たちからしたら手の届かない存在になっていた
…しかしある日彼にも転機が訪れる」
「…、」
「リストラだよ。内容はわからない。けれど大きなミスをした真野さんを会社は容赦無く切り捨てた。
…途方に暮れたことだろう。思いは計り知れない。彼には護るべき唯一無二の娘が有った。きっと“彼一人”だけだったらあんなことは起こらなかっただろうに
未来を見出せなくなった真野さんは、娘の真野夕凪を自宅で殺害、書斎で首を吊った」