おいでませ華2
開かれた扉の音に振り返るとそこには、
「ソウ!」
思わずたじろぐ。俺のこんな姿は見せたく無かった。フィオーレはゆったりと首を傾げる。
「おや、邪魔されないようにここには結界をはっているのですがね、よく来れましたね」
「来れたも何も、さっきまで居た教室に戻ってきただけだろうが」
誰でも来れるだろと首をさするように手を添える。
「つかなんだお前、変質者?」
黒い羽根を背負ったフィオーレは確かに変質者扱いされても仕方ない。フィオーレは優雅な動作で長い髪を撫でる。ふわりとその金色の髪が揺れた。
「ただの人間が生意気ですね、怪我をする前に立ち去りなさい」
それじゃあまるで俺がただの人間じゃないみたいじゃないか、と言いたくなるのを我慢してソウがどう動くか見守る。
「オレは誰かに命令されるのが嫌いなんでなァ」
唇の端を吊り上げてソウは挑発的に笑った。フィオーレはそれを見てやれやれと溜め息をつき瞳を妖しく光らせる。
「では、欲に溺れ私の人形になりなさい」
まさかと俺は息を呑む。
だがフィオーレがソウに気を取られてる今ならとヒヨヒヨステッキを握りしめフィオーレに近寄りステッキを振り上げたのだが、次の瞬間にはフィオーレの長い髪にぺしっと容易くはじかれてしまっていた。
「さあ、己の欲のままに魔法少年を襲ってしまいなさい」 俺は恐る恐るソウを見る。ソウは俯いていてその銀色の髪が邪魔をして表情は窺えない。
ゆらりとソウが動き、俺は後ずさった。
「……ソウ?」
フィオーレは満足そうに笑い、ソウはゆらりと俺に近寄ってくる。
腕を力強く掴まれ引っ張られ、ソウの後ろに体が転げた。
何が起きたのかと振り向くと、ソウは近くにあった机を振り上げフィオーレに投げつける。
フィオーレも驚いていたのか動きが遅れるも弾かれたように避ける。
だが、避けた先にはソウが待ち構え不気味に笑うと手にした椅子でフィオーレを殴りつけた。
赤い雫を零しフィオーレがよろけ呻くような声を絞り出し、
「何故だ、普通なら自分の欲をコントロール出来ない筈なのに」
「オレはそもそも普段から欲をコントロールしちゃいねぇよ。食いたいときに食うし寝たいときに寝る」
思わず俺達は言葉を失う。
フィオーレは俯き、震える。
「ただの人間が……生意気です」
ぶわっと髪が広がり蠢きだす、黒い羽根を大きく広げたフィオーレが吼えた。
同時に、体の筋肉が倍増したのか今まで細身だったその体が大きく変形していく。服が破け、腕は獣のように毛が生えていてその手の爪は長く尖っている。
「この姿は醜くて見せるのは嫌なのですが、君達は特別に徹底して潰してあげます」
フィオーレが床を蹴り上げる、動いたかと思うとすぐにソウの隣りに立ち長いその足で蹴り上げた。
ソウは簡単に吹っ飛ばされ、机や椅子にぶつかりぐったりと俯く。
気を失っているのだろうか、駆け寄ろうとするがフィオーレの髪が目の前の床に突き刺さり行く手を阻む。
「髪が床に刺さってる」
そんなに固いものだったかと思わずその髪を見つめてしまう。
「シラン!」
ヒヨが声をあげた、俺はヒヨヒヨステッキで俺を突き刺さんと伸びてきた髪を弾く、だがフィオーレの髪は幾つもの束になり次から次へと襲いかかってくる。
「うあっ」
鋭い髪が肩に突き刺さった。
痛みが全身を駆け巡り傷口が熱く、そこを見ると赤い血が流れていた。
その痛みと熱さにこれが現実なんだと思い知らされる。
これは俺が選んだ事。他人に強要されたと、流されたと言ってもこれは自分が選び行動した結果。
痛みに意識が揺らいだ。霞む視界に倒れてるソウが見えた。
巻き込んでしまった。
自分がこのまま倒れてしまったらどうなってしまうのだろうか。
だが体が動かない。
不意にヒヨが飛び付いてきた。
空気を読めと言いたくなるも次の瞬間ヒヨが俺の中に入っていく。
「え、あ……ヒヨ……?」
「ただ見守ってるだけなんてもう出来ないよ」
意識が白く溶けて、一瞬何が起きたのか分からなくなる。はっと目を覚ませば背中に白い羽根を背負った俺が立っていた。
「は?」
「ごめんねシラン、体借りるよ」
振り向く俺の瞳は空の青色。声はヒヨのものだ。どうやら目の前に立つ俺は俺の姿をしたヒヨのようだ。
ヒヨが手にしてるヒヨヒヨステッキはふざけた花の飾りがついていた筈だが今は細身の剣に姿を変え、柄には花の模様が刻まれている。
「随分な変わりようだな」
ふと体を起こすと自分の異変に気付く。
俺の体を今ヒヨが使っているということは俺は今どうなっているんだとと考え自分の手を見るとちっちゃくなっていた。
頬はもちっとしている。
理解したくないが理解してしまった。
俺は今、ヒヨの体の中に居るようだ。
「さあフィオーレ、観念してよね」
「ふんっ、人の姿を借りたとしても私には勝てませんよ」
ヒヨが走り込み剣を振り抜く、フィオーレはそれを後ろに退き避ける。
ヒヨが迫り何度も剣を振るう。フィオーレはその獣の手で剣を弾き反撃に出る。
二人は何度もぶつかり合い、窓ガラスを割り羽根を広げて空に舞い上がった。
白と黒が何度もぶつかり合うのが見えた。
だが遠くてどうなっているか分からない。
俺は暫く悩むも窓からありったけの勇気を振り絞り飛び立ってみた。
全神経を背中にある小さな虫の羽根のようなそれに集中させ動かす。
よろよろしながらも空を俺は今飛んでいる。落ちそうになりながらも必死に飛び続けなんとかヒヨ元へ辿り着いた。
「ごめんシラン……、取り逃がしちゃった」
ヒヨが力無く笑って俺を抱いた。なんだか疲れたように見える。
俺の意識は再び溶けていき、ふと気付くと俺はぐったりしてるヒヨを抱いていた。どうやら元に戻ったようだ。
同時にそのまま俺は地面へと落ちていた。それはそうだ羽根が無くなったのだから。なんてのんびり考えてる場合ではない。
下はグラウンド、砂とはいえ落ちたらどうなるか分からない上にヒヨは気を失っているようで目を覚まさない。
俺は目を瞑り覚悟を決める。
だが不意に体がふわりと浮く感覚に包まれ目を開けてみた。
長い艶やかな黒髪が揺れる。
「ギル」
「遅くなって悪かったな」
全くだと思ったが、その手の温もりに俺は安堵した。
地面に降り立つとギルが驚いたように肩に触れる。
「シラン、お前怪我してるぞ……手当てしてやるから医務室行くぞ」
「俺は平気だ、それよりソウが」
教室に戻ると机も窓も先程までの事が嘘だったかのように何一つ壊れていない。
ソウは床に横たわっていた。
「ただ気絶してるだけだから大丈夫だろう。……シラン、悪いんだがこいつの記憶を消さなきゃならねぇ」
ギルがぽつりと呟いた。俺は思わずギルをまじまじ見てしまう。
「天使だとか悪魔だとか見られちゃまずいんだ。今日のこいつの記憶を消さないと」
俺はただ頷くしかない。
不意に何故か胸がちくりと痛むのを感じた。
あれから何事も無かったかのような毎日が過ぎていく。
ソウはあの日の事を忘れ、以前と変わらない様子で過ごしている。
俺も何も変わっていない。
ただ、俺は巻き込まれたのではなく自らの意志でインキュバスを倒す事を決意した。
己の貞操と俺達のありふれた日常を守るために。