智尋の事情。・5
今回、いつもより長くなってしまいました(汗)
「この曲を作ったっていう和葉さんにもお会いしてみたいわ。
智尋もお世話になっているのだし、きちんとお礼も言わなくちゃ。」
「もう少しで舞台の仕事もひと段落するみたいですよ。
本当は和葉兄さんと、ちゃんと3人でこの曲を聞いてもらえたらって思ってたんですけどね。」
母の言葉に美咲は残念そうに言った。
「そんな忙しい中、わざわざこの曲を作ってくださったなんて…、」
母は申し訳なさそうに言った。
「兄さんが言いだしっぺなので、気にすることはないですよ。
その曲も、『ちーが弾いて、美咲が歌ってみない?』って突然、
楽譜とテープを渡されたんですから。」
「和葉さん、いつのまにそんなことを…。」
「これはお母様はもちろん、智尋のための曲でもあるのよ。」
美咲は母から視線をずらし、智尋を見た。
「俺の?」
「そう。だから内緒にしてたの。
…って言っても、智尋が兄さんの仕事の邪魔をするはずないから、
普通に部屋に籠って作ってたけどって言ってた。」
確かに智尋は必要最低限、和葉の仕事部屋には入らない。
部屋は防音だから、外からじゃ何をしているかもわからないし、
そもそもあの機械だらけの部屋で何かやらかしても怖いので、正直、避けてもいる。
「さて、私たちはそろそろお邪魔しますね。」
「あら、もう?」
「えぇ、長居をしてもお母様のご負担になるでしょうし、
今日は兄さんの家で夕飯を作る約束してるんです。ね、ちーちゃん?」
千洋はこくんと小さく頷いた。
「…というわけで、」
美咲は今日、一番じゃないかと思われる笑顔を浮かべた。
「こっちの智尋も今日は借りていきます。」
美咲と顔を真っ赤にした千洋が、智尋の両腕を掴んだ。
「へ?」
智尋は驚き、母も少し驚いたが、自分が彩香に言った言葉を思い出し、すぐ優しい笑顔になった。
「…えぇ、どうぞ。気を付けて帰ってね。」
「はい。今度は和葉兄さんを連れてお邪魔しますね。」
「楽しみにしてるわ。」
ベッドから優しく笑って手を振り、母は3人を見送った。
一方、智尋はなるべく早く帰るつもりではあったが、
まさかこのまま連行されるとは思ってもみなかったので、
驚きで固まったまま、2人にズルズルと引きずられながら、病院を後にすることになった。
「お? おかえりー。」
「兄さん?」
マンションに帰ると和葉が冷蔵庫を漁っていた。
片手には缶ビール。どうやらつまみになりそうなものを探していたらしい。
「今日は早かったんですね、和葉さん。」
「うん。俺の仕事はようやくひと段落したんだよ。」
和葉は疲れた顔でへらっと笑ってみせた。
「なんだー。もう少し早かったら3人でお見舞いに行けたのにー。」
美咲はつまんなそうな顔をした。
「そういえば今日、行って来たんだっけ。智子さん、どうだった?」
「お話してくれたり、笑いかけてくださったけど…、どうなの? 智尋?」
「あ、えぇ。副作用には苦しんでますが、
皆さんが支えてくださっているおかげで、前向きに治療出来てます。」
智尋がしゃべっている間、和葉はじっと智尋を見ていた。
「…? なんですか…?」
「いや、智尋も無理してんじゃないかと思ってね。ちょっと痩せた?」
「そう…ですか?」
女の子じゃあるまいし、体重など気にしていない。
「………。…美咲とちーは夕飯、作りに来てくれたんだろ?」
「そうよ。」
美咲は帰る途中で立ち寄ったスーパーで買った夕飯の材料を、自慢げに和葉に見せた。
ちなみに智尋の両手にもビニール袋2つ、ぶら下がっている。
材料は美咲と千洋が選んで買ったものだが、4人でも多い量だ。
いったい何がどのくらい出来る事やら…。
それを見て和葉はニッコリ笑った。
「じゃ、智尋を太らせるために美味いもん頼むな。」
「まかせといて! ね? ちーちゃん。」
千洋も楽しそうにコクンと頷いた。
テーブルに並んだ料理はやはり4人で食べるには多く、
残ったものは明日、和葉と智尋が有り難くちょうだいすることになった。
今日は見舞いに行く緊張感からの疲れと、お腹の満腹感で、美咲と千洋はソファで寝入ってしまった。
明日は学校だが、仕事がひと段落したので和葉が車を出すことも可能。
そのまま2人を和葉のベッドに運んだ後、和葉と智尋はソファで一息つく。
「あの…、」
「ん?」
「今日、曲、聞きました。とても綺麗な曲で、母さんも気にいってました。」
「あぁ、美咲の声も、ちーのキーボードの腕も確かだからね。
我ながらいいものが出来たと思ったよ。」
優しい笑顔を浮かべながら、和葉は満足気に言った。
「母さんが和葉さんにもお会いしてみたいと。…大丈夫ですか?」
「それはもちろん。ホントはもっと早く見舞いに行けたらよかったんだけど、
仕事が思った以上にバタバタしちゃってな…。ごめんな。」
「いえ。和葉さんのせいではないですから。」
智尋は謝った和葉にあわてて否定をした。
「…お前がちゃんと、みんながいるってわかってるようで安心した。」
「え?」
「変な遠慮して、1人で抱え込んでないかと思ってたけど、
ちゃんと、みんなに助けられてるみたいだな。」
母の手術前、美咲と和葉に言われたことを思い出す。
そういえば、1人で悩むどころか、
いつのまにか助けられてることが当たり前になっている。
世話になっているのに、これ以上迷惑をかけないようにとか思ってたはずなのに。
「…遠慮する隙がなくて、こっちが手を伸ばす前に、手を取って引っ張ってもらってる感じです。」
それに気付いて智尋は恥ずかしそうに言ったが、そんな智尋を見て和葉は嬉しそうに笑った。
「それはいいことだ。」
「でも、支えてもらってばかりで…、」
「今はそれでいいのさ。」
「え…、」
「人間、いいことばかりじゃねぇのよ。
そして俺らは8人もいる。しかも養子組は何かしらの事情を持って高遠家に来た。
誰かが困ってる場面なんてしょっちゅう出くわすさ。」
「そんな…、」
みんな、幸せそうに笑っているのに…。
「残念だけどそれが現実。…でも、高遠の人間はオヤジを筆頭にお人好しが多いんだよ。
そうやって、気付かないうちに人に頼ることを身につけさせられる。
そしてそれだけじゃ物足りなくなってくるんだ。」
「物足りない?」
「そう。支えられるだけじゃ満足出来なくなってくる。今のお前みたいにね。」
助けてもらうだけの自分。
支えられてばかりの自分。
「そんな欲求不満の中、誰かが困ってる場面に出くわせば、無意識に手が出るもんだ。
もちろん、人間は貪欲だから、誰しもが良い方向に転がるとは限らない。
だけど不思議と俺たちは、そうするのが当たり前になってくんだ。」
いつのまにか、頼ることが当たり前になって、頼られることが当たり前になっていく。
そうして絆が知らないうちにできて、それはとても大事なものになる。
「ま、これも、『高遠家のルール』の一つさ。」