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ただいまと帰る場所  作者: 霜波音葉
智尋の事情。
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智尋の事情。

智尋中心のお話です。

「…すみません、もう一度お願いします。」


自分の正面に座っているメガネをかけた医師に、智尋はもう一度、言葉を求めた。


「貴方のお母さんの病名は胃ガンです。

 身体も丈夫ではないようですし、体力がある今のうちに手術をお勧めします。」


医師の言葉がどこか遠くに聞こえた。



母は家で突然、咳き込み、血を吐いて倒れた。

すぐに救急車を呼び、入院、そして検査をすることになった。


「智尋、お願いがあるの。」


「何?」


「私の手帳に『高遠』という人の電話番号が書いてあるの。

 その人に連絡を取ってもらえないかしら?」


『高遠』という名前は毎年、年賀状で見る名前だった。

聞けば、母の学生時代からの友人らしい。


智尋は母に言われるまま、その『高遠』という人の所に電話。

母の友人は今は海外に行っていて、代わりにその長男の一樹が対応してくれた。


母の名前を言い、母が入院したと言うと、なんだか納得したようで、

話はとんとん拍子に進み、検査費用、入院費を肩代わり、

さらに智尋はしばらく高遠の家に厄介になることが決定していた。


高遠の家から学校に通うのは少々交通の便が悪く、

一人暮らしをしている弟、和葉に頼み、智尋が和葉のマンションで暮らすことも決まった。



そして今日は母の検査結果が出る日で、学校帰りに病院に行き、医師にそう告げられたのだ。


母の病室に戻る前に、携帯が使える場所に行き、一樹に電話をかける。

さすがに言われてすぐ、母にそれを言う気にはなれなかった。


『胃ガン…?』


「…はい。」


『進行は酷いのかい?』


「今のところは、他の場所に転移はしてないそうです。

 なので、体力があるうちに手術をして、その後、抗がん剤治療することを勧められました。」


義務的に医師の言葉を伝える。

この時、智尋はまだ感情がついていけてなかった。


『…智尋、大丈夫かい?』


「え?」


『一人でその事を智子さんに伝えられるかい? もし無理そうなら、私から伝えるが…、』


「あ…、」


心配をさせてしまっている。

こんなによくしてもらってるのに、これ以上、迷惑はかけられない。


「大…丈夫です。今から、母に伝えます。」


『智尋…。』


心配そうな声で名前を呼ばれたが、一つ息を吐き、


『…ガンの治療は患者本人の強い意志が必要だ。そしてそれを支える人間も。

 それが出来るのはお前だけだ。頼んだぞ、智尋。』


「………、はい。」


背中をしっかり押された気がした。

ここでようやく智尋は病気のことを受け止められた。



その後、母に報告。

悲痛な顔をしたけれど、『大丈夫』だと、『一緒に頑張ろう』と本心から言えた。


その想いが伝わってくれたのか、母は目に涙を溜めながらも、優しく笑いながら、頷いてくれた。



それから和葉のマンションに帰る。

玄関に入ってすぐの壁には、来た当初はなかったホワイトボードがかかっている。


仕事部屋に籠っている時、その部屋は完全防音で智尋が帰ってきたことがわからない。

なので、そういう時は『仕事部屋にいる』とか、

仕事が切羽詰まっている時は、『お帰り。すまんがしばらく入室禁止』など書いてある。


あと出かけている時は『何時ぐらいの帰宅になるか』とか、『今日は帰れない』など。


最初に来た日、『挨拶はきちんと』と教えてから、

和葉は忙しいながら、それをちゃんと実行している。


忙しい和葉が実行しているのに、ただの学生である智尋が実行しないわけにはいかないので、

『高遠家のルール』というものが智尋にも身についてきていた。


母と二人暮らしの頃は、家に帰っても一人でいることが多かったので、

なんとなく照れくさく感じていたこの『高遠家のルール』が普通になりつつある。


たぶん、良いことだと思う。



和葉は今日は帰りが遅いようだ。


母の入院が延びるのだから、智尋がここに厄介になる期間も延びたということ。

そのことは一樹から和葉に報告してくれると言っていたが、やはり自分からも報告はするべきだろう。



与えられた部屋に入り、学生服から部屋着に着替えて、台所に立つ。


智尋が来る前までは、たまに和葉の実妹の美咲と、

長女の彩香がご飯を作りに来てくれる以外、まったく手付かずだったという。

冷蔵庫の中も見事に水だけだった。


今は外食はお金がかかるということで、智尋が作っている。


最初は自分の分だけでいいと言われていたのだが、

夜、遅くまで仕事をしてまだ眠いだろうに、目覚まし時計で無理やり起きてきて、

『おはよう』と『いってらっしゃい』を言ってくれる、

そんな和葉の朝と夜の分も用意するようになった。


実際は、昼と夜食分になっているようだが。


さて、今日は何を作ろうか…。


智尋がそんなことを考えていたら、インターホンが鳴った。

液晶を見てみると、美咲と一番下の妹、千洋だった。


「ヤッホー、来たよ〜、智尋。」


「お、お邪魔します…。」


元気にスーパーのビニール袋をぶら下げて入ってきた美咲と、ものすごく遠慮がちに入ってきた千洋。


「あ、もしかして夕飯作るとこだった?」


「あ、はい。」


「良かった、セーフだ。」


美咲はホッとして嬉しそうに笑った。


「今日は私が夕飯を作りに来たの。」


「でも今日、和葉さん、仕事で遅くなるみたいですよ…。」


美咲はブラコンだと智尋は聞いている。それを本人も認めているらしいとも。


これまでも何度かマンションに来ては、和葉の面倒を見たがっている所も目にしてきた。

けれど、今日は肝心の和葉がいない。


「知ってるわ、兄さんからちゃんと聞いてきたもの。」


「え?」


「もし良かったら今日は智尋と夕飯食べてくれないかって電話が来たの。

 それからちーちゃんは、他に兄さんから頼まれたことがあるんですって。」


「頼まれたこと?」


千洋に目線を向けると、美咲の後ろに隠れていた。

とても内気な子なのだと聞いている。

それゆえ、まだまともに話したことがない。


千洋は顔を伏せながら、おずおずとiPodを差し出した。


「…あの、これ、リ、リラックス効果があるって言われてる、音楽です…。

 よ、良かったら、ち、ひろ兄さんとか…、に、兄さんの、お母様、に…っ。」


「!」


顔を真っ赤にして、ふるえながらも差し出してくれたiPod。

それを受け取ると、千洋はまた美咲の後ろに隠れてしまった。


「…もしかして和葉さんから、聞いたんですか?」


「うん。お母様、ガンで手術することになったそうね。」


こういう話題はほとんどの人間がバツが悪そうに言うものだと思うのだけれど、

美咲は笑顔であっさりと言い放った。


「一人だと不安だろうから、今日は一緒にいてくれって。

 それから、ちーちゃんの選んだ曲、ホントに評判いいのよ。」


「み、美咲姉さん…っ。」


千洋はいきなり自分の話題になったので、また顔を赤くして下を向いた。


「智尋、不安だろうけど『病は気から』よ。

 私たちがお母様を支えるのは難しいけど、智尋を支えることは出来るわ。

 だから、お母様の前ではたとえ辛くても、どーんと構えてなさい。」


「美咲さん…。」


美咲の真っ直ぐな言葉に智尋は圧倒されていた。

だが、ここまで迷いがないと、確かに頼りがいがあるとも思える。


「智尋のお母様が父さんを頼ったように、智尋も一人で悩む必要はないの。

 だから、私たちを頼りなさい。いいわね?」


まるで命令の様な言葉。

でも、嫌な感じはまったくしない。

それどころか、自分が思っていた以上に不安になっていたのだと、苦笑すら出てきた。


「はい…。よろしく、お願いします。」


素直に返事を返した智尋に、美咲と千洋は顔を見合わせた。

それから二人は笑顔になって、千洋は顔を赤くしながらも、智尋の顔をちゃんと見た。

初めてまともに千洋の顔を見た気がする。


美咲は嬉しそうに、


「まかせなさいっ。」


と胸を叩いて見せた。

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