始まり。・3
夕方。和葉のマンション。
高遠家で軽く飲み食いした後、明日、学校がある人間が多いので、早々に解散になった。
「ここが俺が住んでるマンション。」
合鍵を智尋に渡して、智尋に鍵を開けさせた。
3LDKの自動ロック式、駐車場完備。さらには防音対策もばっちりだ。
車や家電はなんとか学生時代していたバイト代で、自分で購入したが、
マンションを俺に買い与えたのはオヤジ。
なんかムカついたので、オヤジに借金という形を取って、今、無期限、無利子でコツコツ返済中である。
今の俺の収入で、あと何年で清算できるか…、恐ろしいので考えないようにしている。
「…お、お邪魔します。」
「ブブゥー。不正解です。」
「は?」
遠慮がちに部屋に入った智尋にそう言ってやると、面白いぐらい戸惑っていた。
これは一樹兄さんタイプの性格とみた。
普段、決断力も行動力もあるが、不意のアドリブとジョークにはとても弱い。
どう反応していいのか、智尋は分かりかねていた。
「ここは今日からお前の帰る場所です。『お邪魔します』は不適切。」
「え? あの、じゃあ…、」
智尋は目を泳がせながら、沈黙した。
本当に答えが分からないようだ。
「家に帰ったら『ただいま』だ。高遠の人間になる奴は、まず、これを叩き込まれる。」
俺を含め、養子として高遠に入った人間に、最初に教えられるルール。
「あ、あの、でも俺、別に高遠の人間では…、」
「そうじゃなくても、お前の帰る場所がここな限り、これはしっかり守ってもらうぞ。
家を出るときは『行ってきます』。帰ったら『ただいま』。
もちろん『おはよう』と『おやすみなさい』、『ありがとう』、『ごめんなさい』は基本だ。OK?」
「お、おーけー…です。」
「よろしい。では、もう一度。お帰り、智尋。」
「た、だいま…です。」
戸惑いながらも智尋にしっかり挨拶をさせたことで、和葉は満足そうににっこり笑った。
それから部屋の説明に移る。
「部屋は3部屋あって、一つは俺の寝室。もう一つは俺の仕事部屋になってる。
もう一つはパイプベッドが置いてあるだけの部屋だ。
智尋はその部屋、使ってくれ。昨日、届いた荷物もそこにあるから。」
「わかりました。」
「それで悪いけど今週は、そのベッド、使ってくれるか? 今度の土日、新しいの買いに行こう。」
「いえ、わざわざ買っていただかなくても、それで充分です。」
「でも、結構古いぞ? それに机とかも必要だろ?
あと、カーテンとカーペットも…、それから、なんかあったっけ…?」
「あの、別にいりませんから。」
本気で買おうとしている和葉を若干、あわてて止めた。
「ないと不便だろ?」
「大丈夫です。そんな長くお世話になるわけではないですし、そんなお金もありませんから。」
「あぁ、俺が買うんだから金なら気にすんな。
それに知り合いで家具なんかを取り扱ってるやつがいるから、そこで安く買えるしな。」
ここにある家具、家電はそのつてで全て手に入れた。
予定より安く揃えられたので、中古ではあるが俺は車にも手が出せた。
知り合いに感謝である。
「いえ、本当にいりません。机だって、リビングかダイニングのテーブルで充分ですし…。」
智尋は本当に困って、必死で和葉を止めていることに、和葉は少しつまらなそうな顔をした。
「遠慮しなくていいんだぞ?」
「遠慮してませんから。」
智尋を困らせたいわけじゃない。
和葉はしぶしぶ頷いた。
「でも、カーペットとカーテンは買うぞ。あそこの部屋、直接日が入って眩しいんだ。」
「わかりました。」
智尋はとりあえずホッとした。
「それと、一樹兄さんから聞いてると思うけど、俺、仕事で帰りが遅くなったり、帰らなかったり…、
あと部屋にいても仕事部屋に籠ったりがほとんどだから、
智尋も気を使わず、友達呼んだり、好きにしていいからな。」
「はい。ありがとうございます。」
「うん。じゃあ、今日からよろしく、智尋。」
初めて会った時と同じく、和葉は智尋に手を差し出す。
普段、握手なんてする機会はほとんどないけれど、この人はそれが当たり前のように手を差し出す。
「…よろしくお願いします、和葉さん。」
握手に応えると、和葉は嬉しそうに笑った。
智尋が来たことで、高遠家は7人兄弟+1人となりました。
ひとまず『始まり。』の話はここで終了です。
ありがとうございました。