美咲の事情。
『ただいまと帰る場所』は前章の『和葉の事情』をもって、
完結とさせていただきます。
サーバー負荷の関係でこの話は申し訳ありませんが、
残させていただきます。
母親? なにそれ?
私にそんなものいらないわ。だって、兄さんがいるもの。
私にとって兄さんは全てなの。
朝、起きてから、夜、寝るまで、兄さんはずっと私の側にいてくれた。
朝、起きる前から出かけ、夜、寝た後で帰ってくる母親なんて、なんの価値があるの?
私から見れば、最低限の生活を保障してくれる人だった。
だから母親が死んで、この人が私たちの母親なのだと兄さんに言われた時も、悲しくなんてなかった。
だって、その時にはもう、お父さんがいて、家族がいたもの。
「自分を生んだ人」は、私の認識の中ではもう消え去っていた。
冷たい? 酷い?
この人がいなければ、私どころか兄さんまで存在しなかった。
そのぐらい、私でもわかってるわ。
その点では感謝してもしきれない。
でも、どんなに想っても、私の「母親」はこれだけ。
そもそも母親を「求めた」ことも「恋しい」と思ったこともないんだもの。
顔も声も覚えていない、存在すら忘れていた人に、これ以上の想いを捧げることなんて無理よ。
「み・さ・き〜〜〜♪」
両手を広げて、私に向かってくる穂波に右ストレート。
私の拳は穂波の左頬にクリーンヒット。
「酷い…、美咲…。仮にもモデルの顔を殴るなんて…。」
半泣きで、殴られた頬をさすりながら穂波が言う。
「またモデルするの?」
留学から帰ってきて大学も復学したけれど、モデルをする話は聞いてない。
「いや、まだ決めてないけど、良い小遣い稼ぎにはなるからさ。
千華子姉からもちょこっと言われてるし、どうしようかなぁと思ってる。」
穂波は確かに綺麗な顔をしている。
義理の母親が血迷ったのもこの容姿のせいだろう。
私の友人たちも、キャー、キャー騒いでうるさいぐらいだ。
「モデルの仕事に復帰するんなら教えて。顔は殴らないようにしてあげるから。」
私の優しさである。
穂波もそれをちゃんとわかってるので、目をキラキラさせて『美咲〜』なんて言っている。
前々から思ってたけど、穂波ってマゾヒストよね。
どんなに殴られても懲りてくれない。
…別に殴られたりはしてないけど、私もろくに穂波のこと言えないのよね。
私、たとえ兄さんが結婚しても、兄さんしか愛せない自信があるもの。
「諦める」という言葉が、兄さんに関しては欠如している。
穂波も私に対してそんな感じなのかと思うと、理解出来ないでもない。
いいえ、むしろよくわかるわ。
兄さんはどうなのかしら?
優しい兄さん。
私が手を伸ばせば必ず取ってくれる。そのくらいの自信がある。
でも、私と冬子さん…、兄さんはどちらを優先するのかしら?
…冬子さんは素敵な人だ。
最初は兄さんが舞台にハマって、その主役をしていた冬子さんに嫉妬して、
兄さんに私を見てほしくて『舞台女優』になるって決めた。
だけど、冬子さんの舞台を見るたび、演劇の勉強をしていくたび、
冬子さんの凄さを嫌でも理解していく。認めてしまう。
あんな女優になりたいと思ってしまう。目標になる。
兄さんと冬子さんは『恋人同士』ではない。
以前聞いた時、二人とも、そうはっきり言っていた。
私はその言葉を信じる。それに関して私はそれしかできない。
でも、劇団で二人を見たとき、
あの二人の間に入れる人なんて、いないんじゃないかと思ってしまった。
悔しい。
そう思ってしまった自分が一番悔しい。
冬子さんと会って、兄さんは変わった。
私も兄さんもお互い支え合ってベッタリだったのに、兄さんは自分の足で立ち始めた。
今は私が兄さんに寄りかかってるだけ。
自立するのが良いことなのはわかってる。そしてそれがきっと正しいことだとも。
でも、悲しいし、寂しいし、怖い。
私の全ては兄さんで成り立っているのに、どうしてそれを手放さなきゃいけないの?
一生、このままでいてはいけないの?
…きっと、兄さんに言ったらこう言うわ。
『別にそのままでもいいんじゃないか?』って…。
兄さんは優しいから、自分から私の手を振り払わない。
私が自分から離すのを待っている。
優しい兄さん…。
でも、冬子さんと一緒にいる兄さんを見て、
その優しさは、ものすごく残酷なものにも思えた。




