和葉の事情。4
「和葉、今夜も行くのか?」
「…うん。走んないとなんだか身体がスッキリしなくてさ。」
心配そうに言う一樹兄さんに笑顔で答える。
中学1年から始めたボクシングはもう2年目。
その間、穂波が家族に加わった。
夜、走ることも当たり前で、絡んでくる人間も変な話、顔なじみのようになっていた。
喧嘩のことは美咲や千洋にはいくらでも誤魔化せたが、さすがに上3人は誤魔化せなかった。
穂波も俺がしていたことをなんとなく察していたんだろう。
だからあいつはこの時代の俺を『問題児』と称しているんだ。
一樹兄さんと彩香姉さんは心配そうな顔をしていたが、言う言葉が見つからなかったようだ。
ただ1人、千華子姉さんだけが俺に正面から言い放った。
「あんた、間違ってるわよ。」
基本、注意されるようなことは何もしていない。
ただ絡まれるので対応しているだけだ。
「そういうんじゃなくて、ただ喧嘩が強けりゃいいってもんじゃないって言ってんの。
あんた、そんなんじゃ誰も守れないわよ。」
人生波乱万丈の千華子姉さんは、ちゃんと知っていたし、
それを俺に言うことも出来た。
千華子姉さんの言いたいことはわかってた。
このまま続けてても意味がないことも、その頃の俺は薄々気づいてた。
でも、俺には他の答えが出せなかった。
いつものように冬子の歌声を聴く。
守れなかった母を守りたかった。
作り物の笑顔がとても儚げで、
あの人は俺を産んでから、幸せだと思ったことがあるんだろうかとずっと考えていた。
確認したくても、もうこの世にはいない。
「おいっ。」
いつもの連中に声をかけられる。
いつもより人数が多い気がしたが、別にそれは気にならなかった。
いつもの路地裏。
いつものように相手をしていたのだが、自分の背後に回り込んだ人間の手に光るものがあった。
そいつは視界から外れたが、本能でヤバいと感じで慌てて避けた。
突進してきたそいつは、そのままの勢いで俺の目の前にいた集団のリーダーにぶつかった。
その瞬間、周りが騒然とした。
やつらは叫び、蜘蛛の子を散らすようにそこから逃げ出した。
路地裏に残ったのは腹にナイフが刺さった奴と、刺した奴と、俺の3人。
刺した奴は両手を血に染めて膝をついて固まっていた。
刺された奴は倒れ、痛みに蠢いている。
そんな中、俺は妙に冷静だった。
まず固まってた奴に軽く蹴りを入れて話しかけた。
「おい。お前、携帯持ってるか?」
俺に話しかけられた奴はあわてて携帯を取り出したが、震えていた手から落とす。
それを拾って119に電話をかけた。
場所を伝えて、怪我をしている奴がいると伝えた。
名前を聞かれたが、言わずに電話を切った。
格闘技なんかを習っていると、応急処置なんかも教わる。
実際やったことはなかったけれど、まさか、この知識が役に立つなんて考えてなかった。
手に血が付いた。
相手の服で拭いたが完全には落ちなかった。
手を洗おうとその場から離れた。
そのまま帰っても良かったけど、なんとなく戻る。
『犯人は現場に戻る』とかいうけど、こんな感じなんだろうか…とか、どうでもいいことを思った。
戻ったら、呼んだ救急車が来ていて場は騒然となっていた。
この中には行きたくないと帰ろうとした時、腕を掴まれた。
逃げ出した奴か、あそこで固まってた奴か。
そう思って振り返ると、冬子だった。
「冬子…?」
「このまま帰る気なんでしょ?」
問われたので頷く。
「いつもよりは帰るの早い時間よね?」
そう言って冬子は自分の腕時計を俺に見せた。
確かにいつもより早い時間だ。
「どうせなら私に付き合ってよ。」
そう言われて手を握られ、引っ張られた。
特に断る理由もなかったので、されるがままにされた。
連れて来られたのはとても綺麗とは言えないアパートの一室。
冬子の一人暮らしの部屋だった。
「狭いとこだけど、上がって、上がって。」
「………。」
木造のアパートで、あたりは静かだった。
さっきまでの喧騒が嘘みたいだと思った。
「…冬子は一人で暮らしてんの?」
「そうよ。」
「…寂しくない?」
「そう思う時もあるわね。」
自分では考えられない生活だ。
高遠の家に引き取られて、大勢に囲まれて、そう思う瞬間などない。
「…で、何か用?」
「君たちが起こした騒ぎのおかげで、今日はあそこで歌が唄えなくなっちゃったの。
償ってよ。」
別に俺が悪いわけではないが…、
「…償うって、どうすればいいんだ?」
「とりあえず、どうしてこんなことになっちゃったのか、教えて欲しいわね。
それから、私、君のこと何も知らないのよね。私は君に興味がある。教えて、君のこと。」




