和葉の事情。3
智尋が突然、『彼女』のことを聞いてきたので、『彼女』との出会いを振り返ってみた。
穂波は当時の俺を『問題児』と称するが、俺としてはそんなことはなく、
むしろ、真面目に勉学と習い事に励んでいた優等生だったんじゃないかと思っている。
あの頃の俺は、無駄な使命感に燃えていた。
実妹の美咲と、母親に虐待され高遠の家にやってきた千洋。
彼女たちを守るため、強くならなければと思いこんでいた。
テレビに出てくるヒーローのような、そんな存在になろうとしていた。本気で。
2人を守ること。
それが母親を守れなかった自分に与えられた、使命だと思っていた。
「母さんが見つかった…?」
高遠家に引き取られて数週間、
オヤジから母の行方と同時に、母が亡くなったことを聞かされた。
自殺だった。
父親は知らない。たぶん、母自身も。
自分がどうして生まれたのか。
それを知ったのは母が美咲を身籠った時だった。
母は嘆き悲しみ、自分が身籠ったことを呪っていた。
母は強姦され、俺を身籠った。美咲もそうして出来た子だった。
その事実が母をどれだけ傷つけていたのか、子どもの自分にはよくわからなかった。
そして成長してその真実を知った時、全ては遅かったようだ。
母はとても綺麗で儚げな人だった。
一日中働いて、家に帰って俺の顔を見ると、疲れた顔で小さく笑顔を作った。
覚えている母はそれだけ。
俺でそれだけなのだ。美咲に母の記憶があるはずがなく、
当時も母の訃報は美咲には他人事のように感じたのだろう、特に悲しむこともなかった。
おそらく美咲は、母に求める甘えや愛情を俺に求めた。
ゆえに今も、美咲は俺に依存しているのだ。
美咲が俺を求めることも相まって、俺は強くなりたいと願うようになった。
母のように誰かに傷つけられる前に、その『悪』の手から美咲を守りたかった。
母親から虐待を受け、全てに脅えていた千洋も、自分が強くなれば守れると信じていた。
護身術として合気道を習っていたが、それでは足りないと思い、次々と習い事を増やしていった。
しかし、ここで俺は一つの疑問を抱く。
これは『実戦』で本当に通用するのか?
試合ならいくらでも出来たが、『実戦』となると簡単にはできない。
悩んだ俺は、ボクシングを始めてみることにした。
喧嘩慣れしている不良を、更生させるためのスポーツ。
至極、失礼なことだが、そういうイメージがあったのだ。
他の習い事もあったため、体力作りのための走りこみは夜することが多かった。
穂波が言っていた『夜、遅く帰ってきて心配をさせた』理由はこれ。
そして、その走りこみの途中の路上で彼女、佐和田冬子が歌っていたのだ。
その道は彼女のように路上で演奏やパフォーマンスをしている人が、ちょこちょこいた。
その中で、なぜか冬子の声にだけ反応した。
単純に彼女の歌声が気に入ったんだろう。
足を止めて彼女と反対側のガードレールに腰を降ろして、彼女の歌を聴く。
そしてまた走りだす。
こんなことを繰り返していた。
遅い時間だったので、彼女の歌を聴く人間はまばらだった。
そのため、冬子が俺の存在を認識するのに時間はかからなかった。
声をかけてきたのは彼女の方から。
「君、いつも私の歌、聞いてくれてるよね? ありがとう。」
元気で真っ直ぐな、母とは真逆の笑顔だった。
「私、佐和田冬子。良かったらこれ、どうぞ。」
差し出されたのは舞台のチケット2枚。
「私も出てるんだ。暇だったら彼女と一緒に見に来てよ。」
興味なんてなかったけど、なんとなく受け取った。
それだけで彼女は嬉しそうに笑った。
それからも彼女の元に行っていた。
そしたら以外にも、俺の疑問は解消されることになった。
冬子の歌を聴いていたら、いかにもな3人の人間に絡まれたのだ。
俺は今よりもチビだったし、がたいもよくなかった。
かっこうの的だったんだろう。
路地裏に連れてかれた俺は、数分後、大通りに戻ってきた。
「君っ、大丈夫っ?」
すぐに冬子が心配そうに俺に駆け寄ってきた。
どうやら絡まれていた所を見ていたらしい。
「…うん、平気。」
顔と腹に一発ずつ。
冬子は殴られた所を心配そうにしていたが、俺はさっきの復習をしていた。
顔を殴られた時はさすがにひるんだが、
伊達に鍛えていたわけではなかったようで、すぐ体制を持ち直せた。
初めての実戦。少々、食らったが、結果は上々。
次回からはもっと無駄なく動けるはずだ。
それから家に帰って、みんなに顔の腫れを見られ驚かれた。
腹の方は練習中に付いたものだと誤魔化せるが、顔は誤魔化せない。
今度からは顔は殴られないようにしようと決めた。
ああいう連中はどんなに返り打ちにされても、懲りるということがない。
むしろ復讐心に燃え上がり、何度でも喧嘩を売りに来る。
それを良いことに、俺は少しずつ知識を身につけ、実戦慣れをしていった。
冬子はそんな俺をいつも心配そうに見ていた。
いつからか、俺を見つけ笑っていた冬子は、俺を見つけても笑わなくなった。




