穂波の事情。・3
「穂波、この人が今日からお前の母親になる人だ。」
父親からそう言われたのは小学5年の時。
父親に付き合っている人間がいるのは知っていた。
その人間が新しい母親になるだろうことも。
しかし、初めて会ったその女の笑顔が、妙に不気味で、
第一印象から最悪だったのを覚えている。
「え? 穂波さんって元々高遠の人だったんですか?」
「うん。俺の父親はオヤジの弟にあたる人間なんだ。」
お茶を飲み、智尋に自分がどうして高遠の家に引き取られたのか、
その経緯を説明する。
「義母に脅されてたこともあって、父親にはもちろん、そのことは言ってなかったんだが、
ばれた時、当然父親は怒るわけだ。
その時義母は、俺が誘惑したとか何とか言って被害者面しながら、父親に俺を許すよう言いやがった。
それでも父親の怒りは収まらず、家追い出されて、オヤジが引き取ってくれたんだ。」
「そんな…、穂波さんは何もしてないのに…。」
「いや、俺としては助かったよ。これであの女に好きなようにされることがなくなったんだからな。」
父親は仕事で家にいることは少なく、父子関係も元々微妙だった。
ゆえに父親に信じてもらえなかったことよりも、あの女から逃げられた喜びの方が大きかった。
「けどあの女、良い根性しててな。
俺が家を追い出されてからも、何食わぬ顔して俺に会いにきやがった。
家族の前では俺を悪人扱いして、自分が許す立場であるようにふるまいながら、
誰もいない時は俺との関係を続けたいと言ってきた。」
忘れてしまいたいけど、忘れられない記憶。
あの女が付けていた、まとわりつくような香水の匂いと声。
今、思い出しても吐き気がする。
「オヤジや一樹兄は俺を信じてくれたから、俺をその女に引き渡すことなんてしなかったけど、
あんまりにもしつこいから、逆に弱味を握って脅してやろうということにしたんだ。」
「弱味?」
智尋がキョトンとして首を傾げた。
隣にいた和葉が何でもないことのようにさらっと言った。
「穂波に盗聴器を付けたんだよ。」
「盗聴器?」
しかしその言葉に、また智尋はギョッとする。
ドラマや小説などではよく聞くが、実物など見たこともない。
「それでわざと穂波と2人だけにして、その女が穂波に言ってる事を録音したんだ。
その録音したテープを公にされたくなかったら、もう二度と会いに来るなと脅したわけだ。」
「…けど、その女からこの一年間で何通も手紙が来てた。」
「どうしてですか?」
「…手紙見てないから知らない。」
智尋の質問はもっともだけど、その原因から目をそらした穂波は言いにくそうに言った。
「…見たくないのはわかるがまず、その手紙の内容を確認しないとこちらも動けん。
家に帰ったら確認して一樹兄さんに報告。それが嫌だったら兄さんにその手紙をそのまま渡せ。」
和葉の言葉に気が進まないながら、穂波は頷いた。
とりあえず手紙の事を誰かに話せて落ち着いたのか、
穂波は来た時よりも明るい顔をして、高遠の家に帰っていった。
「………。」
「和葉さん?」
穂波が帰った後、今度は和葉が浮かない顔をしていた。
「ん〜?」
「どうしたんですか? 何か気になることでも?」
智尋の質問にバツが悪そうにちょっと考えてから、和葉は口を開いた。
「…実はな、その穂波の義母、弱味を握られたにもかかわらず、
何度か穂波に会いに来てるんだよ。」
和葉の言葉に智尋は驚く。
「バレたら自分が大変になるのに? どうしてっ?」
「会いに…っていうのは語弊があるな。
こそこそ隠れて、穂波の後を付いて回ってたんだ。」
「それって…、」
「いわゆるストーカー。」
「ストーカー?」
最近では珍しくなくなった単語に、智尋は呆気に取られた。
「その人、本気で穂波さんのことを好きになったっていうんですか?」
「その感情が恋愛かどうかはわからない。でも、穂波に対しての執着心は本物だろう。
穂波が千華子姉さんの所でバイトしてる時、事務所に忍び込んで来たこともあるらしい。
千華子姉さんが返り打ちにしたらしいが…。」
あの女王様の千華子に敵うわけもなく、その女に何も言わせず事務所を追い出したと聞いた時、
何故か妙に納得できた自分がすごいと思ったのをよく覚えている。
それを聞いた智尋は何も言わず笑顔のまま固まり、
それを思い出した和葉もまた、苦笑した。
「それに俺も学生の時、学校帰りに一度、絡まれたことがある。」
「和葉さんも? 大丈夫だったんですかっ?」
「いや、なんつぅか、…俺もその時は若かったからなぁ〜、ははは。」
智尋から目線を外し、和葉は乾いた笑いをした。
「?」
「ま、とりあえず、留学していた一年。
たとえ義理の母親だとしても、穂波の情報は手に入れにくかったろうから、
相手もイライラしてんじゃないかと思うんだよな。
だから手紙の内容がちょっと気になると思ってさ…。」
「…大丈夫でしょうか、穂波さん…。」
智尋が心配そうに言う。
「…手紙を自分で確認するにしろ、渡すにしろ、兄さんの耳には今回のことは伝わる。
察しが良くて頭が切れる人だから、そう心配することはないと思う…けど、
そうとわかってても、心配になってしまうのは仕方ないことだよな。」
和葉は自分の心配をごまかすように苦笑した。




