3、恭平の立場
現在自分なりのビックイベントに参加中で更新投げやりですが、生きてます。
いつもなら自分の部屋に直行するはずだった俺は、今日に限ってキッチンへ足を運んだ。煎餅を置きにきたのもあるが、一番の要因は門の所で美佐子さんが、
「キッチンで子供達が待っていますから」
と、遠回しであるにも関わらず、行かないと殺されてしまうような錯覚を覚えるぐらいの無言のプレッシャーをかけてきたからであり、そんなもんかけられたら誰だって行くだろう。
いや別に悪い気分がするとか言う訳じゃないんだけどさ。
キッチンは既にお祭り騒ぎだった。
窓枠は折り紙で作られたカラフルな鎖が彩り、ウチのキッチンにはカウンターがあって、そのカウンターの上の壁には広用紙に色画用紙で『恭平兄ちゃんお誕生日おめでとう』と、少し泣けてくる作品を飾っていた。
それらを作った子供達はと言うと、主役そっちのけで会話に没頭していたりする。中には走り回っている子供もいるし、テーブルの上の美佐子さんが腕によりをかけて作ったと思われる豪華料理を盗み食いしているけしからん中学生もいたりする。無礼講上等。ただ最後のは多少許し堅い。
「コラ。そこの不良中学生。メインの人間差し置いて料理を頂くとはどういう了見だ」
儚子の体がビクッと震える。しばし硬直のち、
「遅いご帰宅だったわねお・兄・様」
思いっ切り引きつった笑顔でひどく気持ち悪い事を言ってきた。そりゃそうか、俺の後ろには鬼子母神がいるわけだし。
「儚子さん……」
「ハハ、ハハハ…」
哀れ儚子。今日のパーティーはいつもより勢いに欠けそうだ。せめて骨ぐらいは拾ってやるよ。
「そんなにお腹が空かれてたんですね…」
ちょっと待て。
美佐子さん。いくら抜けていると言ってもそれはあんまりなのではないでしょうか?
「は、はい。そうなんですよ!今日6限目が体育でお腹空いちゃって!アハ、アハハハハ!」
儚子はここぞとばかりに事実捏造に拍車をかける。しかし依然顔は引きつったままだ。
「それじゃあ最後の仕上げに取り掛かりますから、もう少し待っておいてくださいね」
美佐子さんはかけてあったピンクのエプロンを身に纏い、キッチンの奥へ姿を消した。
こうやって見ている限り、美佐子さんは幼妻ぐらいの年齢にしか見えない。どんなに上に見積もっても二十代中盤。昔、身の程知らずだった頃に一度だけ歳を尋ねてみたのだが、美佐子さんは笑顔で当時の俺を不眠症まで落し入れる程の考え付く限りの罵詈雑言を機械的に告げられた。
その一件以来、女性に歳を尋ねるのは死に等しい行為だと本能的に理解した俺は美佐子さん個人の情報を追及するのを止めたのだ。
唯一の情報は、年に一度だけやって来る誕生日で、美佐子さんが今年三十二歳を迎えられたという事ぐらい。全く、世界は謎だらけだ。
「…なんか失礼な事考えてない?」
「いいや、別に」
「…なーんか誕生日にちなんだ事考えてたっぽい。そうだな、美佐子さんの事と私は睨んだ」
溜め息をつきながら、椅子に腰掛けた。こいつの直感力に対して半分感嘆、半分呆れが含まれている。横からは儚子の解答を待っている真摯な視線を感じるが、いつもの事なので気にしない。
「無視ですかお兄様」
「気持ち悪いから止めろ。誰がお兄様だ」
「じゃあお義兄様」
「そうか。うるさいから少し黙っててくれ義妹よ」
「うぅ…ロクデナシ…」
涙を流して儚子はテーブルにだらしなく体を預けている。ただ…
「儚子さん」
「あ、美佐子さん。ごはんできたんですか?それとも何か手伝い―」
「テーブルに顎を置くのはあんまり感心できることではありませんねー」
ものすごくマナーに厳しいお方がいらっしゃるのを忘れてはいけない。
「ごめんなさい。すいませんでした。今後から気をつけ、いや、今後一切金輪際このような暴挙に出ませんのでどうか見逃してください。お願いします」
誠心誠意…なのか?
どちらかと言うと、人としてのプライドとか尊厳をかなぐり捨てている行動に近い気がする。
「しょうがないですね…それじゃあ作った料理が向こうにありますから、それを運ぶのを手伝ってください」
「イエッサー!マイマスター!」
「私は、しがない保育士です」
「…はい」
儚子の小粋なボケを一蹴。美佐子さんは儚子の手を引いて再びキッチンの奥に姿を消した。その光景はさながら間違って降りてきた地球の住人に連行されている地球外来生物のようでもあった。
「「恭平兄ちゃんお誕生日おめでとう!!!」」
台所に集まった子供達はざっと十人。我が家総勢で、俺の誕生日会が始まった。
まあ、子供達は俺個人の誕生日を楽しむわけではなく、誕生日という非日常を楽しんでいるのであり、最初の言葉を言ったきり、冷たいものだ。
小皿に適当な料理を盛り、中庭に出る。夜の冷たい風が頬を掠めていき、浮ついた思考が冷めてゆく。そして、なんとなくだが自分が置かれている状況について考えてみたりする。
そう。倉地恭平の未来は、あと――
「ああ、ここにいたんですか」
声に振り向く。そこには、エプロンを外した美佐子さんが、後ろ手に何かを持って立っていた。
「お誕生日おめでとうございます。恭平さん」
美佐子さんは、隠していた両手に赤ワインとグラスを二つ持っていた。どうやら晩酌をするつもりらしい。美佐子さんはゆっくりとこちらに来ると、俺の隣りに座った。
「どうも。なんかいつもすいません」
「いえいえ。私が趣味でやっているようなことなので、気にしないで下さい」
「美佐子さんかそう言うなら」
少しの沈黙。
きっと美佐子さんもさっきの俺と同じ事を考えているのだろう。
まあ、でも、変えようのないことだってあるのだから仕方ない。
「それで、やっぱり儚子さんにはもう少し優しくしてあげたほうがいいと思うんです」
「はぁ……」
美佐子さんはここにやってきてから止まることなくワインをあおっている。既に赤ワインの容器はカラ。二本目の白ワインをも飲み干さん勢いだ。
当然だが、そんなペースで酒を飲んでいる人間は、
「聞いてますか恭平さん?」
「え?あ、はい」
「本当ですか?本当に聞いてましたか?」
「ええ、だから俺がもう少し儚子に優しく―」
「恭平さん。人の話は人の顔を見ながら聞かないと意味がないのですよ?」
酔ってしまうわけで。
美佐子さんは中庭にある通称漬物石、正式名称漬物石にアイアンクローを食らわせて説教を開始しているが、そのままでは負けるのはあなたですよ美佐子さん。
「……強くなりましたね。恭平さん」
「美佐子さん。それ俺じゃないです。それは石です。漬物石」
「これなら……私も安心です」
「……美佐子さん?」
もしかしてこの人、最初から酔ってなどいなかったのではないだろうか。切り出しにくい話題だからこそこういう展開にして、俺の心の負担を少しでも減らしてくれようと……
「これで……化けきのこを倒しにいけますね」
……貴女はどんな夢を見ているのですか?美佐子さん。
「村から出るときはちゃんと銅のつるぎを装備して、出来る限りの防具を買っておきなさい。そして薬草も忘れずに」
「美佐子さん。俺はどこの魔王も倒しに行きませんし、この辺りにそんなものは売っていません。売っているのはどこかの土産屋ぐらいなもので……」
「はうっ」
「って美佐子さん!?」
謎の悲鳴と共に美佐子さんは石に寄りかかるようにして倒れこんだ。
あわてて駆けつけると、石に寄りかかったまま、美佐子さんは小さく寝息を立てていた。
「ちょっ、こんなところで寝てたら風邪ひきますよ!」
「うぅん……だから言ったでしょう、魔王には雷がよく効くって」
まだその夢ですかい。つーか魔王までついてくるんですか貴女は。
それにしても、美佐子さんをこのままにしておくわけにはいくまい。
「……さて、どうしたものか」
美佐子さんは完全無防備、今なら欲望の赴くままに行動することが可能だろう、が、可能だからこそ美佐子さんを知りうるものならばその欲望のままに動くことが出来ないのだ。だって、後の怖さがハンパじゃないし。下手すれば殺されるかもしれない。なので、
「よっ……と」
当然といえば当然だが、背負っていくことにした。
臆病者と後ろ指を指すなかれ。育ての親にそんな失礼な真似ができようか。
「意外と重いな……って、こんなん聞かれたら即死モンだな」
自分でも変だな、と思う悪態をつきながら、とりあえず一階の端にある美佐子さんの部屋まで頑張ることにした。
美佐子さんの部屋は質素だ。必要最低限必要な物しか置かれておらず、ゴミ一つ見当たらない。美佐子さんをベッドに降ろして、軽く揺すって起こす。
「ほら、美佐子さん。起きてください」
「うーん……あれ?魔王の攻撃に砕け散った恭平さんが何故ここに?」
「砕け散ってませんから。まったく、だらしないですよ。大の大人が酔うまで飲むなんて、なんかあったんですか?」
「それは……」
美佐子さんは下を向いて黙ってしまった。
既に誕生日会はお開きになっているみたいだし、片付けは儚子が一人でできるだろう。俺もワインが効いてきたのか眠くなってきた。さっさと部屋に戻って眠るとしよう。
「それじゃあ俺は部屋に戻りますけど、なんにもありませんね?」
「……ええ、それではおやすみなさい」
…なんでもないなら。そんな今にも泣きそうな顔じゃなくて、もう少し大丈夫そうな顔をしてくださいよ―
「おやすみなさい」
返事をして、ドアを閉めようとしたとき、
「恭平さん」
やはりと言うべきか、美佐子さんは俺を呼び止めるのであった。
「なんでしょう?片付けなら儚子がやっているだろうし、トイレなら入口までなら大丈夫ですよ」
「違います」
どうやら、ギャグで切り抜けられる空気ではないらしい。美佐子さんが今言う言葉は、保護者としての考えだ。当事者である俺の意思など関係無しに、ただ客観的に物事を告げるに過ぎない。そんなのは聞く必要はないし、なにより聞きたくない。
「恭平さん。あなたは自分のことをもう少し考えないといけないと思います。だって、あなたはあと一年後には―」
「美佐子さん。俺は一年後のことなんて知りません。今現在であっても実感なんて皆無だし、もしかすると本当はそんなのはないのかもしれないと考えていないわけでもありません。それに、これは俺個人の問題です。あまり人に近寄られて、苦しい思いはしたくない」
一気に捲し立てて、逃げるようにして部屋を飛び出した。
くそっ。なんだって俺は美佐子さんに八つ当たりなんかしてるんだ……!
―行く宛てもなく、夜の町を走る。
ああ、いつだったか、霞むほど遠い記憶の中、こんな風に夜の町を走ったことがあった。
記憶は覚えていなくとも、足は覚えているのか、宛てはなくとも迷いはなかった。
夜の町は静かで、世界には自分一人取り残されたよう。
ああ、それは違うか。
この国、特に自分の状況から言うと、俺は世界に一人取り残されたのではなく、一人世界に外されたのかもしれない。
「……ハ、まだだ。まだ、早い」
あの時の場所を通り過ぎ、更に先を目指す。昔倒れた場所は遠くの眼下に。足は山の上を目指した。
「……ここは」
山の頂上。何故足がここに向いたのかはわからない。知り得ない光景ではなく、誰もいない場所だから選ばれたのだろう。しかし、ここまで走り詰めだったのでどこか休める所に行きたい。確かここには展望台があったはず。曖昧な記憶を頼りに奥へ向かうと、小さな寂れた小屋と二台のベンチが隣り合って置かれていた。倒れるようにして、腰をかけると、随分小さくなった町が見える。
この町にも、今日、消えた人がいるのだろう。
馬鹿げている。そう誰も言わないのは、それが抗いようのない事実だと知っているからだ。
この国では、時折人が消える。
しかしそれは、突発的な事故ではなく、計画的な犯行。そう思えてならない。
だって、十五歳になったら消えるなんて、あまりにも出来過ぎているだろう?
泣き叫ぼうと喚こうと、相手は知った事ではない。ただ目的となった人物を消すだけ。
美佐子さんが言いたかったことは、死ぬまで好きにしなさいということ。だが、俺はそんなことをする気は一切ない。
過去に最大の地獄を見たせいか、大抵のことに深い関心を持たずに生きてきたのがこんな所で役に立つなんて、なんて皮肉。
苦しい思いをしていなければ、苦しみが増すなんて、どう考えても損にしか働かない。そんな逃げ道には、誰も逃げないというのに―
「……帰るか」
東の空が明るんできたころ、やっとそう思い立った。
山の間からは太陽が上辺だけを晒し、それだけでも十分に光は照らし出されている。
昨日誕生日を迎えた俺には、もう一年も残されていなかった。