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2、変わらぬ日常

時間かかり過ぎですね(汗)

 ここ二年で慣れ親しんだ道を歩く。

 学校は孤児院から歩いて二十分程度の所にある。通学路は住宅街を通るルートなので、面白いものはこれと言って特に無い。


 学校手前の十字路に着いた。ここから我が高校最大の難関、長い坂道を上らなければならない。

 通称が『地獄坂』なんてふざけてるとは思うが、少なからず朝から疲れる思いをするのだからあながちその呼び方は間違っていないのかもしれない。

 多分名付けたのは野球部だろう。朝から練習量がハンパじゃないのに、この坂で体力なんぞ消費してやってる余裕は皆無に違いない。

 坂も半ばに差し掛かる頃、横をバスが通り過ぎていった。

 バスの中にはウチの学校の制服が溢れていた。性悪な連中は徒歩通学の俺を見てせせら笑っているが、生憎こちらはそんな器の小さい奴等と関わり合うつもりは今の所ない。


 …いつの頃からだっただろう。

 人や、物に、本気で接せなくなったのは。


 美佐子さんや儚子は別だ。あの二人は俺がそうなる前から触れてきた唯一の人物だし、もし違ったとしても、俺はあの二人には隠せない部分が出て来たに違いない。

 知り合い曰く、

「恭平はね、人との距離の置き方が下手なんだよ。下手だから物事に冷たく当たって、自分との距離を保とうとしているんだ。そういうの自己犠牲っていうのかな。あんまり関心しないけど、それが恭平だしね」

 とのことらしい。


 ―冷めた人間、と誰かに言われたような気がする。


 …まあ、今更訂正したところでそのキャラが払拭出来るとは思わないし、所詮あと一年程度の命だ。どう使おうと誰にも文句を言う資格はないはず。それに―


 「怖いんだよ。実際」


 今もまだ、朝の夢が心の奥底で黒く渦巻いている。

 俺は我儘だ。

 我儘で貪欲で臆病だから、自分が一番可愛いから、誰からも侵されないように、奪われないように、わざと冷たく当たる。

 幼少時代の話なんて関係ない。自己犠牲なんて立派な物じゃない。

 あの時のように、信じていたものが壊れるのが、裏切られるのが、気が狂いそうな位怖い。

 俺は、ただ現実から逃げている臆病者にすぎない―


 「はぁ、朝から最悪だな」

 やはり夢見が悪いといけない。

 どうも気持ちの悪い物は後に引く。なんだっけこういうの、フラッシュバックとか言ったっけ。まあどうだっていいか。

 坂は残り半分。早い所登り切って、教室で睡眠不足分の睡眠を貪らせて貰おう。



 「おはよーす」

 無気力にクラス連中に挨拶をして、自分の席に座る。そしてそのまま机に突っ伏した。

 運動を止めたからか、体が内側から熱を放出して、凍えた指先が熱い程に熱を持っている。

 机は異常なまでに冷たかったが、襲いかかる睡魔の前では微々たるもの。いつもと変わりなく、俺はあっさりと眠りに入った。


 キーンコーンカーンコーン


 朝のホームが終わった。

 今日の欠席者は一人。

 真面目に聞いていたのは俺ぐらいで、大抵はそれぞれの話に夢中だった。

 欠伸を噛み殺す。

 …寝たりない。もう一眠りしよう。再び机に突っ伏す。と、

 「恭平。どうしたんだい?やけに眠そうじゃないか」

 聞き慣れた声がした。

 「夢が気持ち悪くて眠りが浅かったから眠い。だから眠らせてくれ」

 「ふーん。その様子だと本当に眠そうだね。一体どんな夢だったの?」

 目の前の旧友、華夕聖人(かゆうまさと)は実に楽しげだ。甘いマスクに甘い声。低身長で童顔。天が二物も三物も与えた結果がこれだ。地獄に落ちろ。

 「子供の頃の夢だ。しかもとびきり最悪のヤツ」

 「それって…あの時の?」

 「そう、それ」

 起きずに返事だけする。

 聖人と俺はお互いに相当小さい時からの腐れ縁で、昔は家も近所だったから毎日遊んでいた。なので俺の過去の話も知っていたのだろう。

 「あ…聞いちゃいけなかった?」

 「いいや、どうせ朝の夢で鮮明に思い出されたんだ。別に今更どうってことない」

 いつまで経っても眠れなさそうなので、仕方なく体を起こす事にした。ゆっくりと背伸びをし、視線を前に移す。すると目の前には聖人と、何故かもう一人女子が立っていた。

 「あれ?灰堂さん」

 「う、うん。お、おはよう。倉地君」

 目の前の少女は何故かしどろもどろしている。

 灰堂薫。俺の隣の席に座っている女子で、近所のよしみで話していたら、なんとなく仲良くなった。

 趣味はかわいい物収集、自分で作ったりもするらしい。

 ある点を除けば、中学生女子の平均的な肉付き。体重及びスリーサイズは不明。そりゃ、身長が百七十センチもあれば隠したくもなるだろう。

 こんな大柄な少女がかわいい物好きだったり、意外と健気で一途な性格だったりするから、世界は奥が深い。まあ、本人がかわいいから許せるんだけど。

 「おはよう。実際はあんまり寝れてないけどね」

 いつもの笑顔で答える。が、それはむしろ逆効果だったらしく、

 「あ…邪魔、だったかな…だったよね…」

 灰堂の声に元気が無くなると同時に、大きな体がどんどん縮こまっていく。

 「…灰堂さん。君のせいじゃないんだから、そんなに卑屈にならなくていいって」

 「ううん。倉地君が眠いのは私が朝から話しかけたからよ…」

 「あの…?灰堂さん?」

 「ええ、そうに違いない。ごめんね倉地君。私なんかが迷惑かけちゃって…」

 灰堂のテンションはみるみる下がっていく。気が付けばクラス中の視線がこちらに集まっていた。

 痛い。激しく痛い。周囲からの視線もだけど、なにより心が。

 「そう…私はいらない…いらないんだ…」

 灰堂の一人言はとどまる所を知らない。というか視線の質が明確な殺意に変わってきているのはどうしたのだろう。俺は悪くないぞ。

 「灰堂さん」

 と、無口を決め込んでいた聖人が突然口を開いた。

 「ほら、恭平も言ってるじゃん。気にしなくていいって。それに、灰堂さんって注目されるの苦手でしょ?今ものすごく視線集めてるよ」

 「え…?え…!?」

 「だから、ほら。皆に、私は大丈夫ですよーって微笑みかけてあげなよ」

 「あ…うん…」

 灰堂の大柄な体が百八十度方向転換。クラス連中の息を飲む音が聞こえる。

 「み…みんな…」

 灰堂は明らかに緊張している。これは失策ではないのだろうか。だが、それは杞憂だったようだ。

 「わた、私は…大丈夫です」

 引きつっていた口角から力が抜けた。体の震えも治まり、心なしか余裕が出てきたように見える。

 ふう、と一呼吸。

 永い、けれど短い間を置き、


 「―私は、大丈夫です」


 百点満点中百点の笑顔で、灰堂は笑ってくれた。

 満面の笑み、とはこのことを言うのだろう。灰堂の笑みはクラスの男の心を動かし、女子の母性本能をこれでもかとくすぐった。

 俺も聖人もそれに漏れる事は無く、二人して惚けたまま、その笑顔に見入っていた。


 「灰堂さんはね。もう少し堂々としていた方がいいと思うんだ」

 時は既に昼休み。

 自分は弁当派だと訴え続けた灰堂を無理矢理学食まで連れ込み、私はお弁当以外は食べません。という要求を承諾して、やっと食堂の安テーブルに落ち着けることが出来たのだ。ちなみに俺は基本弁当派時々学食。

 「そうなの…かな」

 四角いテーブルには灰堂と聖人が仲良く並んで座り、向かい合うように俺が一人で弁当をつついている。 食堂には丸テーブルもあるのに何故か聖人はこの四角いテーブルをチョイスした。これはきっと何かのあてつけなのだろう。

 「そうだよ。身長が大きいからって気にする事ないって。人間は個人差があってこその人間なんだからさ」

 「…華夕君って…詩人みたい」

 「ありがと。自分では気取ってるつもりはないんだけど、よく言われるんだ」

 …なんだろう。この二人から感じられる恋人みたいな雰囲気は。

 「ところで、今度の休みの日に恭平とカラオケにでも行こうと思ってたんだけど、灰堂さんも来ないかな?」

 「私…が」

 「うん。やっぱり遊ぶなら人数多い方が楽しいだろうしね」

 そして何やら今度男連中と遊びに行く予定だったカラオケに無理矢理誘おうとしている。確かにまあ、男ばっかりよりは女子もいたほうがいいとは思うけどさ。

 「私…音痴、だよ?」

 「気にしない気にしない。それだったら目の前にいる恭平だってうまくないから心配いらないよ」

 さらりと人の秘密をバラした鬼は、隣りのか弱い少女を蹂躙し続けるのでした。めでたしめでたし。

 あまりにも俺の居場所がないので、水飲んでくる。と言って立ち上がる。

 それにしても、いつから聖人と灰堂はあんなに仲がよくなったのだろうか。灰堂なんて知らない人に話しかけられるとすぐ涙目になって震え始めてしまう。その様子は、某社のチワワよりもよっぽどそそられる。クラス内影の人気ランキング一位たる所以はその辺りが要因だろう。

 コップを手に取り、ボタンを押す。カランと、氷が落ちてくる。水が注がれ、丁度いいぐらいで指を離す。後ろに待ち人がいるみたいだし、あまり長々とは注いでいられない。

 水を飲みながら、自分のテーブルまで向かう。その途中、待ち人の姿を横目で伺う。

 「なんで麻婆豆腐があんなに辛いの…!訳分からない!」

 ヒステリックに麻婆豆腐の存在意義を否定している女がいた。辛くなければ麻婆豆腐ではないだろうに、こいつにとっての麻婆豆腐とは何なのだろう。

 立ち止まっていると、そいつと目が合った。

 ヤバ、気まずい。


 一瞬の沈黙。のち、


 「麻婆豆腐は…まろやかに卵よね?」

 そいつはえらく雰囲気に合っていない事を、事もあろうに俺に聞いてきた。

 「……は?」

 「だから、麻婆豆腐は卵を混ぜてまろやかに、辛味を中和して甘味を前面に押し出さなきゃいけないって言ってるの!」

 何やら本気で怒ってるようだが、俺には理解不能。初対面の相手に麻婆豆腐の事を説かれて話を合わせる事は出来ても、納得できる人間を俺は知らない。

 と言うか、こんなやつ学校にいただろうか?リボンは緑、俺達と同学年らしい。どんぐりのような大きな目に、肩までの短い黒髪。顔全体のバランスはよく、とりあえずかわいい部類に入る。身長は灰堂マイナス15センチぐらいだろう。

 が、辛い物が甘くないと納得出来ないような歪んだ味覚者に、ここは現実というものを、教えて差し上げなければなるまい。

 「マーボーは…辛いだろ。普通」

 「なんですって!アンタ馬鹿にも程があるわよ!」

 「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。そもそもマーボーが甘い?それこそ馬鹿だろう。昔の人が苦心して作った料理を何だと―」

 ドスンと腹に重い感触。原因は目の前の奴が正拳突きを繰り出してきたためと思われる。

 「―って痛ぇな!いきなり何すんだよ!」

 「ふん。知らない」

 痛がる俺を尻目に、そいつはいかにも興味無さ気に水を注ぎ、短い髪を翻して自分の席へ戻っていった。

 「…なんだったんだアイツ」

 不平不満を愚痴りながら、コップ片手に食堂を横断、席に戻る。

 「お疲れ。お腹大丈夫?」

 「大丈夫だ。つーか見てたなら助けてくれたっていいんじゃないか?」

 「いやいや、何だかすごく親しげだったから入り込むのはアレかな、と思って」

 親しげ?俺がアイツと?

 「何言ってんだ。俺あんな奴今日まで見た事なかったぞ。アレは何組の奴だ?」

 「……え?」

 何故か聖人は目を見開いて硬直している。仕方がない。

 「灰堂さん。さっきの奴の事知ってるかな?知ってるなら教えて欲しいんだけど」

 「あ…うん」

 灰堂は弁当を食べる箸を止め、話し始めた。

 「あの人は…1組の古谷冬美ちゃん。…部活には入ってなくて、勉強が出来て、私の幼馴染み」

 「幼馴染みって事は…灰堂さんの友達?」

 「ううん…家が近いから昔はよく遊んだらしいけど…今はあんまり…」

 「そうか…ありがとう」

 適当な所で会話を切り、食事を再開する。灰堂も無言で食べ始めた。


 古谷冬美…覚えていろ。



 昼食後の授業は睡眠で消化し、帰りのホームも上の空で過ごした。時間はあっという間に過ぎ、空の色は徐々に朱を帯びてきた。

 「…帰るかな」

 そういえば朝、美佐子さんが早く帰って来いと言っていた気がする。結局、誰の祝い事なのか聞いていなかったが、まあ勝負は時間場所場合。臨機応変な対応が出来れば問題は無い。

 NGワードは

「誰の誕生日だっけ?」

、それだけ確認しておけば十分だ。


 しかし、行きも帰りも住宅街の中は見る物が無い。ある物と言ったら、どれも変わり映えしない家々や街路樹ばかり。

 ここよりもう少し離れた所にある商店街は孤児院に入ってから色々とお世話になっているので会話の種には困らず、処分品のコロッケやお菓子を格安で売ってもらえるので貧乏学生としては大いに助かるのだ。

 「…あ、そういえば」

 確か、キッチンのお茶受けが切れていたはず。今の時間ならまだお零れに預かることが出来る。迷う必要なんてない。

 進行方向を変えて、足が向かうは商店街。今日のお茶受けは煎餅がいいだろう。


 馴染みのおばちゃんに挨拶をして、店を後にした。

 両手にはパンパンに膨らんだビニール袋。中身は歩く度にガラガラと音を立てている。

 「重い……」

 塵も積もれば山となる、まさしくその通りだ。いくら煎餅とは言え、密集もすれば重くもなる。

 そもそも原因は、店のおばちゃんの機嫌がいやに良くて、これだけの余り物をタダでくれたという所にある。

 「店傾いたら俺のせいかな…」

 多少洒落にならない気がするが、個人の責任なので深追いはしないでおこう。

 孤児院の門が見えてきた。そこには一つの人影も立っていた。

 「お帰りなさい。恭平さん」

 美佐子さんだ。やんわりとした笑顔でいつも心に潤いを与えてくれる天使のような存在。

 「ただいま。今日は疲れましたよ。ほら、こんなに煎餅もらっちゃって」

 「あらあら」

 二人で笑う。何か忘れてはいけない事を忘れているような気がするが、結局忘れてしまっているのなら同じ事だ。

 「で、誰の誕生日なのか思い出しました?」

 現実は厳しかった。

 「あ…ええと」

 「覚えてないんですね?」

 「はい、ホントすいません。二度とないようにしますから今回だけは見逃してください。もしお望みであれば土下座でもしますからアイアンクローだけは勘弁してください」

 「恭平さん。どうしたんですか?」

 と、美佐子さんは怒り狂っている様子もなく、至って普通だ。

 「…怒らないんですか?」

 恐る恐る聞いてみる。

 「ええ、普通だったら怒っています。けれど、あなたでしたらしょうがありませんものね」

 ……俺だったらって…どういう―

 「―あ」

 そうだ。今日は三月一日。



 今日は、俺の誕生日じゃないか。

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