アイスグラスのリンゴ酒1
初雪が降って数日後、アリシャの自室から井戸まで木製の壁と屋根が完成した。これでどんなに雪が降ろうと水に困る事もなければ、家畜小屋と馬小屋になったジャンの家までの移動がかなり楽になる。
今朝も兵士達は馬の世話や薪の備蓄に精をだしていた。
「知の司よ、なぜもっと早く言ってくれないのだ」
帰国する準備をする為に兵士二人を偵察に出したエクトルは引き返してきた二人に話を聞くや否やレオに文句をつけていた。既に山は越えられないほどの雪に覆われていたのだという。
「どこの誰だか正体が定かではないのに何を言えというのか」
エクトルは足を投げ出して座り「わかっておったろうに、白々しい」とボヤいた。
「いや、想定より積雪量は多い」
「そっちではないわ、まったく」
暖炉の前で背もたれ付きの長椅子を作っていたボリスが、板を押さえてくれているイザクに次の板を手渡した。
そんな二人の仕事を眺めては帳簿をつけているレオにエクトルが話し掛けている。暇潰しをしているのは明らかだが、レオは特に嫌がりもせずに話に付き合ってやっていた。
「それで、あの《《二人》》は探さないのか?」
エクトルの問いにレオは顔もあげずに答える。
「逃げ出した者を追って雪の中歩き回るのは無駄なことだ」
ルクとジャンヌはあの雪の日の夜、密かに村を出て行った。翌日、家に行ったナジは家の中がもぬけの殻で呆然としていたらしい。
「父さんさ、泣いたんだよ。寒いのに雪に突っ伏してさ」
ユーリは困った顔でそう言ったが、大人たちはナジを思うと心が痛かった。苦労して育てた息子がこの短期間におかしなことになり、とうとうなにもかも捨て居なくなったのだ。
それを聞いたエクトルが「女を殺してやれば良かったな」と呟いたのを誰も咎めなかった。
「馬で追いかければ見つけられただろうに」
カンカンとなるトンカチの音の合間にエクトルが言うが「出て行きたいと思っての行動だ。連れ戻せばまた反発する」とレオは返事をし、顔をあげる。
「随分暇そうだが、仕事を与えよう」
エクトルの眉が中央に寄った。
「偉そうな物言いだ」
「この地は誰の支配も受けておらんでな。そなたにかしずく義理はない」
まぁいいだろうとエクトルが答え、仕事の内容はなんだと問う。
「ユーリという少年に読み書きと計算を教えて欲しい。特に計算は生きていくのに必須だ。冬の間になんとか身につけさせたい」
エクトルは名を聞いてユーリが誰なのかわかったらしく、あれかと言った。
「弟だけ出来ないのか?」
「いや、ルクも出来なかった。男で一つで育てられたからそこまで余裕がなかったらしい」
「我が国は孤児や遺児支援を強化しておるところだ。読み書きが出来ないまま大人になれば、行き着くところは犯罪者になることが多い。何も出来ないのに雇いたい人間など居らぬからな」
エクトルの語ったことを知っていたレオは「就職口がないと軍人として雇い入れていることも知っておる」と返した。そして、雑談しながら楽しそうに長椅子を作る二人を見つめて続けた。丁度椅子が出来上がり、イザクが立ち上がったところだった。
「スルシュア王国は多くの点で優れている。だから国は安定し、繁栄しているのだ」
エクトルはニヤリと笑みを浮かべてみせた。その横にイザクが並んで話に耳を傾け始めた。
「知の司と呼ばれたそなたに褒められるのは気持ちがいいものだ」
「知の司……か。私はストルカ国を保つことも繁栄させることも叶わなかったぼんくらだ」
テーブルに肘をつき、頬杖をついたエクトルがそんなレオをじっと見つめ「我が国でいま一度その知性を発揮させてはどうか」と打診した。レオの答えは簡潔でいて即決だった。
「断る」
エクトルの右眉がグイッと上がり、なぜだと問う。
「私には守らなければならぬものがある。ただそれだけだ」
「それはエドワードであろう? もう王子ではない男だ。違うか?」
顎髭に触れながら顔をあげたレオがエクトルを見据えて口を開く。
「王子でなくなったとしても彼を守ることが私の使命だ。ドクが私についてきてくれるように、私もエドを守りぬくつもりだ」
エクトルはため息をついて首を振った。
「私の打診を断った者などこれまでおらぬのに……。この村の者はどうだ。お前もアリシャも全く考えることもせずに答えをだす」
レオは可笑しそうに口角を上げた。
「幾つになっても初めてのことはあるものだ。楽しかろう?」
エクトルは肩を上げて「全然」と、拗ねた子供みたいな顔をした。
「アリシャの事をどうしても手に入れたい。異常な程にな」
またかといううんざり顔のイザクをおいておいて、随分昔読んだ書に書いてあったのだがと前置きし、レオは言う。
「それは力と力が呼び合っているせいだ。一つに戻りたがるらしい」
小さく二回頷くと、わかるとエクトルは納得してみせた。
「だが、魔力を持つ同士で子を成すと、その子は力を受け止め切れず死に至るのだとあった」
瞼をゆっくりと上げてエクトルが押し黙る。まるで怒りを堪らえようとするように。
「アリシャを守る為の詭弁だと思ったか。アリシャがそなたに対して好意を寄せても私としてはなんら問題はない。ただ事実、書にはそう記してあったのだ。私はそれを読んで納得したのも記憶しておる。祖が力を分けたのはその辺りが理由だろうとな。一人の人間が抱えるには負担が大き過ぎたのだろう」
自分の主の顔を窺いながらイザクも「その話は聞いたことがあります」と言い添えてエクトルに睨まれることになった。




