創作初心者の地獄と底辺物書きの諦観
家賃を二ヶ月半滞納した六畳一間で、私は第三のビールを舐めながらスマートフォンの画面を眺めていた。コンビニで見切り品として売られていた弁当の残りカスが机上に散乱し、原稿用紙に換算して三枚分しか進んでいない今日の執筆作業を前に、私の指先は既に諦めの境地にあった。時給換算すれば二十円にも満たない労働である。それでも私は書く。書かなければ、この惨めな現実を受け入れることすら叶わないからだ。
そんな折、はてな匿名ダイアリーに投稿された一篇の告白文が目に留まった。
「創作初心者にとってカクヨムは地獄だよ」というタイトルで、創作歴ゼロの新参者が初めて書いた自信作を投稿したものの、まったく読まれずに絶望するという、実に典型的な嘆きの文章である。投稿者は自作を「傑作」と称し、書籍化まで狙えると豪語していたらしいが、蓋を開けてみれば閲覧数は三桁にすら届かず、評価もスターもつかない現実に直面したという。
私はその文章を読みながら、五年前の自分を思い出していた。あの頃の私もまた、同じような万能感に支配されていた。深夜のファミリーレストランで書き上げた初作品を、これこそが文学界を震撼させる問題作だと信じて疑わなかった。だが現実は残酷である。私の処女作は今もなお、カクヨムの海底深くで朽ち果てている。累計閲覧数は四百七十二、評価は星ひとつ。それも多分、間違えて押されたものだろう。
匿名の投稿者は「地獄」という言葉を使ったが、私に言わせれば地獄などという大仰な表現すら生温い。地獄には少なくとも業火という名の熱量があるが、創作界隈の底辺に待ち受けているのは、ただひたすらに冷たい無関心の闇である。誰も読まない、誰も評価しない、誰も存在を認知しない。それでも私たちは書き続ける。なぜなら書くことを止めれば、自分が何者でもないただの負け犬であることを認めなければならないからだ。
カクヨムのコンテスト情報を眺めていると、その残酷さがより鮮明になる。
「カクヨムコンテスト11」では賞金総額約一千万円と謳われているが、その恩恵に預かれるのは極々一握りの選ばれし者たちのみである。私のような万年底辺にとって、それらの金額は遠い星座の光のように手の届かない存在だ。昨年のコンテストで私が投稿した作品の最終順位は、応募総数一万二千作中の八千七百位。上位一割にすら食い込めない惨憺たる結果であった。
それでも私は今年もまた応募する予定である。
「異世界"最かわ"ヒロインコンテスト」という、タイトルを見ただけで胃酸が逆流しそうな企画にも、恥を忍んで参加を検討している。プライドなど、とうの昔に質屋に預けてしまった。時代が求めているのは私の内面を抉るような私小説ではなく、可愛いヒロインが活躍する軽やかな娯楽作品なのだということを、私は嫌というほど理解している。
ツキヨムの楽曲化コンテストや、めちゃコミックの漫画原作コンテストなど、多角的なメディア展開を前提とした企画も目白押しだ。成田良悟という売れっ子作家の作品の続編を一般公募するという発想には、正直なところ嫉妬以外の感情が湧いてこない。彼我の実力差を思い知らされるような企画に、それでも私は応募してしまうだろう。なぜなら応募しなければ、可能性はゼロのままだからだ。
夜が更けて、隣室から聞こえてくるテレビの音声も次第に小さくなった。私は再び原稿に向かい、キーボードを叩く。今日もまた三行しか進まないかもしれない。明日になれば今日書いた三行を全て削除することになるかもしれない。それでも私は書く。書くことでしか、この底辺から這い上がる術を知らないからだ。成功者たちの華やかな受賞報告を横目に見ながら、私は今夜も安酒を舐めて、誰も読まない小説を書き続ける。
それが私という底辺物書きの、唯一の存在証明なのだから。




