第15話 行かない理由
それからの日々は、とにかく大変だった。
途中から、
何回儀式をしたのか数えるのをやめた。
朝も夜も、
区別がつかなくなる。
目を覚ました瞬間に求められ、
少し距離を取ろうとすれば、すぐに気配で察知される。
服を着ている時間は、
本当に、寝ているときくらいだったかもしれない。
身体は、相変わらず軽い。
疲労というものが、表層に現れない。
だから余計に、
精神の消耗がはっきりと分かる。
「……十二日って、こんなに長かった?」
永遠のようだ、と思った。
そして、
最終日前夜。
その夜、
ユエリは、明らかに様子がおかしかった。
いつものように寄ってこない。
触れてもこない。
布にくるまったまま、
じっと天窓を見つめている。
「……どうしたの」
声をかけると、
小さく、鼻をすする音。
「……帰りたくない」
掠れた声だった。
「国に、戻りたくない」
「……それは、だめ」
言い方が、少し強くなったのを自覚した。
月の神が国に戻らないなんて、
あり得ない。
でも、
ユエリは、それでも首を振った。
「行きたくない……」
布を握る指に、力がこもる。
「ここに、いたい」
「ユエリ」
名前を呼ぶと、
やっとこちらを見る。
目が赤い。
涙が溜まっている。
「今から、世話係を呼びます」
突然、そんなことを言い出した。
「話せば、きっと……
特例とか、なんとか……」
「呼ばない」
即座に止める。
「それは、絶対にだめ」
「なんで……!」
声が、裏返った。
「だって……
僕がいなくても、国はすぐに壊れたりしないでしょう」
「するよ」
「しない……!」
必死だった。
理屈じゃない。
「一年ですよ」
震える声で、
数字を口にする。
「一年も、会えないんですよ」
「それが、決まりだから」
「そんな決まり……!」
言葉が詰まり、
代わりに涙が落ちる。
「……信じられない」
泣きながら、
袖を掴んでくる。
「僕がいなくなったら……
また、他の月と、儀式をするんでしょう」
それは、
避けようのない事実だった。
否定できない。
沈黙が、答えになる。
「……嫌だ」
声が、かすれる。
「考えたくない……
僕がいない間に、
知らない月が、ここにいて……」
言葉が続かなくなり、
代わりに、嗚咽が溢れる。
「ユエリ、それは……」
「嫌なんです!」
叫ぶように、言った。
「だって……
やっと……」
声が、震えに震える。
「やっと、ここが……
ここにいるのが、当たり前になったのに……!」
胸の奥が、
きゅっと締め付けられる。
「国のことより……
役目より……」
涙で濡れた目が、
真っ直ぐこちらを見る。
「ここにいられなくなる方が、
ずっと、怖い……」
それ以上、言葉にならなかった。
宥める。
諭す。
抱きしめる。
どれも、効果が薄い。
泣き止んだと思えば、
少ししてまた、思い出したように声を上げる。
「行かない……」
「戻らない……」
夜が、深くなっても、
収まらなかった。
泣いて、
叫んで、
疲れて眠って。
少し目を覚まして、
また、同じことを繰り返す。
結局、
夜通しだった。
朝。
最後の儀式を終えたあと、
外から、鈴の音が響いた。
迎えだ。
ユエリは、
布を被ったまま、動かない。
「……起きて」
声をかけても、
首を横に振るだけ。
「行かない」
「行く」
「行かない……!」
布を引き剥がすと、
泣き腫らした目。
「やだ……」
小さな声で、
必死に訴える。
「……来年まで、待ってて」
玄関へ向かう途中も、
何度も立ち止まる。
玄関では、
完全に動かなくなった。
世話係が近づくと、
縋るようにこちらを見て、声にならない声で叫ぶ。
「……待って……
来年まで……
どうか……」
抱え上げられても、
最後まで、抵抗していた。
馬車に乗せられ、
扉が閉まる。
鈴が鳴る。
遠ざかる音。
陽奈は、
その場から動けなかった。
――これは、
ただの仕事じゃない。
そう、
否応なく理解させられた。




