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触れられるたび、月は満ちる。 神であることは、拒めないということだった。  作者: Carrie
南月編

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1/7

プロローグ

馬車は音もなく進んでいた。

車輪が石畳を踏む感触すら、どこか遠い。


太陽神の国に来てから、私はいくつもの建物を見てきた。宮、学び舎、祈りの場。けれど今日向かう場所は、それらとはまったく違う意味を持つらしい。

そう説明された。


――儀式の施設。


名を聞かされただけで、胸の奥がわずかに冷えた。

けれど、その理由を私は言葉にできない。怖いわけでも、嫌なわけでもない。ただ、そこが「役割」を果たすためだけに存在している場所だということだけは、はっきりと伝わってきた。


馬車の窓から見える景色は、いつの間にか何もなくなっていた。

人の気配も、建物もない。ただ、低い草原と、遠くにきらめく海。

太陽神の国の中心から、ずいぶん離れたのだとわかる。


「こちらです、太陽神様」


御者の声にうながされ、馬車を降りる。

目の前に広がっていたのは、想像よりも質素な建物だった。平屋造りで、白い壁に囲まれた庭園が静かに息づいている。風が木々を揺らし、花の香りが淡く漂っていた。


――神のための場所なのに、人の暮らしに近い。


そんな印象を受けた。


案内役は建物の前で深く頭を下げると、それ以上何も言わずに立ち去った。

この先は、清掃と食事の時間を除いて、誰も立ち入らない。

そう教えられている。


私は一人で扉を押した。


中は驚くほど静かだった。

磨かれた床、奥へと続く廊下、庭へと通じる大きな窓。そして、天井の中央には天窓があり、まだ昼だというのに、淡く月の気配を感じさせる。


ここで、十二日間。


四方の月の神が、順番に訪れる。

その最初が――南月の神。


炎嵐イェンラン


教育の場で聞かされた名前を思い出す。

力が強く、声が大きく、陽の気を宿す神。

けれどそれ以上のことは、誰も語らなかった。


「……太陽神、か」


不意に、低くよく通る声が響いた。


振り向くと、そこに彼はいた。

庭園へ続く扉の前、影を背負うように立つ大きな身体。鍛え上げられた腕と、堂々とした立ち姿。存在そのものが、熱を帯びているように感じられる。


「初めてだな。顔を合わせるのは」


炎嵐は一歩近づき、私をまっすぐに見下ろした。

その視線に、敵意はない。ただ、強い光のようなまなざし。


「俺は南月の神、炎嵐。……今日から十二日間、世話になる」


形式ばった言葉のはずなのに、不思議と重く響く。


私は、自分が太陽神であることを思い出す。

役割を果たす存在。平等であるべき存在。


「浅倉陽奈です」


名乗ると、彼は一瞬だけ目を細めた。


「人の名を持つ太陽、か。……悪くない」


そう言って、炎嵐は笑った。

その笑みが、この十二日間の始まりを告げているような気がして、私は小さく息を吸った。


ここが、逃げ場のない場所だということを、

ようやく実感し始めていた。


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